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ひふみ九九算表と宇宙のシステム・オブ・ナインズ

yuru63のメール

神の数学サイト(http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen1.html)の新しい記事です。

  • 『神の数学』1月の記《祝詞「ひふみ…」の本当の姿とその本性を見る≫、その(5)》                    (2011年1月吉日上載)
                            
     先月は古神道の奥義祝詞「ひふみ…天地の数歌」の人文科的な一面、すなわち「言霊的な側面」及び「歴史的な考察」をメインに行い、その内容解釈を試みると言う展開に終始したのであるが、それで終わりなのではない。
     それと並行にその裏にはもっと大きな意義を持つ本体が潜んでいることを我々は知なければならない、それがすなわち、「ひふみ九九算」であり、別名「宇宙次元原理表」と呼ばれている「宇宙普遍の妙なる数図」である。それの持つ「理数的な真実」や「宇宙普遍の叡智」を明らかにすることにより、はじめてすべての「ひふみ…天地の数歌」の本来あるべき考察が完了するのである。
     今まで誰も知る人はいなかったが、祝詞「ひふみ…天地の数歌」の裏には常に「ひふみ九九算」が本体として君臨し、人知未踏の数多の「天地の理」を説いて秘かに鎮座していたのである。本来、我々の知っている祝詞「ひふみ…天地の数歌」とはその本体の最初のフレ−ズであり、それを借りて題名として今まで伝えられて来たのである。その本体がすなわち、「ひふみ九九算」であり、別名「宇宙次元原理表」と呼ばれるものである。 要するに、「ひふみ…天地の数歌」とは本体である「ひふみ…九九算」の最初の出だしの文句であり、以下に多くの数歌(かずうた)が連なって存在し、「自然真理の歌」を人知れず歌っていたのである。
     その本体の奏でる「神の秘儀歌」こそが古神道の最も大切とする自然の道なのであり、古代の人々の崇め奉って来た古神道の神髄そのものなのである。それはまさに、自然の本当の姿をかいま見せ、数多の「大いなる自然の理」を語ってきたが故に「天地の数歌」と名付けられてきたものである。今まで誰もその「大いなる律理」の存在を知らず、語る者とて誰一人いなかったので、以後の古神道の語りとその真実はすべて片手落ちとなりむなしく空を踏んで来たのである。それが「カムナガラ」を初めとする行方不明になっている神道文言と言われるものである。それらについて、いくら洞察力のすぐれた先人達が頑張り。意を尽くして真実を説いても「言葉のあや」、「世迷言」、としか聞こえずただただ無念の涙を流すだけであったのである。 
     しかし、現在のように「今までの知」が古典と言われ「新しい知」が台頭して来た今となって改めて考えて見ると、これらは「人間的な妄想」、あるいは「勝手な思い込み」などではなく、実在の自然天地の「真実物語」を語るものであり、それを歌っている大変貴重な自然理の真実であることに気がつき始めたのである。
     我々は今の今まで、その存在、あるいはその重要度にはさらさら気がつかず、勝手な想像を巡らせて一つの知文明を盲目的に進展させてきた、それがいわゆる我々の現代西洋科学文明である。ところがである、今になり、人類が築き上げた現代科学は果たして自然の法則に合致しているのかが改めて問われ始め、量子力学の発展と共にその疑問がますます膨らんできているのである。
     考えて見るがよい、アインシタインが100年以上も前に相対性理論を出したのであるが、それ以後、誰か自然に関する目覚しい新理論を立ち上げた者がいたであろうか、NOである、ただの足踏み状態が続いているに過ぎないのである。我々はまずはそのあたりからじっくり検証すべきであり、その上で現代科学の如何を問わない限り、最早一歩も踏み出せない状態である。今や、科学のパトナ−であった哲学は潰され消え行くばかりであり、頼みの綱の科学も今や停滞を始め遠からず終焉と言われている状態を迎えている、それが現在なのである。

