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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール55「神の数学」・一二三

「双の仕組み」の本当の姿・<中心の存在仕組が現れる>

何と「双の仕組み」により検証を行った結果、次なる驚くべき「数」の囁きが出現した!…というか、本来は素直な自然そのものの姿なのですが、現代の学問からすれば「目からうろこ」状態となる真相の出現でしょう。

ここで「数」が伝えている真理というものは、元々どんな人も「生れ赤子の天心」を持つ頃にはごく当然のこととして大切にしていたものなのですが、現代の社会生活に浸っていくにつれ人々が失ってしまっているものなのです。

それは、まず始めにある最も大切なことである、見えない処の存在を証明するものであります。

言葉を発するとき、又は行動を起こすときに存在する原因の世界というものがある。
例えば、何を思っての行動であり言葉であるのか。それは「生命に対する真の愛」なのか、それとも「自分に都合がよいから」なのか…。
ここでは、その行動の原因となるものが「0(ゼロ)・無限・神の思考」からのものであるのか。
はたまた「有限(1)・一定枠の考え」からのものであるのか。ということが問われているのです。

もし始めとなる原因の世界(心)に「有限(1)」が位置するとどうなるのか。
次に、もし始めとなる原因の世界(心)に「無限(0)」が位置すればどのようになるのだろうか?!


その尊い答えを「数」に聞いてみてください。

ひょっとすると人類史上初めてとなる証明内容かもしれません。

 
佐藤さんのメール

<中心の存在仕組みに『神の秘密』を見る(1)>

《これらの調和を持つ数列は「神の数列」。「神の寵愛数列」と言う。》

  • さあ、ここで考えてほしい。


    最初の数である1の前には必ず0があるはずである、するとその0の調和数は何であろうか、考えてほしい。
    「1」の調和数は、「12」の調和数はであることを知れば、当然「0」の調和数はとなるはずである。しかし、ここで考えて見る、「0」の調和数は、何かおかしい。何かがおかしいと。

    そもそも、現代数学は自然数とは1234567……と定めているが、本来はそれが不自然極まりないものなのである。それだから当然答えには不自然が現れるのである。要するに、数がそう囁いてやまないのである。それがここに現れている最初の答、すなわち「1」の調和数であるなのである。では、その本筋となる骨子とは一体何であろうか…?。
     
    ではここで一つ考えを切り替えて見ることにしょよう、それは「神の数学」の見地、すなわち、自然数とは「012345…」であると言うことを肯定して、改めて計算を行って見ようというのである。
    もっと、はっきり言えば「神の数学」や新進数学者達のグル-プであるブルバキが掲げている自然数である「0123456…」を取り上げてもう一度同じ計算をしてみようと言うのである。

<中心の存在仕組みに『神の秘密』を見る(2)>


  • さあ、ここには見事な「ひふみ…天地の数歌」の姿が現れて自然の真実を謳歌しているのである。その素晴らしい姿をじっくり見て、あなたの心と手で十分に検証してほしい。

    すべては天と地の限りない結び付であり、一糸乱れのない整然とした数が編み上げた大自然の姿である。これらすべては「双の仕組み」により完璧化され、一切の矛盾や不整合性が見事に克服されて我々の目の前に鎮座しているのである。

    あなたは今までにこのような「数」の囁きを聞いたことがあるであろうか…。
    恐らく万人の答えは否であり、ただただ目を見張り、天を仰いで嘆息するだけであろう。

    何と、本当の自然数とは12345…であらずして、012345……であると「数」は答えているのである。何と、何と…!!!、「数」が完全にものを言い、我々に真実を告げているのである。これをして否と言う者は恐らくはいないであろう。

    さて、これらの「数」の語りから見ても本当の自然数とはどうしても0123456…に勝ち目があり、現代数学の提唱する自然数の123456…は大いなる不整合が見られ、まさに自然さに欠けていると言うことが解るであろう。

    確かに、「現代数学」と「神の数学」の二つは似てはいるけど完全に非なるものであり、決して交わることはないのである。おそらく、これは神の仕掛けた「罠(トラップ)」であろう。我々は長年の間この「神の罠」にはまりながら、それと知らずにその下で意気揚々と過ごし、それに準じた知を長年にわたって積み上げてきたのである。



    それは何故(なにゆえ)なのであろうか…、恐らくは自分たちの姿を隠し、悟られないためであろう。いや、そうではないかも知れない、知的な発達を遂げ、真実をクリア-するための一つのテスト的な役割を果たすものかもしれない。ここを這い上がって来ない限り、我々の知を与えないと言うことのために。それとも、我々人間は勝手に知の狭間に迷い込み、それを脱出するためにいいろいろと迷いながら知の行脚を続けて現在に至っている、しかも知の根底にある基本の姿、すなわち、0の姿を見出せぬままにである。
    すべては0を基本にして、その上に構築されている「数の姿」である。その基本の0を見いだせないままに次々と数を組み立てて来たのである。
    するとすべては架空の楼閣、砂上の楼閣として一瞬にして崩れ去る運命なのである。それを知らずして今でも数学者達はその数を用いて自然と対話しようと懸命なのである。

    そのような無駄を省くためにも本当の自然数とは012345…であると声を大きくして叫んでいるのである。あるべき0の本性、0の本当の姿を一人でも多くに伝えて本当の自然数学の存在を知ってもらわなければならないのである。
    ただ今のままでは誰も「数の仕組み」の存在、あるべき「自然の超知」などは決して知ることは叶わず、人類の現代知は闇の中を手探りで進むだけである。傍らには素晴らしい自然の知がピタリと寄り添っていることも知らずにである。



 
yuru63のメール
  • 円が書かれているのを見て、これこそ調和の姿と思いました。

    0から始まる数について

    神示もマコト(〇九十)でなければならないと云っています。

    これは見えないもの(〇・ゼロ)が始めにある姿でなければならないということで、〇と九を統合(十)しなさいという暗号であると解釈した記憶があります。又よく「〇(ゼロ)から始まる」といった内容も書かれています。

    このことは「数」が明確に示していた!ということだったのですね。これを示されては誰もが納得すると思います。

    見えないところを認識しない現代の考え方を覆すものとなるかもしれません。
    そして始めにある0(見えないもの)が元となっていますから最も重要であるものということでしょうか。

    この最も重要である「0」に注目させる「数」の示しはマコトにあっぱれです。



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