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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール56「神の数学」・一二三

「双の仕組み」のまとめ・平面から立体へ

佐藤さんのメール
  •  驚くべき古神道の言葉、「双(左右)の仕組み」の持つ真実がお解りになったであろうか。
    それは祝詞「ひふみ…天地の数歌」である「ひふみ九九算」全般に通じるものである。
    時間がある者は0246…、0360…、0483…、等についても検証してほしい。
    これらすべては祝詞「ひふみ…天地の数歌」の同一のものであり、その変態の姿、すなわち2倍、3倍、4倍、…にした姿なのである。
     それはまさに天地の数歌(法則)の面目躍如たるものであり、とてもとても「現代の我々の知」などは及びもつかない「古の知」が偉大な姿を見せているのである。

    メ-ル54」の中にyuru63氏の描いた矢印のついた「5次元法陣」がある、今回それを利用して「神の秘密」の一端を見てみよう。

     さて、まずはそこにある対角線に沿った斜めの数字を加算して答を出してほしい。
    すると1、8、12、22、20、20、10、12.8、7、の数が現れる。それを一桁化すると 1,8、3、4、2、2、1、3、8、7、となる。何のことは無い、それらは現代数学では単なるランダムな数として意味が無いとして捨て去られるだけの数の姿である。

      次はそれを中心で折り曲げて重なった数を加算する、すなわち、カミムスビを行う。
    すると何とそこには8.7、6、5、4、と言う連数が姿を見せて鎮まることが解るであろう。もし、その外側に0を置けば、そこにはまさに正自然数である0,8,7,6,5,4、と言う連数の流れが整然とした姿を見せて我々を唖然とさせるのである
    。何と言うことであろうか、このような稚児じみた数の計算さえも出来ない反自然的な現代数学を我々は高等数学と称して懸命に学んでいるのである。

    これにより直感の鋭い方は自然には神々のシンボル数である 0 は当然在ってしかるべきものであると感激の涙を流すであろう。それが本当の素直な人間であり、神の心と結ばれた本来の姿なのである。
    確かアインシタインは「自然の姿は単純であり美しい」と言っていたが、改めてその言葉が心に偲ばれる。美しいから自然なのであり、単純だから心が打たれるのである。言葉を変えれば美しいと感じるのは秩序があるからであり、単純だからこそ直感に響いて心に共鳴をもたらすのである。それがまさに自然の本質(こころ)を表すものであり、同時に我々の心(本質)に同調し、いやがうえにも魂が高ぶらせてやまないものなのである。  要するに、「神の数学」の伝えるものとは「我々の心(本質)と大自然(宇宙)の波動は互いに共鳴をしながら相互扶助にあって真実を語り合えると言う関係にあると言うことである」。


     これは単にこの「5次元法陣」だけにとどまるものではない、すべての無限に存在する「神の法陣」のすべてに当てはまることを知ってほしい。すべてこれらは「双の仕組み」が招く本当の真実であり、未だ人類はその存在さえも知らないものである。
    疑う者は信じることが出来るまで「神の法陣」の数を追いかけて見ることである、心が純粋になって「神の仕組み」に頭を垂れるまで…!。

    まさに「神の数学(ひふみ)」を知る者こそ幸いなれである。天明さんの「ひふみ神示」にもあるではないか、「限りなき神の弥栄の中今にあると心得るべきである。「ひふみ(123)」は神の息吹であるぞ、「ひふみ(123)」は「道」ぞ、「ひふみ(123)」唱えて岩戸開けるのざぞ」と…。

    天のひつぐの神〔(天の筆(文字)、九の神〕、ケ(9)であるぞ、レ(0)であるぞ、ホ(本当)であるぞ。やさかましませ、いやさかましませ。今までは時が来なかったので、知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそれ洗濯じや、掃除じゃと申してありたが、今日の為であるぞ。今までの岩戸開きと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)びらきじや。(この岩戸、すなわち言答(いわと)の言葉が肝心である)


    これで「双の仕組み」は完全なる「完」である、長い間御苦労さまでした。



yuru63のメール
  • 「ひふみ数」は天地の理に適ったものであった。

    そのことは、「メール51~55」にかけて示してきた通り、「陰」と「陽」の姿に表せるものであり、その調和の姿を導くために「双の仕組み」が存在していました。

    これは人々にとってはとなる「数の語り」が現れたものと認識しています。まさに上記の神示が伝える通り「言答(いわと)開き」である「マコトの言葉により弥栄なる答えを開いていく」ということが始まっているといえるでしょう。

    「神の法陣」が示すもの

    直線(平面的)世界のみの解析では「ここのたり(9=0)」が実証できなかったのですが「神の法陣」の世界における、平面(立体的)な世界では、「9=0」の姿が明確に示されています。
    なぜならば「神の法陣」は ひふみ数が「9=0」として並んでいるからこそ、「陰」と「陽」の姿があり、陰陽を和すと「ひふみ…天地(あめつち)の数歌」がまたしても現れるという天地の理に適ったものとなっているからです。

    「神の法陣」は単なる数の並びというものでなく、真理を示している、宇宙(自然)を示しているということが実感できてきました。

    ここから有意義な考察を生むことができるかもしれません。

    五次元表以外の対角線の数字群の計算についても佐藤師匠の解説通りの方法で行ってみると、そこには「ひふみ九九算」の数列が現れました。

    「ひふみ九九算」の数列は「ひふみ…天地の数歌」と同一のものであるということは、「双の仕組み」の調和の姿に表してみれば、「0123…」のときと同様になるということからも理解できます。

     「双の仕組み」の調和の姿

    ひふみ九九算「0483…」の数列の場合

    「神の数学」は、ひふみ数神の法陣ひふみ九九算などのすべてと関連し合い、通じているという「立々体的」なものであるということでしょう。

    このような「立々体的」に広がる学問体系というものは学校では教えてくれませんので、一般には理解しにくいという面もあるのかもしれませんが、今となっては、私にとって「神の数学」の方が理解しやすくなってきています。

     現代の学問は、宇宙があることが解るが、何故宇宙が存在するのかが解らない(0が解らない)ので、極めても極めても何もない空(から)を追い求めることになってしまう…

    というような内容を偶然にもテレビで云っていたのを聞きました。

    その問題に対して答えを出してくれるのが「神の数学」ではないかと思って今日も感謝しているところです。



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