「神の数学サイト(http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen1.html)」で新しい記事がありましたので転載させていただきます。
この記事を拝見いたしまして。日本の古代文字と西洋で発見される古代の遺跡に書かれている文字が不思議なほど符合し、一致しているというところがありますが、古代の世界では共通語であったのではとおもいます。そしてこの古代の共通語は月人が使っている言葉なのかもしれません。また月人の言葉は日本語にそっくりなのでしょうか。確か、地球の文明を一から再開させるときに月人が介入して都合の良い文化を教えていったはずでしたので。しかし始めは世界共通の言葉でありましたが、太陽(ミロク)さんが日本に潜入されたことをかぎつけ、月人が日本語と世界の言語を全く違うものにしてしまったのではないかと考えられます。
もし太陽(ミロク)さんが活動を始められたときに、世界の言語が共通であればたちまち地球人全員にその内容が知られてしまいますので。
『神の数学』12月の記《祝詞「ひふみ…」の本当の姿とその本性を見る≫、その(4)》 (2010年12月吉日載記) 日本古神道の奥義祝詞である「ひふみ…天地の数歌」、それは余りに破天荒な内容を持つものであり、余りにも想像を絶する言霊的な姿を持つ驚くべきものなのである。また、この驚くべき内容については如何なる大学者と言えども決して否定、反論等は一切出来ないものである。なぜなら、そこには数百、数千、数万、いや、無限に伸びる「真実の証拠」が数により語られ、その検証さえもしっかりした形で残されているからである。若し、敢て否定に走ろうとすれば、それは宇宙の大律の存在や我々個々の存在の否定にまで繋がることにもなりかねないものである。 なぜ数千年前にこのような現代科学もたじろぐような超ス−パ−な真実理が存在し、古神道の中に最重要項目として封じ込めて子孫代々まで伝えようと図ったのであろうか。考えて見れば、それは間違いなく存在し、爾来数千年経過した今でも健全としてその役目を果たそうとしているのである。まことに健気(けなげ)な姿、そのいとおしい姿には涙すら覚えるのであるが…、 しかし、今やその役割を終え、何の未練気もなくその灯を消さんと静に最後の息をついているのである。恐らく、あと数十年で栄えある歴史の帳を下ろすつもりであろう。そのあたりはこの数十年来の神道の姿を目の当たりにしている諸氏にも薄々察しがついているはずである。 しかし悲しいことに、それを守り伝えて来た本人はとうの昔にそんなことは忘れ果て、現代文明と言う何時崩れ落ちるかも知れない仮面舞台に立ち、並み居る数多の主人公の一人として懸命に空踊りを披露している有様である。 さあ、本題に入ろう、多分2〜3年くらい前であろう、古神道の奥義祝詞である「ひふみ…天地の数歌」の持つ歴史上の本来の姿、その言霊的な内容について一応簡単に紹介しておいたことがある。しかし、ここにもう一度改めて再検証の意味で取り上げ,更なる歴史的な真実を追求して見たいと思う。 本来、それは知的な歴史遺物としては世界最高の一級品であり、日本の誇るべき人類知の珠宝とも言えるものである。しかるに、その持ち主である日本人が数千年と言う長い間その価値に気がつかず、ただ捨て置いただけであり、今の今まで誰も手をつけようとはしなかったものである。 なぜならばその本来の当事者達は縄文時代の到来と共に抹殺の憂き目に合い、その解法やあるべき内容さえもすっかり失われてしまったからである。要するに今まで中身の無い「空の神輿」を担ぎ、何も知らずに空言を唱えていたと言うことである。しかも、いろいろと中身を詮索推量したが、その意味内容はすでに失われてしまったと言うだけである。少々言い方が厳しく史実性に欠けると言われるかもしれないが…、しかし、歴史の大局をしっかりと眺めるとどうしてもそう言わざるをえないのである。 