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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール52「神の数学」・一二三

「数」が示す真理とは?・古神道の奥義「双の仕組み」(その3)

メール51の内容から「3つのリンゴを2つに分ける方法」の解答を およそ予測できたのではないかと思います。
でも、ダブル処理するとは、どのような心であり認識なのか?、普遍的な場で成立するものなのか?ということが釈然とされない方や、解答を見つけ出された方など様々でしょう。

佐藤師匠の、次のメールを読んでみてください。「数」が伝える感動的なダブル処理の心が記されています。

佐藤さんのメール

 さあ、お約束の答えの一部分をここに掲げておくことにしよう。ただし現代知に頭が占拠されている御仁は恐らく解けないであろう。せめて10人に一人くらいは解るであろうと期待をもって考えている次第である。
 その基本的な考えは次の通りである。何回も頭を整理しながらゆっくりと考えてほしい。

  •  要するに「分割や破壊がない」という対処法は共有・共生の精神であり、現代人類には未だ「無い」ものである。それでも日本人の心にはいくばくかの心に通じるものはあるはずである。
     なぜならば、日本人は古代から自然に対して意識的共同体としてのエコロジーという「具現の心」をもっていたからであり、「和」と呼ばれて大切にされていたからである。
     それは今の左脳的な西洋人の精神構造では少々持つことはおろか、理解することも難しいものではあろう。
    しかし、このダブル処理による分割法はまさに正しいということを「数」が証明しているのである。恐らく、これで彼等も納得をしてくれるはずであり、称賛してくれると思う。そういうところは彼等は案外素直であり、正直さを持っているからである。
    その意味で我々日本人も出来れば驕(おご)りの心を捨て、天真爛漫な自然の心に立ちかえって素直に考えてもらうことが今一番たいせつなことである。

  • 3ヶのものを二つに分けるには次のように考えるのである。それはすなわち、真ん中のものを共有と考えるのである。すると3ヶのものを公平分割すると2ヶと2ヶに分かれてすべては平穏無事に納まるのである。それを数で示し、数で答えたものが次に記している数字群である。目と心を見開いてじっくり考えてほしい。

    相対する天地を結ぶとそこに生じるものは…?

    (天と地が結び合って一つの「自然の形」が生まれるのである)

    まずは天地自然は「対構造」で成っていて「奇構造」は一切無いと「数」は言っていることを信用することにするのである。要するに、我々もすべては対で発生し、対で存在していると考えるのである。するとすべては「天」と「地」の二元、「陰」と「陽」の相反する性質、あるいは「見える世界」と「見えない世界」の二つが自然的な姿をもって対峙していることがだんだんに解ってくるのである。それはまさに「超ひも理論」が語る「実の世界」と「影の世界」そのものなのである。

     「123」、これは3ヶの数字から成り立つ奇構造体である。しかし自然の万象はすべて対構造という形を取っているので、これも偶構造体でなければ成立しないのである。
     その為には中心体をダブル化して対応するのである。要するに、それには1223という偶構造体を持ってくればいいのであり、それですべてが満足状態に入るのである。
     これらを調べることにより自然には一切奇構造性というものは無く、すべては偶構造で成っていることが歴然としてくる。そのことは「数」が語っているのである。

     果たしてそれは正しいのであろうか、絶対的な自然真実なのであろうか…。そのあたりを念頭に置いて何回も確かめてしっかり納得してほしい。

     その上でそこに絶対的な検証答えが出て納得出来た場合改めて自分の手で「真実」の判定を下すべきである。
     今の科学界のように人知の理論を人知で判断するのではなく、絶対的な基準判定を「数」にゆだねればいいのである。そこで「数」が正しいと判定を下した場合は それは天下晴れて絶対性をもつものとなるのである。易しいことではないか…!!。

  •  さあその真実を述べる件(くだり)を次の計算証明式から十分に読み取ってほしい。
     果たして現代人には読み取れるものであろうか。それとも現代知に占拠されている頭脳が混乱してショートしてしまい考察不能に陥ってしまうのか。いや、そんなはずは無いとは思う。なぜなら、自然的には易しいものであり、人間の心と大変バランスの取れている素直な計算処方であるからである。
     この計算証明式は万象すべては偶構造的な関係により成り立っていることを示している「数の語り」であり、絶対証明でもある。しかも「神の数学」の中では基本的な知というものである。

     人知の理論を人知で判断するのではなく、絶対的な基準判定を「数」に委ね、「神」の裁量を仰ごうというのである。そこで「数」が正しいと判定を下した場合は それは天下晴れて絶対性をもつものであり、「神」の技業ということとなるのである。何と易しく、何と素晴らしい天啓の恵であろうか。改めて感謝すべきであると私は思う。

     これらは「数」があるべき仕組みを持ち、それを遥々訪ねてきた人にのみ宇宙普遍の真実を明かしてくれるのである。恐らく人類史上初めての「真実物語」の出現であろう。

     

    〔『天地の証』の存在を数に訊(たず)ねてみよう〕

    =天 =地(天地の並立数図)

     さあ、一体ここにはどのような真実が転がっているというのであろうか。一つあなた方も探してもらいたい。それは「真実という尊い知の宝物」と、あなたの「見つけ出したい」という心の波動が一致すればなんなく見つけ出せるものである。ここには未だ人知には無い、いろいろな問題が含まれている。すべては人間知にとっては大変重要なものばかりである。

     さあ、同じように一週間真剣に考えて戴こう。とにかく懸命に考えることである。



yuru63のメール
  • またまた一週間の課題が出来ました。(^_^)
    考えに考えて、この計算証明式が何を伝えているのかということ、そして「真実という尊い宝物」はどのようなものか!ということを見つけ出しましょう。

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