yuru63さんこんにちは。
<0=9>から0は拡散、9は収束、十は拡散と収束が結ばれた状態とするなら。
二二八八れ十二ほん八れ |
二二とは、陰陽と逆の陽陰を結ぶ。
八八とは、目に見える空間の四方向に目に見えぬ時間や次元の四方向を結ぶことをあらわしているなら。
この世の全ての森羅万象を拡散から収束に結び天地を生きれ
そのようなことが思い浮かんできました。
まだ思いつきでしかありませんが、メールしたくなりました。
nagataさんメールありがとうございます。
<0=9>から0は拡散、9は収束、十は拡散と収束が結ばれた状態 |
ということは、一番内側と一番外側はつながっているということでしょうか。
神示にもそのようなことが書かれているようです。
最近、疑問というか、なぜか、人の内の内に神(0・ゼロ)があるのか、外の外つまり宇宙総てをおおう様に神(0・ゼロ)があるのか、の区別がつかなくなってきたのです。
その度に「ひふみ九九算表」を見えない世界まで広げ、合計九つの場まで広げたもの↓を作成して、ながめているのですが…。
追記下の表には間違いがありました。改めて作った表はメール31にあります。 |
(ひふみ九九算表03)
(↑クリックで拡大します。)
区別がつかない???の原因は、やはり結ばれているということなのかもしれません。
この図から読み取れるもう一つの現象は、
中心のオレンジの点の長さは、「0」、
中心の次の外にある(「2」と「7」のセルの外側の)赤線の枠の長さは、セルの一辺の長さをを1とすると、一辺は2、四辺あるので、2×4=「8」になります。
その次の外にある赤線の枠の長さは「16」、
その次の外にある赤線枠は「24」、
同じように繰り返していくと、中心から外へ向かって、
0、8、16、24、32、40、48、56、64、72
という長さとなり、
一桁化すると、
0、8、7、6、5、4、3、2、1、0 |
となります。(赤字は「0数列」の外の場=見えない世界)
確かに一番内と一番外が「0」になり、つながりました。
「神の数学」のHPではこの「0、8、7、6、5、4、3、2、1、0」の数字はそれぞれの場(枠)の本質を表す数字であるとのことです。(下記の引用文参照)
「なぜ(ひふみ九九算表03)の一番外の枠が本質的にも一番外だと云えるのか?もっと外の枠を作り数列を並べられないのか?」
と疑問に思われるかもしれません。
しかしその外の場を作ろうとして数列を並べていっても、(ひふみ九九算表03)と同じものが延々と周りに出来るだけで、それ以上外の場を作ることが出来なかったのです。例えば下の図のようになってしまうのです。
神界と現界を合わせて九つの場があるということかもしれません。
一番外へ行ったつもりが一番中心点に戻っていた⇒<9=0>ということが、ここでも現れているということでしょうか。
http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen2.htmlより引用。
〔2〕『陰』の証(「ひふみ九九算」の全体図を解剖し、そこにある真実理を《セル(場)》で解析する) ① 最外側の枠の場(0000…)、すなわちそのセルのΣ(合計)は……40である。 ② 外から2番目の枠のセルの合計、すなわちΣ=32である。 ③ 〃 3番目の枠のセルは …… Σ=24である。 ④ 〃 4番目の枠のセルは …… Σ=16である。 ⑤ 〃 5番目の枠のセルは …… Σ=8である。 ⑥ 〃 6番目の枠(中心)のセルは …… Σ=0である。 すなわち、全体の表れは、0 8 16 24 32 40となり、その比は 0:1:2:3;4;5となるのである。そこには信じられないような美しい秩序を持つ自然数の流れがまたもや現れて我々を魅了して止まないのである。 現代時空物理学ではエネルギ-と空間の関係が論議されているようであるが、ここにおける「数」とはエネルギ-であり、「場」とは空間を指すものである。その両者はこのように合い通じる関係にあって存在していることがわかるであろう。しかし、残念ながら、現代物理はまだそこまでは掴んではいない。 【詳細は「超物理の世界」講座№8を参照】 すなわち〔1〕と〔2〕はまったく同じ答が現れてすべては正しいものであるとの証明がなされているのである。 信じられる方にのみ更なる事実を告げよう、この場合も〔1〕と同様に全体図の外側に「あるべき神々」を置いてみるのである。するとそこにある神々の各場のセルの数は48、56、64、72(0)となって初源の戻る姿があるのである。その全体的な数列は、0 8 16 24 32 40 48 56 64 72となって、その比は0:1:2:3:4:5:6:7:8;9(0)となることは容易に解るのである。その姿はまさに〔1〕『陰の証』とまったく同じものである。 今度は次にこれらの数を一桁化するのである、すると何と言うこと…、そこには反対に流れる正自然数列、すなわち、0,8,7,6,5,4,3,2,1,0の数が現れていることが分かるであろう。まさに、「表の数」に対する「裏(本質)の数」の現われである。 このようにして「見える世界」と「見えない世界」は完全につながってゆるぎない構造体を創り上げている姿が浮かび上がってくるのである。まさにこれがあるべき本来の自然の姿であり、永遠を紡ぎ上げている揺るぎない姿なのである。 |