考えて見ると今だからこそ、それらの公開のチャンスがめぐって来ていると言えるのである、インタ−ネットが驚くべき発達を遂げ、個人が自由に所信をそれに載せてあらゆる方向に発信できるのである。若し、これが30年前の世界であったなら、到底陽の目は見ずに闇から闇に葬りさられていたのは間違いないはずである。なんと言う天佑な時であり、何という僥倖な時代を迎えている千載一遇のチャンスなのであろうか、神とこの時代に感謝する次第であり、知る限りの真実をあなた方に伝え残し、遥かな後世へと繋いでもらうだけである。 祝詞「ひふみ…天地の数歌」とは……ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここ、たり……の九つの数詞文字を厳かに歌い上げているものであり、同時に尽きない永遠なる自然の姿を高々と謳い、感謝を捧げながら、それを称(たた)へ上げているものである。その姿はまさに「言霊」の大いなる履歴の大元の姿であり、、その本来の由緒ある姿をかいま見せているものである。これらが空言ではなく真実である証拠にはこれを用いることによりすべての数学的な自然次元は共鳴同調を見せ協調の姿をとるからである。そのあたりは追々ここで解き明かすことにしたい。まさに「神の数学」の珠玉の逸品そのものである。 <その詳細を知りたい方は「神の法陣」上級講座4を参照してほしい、特に将来「数学」、「物理」を修めようとする方は必見のものであろう。せめてこのくらいの「自然数理」の存在を胸に置いて自然と対話を行なうべきであろう。何も難しいものではない、中、高生でも十分に理解できるものである> この中の最後の「たり」は「足りる」の言葉であり、そこまでとの〆(しめ)言葉であり、数詞ではない。要するにこれは…ひ、ふ、み、や、〜ここ…までの九つの数詞言葉に秘められた「天地自然(宇宙)の真実」を厳かに歌い上げている「聖なる文言」なのである。それをゆかしき古代言霊の形、本当のあるべき本来の姿に還し、そこにある伝来の真実の姿を求めてみよう。 …ひ(日,光)、ふ(風,空気)、み(水)、よ(世)、いつ(出づ,現われる)、む(虫)、なな(魚)、や(鳥)、ここ(毛々,すなわち獣)…。 (や=鳥)の古代言葉については「日本超古代史資料の「天地の歌四十八音」…吾郷清彦著の中に見い出すことが出来る。 何と、ここに現われ出でたのは地球自然の姿そのものではないか、まず太陽の光が最初にあり、次には空気と水が生成されて一次的な地球自然の姿がが出来上がったと歌い上げ、更にはその後に二次的な自然生態系の発生があって現在の世の中が出現したと歌い継いでうるのである。その順序がすなわち、虫(三葉虫などの原始虫)から始まり、魚類、鳥類、やがては哺乳類の発生に至ったといみじくも語り上げているのである。 その姿たるや、まさに「天地の数歌」の名に恥じない凛々しく、朗々とした天下にひびく「天地創造」の姿であり、それを数に託して秘かに歌い上げて止まないものである。また、それを唱えるだけで身も心も引き締る感があり、まさに祝詞の面目躍如たる姿がそこにはあるのである。 またこれが、歴史的な謎の存在であった「言霊(コトダマ)」 の大変古い形の現われであり、「コトダマ」と言う言葉の由来、来歴をゆくりなく物語っているものである。要するに、「表」の言葉の「裏」にはもう一つの別の力のある不思議な言葉が存在し、その隠された「裏の言葉」こそが本当の真実を語るものであると言っているのである。これが本当の「言霊」に宿るとされている「不思議な幸わい言葉」であり、その姿である。それはある事情により本当の真実はあたり障りない言葉の裏に隠されて人目を引かないように世を憚(はばか)って永らえた姿である。これも一つの言葉のアナグラム的な古代人の知と汗の結晶であり、人の目を逸らすための「コトダマ化」と言う世界にも稀な手法と言えるものである。 