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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール53「神の数学」・一二三

「数」が示す真理とは?・古神道の奥義「双の仕組み」(その4)

先週の「計算証明式は何を示しているのだろうか。」という問いに、見事答えが出て来たでしょうか。
この数の現れというものについて佐藤師匠が解説されています。

佐藤さんのメール

計算証明式

〔『天地の証』の存在を数に訊(たず)ねてみよう〕

=天 =地(天地の並立数図)

 この数列の場合は、直線的な広がりを見せているものであり、右と左という二方向の展開を示しているのである。
先回の「天津金木の法」は天地、左右という四方向を相手にする場合の処理法を説いた平面立体的なものであったが、この場合は直線という言わば二方向の平面的なものに対する処理法と考えるべきものである。
 ここにこそ宇宙普遍の「宇宙愛」の姿が見られ、その発現の基本となるものがあるのである。まずはそれを説明しよう。じっくりと考えてほしい。

  • この計算証明式が示しているものは古神道の言う「双(そう)の仕組み」、すなわち「左右(そう)の仕組み」と言われているものである。

    古神道に「天津金木の法」が語られているなら、当然「左右(そう)の仕組み」もあって当然と考えるべきである。この「左右(そう)の仕組み」がすなわち、直線世界に対応する計算処理法であり、我々の用いている現代数学の手法と同じ次元のもの(直線世界のもの)なのである。
    その世界における真理を雄弁に語っているものが上記の数の現れであり、ここにその計算法、及び答えの群れの一切がっさいが記されているのである。

  • ここにある奇数個の数の群れをしっかり見るがよい。「真ん中の位置に置かれている数」はすべてダブルとなって繰り返されている姿があるであろう。すべては二重構造によって調和共鳴の世界をつくりあげて自然的に納まっているのである。
    そのことがお解りであろうか…?

    ここにある最後の数(□で囲んでいる数)をしっかり見ることである。そこには霊験あらたかな祝詞「ひふみ…天地の数歌【ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここノ、たり(123456789)】」がはっきりと現れて すべては正しい、すべては真実であるということをはっきりと歌っていることがお解りであろう。
    まさにこれは他を寄せ付けることのない「天地の理法」の存在と言えるものである。

    この姿がまさに冒頭にかかげてある3ヶのものを2等分した正しい姿なのである。

    なぜ正しいものであるかはそこにある「天」と「地」の合わせた姿を見れば解るはずである。すべては同数一致体という調和の姿をとりながら、同時に123456789となる正自然数の姿を見せながら順次に伸びていっているのである。
    このように奇数のものをダブル処理し偶構造化させたことにより、見事な「123…天地の数歌」が現れたことは、「確かな真実の処理法である」と証明されているのである。

    要するに、この処理法による分割の姿は一切破壊の無い「愛」の姿である。
    すなわち「双の仕組み」を使って3ヶのものを二等分すると2ヶと2ヶという調和体が生まれて、破壊の無い世界、すべてはハッピー・エンドで納まる世界が生まれて完となるのである。それは「宇宙愛」と呼んでいる真実の愛の姿なのである。ゆっくりとその意味を噛みしめ、味わって見てほしい。

    宇宙意識(神)は破壊を好まない。宇宙(自然)の現れである「数(ひふみ数)」が指し示すものには破壊は決して無く愛の姿があるだけである。
    そこから考えても我々の常識知と宇宙の普遍知は相入れるものではなく、まったく別なものであることがわかるであろう。人間的な常識、それは真実とは呼べないものであり、一時的なものと承知すべきであろう。

  • 恐らく、欲望の渦巻く物質文明にどっぷりと漬かっている我々にはこの「宇宙意識的な考え」をはっきりと理解するのは無理であり、時期尚早かもしれない。しかし、心には留めて置いて考えるべきであろう。なぜなら、この考え方をマスターしない限り、人類は一歩も前進できず、ただ何時までも答えのない考えを巡らし、悲痛な叫び声を上げ続けるだけであろう。

    最後にもう一度繰り返しておきたい。

     A,B,Cの3ヶを公平に2分割する場合、(AとBの半分)、及び(Bの半分とC)のような破壊による分割であってはならない。それは破壊を意味するもので宇宙意識がもっとも嫌う行為である。
    要するに中心BをAとCの両方から求められた場合にはBは分割されずに、Aの所有であると同時にCの所有でもある共同所有に帰る。それが愛を伴った理に叶った正しい分割法であることを上記の数の語りが物語っているものである。私はそれを称して「宇宙愛の分割法」と呼んで日頃心に置くようにしているのである。



yuru63のメール
  • 中心に位置するものは、双方(天と地など、相対している関係にあるもの)が共同所有している姿が宇宙の理に叶った手法であり、この宇宙(自然)世界において実力を持っているものということなのですね。

    いやー(^。^)大変素晴らしい仕組です。

    世界で起こっている宗教の中心地(聖地)の奪いあいというのは宇宙意思からすれば もってのほかということになりますねぇ。

    もし3ヶのリンゴを2ヶ2ヶに分けて、共同所有している中心のリンゴ(2つ目のリンゴ)を食べるときは、「このリンゴは私のものではなく相手から頂いたリンゴである」と考えて感謝して食べるのですね。そうすれば感謝の意がやがて何らかの形で相手に対して実を結びお互いに喜び合う姿となるのでしよう。この様なことの積み重ねにより天国社会が生まれることになる…ウーン(゜_゜>)。これはとんでもなく素晴らしい認識法であり、「数」が示した「双の仕組み(宇宙愛)」はやはり、現代人には解って頂きたい超重要な考え方です。

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