S・Kさんに「九」の解釈が??と云われて、「九」について考えていますが、これといったはっきりする答えは出てこないです。「ひふみ」では「九も」を「何もかも」と読んでいるようですが。
『九』は「光・極・空・球・宮・久・救」など様々な意味の言葉として読める発音をもっています。
佐藤師匠に「九」について伺ってみましたらこのようなことを教えていただきました。
佐藤さんのメールより
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『九』の不思議、そして「神の数学」で云う「0=9(9=0)」は人類知を超えているもののようです。
武蔵の「空」の認識も「少しも曇りなく、迷いの雲の晴れたる所こそ、
実の空と知べき也」と説いています。
つまり迷いがない満たされている状態を「空(0)」と云っているのです。
又「空」は「九」と同じような読みかたです。
この不思議な一致に対しどのように考えるべきでしょうか。
紫金の巻 第13帖 (143)より人民の言う絶対無、絶対空と思える世界(処)はまだまだ無の世界の始めの段階の認識世界であり、空の入口なのです。其処から「無」というものの理解に入りなさい。空に生きなさい。 |
未だ「空」の入り口にいるために「九」がはっきり理解できないのかもしれませんね。
我々は「9=0」を用いて数の調べを確認していますが、これは人類知を超えたものを目の当たりにしているということなのでしょう。
二刀一流の兵法の道、 |
上つ巻第1帖の考察S・Kさんのメール
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「九」は「空」なのですか?yuru632月29日陰と陽はやはり最も重要な原理であると思います。 今回(メール88、89)は、ただ数字と遊んでみました。しかし謎の残る内容となってしまいました。 謎と云えば、いまだに不思議なのは「9」という数です。 ひふみ神示にも「九の道を早く開いてください。」といった内容があります。 神の数学で「9」は充満であり「9=0」と教えられていますが、やはり最も不思議です。 「9」はまだ多くの秘密を保有しているのでしょうか。 ------------------------------------------------------------------ 佐藤さん3月1日だいぶ頭を悩ませているようであるが…!。。 9の問題については余りにも不思議なことが多すぎて昔から現代の数学者達を悩ませているもおである。 例えば、ある数列に9を掛けたり割ったりすると不可思議な数が現れたりする。 しかし、まだ9の持つ秘密の解明にはまったく至ってはいないのである。 ただ、古代のインド哲数学では0には二つの顔があり、それが空、無の0と充満(プルナ-)の0の二つの姿であると言っている。 現代の学者達は現在0の真実を探し求めていろいろと探索しているがまだまだ0=9にはたどり着くことは出来ない。それを知っているのは「神の数学」とそれを学んでいる我々だけであろう。 ただ、我々も(9=0)と置けばものの煩雑さが解けて不思議な回路が現われ答に容易に至ること、それが判ったので用いているのである。 ただ、この(0=9)はまだ学者達には知られていないものであり、かれらから見れば納得のいかない数の仕組みなのである。 ただ彼らから詮議された場合は自然の仕組みの解明に役立つからであると答えるしかない。要するに、(9=0)は学者未承認の公式なのである。 要するに、我々は学者達が夢にも思ったことのない「未来の学」を学んで夢を膨らませているのである。ぞのように考えていただきたい。 いいではないか、今のような夢も希望もない社会情勢の中で一つの「夢物語」を心おきなく描いて懸命に心を燃やしているのであれば…。 心に希望と安楽を与えることにより、ストレスなどを極力抑え、意識と体に少しでもダメ-ジを与えない一つの処世術と考えてまい進していると考えてほしい。 掲載する記事が見当たらない場合には一報してほしい、じつはメ-ル84の答をまだ出していないのです。何時出そうかと思ってはいたのですが、諸事にまぎれてそのままになっています。完全な答はまだでてはいませんが、できればあなたがたにその答えを見出してもらいたいと思います。 そういえば、面白いことを考えていますね…、「九」は「空」なのですか? と…。 なるほど発音は同じものですね、そう言えば面白いHPサイトを見つけました。 次のものです。空白とは九八九であるぞ…… http://senryounoinshu.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7ed0.html ---------------------------------------------------- yuru63貴重な情報ありがとうございます。 この九八九の解釈もなるほどです。 それとメール84にまだ答えがあったとは思いもよりませんでした。 ウーン(゜_゜>)。どんな答えなのでしょう。 |