それは一体何ゆえであろう、そこにあった真実とはすなわち、紀元の前後あたりに大規模な大陸勢の日本侵攻、征服が続き、すべての日本の文字や伝統文化が完全に破壊、抹消されたと古文書は伝えているのであり、それを逃れる為にやむを得ず姿を変えて生き延びようと図ったと言うのがその真相であろう。 何せ、当時の大陸では王朝の変わるたび、何百万人、何千万人の兵士や家族が行くえ不明になるのが通例であったのである。<ひどい時は後漢時代(西暦156年)に5007万人の人口が後漢滅亡の西暦242年には1割強の763万人に激減しているのである…@。 何と言うこと、歴史では明らかにされてはいないが、その何割かは日本に流入しているはずである。 なぜならば、当時の日本は高貴安寧な「神仙の国」、「長寿長命」な国との評判が高かく、古くは孔子、孟子の時代、あるいはかの始皇帝の時代から憧れの地であったからである。…A それを機に長い平和な縄文時代は終わり、弥生時代に突入したのである。その渡来した大陸人の数は縄文人1に対して、少なくとも9、多く見れば縄文人1に対して25とも言われている。(一方は平和な民族、かたや戦乱の地を命からがら逃げてきた敗残兵達)…B。 それでアッと言う間に大勢が決まり、縄文人たちはすべて殺戮殺消の憂目に会い、残った人々は「奴」と呼ばれる奴隷にされてしまったと古文書は言ってる。彼等大陸人は神代文字を抹殺し、朝廷その他の公用文には漢字のみが使用され、彼等はすべての分野で指導階級となり、更にその後大勢の学者や文人を大陸から呼び寄せ繁栄を誇り、それと同時にますます弥生文化は強化されていったのである…C。 @…「中国四千年の歴史」杉山徹宗著(祥伝社)より。 A…「魏志倭人伝、」、「「後漢書」、「梁書の諸夷の項」より B…東京大学の人類学の権威である埴原和郎氏の論説文から引用…(「科学朝日」1988年2月号から)…A。 C… 「竹内古文書」万国史より 恐らく、このあたりから日本の歴史年表の2〜4世紀にかけての空白の理由は分かって来るはずであろう。いや、学者達は知っていても、絶対それを口には出来ないのかもしれない、何せ、今まで、支えてきた日本歴史のパラダイムがすっかり崩れ去るからである。 今までこの祝詞「ひふみ…」の言葉をめぐって様々な見解や、いろいろな新規な言葉があったが、如何にせん帯に短し、たすきに長しであり、全体的に見て役不足の感を否めないものであったが、今、ここに来てやっと真実に辿り着いたのであり、一つの歴史的に完成した内容を持つ真実文言に巡り合えたと申し上げることが出来るのである。しかも、それは世界的な広がりをもつもう一つの聖文言とまさに同一同根という驚くべき姿を持っていたのである。 これからの説明こそ佳境に入るものであり、是非直観力と洞察力を最大限に引き上げて聞いてもらいたい。それはまさに日本神道の一大事を意味するものであり、日本神道の歴史やその素性さえ語り上げてもなおかつ余りのあるものなのである。 あなた方は今までに、これ以外にこの連続した言葉、すなわち、この祝詞「ひふみ…天地の数歌」の西洋化した言葉を何処かで見たこと、耳にしたことがあるはずである。そう、これは西洋の旧約聖書の中の「創世記」の冒頭の部分にある「神の言葉」そのものであり、有名な神の言葉とまったく瓜二つなものである。見るがいい、そこにある言葉はおろか、その順序さえも完全に同一であり、まったく同じ言葉そのものがそこには並んでいるではないか。要するに、それらすべては太古の日本から西洋という未開の土地に運ばれたと言うのが正しい本当の歴史の姿なのである。 それらの歴史を手繰っていくと、片や古神道は時知らずの三千年であり、一方の旧約聖書の成立は、バビロン捕囚以降のBC600年あたり、今から大体2600年前の出来事であり、大体時期的には同年代あたりと考えても差しつかいないものであろう。 では念のため旧約聖書の中の「創世記」の最初のくだりを簡単な形で次に掲げて置く。 神は最初に「光」あれと言った、次に「大空」をつくり、その下に「水」を分けた。次に水に群がるもの(水中の虫類)、更には水の中を動き回るもの(魚)。