本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール30「神の数学」

<0=9>からの考察で<9=0>が現れる?当たり前かな?

nagataさんのメール
  • yuru63さんこんにちは。
    <0=9>から0は拡散、9は収束、十は拡散と収束が結ばれた状態とするなら。

     二二八八れ十二ほん八れ

    二二とは、陰陽と逆の陽陰を結ぶ。
    八八とは、目に見える空間の四方向に目に見えぬ時間や次元の四方向を結ぶことをあらわしているなら。
    この世の全ての森羅万象を拡散から収束に結び天地を生きれ
    そのようなことが思い浮かんできました。
    まだ思いつきでしかありませんが、メールしたくなりました。



yuru63のメール
  • nagataさんメールありがとうございます。

     <0=9>から0は拡散、9は収束、十は拡散と収束が結ばれた状態

    ということは、一番内側と一番外側はつながっているということでしょうか。
    神示にもそのようなことが書かれているようです。

    最近、疑問というか、なぜか、人の内の内に神(0・ゼロ)があるのか、外の外つまり宇宙総てをおおう様に神(0・ゼロ)があるのか、の区別がつかなくなってきたのです。
    その度に「ひふみ九九算表」を見えない世界まで広げ、合計九つの場まで広げたもの↓を作成して、ながめているのですが…。

    追記

     下の表には間違いがありました。改めて作った表はメール31にあります。

    (ひふみ九九算表03)

    (↑クリックで拡大します。)


    区別がつかない???の原因は、やはり結ばれているということなのかもしれません。

    この図から読み取れるもう一つの現象は、
    中心のオレンジの点の長さは、「0」

    中心の次の外にある(「2」と「7」のセルの外側の)赤線の枠の長さは、セルの一辺の長さをを1とすると、一辺は2、四辺あるので、2×4=「8」になります。

    その次の外にある赤線の枠の長さは「16」

    その次の外にある赤線枠は「24」

    同じように繰り返していくと、中心から外へ向かって、
    0、8、16、24、32、40、48、56、64、72
    という長さとなり、

    一桁化すると、

     0、8、7、6、5、4、3、2、1、0

    となります。(赤字は「0数列」の外の場=見えない世界)

    確かに一番内と一番外が「0」になり、つながりました。

    「神の数学」のHPではこの「0、8、7、6、5、4、3、2、1、0」の数字はそれぞれの場(枠)の本質を表す数字であるとのことです。(下記の引用文参照)

    「なぜ(ひふみ九九算表03)の一番外の枠が本質的にも一番外だと云えるのか?もっと外の枠を作り数列を並べられないのか?」
    と疑問に思われるかもしれません。

    しかしその外の場を作ろうとして数列を並べていっても、(ひふみ九九算表03)と同じものが延々と周りに出来るだけで、それ以上外の場を作ることが出来なかったのです。例えば下の図のようになってしまうのです。

    神界と現界を合わせて九つの場があるということかもしれません。
    一番外へ行ったつもりが一番中心点に戻っていた⇒<9=0>ということが、ここでも現れているということでしょうか。

  •  http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen2.htmlより引用。

    〔2〕『陰』の証(「ひふみ九九算」の全体図を解剖し、そこにある真実理を《セル(場)》で解析する)

    ① 最外側の枠の場(0000…)、すなわちそのセルのΣ(合計)は……40である。

    ② 外から2番目の枠のセルの合計、すなわちΣ=32である。

    ③ 〃 3番目の枠のセルは     …… Σ=24である。

    ④ 〃 4番目の枠のセルは     …… Σ=16である。

    ⑤ 〃 5番目の枠のセルは     …… Σ=8である。

    ⑥ 〃 6番目の枠(中心)のセルは  …… Σ=0である。
     
    さあ、〔1〕と〔2〕の計算答をもとにこれらの計算法を探るがよい、これを知らない限り自然は決して心を明かしてはくれない。どうしても計算手法が解からない場合は、「ひふみ神示」に頼るがいい、そこには一切の計算のあり方がそのまま記されている。しかし、それでは余りにも惨めである、少しは己の力を信じて努力するがよい。
        

