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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール28「神の数学」

なぜ「9=0」なのか(その1)

yuru63の記
  • 「神の数学」の概念は自然や宇宙そのものを表す「立体の円の世界」の数学であるために、「9=0」としていることがこの記事により納得できます。

    【佐藤氏のHP『神の数学』証言例(その2)より。】

     最近ある高名な学者(理学博士)が来宅し、<0=9>の意味が釈然としないとの質問を受け、次のように説明申し上げて了解を戴いた、それを簡単に説明しておきたい。現代数学は直線数学であり、平面直線上の数学である。だから平面直線上の最初の数である(0)と最後の数である9は決して出会うことはない。しかし「神の数学」はその0と9を結ぶ循環数学であり、立体循環数学である、そこにあるのはまさに0と9の重なり(重複)であり、始めと終りは同一点となるものである。その仕組みを表すものが<0=9>であり、始めと終りは同一と言う当たり前のことを示すものである。

    自然を見るがよい、すべては周期に沿って動き、周期に沿って循環を繰り返しているのである。それを直線で計り、直線系で理解しょうとしてもどうなるものではない、答は決して得られないのである。現代西洋科学はそれを強引に行い、辻褄を合わせようと必死なのである。

    それでも解からなければ、平面上に円を書きその中に直線を引くのである、スタ-ト点が始まりであり、突き当たった端がゴ-ルである、スタ-ト点とゴ-ル点が一致することは決して無い。一方、「神の数学」は立体的な円を書く、それはすなわち球である。その球面上に直線を引く、するとスタ-ト点から始まった直線は一周して始点に戻り、そこがゴ-ル点となるのである。それがすなわち、<0=9>の本義であり、その姿なのである。改めて知ったうえで考えて見れば当たり前のことである。我々は、余りにも人間知の常識に囚われ過ぎてそれから逸脱できないのである。非常識を心で解すれば一瞬にして常識になるのである。世間の非常識とは大体そんなものであり、単に表し方、考え方が異なる同一なものが多い。我々も最早一次的な目を持って平面的な線上を思考探索するのは最早卒業して、二次的な目を備えて立体的な概念による新たな知の時代に突入していくべきであろう。



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