そして翼のある鳥をつくり、最後に地の獣(けもの)をつくった。こうして天地万物は完成した。これが創世記の天地創造の件(くだり)であり、その最初に置かれている神の「聖なる文言」なのである。 この二つを見比べるがよい、誰が見ても、まさに瓜二つ、瓜、瓜の姿そのものであり、誰が見てもまさに双子の関係と言ってもいいものである。何と言うことであろうか…!!。 さて、考えて見るがよい、なぜ、広大なユ−ラシャ大陸を挟んで西と東と言う遠く離れた二つの地にまったく同じ言葉が保存され、聖なる言葉として神に捧げられていたと言う事実が存在しているのであろうか…。しかもそれらは等しく「聖なる文言」の冒頭に置かれ、神を崇める際に最初に唱えられているものであり、まさに同じ由緒、姿を持っているものである。しかも、一方はユダヤ、他方は日本と言う古い歴史とくすしき因縁をもつ民族同士であり、また、共通な祖先を持つ間柄と取り沙汰されている二つの民族である。するとこの事実もこれら二つの民族は噂通り昔から因縁深い同祖同根である証(あかし)となるものなのであろうか…、!?。 その東と西の間には何かその二つを結びつけるものがないであろうか。そのあたりを歴史から掘り起こして見ると大変面白い発見があったのである。何と甚だ興味深い歴史的な事実が見い出され我々を唸らせるのである。地図を見てほしい、日本と西洋の中間あたりの地中海にクレタ島と言う島(ギリシャ領)がある、そこに興ったのが世界最初の文明と言われるミケナイ文明(BC3000年頃に興り、BC1500年ごろ消滅)であることはご承知であろう。何とその遺跡から大変興味深い古代遺物が発見された、それが「フアイストスの円盤」と名付けたものであり、そこに記されている文字は甚だ難解で、解読はまったく進まず長年学者達を悩ませていたのである。 しかし、それらの文字がどうも日本の古代文字によく似ていると最初に指摘したのは第二次大戦中に海軍で日本語を学んだジョン・チヤドウック(当時、ケンブリッジ大学講師)である。それを伝え聞いた古代文字研究家の相馬龍夫氏はなんなく日本古代文字ですべてを読み解き、その一切をある誌上に発表しているのである。題名…<エ−ゲ文明の謎を解く古代日本語…「ファイストスの円盤」>…歴史読本(昭和51年5月号)。更に、話は続く、相馬氏はそれに先立つ昭和四十年代にすでに日本古代数字とギリシャ数字は不思議なほど符合し、一致していると言っていたのである。はてさて、そこにからまる因縁とは…?!。…「日本古代文字の謎を解く」相馬龍夫著より。 また、何ということ、このミケナイ文明やトロイの遺跡を発見、発掘したことで有名なあのシュリ−マンが幕末(1865年)に日本に来て、散々日本を褒め称えていたと言うのである。どうして…?!、なぜ?、何かあるのであろうか。そう言えば、ミケナイ文明を築いた民族はアジア系の人々と歴史上では言われてはいる。それと彼の日本訪問は何か関係あるのであろうか…?。はて、さて…?!。 今、このような歴史を分けるばかりの大事実の存在さえも忘れ去られ、風化されようとしているのである。恐らく今では歴史家でも知る者はいないであろう。何と言うことであろうか、これこそまさに日本の歴史、いや世界の歴史さえも変えてしまうばかりの歴史的な事実であるはずなのであるが…、すでに知る者とて余りなく忘れられようとしている歴史の真実である。今はただただ胸が痛むだけであり、悲しみがあるだけである。 また、その中には甚だ興味深い事実を私は発見したのである。何とそこには日本の和歌などに見られる「枕詞」の原形が存在していたのである。それは「神」の上にある神を修飾している一連の言葉であり、その使い方や内容までまさに「枕詞」と瓜二つのものであったのである。それはまさに「枕詞」と同一的な形と働きをもって存在し、見事に「神」の本質を修飾しそれを讃え上げているものである。要するに、枕詞の初期的な存在がそこに見い出されるということである。 