少々心配なのですが「双の仕組み」について十分に理解が出来ましたでしょうか。
半信半疑、あるいは不承不承でおざなりに計算をしている場合には決して正しい判断は出来ません。
この「双の仕組み」を侮ったり、理解が不十分の場合には「神の数学」の数計算はすべて不能になり瓦解してしまいます。
なぜならば、「神の数学」の持つ自然的な調和、秩序などは全てこの仕組みが作り上げ、自然に組み込んでいるからです。
今月(12月)の記における奇数的な仕組み、すなわち対角線の計算仕組みを見れば誰でも了解出来るはずです。何回も何回も検証してください。
現代数学的な理論や概念ではどうあっても数の正しい姿は見えては来ない、それは対角線の計算を見れば一目了然な筈です。
正法図形の一方の対角線、それは一つだけです。しかし、現代数学のように1ヶと観念付けて1回だけの計算では決して実を結ぶことはありません。すべてが破壊と混乱に終わり、ジ・エンドです。
確かに1ヶの存在ではあるが、そこには「陰」と「陽」の両面が存在すると考えるとすべてはスムースに完を告げるのです。
5次法陣表
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これらの対角線上の数字でさえ決してランダムでは無く。すべてが秩序と使命をもって並んでいるのです。
例えば5次元表の対角線には50483→と並んでいます。
これが一つの顔→であり、表を向いています。そこにもう一つの顔、すなわち裏の顔である←の反対を向いている顔(38405)を加えて中和同調させるのである。
現代数学は直線上の数学であるから走ったら何処までも突っ走りますが、これも
一つの破壊行為、自殺行為と言ってもいいものです。
「神の数学」はあくまでも循環的な数学であり、行ったら必ず戻ってくるものです。
要するに→(陰)があれば、必ず←(陽)があるのです。そして必ず合一中和することにより結果が生まれるのです。
まったく自然(神)は知的にも万能であることが解ります、それに比べれば人間は何て不器用で、無能な存在なのであろうか、しかも正道を歩んでいないのである。
万有の真相はただ一言、すなわち「不可解なり」。
可哀そうに現代の学の貧しさに失望してこの句を残して身を果てた若者もいたことを
知ってほしい。その人の名は藤村操…当時まだうら若き一高生であった。
これら、我々の知の持つ誤りをだれが責任をとるのであろうか……??。