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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール54「神の数学」・一二三

「中心のダブル処理」を証明するもの・古神道の奥義「双の仕組み」(その5)

 
佐藤さんのメール
  • 少々心配なのですが「双の仕組み」について十分に理解が出来ましたでしょうか。
    半信半疑、あるいは不承不承でおざなりに計算をしている場合には決して正しい判断は出来ません。
    この「双の仕組み」を侮ったり、理解が不十分の場合には「神の数学」の数計算はすべて不能になり瓦解してしまいます。
    なぜならば、「神の数学」の持つ自然的な調和、秩序などは全てこの仕組みが作り上げ、自然に組み込んでいるからです。
    今月(12月)の記における奇数的な仕組み、すなわち対角線の計算仕組みを見れば誰でも了解出来るはずです。何回も何回も検証してください。

    現代数学的な理論や概念ではどうあっても数の正しい姿は見えては来ない、それは対角線の計算を見れば一目了然な筈です。
    正法図形の一方の対角線、それは一つだけです。しかし、現代数学のように1ヶと観念付けて1回だけの計算では決して実を結ぶことはありません。すべてが破壊と混乱に終わり、ジ・エンドです。
    確かに1ヶの存在ではあるが、そこには「陰」と「陽」の両面が存在すると考えるとすべてはスムースに完を告げるのです。

    5次法陣表

     1  2  3  4  5
     6  7  8  0  1
     2  3  4  5  6
     7  8  0  1  2
     3  4  5  6  7

    これらの対角線上の数字でさえ決してランダムでは無く。すべてが秩序と使命をもって並んでいるのです。
    例えば5次元表の対角線には50483→と並んでいます。
    これが一つの顔→であり、表を向いています。そこにもう一つの顔、すなわち裏の顔である←の反対を向いている顔(38405)を加えて中和同調させるのである。
    現代数学は直線上の数学であるから走ったら何処までも突っ走りますが、これも
    一つの破壊行為、自殺行為と言ってもいいものです。
    「神の数学」はあくまでも循環的な数学であり、行ったら必ず戻ってくるものです。
    要するに→(陰)があれば、必ず←(陽)があるのです。そして必ず合一中和することにより結果が生まれるのです。
    まったく自然(神)は知的にも万能であることが解ります、それに比べれば人間は何て不器用で、無能な存在なのであろうか、しかも正道を歩んでいないのである。

    万有の真相はただ一言、すなわち「不可解なり」。

    可哀そうに現代の学の貧しさに失望してこの句を残して身を果てた若者もいたことを
    知ってほしい。その人の名は藤村操…当時まだうら若き一高生であった。
    これら、我々の知の持つ誤りをだれが責任をとるのであろうか……??。



 
yuru63のメール
  • 法陣の対角線の陰陽の計算において、中心の対角線は自然に2重処理していたことに今頃気づきました。

    対角線はどの法陣にも中心があり、「双の仕組み」を利用していたんですね。

    中心の対角線を2重処理している図



    びっくりです。納得できます。

    少し理解が深まりました。

    このことを踏まえて(12月の記)を読むと、とても凄い内容が書かれているということがわかります。

    『神の数学サイト』
    http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/

    の 証言例(その2)、

    2011年12月の記…祝詞の歌う“真理の歌”(11)「神の法陣」の驚くべき真実の語り(Ⅳ)
    http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen2.html

    をご参照ください。



 
佐藤さんのメール
  •  

     「神の数学」の持つ自然的な調和、秩序などは全てこの双の仕組みが作り上げ、自然に組み込んでいる。

     

     これらの法陣の対角線上の数字でさえ決してランダムでは無く。すべてが秩序と使命をもって並んでいる。

    ただこれだけの説明では誰も信じはしないでしょう、今の学の持つ知的水準では止むをえないと思ってはいるのですが…。
    次のようにしてその事実を確かめてください、吃驚しますよ。

    例えば5次元表の対角線の「50483」について見て見ましよう。
    次のように考えるとその仕組みの素晴らしさに気が付き目を見張るでしょう。

         50483 → 504483

    これらの数を同じ中心点を持つ円、または楕円で結ぶのです、するとあら、不思議、全ての円状の数のΣは同一調和数となって整列するのです。
    これは全ての法陣表の対角線数について言えることです。
    まことに「神」の業は偉大です、「神」の心は公平無比、中立正大で溢れかえっています。

    もうお分かりのように今回の12月の記の「神の法陣」の斜めの仕組みもすべては法陣図の中心を中心にして円(楕円)を描いているものです。



 
yuru63のメール

  • 50483 → 504483
    【中心をダブル処理すると、相対する陰陽の和はすべて「8」】

    これについてもまたまたびっくりしました。
    中心の対角線の数は「ひふみ数列」の性質を持っていて、「神の数列」とも言えるのですね。



 
佐藤さんのメール
  • 私は言いたい。
    確かに「現代数学」の知識を総動員しても「双の仕組み」の理は決して解くことは出来ないであろうと…。
    それは全世界の最優秀な数学者が束になってかかっても今のままでは果てしなく不可能、100年かかってもその理に気がつくこともないであろう。
    しかし、ほんの少しのヒントを与えればたちまちそれは現実化して「真実の理」となって当たり前の常識となってしまい、人類は果てしない「自然の持つ知」を伺い知ることができるのである。
    要するにあなた方は今その最前線にいるのであり、その実際を見届けようと言うその瞬間にいるのである。
    さあ、不可解と諦めて人類を路頭に迷わすのか、それとも必死に食らいついて人類を無明の闇から救い出すのか、その岐路に今立っているのである。
    大学者も、あなた方も今同じスタートラインに並んでいるのである。
    しかし、大学者は現代知と言う重い足枷をしているが、あなた方にはそれがないまさに素足で動きは軽いはずである。しかし、あなた方の頭は鈍い、学者は聡明である。
    いわば、イーブンの状態と言ってもいいものである。

    その理が真実であるとの証明、その理を手中にしなければ決して、
    「自然の真実」を解くことができないのである。


    それを描き、かつ証明しているのが今回、すなわち12月に上載した
    「ひふみ…天地の数歌」が歌う“真理の歌”(11)の中にある「斜め数の物語」である。この仕組みを会得しない限り数との対話の道は断たれたも同然であり、人類は新しい「自然の知」を獲得することはないであろう。
    その自然の理とは「中心の理」であり、「中心のダブル処理」と言う手法なのである。
    是非ともここでその手法は正しいと言う証明を手にしてもらいたい。



 
yuru63のメール

  • 法陣表の斜めの数列の「陰」「陽」の現れを計算することで、次に現れるものとはいったい何でしょう。興味が湧いてきます。


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