この修飾言葉の意味は相馬氏の読み解きでは「神意」と訳されてあり、意味は<それは日本語を縄文に遡った根元で、大自然の真理∞無限の空間≠示すもの>となっているものであり、まさに本来の「神」を表す修飾言葉としてピッタリのものである。 何と、これらの諸事実の発見により私の長年の疑問はすべて氷解し、これら「古神道」と「旧約聖書」との間にその昔つながりがあったであろうことは無理なく推測されたのである。要するに、この二つは遥かに遠い過去と現在と未来とを時間を超越して今でも存在し、かつ、つながっているのである。それはまさに歴史的見ても大変貴重な事実の発掘と言ってもいいものであろう。 そう言えば、最近も日本の古代石文字を読み解いて「超古代、日本語が地球語だった!」と語っている方や、世界中の解読不能であった古代文字を古代日本文字で読み解いている方々もいるようである。まさに彼等こそ日本にとっては大変貴重な存在価値のある御仁達であり、殊勲功労者、日本の宝とも言うべき存在である。陰ながら、絶大なるエ−ルを送りたい。 すべては広大なる歴史、過去と現在にかかる歴史のロマンであり、真実を求めて止まない者達の熱い吐息が見い出した歴史的な架け橋、すなわち、過去と現代にかかる大きな虹の橋である。その虹により過去と現代との時間の差は埋まり、すべてが白日の下に曝されて本当の正しい歴史が現われようとしているのである。そしてその橋を渡る人が多くなるにつれ、ますます強固になり現実なものへと変化していくものである。 概して人は常識に合わない異端の真実を迫害、排除の方向に持って行きがちであるが、それは大きな間違いである。なぜならば、いくら常識を深く掘り下げても決して新しいもの、新らしい発見等は生まれて来ることはないからである。新しい発見とはすべて非常識の発想から非常識な形で現われてくるものであり、その真実が認められるにつけ、徐々に共鳴浸透してそれが常識に変わるのである。 この「神の数学」がそのいい例であり、最もそれを代弁しているものである。恐らく、現代知の信仰者には許しがたい知の冒涜と映るであろうが、しかし、そこにある自然の真実にはどうあっても現代知は分が悪く、どう検証しても否定不能なことが歴然としているものである。それでも信じられないとのたまう御仁はこのHPの半ば以降にある「天地の数歌ひふみ…」の数による驚くべき「大検証」をしっかりと自分の手と目で調べるべきであろう。そこには間違いの無い「神との係わり」が芽吹いて祝詞「天地の数歌」を擁護しているのであり、そのすべてをいみじくも「数」と「数理」が語り上げているのである。 今の日本人は何も知らない、真実を知らされてはいないのである。学者というものは自分達に都合の悪い真実があれば、無視して即消し去るか、または知らん顔をして自然消滅するのを待つかである。我々の歴史だって同じである、いや、もっとひどいかも知れない。だから、たまたま本当の歴史が姿を現してもなかなか陽の目を見ることはなく、時と共に忘れ去られてしまうのである。甚だ嘆かわしい御時世である。 さあ、今年もこの稿で最後となる、来年は更に新しい「超数理の知」を数多(あまた)用意し、諸氏の前にご披露申し上げることにしるので、宜しくご検証のほをお願いしたい。果たして、そこには鬼が出るか、蛇がでるかであり、その正体をトコトンまで突き詰めて戴きたい。とにかく、先端物理に明るい学者でさえも目を剥くものとでも言っておこう。しかし、だからと言って大変難しいものかと言えばそうでもない、普通の中,高生でも十分に理解できる甚だ平易なものであり、当然な帰着となる数の語る「自然の真理物語」である。 しかし、それらの真実は現代知で武装している諸氏の心胆を寒からしめ、更には魂魄の限りを宙天に飛すことにもなるであろう。すべては古神道の裏側に貼り付けられていた古代日本の知業であり、祖達が知る得たことを子々孫々の行く末をおもんばかり「神の秘儀」と言う形で古神道の中に封じ込めたと言うのが真相であろう。