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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール59「神の数学」・一二三

5次方陣と四次元の高度な世界(その3)

yuru63の記

蛇足ですが、少し興味がわいたので、ここでもう一度「ひふみ方陣表」に「-1」をしてみます。

至恩の巻 第04帖 (102)

 この時代には一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も甦る程の力があったのであるなれど段々と曇りが出て来て、これだけでは役にたたんことになって来たのぞ。岩戸開きの鍵であったが、今度の岩戸ひらきには役にたたんようになったのであるぞ。始めに がなくてはならん、 は神ぞ。

に従うと、始め(一)の方陣の「」を「」に、つまり「」にするとも読めます。
メール57にて、方陣表の全てに「-1」を施したことと、同じことを一二三四五六七八九十の方陣にまで適応させると何かが現れるのかもしれません。

ひふみ方陣表に「-1」をして、「神の数学No.1のひふみ方陣表」と同じ処理を行ってみました。

ひふみ方陣表に「-1」すると?

★1




★2

「右上がりの対角線の中心の数列」と「右下がり対角線の中心の数列」を並べる。


□の枠で囲んだ数列は何と「ひふみ九九算表」の数列となっています。

これが示す意味としては、「-1」という霊的側面を導く手法により、「ひふみ方陣表」の中心意識が現れた。そして現れたものとは「ひふみ九九算表」であるという解釈もできます。

★3

以下の処理においても美しい数の並びが現れています。

ここにおいて、5次方陣の「陰」の数列にドッキングさせたのは4次方陣の【陽】の数列であることを確認していただきたい。


つまり5次方陣は、四次元の現れと繋がるものであるということが推測できるのです。


以下は幾度も強調されている「5」に関する神示です。

極めの巻 第08帖 (086)

 元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の【難ぢう】であるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな。

人民はと思ったがであったということは5の内の一つは見えないもの(0)であるということが推測されます。

極めの巻 第09帖 (087)

 天のを地にうつすと地の則となるのぢゃ、天の大神は指を折りて数へ給ふたのであるぞ、天の大神の指も本であるから、それを度折りて二十五有法(5×5の方陣か?)となされ、五十をもととされたのぢゃ、神々、神心、神理、神気、神境であるぞ、この交叉弥栄は限りなし、これを鎮と申すのであるぞ。上天、下地、照日、輝月、光星、これを極と申すぞ。東木、南火、中土、西金、北水、これを行と申す。裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物を五生と申し、文則、武則、楽則、稼則、用則を法と申すのぢゃが、それだけでは足りない、その中に (ゼロ)があるのぢゃ、大神がましますのぢゃ、人民の頭では中々に理解出来んなれど、理解して下されよ。これが妙であるぞ、奇であるぞ、天の父の教であり、地にうつした姿であるぞ。

ここでは「ひふみ九九算表(五つの現れ)」の中心の「0」についてのことを云いたいようです。
以前にも説明しましたが、その中心は反転させるレンズのようなものであり、このレンズを開くことが天と地を一体化させる岩戸開きであるという内容がありました。


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