     ところが何ということ、今になって我々の祖達は遥か昔にそれらの「自然の知」と関わりを持ち、その仔細等を残し伝えていた事実が今ここに浮上してきて、わが世の春を歌って来た我々を慌てさせているのである。
     これらの真実は「神の数学」を解き明かし、その仔細を納得することにより、はじめてこれらの証言が可能になるのである。また、これらの事実を改めて深く知ることにより、すべて自然事象とは「見えない世界」との連続関係の中で起きていることが判り、改めて敬祖崇神の心が生まれてくるものである。
     また、自然のすべては真実そのものであり、自然こそが真の教師であり、ゆるぎない無上の教科書であることをしっかり心に置くことによりはじめて心に大きな余裕が生まれ、すべてを真正面から見据えて対処することが出来るのである。同時に、そうすることにより自然との共鳴状態が生まれ心も安らかに治まることになるのであり、何にもました心地よい自然心、何にもたじろがない不動の心が徐々に芽生えてくるのである。
     若し、あなたに自然から外れた行為、あるいは反自然的な思い込みなどがあれば、それは即予期せぬ病等の発生原因となるのであり、心に重く残ることがあれば、それは心の痛手、傷となって丸い心はえびつ(楕円)に変化して一生苛まされることになるのである。また、自然を勝手にゆがめたり、反自然的な破壊、あるいは反則的な行為が目に余ると自然は必然的に反応して反撃を開始するのであるが、それは攻撃とか復讐などと言うものではなく、単にバランスを回復するための当たり前の行為なのである。
     それは元の状態に戻りさえすれば直に治まるのである。それは当たり前の自然の営みであり、動きであるが愚かな人間達はただ慌てふためき、右往左往するだけである。今のところ、それに対する手だてなどは何も無いことくらいは知るべきであろう。
     
     近年、自然と間のきしみがますます激しくなり。すべてが末期的な状態になっているのは現代文明と自然との溝がますます深くなっていることを示すものである。誰かが何時か、それに気がつかなければ恐らく現代文明も何処かで破綻し、近い中に終焉を迎えることになるであろう。
     要するに、早い話が自然則にのっとり自然と共に笑い、自然と共に楽しむ、それがことが大切なことであり、それが自然を範としての最上の生き方なのである。そのためにはその叡智を教わり、軌道を同一に置いて規範を共にする、それが最も必要なことなのである。恐らく古神道の言葉である「カムナガラの道」とはそのあたりのことを説いているものと考えていいものであろう。
     さあ、そのためにも自然の心を知り、自然と共に歩んだ偉大なる祖達の知的遺産を手にし、それを学ぶことが何よりも大切であることが分かるはずである。まずはそにあたりを我々現代人の当面のタ−ゲットと考え、思索の輪を広げながら真実への歩を進めていくるべきであろう。

     では諸氏と共に心静に祝詞「ひふみ…天地の数歌」をひも解き、そこに示されている秘儀、すなわち、自然の理(ことわり)を開いて見ようではないか。



    祝詞「ひふみ…天地の数歌」を「天の数理」によって解析を試み、その偉大なる姿を覗いてみよう。


     ここでは古神道祝詞「ひふみ…天地の数歌」の本体が持つ驚くべき本質を「数」に語ってもらうことにする。その本体とはすなわち、「ひふみ九九算」のことである。また、「神の数学」にある別の名は「宇宙次元原理表」でもある。

      以下は「ひふみ九九算表」(宇宙次元原理表)より


    (↑クリックで拡大画像見れます)

     これでお解りであろう、祝詞「ひふみ…天地の数歌」とは単独存在ではなく、このような全体としての大きな存在であることが、そこには全体が一つになって天地普遍の真理を厳かに歌い上げて鎮まっているのである。まさに驚くべき「知の文言」と言うべきものであり、稀有なる「天啓の数」の姿でもある。
     ではこの内容をしっかり分析し、私なりの解釈を試みて供覧に供することにしよう。

     @ そこに並ぶ天の各Σ数を縦に見るがよい、そこには01234…と並ぶ秩序を持った妙なる正自然数の姿があるではないか…、それはまさに連続した数の表れであり、全体を繋げてこそ初めてそこにはっきりした存在性があることを表すものである。そこにはまさに「ひふみ…天地の数歌」とは単体では無く、連続体をもって真実を奏で、歌い上げている姿があるのである。まさに驚くべき本来の祝詞「ひふみ…」の姿であり、そのまがうことない真実証明の姿と言うべきものである。