    すなわち、全体の表れは、0 8 16 24 32 40となり、その比は 0:1:2:3;4;5となるのである。そこには信じられないような美しい秩序を持つ自然数の流れがまたもや現れて我々を魅了して止まないのである。 現代時空物理学ではエネルギ-と空間の関係が論議されているようであるが、ここにおける「数」とはエネルギ-であり、「場」とは空間を指すものである。その両者はこのように合い通じる関係にあって存在していることがわかるであろう。しかし、残念ながら、現代物理はまだそこまでは掴んではいない。 【詳細は「超物理の世界」講座№8を参照】

    すなわち〔1〕と〔2〕はまったく同じ答が現れてすべては正しいものであるとの証明がなされているのである。
     また、面白いことに、これらの数を一桁化する(本質を見る)とそこには087654となる数が現れて何かを囁いているのである。要するに、それは形が大きくなると本質(エネルギ-)は小さくなっていくと言う不可思議な現象の存在を語っているものである。そのあたりを現代物理はどのように考えているのか、少々見てみよう。現在物理定則では大きい粒子(物体)は小さい粒子(物体)よりも持っているエネルギ-は大きいと言う見解になっている。確か常識的に考えてもそのように思うのは当然であろう。しかし、そこにこそ間違いの根本があるのである。それを証拠だてるには素粒子の質量を見れば分かることである。まずは素粒子の大きい順から並べてその質量を見てみることにしょう。原子(13,6eV)、電子(51万eV)、陽子(9,38億eV)、トップク-オク(175億eV)となるeV=, electronvolt)。   お解りであろうか、何と小さい素粒子のほうがはるかにエネルギ-は大きいのであり、運動も活発なのである。要するに、大きい物体とは原子や原子の集積数が多いのでお互いに運動を打ち消し合ってエネルギ-をロスし合っている状態であり、全体的には動きが鈍くなっていると言うことである。例えば、2人3脚競争を考えて見るがよい、大勢が固まって走るのと一人で走るのとでは、どちらが早いのであろうか…。
     そのあたりは漫画の世界のほうが的を射ているかも知れない。なぜなら、原子爆弾は一つの国を破壊してしまうが、それよりも小さい陽子爆弾のほうが遥か破壊力は大きくて太陽系さえもを破壊してしまうものとSF漫画には描かれているからである。

    信じられる方にのみ更なる事実を告げよう、この場合も〔1〕と同様に全体図の外側に「あるべき神々」を置いてみるのである。するとそこにある神々の各場のセルの数は48、56、64、72(0)となって初源の戻る姿があるのである。その全体的な数列は、0 8 16 24 32 40 48 56 64 72となって、その比は0:1:2:3:4:5:6:7:8;9(0)となることは容易に解るのである。その姿はまさに〔1〕『陰の証』とまったく同じものである。 今度は次にこれらの数を一桁化するのである、すると何と言うこと…、そこには反対に流れる正自然数列、すなわち、0,8,7,6,5,4,3,2,1,0の数が現れていることが分かるであろう。まさに、「表の数」に対する「裏(本質)の数」の現われである。
     
     そのあたりは「ひふみ神示」にもあるではないか…!!。 「『フトマニ』とは大宇宙の法則であり、秩序であるぞ。神示では012345678910と示し、その裏には109876543210があるぞ」と…。この『フトマニ』とは察するところ「宇宙次元原理表」、すなわち、「ひふみ九九算」の古代の名前なのであろう。ここに来てすべての展開はますます面白い一致を見せながら完結へと駒を進めていることがよく分かるであろう。ちなみに 「宇宙次元原理表」、や、「ひふみ九九算」とは不肖、私が勝手に名付けたものである。古代において「フトマニ」と言う歴史的な名前を持っていたことを知らずに現代的な名前をつけていたと言う次第である。今思えば甚だ畏れ多い限りである。

    このようにして「見える世界」「見えない世界」は完全につながってゆるぎない構造体を創り上げている姿が浮かび上がってくるのである。まさにこれがあるべき本来の自然の姿であり、永遠を紡ぎ上げている揺るぎない姿なのである。


前のページに戻る<<