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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール90「神の数学」・一二三

「九」の不思議

yuru63の記
  • S・Kさんに「九」の解釈が??と云われて、「九」について考えていますが、これといったはっきりする答えは出てこないです。「ひふみ」では「九も」を「何もかも」と読んでいるようですが。

    』は「光・極・空・球・宮・久・救」など様々な意味の言葉として読める発音をもっています。

    佐藤師匠に「九」について伺ってみましたらこのようなことを教えていただきました。

    佐藤さんのメールより

    • 9の問題については余りにも不思議なことが多すぎて昔から現代の
      数学者達を悩ませているもおである。
       例えば、ある数列に9を掛けたり割ったりすると不可思議な数が現れたりする。
      しかし、まだ9の持つ秘密の解明にはまったく至ってはいないのである。
      ただ、古代のインド哲数学では0には二つの顔があり、
      それが空、無の0と充満(プルナ-)の0の二つの姿であると言っている。

      現代の学者達は現在0の真実を探し求めていろいろと探索しているが
      まだまだ0=9にはたどり着くことは出来ない。それを知っているのは「神の数学」とそれを学んでいる我々だけであろう。
      ただ、我々も(9=0)と置けばものの煩雑さが解けて不思議な回路が現われ答に容易に至ること、それが判ったので用いているのである。

    • そう言えば面白いHPサイトを見つけました。
      次のものです。空白とは九八九であるぞ…… 

      http://senryounoinshu.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7ed0.html

    『九』の不思議、そして「神の数学」で云う「0=9(9=0)」は人類知を超えているもののようです。

    武蔵の「空」の認識も「少しも曇りなく、迷いの雲の晴れたる所こそ、
    実の空と知べき也
    」と説いています。

    つまり迷いがない満たされている状態を「空(0)」と云っているのです。

    又「空」は「九」と同じような読みかたです。

    この不思議な一致に対しどのように考えるべきでしょうか。

    紫金の巻 第13帖 (143)より

    人民の言う絶対無、絶対空と思える世界(処)はまだまだ無の世界の始めの段階の認識世界であり、空の入口なのです。其処から「無」というものの理解に入りなさい。空に生きなさい。
     いよいよの代(よ)となるのです。

    未だ「空」の入り口にいるために「九」がはっきり理解できないのかもしれませんね。

    我々は「9=0」を用いて数の調べを確認していますが、これは人類知を超えたものを目の当たりにしているということなのでしょう。



参考(目次)

・(1)五輪書 空之巻

・(2)上つ巻第1帖の考察 (S・Kさん ・2012/2/28)

・(3)「九」は「空」なので​すか?(佐藤さん ・2012/3/1)

資料の詳細

(1)

五輪書 空之巻

http://www.geocities.jp/themusasi2g/gorin/g501.html

   1 空を道とし、道を空と見る

二刀一流の兵法の道、
空の卷として書顯す事。
空と云心ハ、物毎のなき所、
しれざる事を、空と見たつる也。
勿論、空ハなきなり。
ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。
世の中におゐて、悪く見れバ、
物をわきまへざる所を空と見る所、
実の空にはあらず。皆まよふ心なり。
此兵法の道におゐても、武士として 
道をおこなふに、士の法をしらざる所、
空にはあらずして、色々まよひありて、
せんかたなき所を、空と云なれども、
是、実の空にはあらざる也。武士ハ、
兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、
武士のをこなふ道、少もくらからず、
心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、
心意二つの心をミがき、觀見二つの眼をとぎ、
少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、
実の空と知べき也。
実の道をしらざる間は、
佛法によらず、世法によらず、
おのれ/\ハ、慥成道とおもひ、
能事とおもへども、心の直道よりして、
世の大がねにあハせて見る時は、
其身/\の心のひいき、其目/\のひずミに
よつて、実の道にハそむく物也。
其心をしつて、直成所を本とし、
実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、
たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、
空を道とし、道を空とみる所也。

  ( 空有善無惡
    智者有也
    理者有也
    道者有也
    心者空也 )

 正保二年五月十二日
           新免武蔵玄信
                在判
       寺尾孫之丞殿







(2)

上つ巻第1帖の考察 

S・Kさんのメール

  • 千成さん、皆さん、いつもご苦労様です。

    ちょっと話題を変えまして、最近、神示の原文に興味があって時々眺めています。
    以前、紹介して頂いた、画像をダウンロードして、拡大して読んでいます。
    上つ巻第1帖ですが、色々と疑問が湧いてきます。
    これを文章にした、岡本三典さんはすごいなと関心するばかりですが、
    若干言葉を換えているのは何故だろうか?と言うことです。

    ①三行目、原文「卍も十も九も」→神示「仏もキリストも何もかも」になっていますが、「九」の解釈が?です。
    「卍」は仏教国、「十」はキリスト教国、「九」はイスラム教?かな、
    ナチスドイツやイタリア?、「十」が人と獣と考えると、「九」?鳥のようにも考えられるし、
    まだまだ、私には解読は無理ですね。

    ②九行目中程にある、原文「九の六一八」→神示「このむすびは」ですが、
    拡大解釈して、「旧暦六月十八日?」ともとれるかな?
    難しいです。

    ③二十六行目、原文「ち四九一」→神示「ちょこい」ですが、「ち」が強調されてま
    すね。

    ④原文「あかとあか」、「一十十一十」、「二九十二九」、「たま十たま」→神示
    「あかとアカ」などカタカナになったり漢字なっている?
    ひらがなで誤魔化しているけど、年号や日付のような気がしますね。

    ⑤最後の方にある、原文「せか一の王」 この「王」の字は、「玉」が逆さまのように見える?
    点が入っていて、ちょっと、王にしては違和感があるのですが如何でしょうか?
    「玉」なら、「また」と読むか?「ぎょく」と読むのか?