     A また、最後にある「対の数」、すなわち、(0と9)(1と8)(2と7)(3と6)(4と5)と言う数の流れが連続性を持ち、それら二つを加算合一するとすべて 0となると言う不思議な組み合わせの数であるが、そこにある意味は未だ誰も知らない。これこそが「陰」と「陽」という宇宙普遍な基本原理の確かな存在を示すものであり、まさに大切な「数の理」と「その仕組み」を高らかに歌っているものである。この二っの数の組み合わせが大事であり、肝心である。しっかりと覚えていてほしい。

     B この「ひふみ九九算の表」を眺めていくとまさに個は全体であり、全体は個であるというホログラフ的なストリ−が見えてくるはずである。要するに、ここにある構成要素となるものは、それぞれの個自体でも陰陽を形成して本質は0に納まり、全体として陰陽を創り上げて本質は0なるものである。、ここにある個と全体はお互いに大いなる調和を持ってお互いに結び合い、支え合っているいると言うまったく矛盾のない姿をもつ自己調和的な存在と言えるものなのである。これはまさに、「ひふみ…天地の数歌」のあるべき本当の姿であり、永遠に尽きることのない普遍の真理を歌い上げている姿である。

     C それら、すなわち個と全体の意味を説明しよう、それぞれに流れる各数列は上図の通り陰陽を持つ個であり、全体はその数列全体である。この図の上半分と下半分もまたそれぞれ個であり、陰陽の姿をもつものであり、そして全体が全体図である。次はこの図全体の姿は陰であり、この全図を90度反転させた図が陽となるものである。なぜなら、これらそれぞれの「陰」と「陽」を合一するとすべては0になることから判るのである。要するに、自然万物は陰と陽との組み合わせが、更なる大きな陰陽の組み合わせを生み、それが形を変えながら鏡面反射的に複合増殖を繰り返しているのである。またそれは個は全体に自己調和的な影響を与え、また全体は個の影響下でその姿を整えていると言う姿、すなわち、全体は個を含み、個はダイナミックな形で全体を含んでいると言う形で次々と変遷を繰り返すと言うことである。また、それらのすべては数により確かめられ、検証が出来るのである。

     D さて、この「ひふみ九九算」の5の段以降を完成させたならば、全体の姿をじっくりと見てほしい。そこにはまず上半分に流れる01234、そして反転して56780と流れる左廻りの循環数の姿があるであろう。次に下半分を見てほしい、そこには今度は上半分に対応する右廻りという反対の同じ数の流れが見い出されるはずである。確認出来たら最後に全体を見てほしい、何と今度はそこ、すなわち全体を巡って秩序正しく上から下えと流れる0123456780の姿が見いだされ,同時に右側には下から上えと逆に流れる01232456780と言う相対的な姿がそこに見い出されるのである。すべては永遠に廻り回る循環の姿であり、自然そのものの姿である。更にである、それを地球に例えてみれば、上半分(北半球)の気流及び海流などの自然の流れは右回りという形をとり、下半分は上半分と反対の左回りの形となってバランスをとっている姿がある。そして姿を変え全体として地球は大きく左回転という自転作用を持って太陽の周りを巡って更には大きく宇宙全体の回転につながっているのとまったく相似な姿を持つものと言えよう。それらはまさに正反相似の関係をもって秩序と調和をつくり、永遠へとつながっている自然の姿である。これが宇宙普遍万端に通じる自然の態(姿)を表すモデルの姿であると数は語っているのである。

     また、これらの「2対の数」の存在は、かってアメリカで墜落したUFO(空飛ぶ円盤)の中から発見されたと言う「2対の数の組み合わせ」そのままである。その意味するものはNASAの科学者達がいくら頭を絞っても判らず、遂には「9の仕組み」(システム・オブ・ナインズ)と名をつけて秘密フアイルの中に閉じ込めてしまったと言われている。「UFOの内幕」…フランク・スカリ−著より

