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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

メール98「神の数学」・一二三

赤児の心になりて、ハラで見、ハラできき、ハラで話せよ。

青蘊さんのメール
  • こんにちは、yuru63さん。

    最近の記事から非常に多くの情報を得ていらっしゃると思っています。

    ただ、yuru63さんのハラに何が響いているのかわからないな、と感じています。

    最近は「うみいでる」という言葉に魅かれます。

    命を産み出でることが、海より海出でられ、膿出でることを大地と体、天地を逆にした視点でブログを作ろうかなと思っています。

    自らの想いを理法に乗せて言葉で表現することが、心の洗濯なのではないかと思っております。

  • 青蘊さんブログよりhttp://blog.goo.ne.jp/teltelbouzu497

     ひがん 彼岸 日願

    2012-03-20 12:03:05 | 日記

    彼岸は仏教の行事?
    彼岸会法要は日本独自のものであり、その始まりは、崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されています。
    春分秋分に神道で祀られていた祖霊祭を仏教にとりいれたもの。

    言霊のさきはふ国と詠う とよあしはらのみずほの国では、漢字さえも外来語。
    公園 公演 講演 口演 後援 高遠
    誰のものでもなく心を和ますのが公園であり、
    誰をも心を和ます言葉が、公演であり、講演であり、口演。
    後援を受けると心が和みます。
    高遠なる存在とは心に和みをもたらす存在。

    こうえんとは心に和みをもたらすことやもの
    その抑揚を変えることで表現していた。


    彼岸とは、煩悩を脱した悟りの境地のこと
    成仏した先祖を供養することは
    神道でいうなら祖霊祭
    命の親に還った先祖のみ魂を祀ること
    太陽崇拝からすると
    先祖の還ったお天道様に祈ること
    それは 日願
    日のバランスがある春分秋分に日に願う

    日本の神さまは
    仏教と争うのではなく先祖を祀ることで良しとされている

     一二三神示 第27巻  春の巻

    第1帖
    新しき御代の始めのタツの年。
    スメ大神の生れ出で給ひぬ。
    皆始めヒからぢゃ。
    赤児の心になりて、ハラで見、ハラできき、ハラで話せよ。
    ハラには間違ひないのぢゃ。
    神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん。
    喜びに叶ふ心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ。
    喜びにも正しきと曲れるとあるぞ。
    無限段階あるのぢゃ。
    心して迷はんように致しくれよ。
    此処は光の理(ミチ)伝へ、行ふ所、教でないと申してあろう。
    教は教に過ぎん。理でなくては、今度はならんのぢゃ。
    天の理、地の理、もろもろの理、カタ早う急ぐぞ。
    教は局部的、時、所で違ふのぢゃ。迷信となるぞ。
    ハラが神であるぞ。


    ハラは心の中心
    気の中心

    今日は春分の日 日の理をハラに問うてみるのも良きかな




yuru63のメール
  • 春の巻の一帖にこのようなことが書かれていたのですかぁ。

    今年はタツの年ですし、今の季節は春です。

    「ハラで見て、ハラできき、ハラで話す」ということを行うことが大切なのですね。

    再発見させていただいてありがとうございます。





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