    まだまだ、疑問は尽きないのですが、全体的には漢数字が目立ちますよね。
    他の漢字として使われているのは、「卍」「大」「上」「王」の四つのみですね。
    「○」も漢字かな?
    「○・」も神になったり、神の国になったり、疑問だらけです。
    ちなみに、添付ファイルで、原文を忠実に漢字とひらがなで作ってみましたので、参考に見て下さい。
    (何の意味があるのか?申し訳ないです)
    もう一つのファイルは、ひらがなのみ削除してみました。
    文としては成り立っていないのですが、会話としては使えるのかなと感じてます。
    何かひらめいたら教えて下さい。

    映画「2012」のような暗号になってたら面白のですがね。
    映画「2012」の順番でいくと、「三一一」がどこかにあるのかと思ってますが、
    神示の原文には見あたりませんね。(「九一一」はありますけど)
    私が気が付かないだけかな?
    一番怪しいのは、「王」ですね。「三一一」にも見えますしね。
    「三二」は分解すれば、「三一一」ですけどね。

    ちなみに、昨年の311地震の日は、我々は中学校の卒業式に来賓で参加し、
    例年のごとく、祝賀会後の二次会の真っ最中でしたね。
    途中で気分が悪くなって、3時過ぎに帰りましたからよく覚えてます。
    神示の原文に「九十」がよく出て来ますが、
    縦に並べて見ると、「卒業」の「卒」の略字「卆」かなとも思っています。

    ちなみに、映画「2012」の預言書には、「311」が1カ所ありましたね。
    何度もストップをかけて見ましたから。

    いずれにしても、上つ巻第1帖の原文にはまだまだ秘密がありそうです。
    また、じっくり見てみます。

    そういえば、黎明編の中目次NOⅠ(ひふみ神示)は前の方が無くなっていますね。
    最近、気が付きまして、休眠中ですね。
    おかげで、yuru63さんの「ひふみ神示解読」
    http://hifumi.busidou.jp/123yomu.html
    を見させて頂いてます。

    私のサイトも前半はリンク不能でお休みですね。
    http://members.jcom.home.ne.jp/1647679901/nori3.html







(3)

「九」は「空」なので​すか?


yuru63
2月29日
陰と陽はやはり最も重要な原理であると思います。
今回(メール8889)は、ただ数字と遊んでみました。しかし謎の残る内容となってしまいました。
謎と云えば、いまだに不思議なのは「9」という数です。
ひふみ神示にも「九の道を早く開いてください。」といった内容があります。
神の数学で「9」は充満であり「9=0」と教えられていますが、やはり最も不思議です。
「9」はまだ多くの秘密を保有しているのでしょうか。


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佐藤さん
3月1日
 だいぶ頭を悩ませているようであるが…!。。
9の問題については余りにも不思議なことが多すぎて昔から現代の数学者達を悩ませているもおである。
 例えば、ある数列に9を掛けたり割ったりすると不可思議な数が現れたりする。
しかし、まだ9の持つ秘密の解明にはまったく至ってはいないのである。
ただ、古代のインド哲数学では0には二つの顔があり、それが空、無の0と充満(プルナ-)の0の二つの姿であると言っている。

 現代の学者達は現在0の真実を探し求めていろいろと探索しているがまだまだ0=9にはたどり着くことは出来ない。それを知っているのは「神の数学」とそれを学んでいる我々だけであろう。
ただ、我々も(9=0)と置けばものの煩雑さが解けて不思議な回路が現われ答に容易に至ること、それが判ったので用いているのである。

ただ、この(0=9)はまだ学者達には知られていないものであり、かれらから見れば納得のいかない数の仕組みなのである。
ただ彼らから詮議された場合は自然の仕組みの解明に役立つからであると答えるしかない。要するに、(9=0)は学者未承認の公式なのである。

要するに、我々は学者達が夢にも思ったことのない「未来の学」を学んで夢を膨らませているのである。ぞのように考えていただきたい。

いいではないか、今のような夢も希望もない社会情勢の中で一つの「夢物語」を心おきなく描いて懸命に心を燃やしているのであれば…。
心に希望と安楽を与えることにより、ストレスなどを極力抑え、意識と体に少しでもダメ-ジを与えない一つの処世術と考えてまい進していると考えてほしい。

掲載する記事が見当たらない場合には一報してほしい、じつはメ-ル84の答をまだ出していないのです。何時出そうかと思ってはいたのですが、諸事にまぎれてそのままになっています。完全な答はまだでてはいませんが、できればあなたがたにその答えを見出してもらいたいと思います。

そういえば、面白いことを考えていますね…、「九」は「空」なのですか? と…。
なるほど発音は同じものですね、そう言えば面白いHPサイトを見つけました。
次のものです。空白とは九八九であるぞ…… http://senryounoinshu.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-7ed0.html                                        

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yuru63

貴重な情報ありがとうございます。
この九八九の解釈もなるほどです。
それとメール84にまだ答えがあったとは思いもよりませんでした。
ウーン(゜_゜>)。どんな答えなのでしょう。



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