蛇足ですが、少し興味がわいたので、ここでもう一度「ひふみ方陣表」に「-1」をしてみます。
至恩の巻 第04帖 (102)この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに がなくてはならん、 は神ぞ。 |
に従うと、始め(一)の方陣の「」を「」に、つまり「」にするとも読めます。
メール57にて、方陣表の全てに「-1」を施したことと、同じことを一二三四五六七八九十の方陣にまで適応させると何かが現れるのかもしれません。
ひふみ方陣表に「-1」をして、「神の数学No.1のひふみ方陣表」と同じ処理を行ってみました。
ひふみ方陣表に「-1」すると?★1★2「右上がりの対角線の中心の数列」と「右下がり対角線の中心の数列」を並べる。 □の枠で囲んだ数列は何と「ひふみ九九算表」の数列となっています。 ★3以下の処理においても美しい数の並びが現れています。 |
ここにおいて、5次方陣の「陰」の数列にドッキングさせたのは4次方陣の【陽】の数列であることを確認していただきたい。
つまり5次方陣は、四次元の現れと繋がるものであるということが推測できるのです。
以下は幾度も強調されている「5」に関する神示です。
人民は4と思ったが5であったということは5の内の一つは見えないもの(0)であるということが推測されます。
ここでは「ひふみ九九算表(五つの現れ)」の中心の「0」についてのことを云いたいようです。 |