     

     何としたことであろうか、数千年前の古代の知と遥かにすぐれた先進知とテクノロジ−をもつ宇宙の人々の持つ「数の概念」がまさに一致し、何かを囁き合っていると言うのである。しかし、それは現代数学にはまったく共鳴しない、かすりもしないのである、一体これは何を意味するものであろうか…。

     
    さあ、次に進もう、上記にある<5の段>以降については各自、自らの手で行い、そこにある真実を確かめてもらいたい。直観にすぐれ、洞察力に鋭い方は数の流れを追うことにより更なる正解の数字を得ることが出来るはずである。少々教えて進ぜよう、そこには恐るべき天地の相、すなわち、「あの世」と「この世」のはっきりとした仕組みが数により詳細に語られ、あまつさえその全体図のゆるぎない仕組みまでが明らかにされているのである。(そのあたりの仔細は来月の2月の記で明らかにするつもりである。)
     これらは決して矛盾の無い整然とした形を持って鎮座し、永劫無辺にわたって存在している究極の「天の理」であり、「地の則」そのものである。
    その姿はまさに、アインシタインの言葉の通りのもの、すなわち、「それは→を<共変ベクトル>、←を反変ベクトルとして、すべての時空にはこの共変性と反変性が等しく重なり合って不動の≪絶対≫と≪無≫が生じている」…、そのままのものである。図を検証すればその言葉の仔細が分かるはずである。

     出来れば、そのあたりを自分の手で明らかにし、」十分に納得してもらいたい。それにより直観的な力量は更に強くなり、洞察力はますます磨かれて鋭くなるのである。また、それにより天の眼が養われ瞬時に物事の正、不正を見分けることが出来て、決して道を誤ることなどはないのである。
     
     すべては既に失われて久しいものである、現代の学では最早どうにもならないものである。すなわち現代学では手がつけようのないものである。神学者達はもう数千年前に諦めて放棄したのであり、今更口出しは出来ないはずである。だから、一切の制限、区分等はなく、一切の干渉は無いと心得てほしい。
     要するに、あなた方が数学的に解剖しょうと、あるいは物理学的な加味を試みようと、あるいは神学の立場から理解しょうとしても、まったく構わないものと言うことである。ただ、諸氏がその結果を公平と良識をもって判断し、スム−スに心で納得すればすべては万歳弥栄に至るものである。

    ●<天の筆、『九の神』、やさかましませ、いやさかましませ、一二三四五六七八九で足りるのであるぞ…(天の筆→神の手になる文字言葉)、(九の神→九九算表)>

    弥栄ナルトの道は九の御座の問ひに開くぞ…、(九の御座→“0=9”)(ナルトの道→678から1に至る数の道筋)>

    ●<宗教は無くなってしまうぞよ、光(九)のまことの宗教が生まれるのじゃ…>(九のまことの宗教→九の数の語る宇宙普遍の真理)
    <光(九)の花の、一時にどっと咲く所、玉の御世とて神代より生きし生き神引き合うぞ…、(九の花→99999999…)>
    <科学にチョンを入れると宗教になるのじゃ、チョンは数…> (ここで言う宗教とは広くあまねし真実の教えであり、「宇宙の真理」を指すものである)
    <神がかりはよしなされよ、そなたは学に囚われているぞ。科学を越えて神の学に生きてくだされ…>
    <なぜ知らさぬのぞと申すが、今まで何を馬鹿なことと申して取り上ぬこと分かっているぞ、因縁の身霊(縄文人同士の血縁関係)にはよくわかるぞ…>
    <人民の肉体も心も天地も皆同じものから、同じ想念により生まれたのであるぞ。>…(自然万物は同じ共鳴波動を持って生まれて…)
    <九才(9)は神界の元の年ぞ、神始めの年と申せよ、123,345、567ぞ… (9は宇宙普遍の共鳴基本数である、ここにある123,345,567、こそが平面立体の数の数え方であり、古代秘法の天津金木の法である。)>
                                                                             以上…「ひふみ神示」


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