前略、もう固い苦しい挨拶は抜きにしまして、お互いに本題だけに入りましょう。
表を作り大分苦労されている様子が目に浮かびます。
あなた様は「ひふみ表」の外側に枠を作り、数を張り付けて「本質」を取り出しているようですが、それは単なる「本質」確認の場としてのみ用いて下さい。
本来「表」の外側は「見えない場」であり、「空」の場なので、見える実数で困るのです。
そこには場(枠)は有っても実体は「見えない形」で存在していなければならないからです。
それは我々の体(実体)とそれを取り巻く「見えない場(意識と言うオーラ界)」とまったく同じ関係なのです。すべて自然とは相似的な構造を持っていることを知ってください。
まずは考えに考えるのです、納得するまで。
あなたは今、「現代数学」手法をもって表に立ち向かい、その結果複雑と混沌にさいなまされて立ち往生している状態です。
あなたは
「神界と現界を合わせて九つの場があるということかもしれません。 |
と嘆いていますが、それを時間をかけても数で証明すべきです。それはまさに史上初の快挙となって名を永遠に止めるでしょう。
しかし、宇宙意識(神)は本当に妙手をもってそのあたりを創っています。例えば、
「見えない世界」を表すのは、見えない数「0」を置いて見えない領分とするのです。
だから、この表の外には0の数列を置いて処置するのです。すると表の上には12ヶのセルが存在し、同様に下と右左には各12ヶのセルが並んで表は0に囲まれるのです。
次も同様です、同じ処置をして下さい。
「神の数学」には定理があります、ここでそれを使うのです。それはすなわち、
「0の数列が並んだ場合、中心より左は0であり、右側は9である」と言うものです。
すると、12ヶの場合、前の6ヶは0であり、うしろの6ヶは9、すなわち6×9=54であり、全体的には54×4=216となります。次の14ヶのセルの場合、63、16ヶの場合は72となって、63×4=252、72×4=288、となります。不思議なことにそれはあなたが実数を置いて計算したのと同じ結果になる、すなわち、本質が現れるのです。
そのようにして「見えない世界」を探求していくのです、「神」の目を盗みながら。
すると中心の0と表の外側の0は完全に結ばれて同じものであることが解るはずです。
また、この「ひふみ表」を超立体的に0群をムスンでド-ナツ形にすると表の中心にある限りなく0に近い空間が0であり、表の外側にある0がドーナツの周囲にある0なのです。
すなわち、<中心=外側>が成り立つと言うことです。要は、中心にあっても外側にあってもドーナツ周辺には間違いないのです。
若い人の「類ない直感」と「鋭敏な洞察力」を用いてもっと完全な理論体系を作って戴きたい。
完全なものを作ればノーベル賞よりももっと次元の高い神々の「ゴット・プライズ」が与えられるかも…、
頑張ってください。考えに考えてて下さい。一つのものを徹底して考えまくり、ピタリと止めてください。
そうすると知らないうちに突然答えがやってきます。まさにインスピレションは来るのです。
考えるに値するものはいくら考えても決して疲れることはありません、益々気力が凛々と増すものです。
また、つまらないもの、神の心に反したものは考えれば、考えるほど疲れることになると言う不思議ことが起こるのです、いや、本当は当たり前と言うべきものかも知れません…。
恐らく、あなたは今、勇気と力に」満ち溢れ、まさに凛々とした気分でしょう、大変結構です。
これらの件についての資料をメール添付で送ろうとしましたが、肝心の数表だけがポッカリ抜けて文章だけになったのでお送りすることができませんでした。 以上
佐藤様
いつもありがとうございます。
教えていただいた内容の、
「見えない世界」を表すのは、見えない数「0」を置いて見えない領分とするのです。 |
から下の様な表が出来ました。
[ひふみ九九算表03-(改)]
(↑クリックで拡大します。)
前の表では実際はない(空)のところ実数を入れていたので、不思議な表になっていたのです。0と9の位置もバラバラでした。
表の中心は数字が存在しないが「場」として考えると見えない所=「0」があり、表の外も同じく見えない所=「0」があるということでしょうか。
こうして修正した表を見てみると、整然と数字が並んでいます。
「神の数学」は奥が深すぎです。
ここからまた新たに、真理への歩みの再開です。