それを三千年という時を超えた彼方からこじ開け、中身を取り出そうとしているのである、しかもそれを舌足らずのど素人が懸命に世に出そうと図っているのである。並大抵の所業、いい加減な覚悟では到底遂行不能なものである。察するに天と地の力を借り、かつ見えない神々の後押しがあったからこそ成し遂げることが出来たのであろう。今はただただ感謝あるのみである。 今、その全体的な表れが静に目を覚まし、産声を上げ羽ばたこうとしているのである。時はまさに、二十一世紀と言う新しいミレニアム、すなわち千年記と呼ばれる新しい時代である。それが新しい宇宙普遍の「知の糧」、すなわち古神道から不死鳥のように甦りを果たした「神の数学」であり、その斬新極まりない数の仕組みなのである。 <詳細は「超物理(3)、《数学幻視考》古神道1、2、及び3 6参照> ●<日本の古語(九語)がまことの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と共に弥栄ゆく仕組み>…ひふみ神示より ●<太祝詞(ひふみ天地の数歌)のりのり祈らば岩戸開けん>、 ●<今までの三千年のやり方が違っていたことを心づくならば、心付いて神示読むならば一切のことありやかとなるのじゃ。> ●<世界の何処探してもココ(九九=ひふみ九九算)より外に神のまことの道知らす所ないのざぞ…> ●<世界中金の草鞋で探してもココより他分からんのざから改心して訊ねてござれ、手取りてよき方に廻してやるぞ。 ●<称言太祝詞こそ今高らかに。……三千年に一度と言う、またとない結構な時がめぐってきているのであるぞ> 以上…[ひふみ神示」より |
追伸
私のひふみ神示解読を自分であらためて読んでみると下手ですねー。
直してばかりです。
はたして続けてもよいのやらわるいのやら。
しかしまだ、やる気満々なので、続けたいと思います。
yuru63さん、情報ありがとうございます。
この内容、われわれにとっては納得できますね。
地球文明は、良い宇宙人の文明がある時を境にして月人による文明に変えられた!
日本でも自然発生的な神道も、月人が持ち込んだ神道に変換された!
世界三大焚書の中に、聖徳太子が行った焚書が入っていますが、この時、かろうじて日本に残っていた縄文式時代の文明の情報が抹殺されたのかもですね。
ただ、太陽(ミロク)原理を学ぶわれわれには納得できる話ですが、それを知らない人々は、ここで述べられている内容は、あまりピンと来る話ではないでしょうね。
yuru63さんの追伸部分に、ひふみ神示解読サイトの内容を「直してばかりです。」と書かれていますが、直すことを難しい表現では推敲(すいこう)というそうです。
地上に残る作品は皆、推敲に推敲を重ねて完成に近づいたのですから、「やる気満々」という状態なら、いつか完成されますよ。
もっとも「やる気満々」とは背後でyuru63さんを操っておられる方が、そうさせているのでしょうけど。
やる気満々とは、自分の気持ちだと感じられると思いますが、実は、アメのひつ九かみ様の誘導の可能性が高いとわたしは思います。
yuru63さんが、サイトに推敲に推敲を重ねることが必要なら、その推敲しようとするエネルギーが必要なはずです。
そのエネルギーは、yuru63さんから出た物ではなく、多分アメのひつ九かみ様からである可能性が高そうです。
なにせ、人間は、時が経つと進歩すると思いこんでいますが、それは間違いで、時が経つと、退歩してしまう存在なのかもです。
進歩しているように見えるのは、どこかからの誘導があるのかもです。
世界の発明も、同じ発明が同時期に違ったところでなされていることが多いようです。
これも、どこかからの誘導によって違った人間が同じ誘導を受けていると考えると納得がいきますもんね。
ただ、誘導されているといっても、地球上での誘導は月人からの誘導が主体で、人類を操るのに都合のよい発明ばかりなのかもですが。
これからは、月人の誘導 対 良い宇宙人の誘導 の戦いが起こるのかも。