臣民は口が静かに(もの言わなく)なるという内容が「一二三神示」にあったと思います。
今はその時期となっているようです。
また、「終末と太陽の検証」が理解されないときは、いよいよが迫っているという内容がありました。(下部に抜粋神示追記)
しかし、この「終末と太陽の検証」の意味のすごさに気付き始めたのは私にとっても最近のことであり、理解度の浅はかさを思い知らされたという経緯があります。
一二三神示の解読を行ったときは「太陽のサイト」を一部しか読んでいなかった状況で、ひふみの表現から推測した解読内容が多くありました。
その後「太陽のサイト」をじっくり読むことができ、解読により推測した「これって本当??すごすぎるんじゃない?」といった内容がサイトにも掲載されて居て、本当だったのか!と敬服したのを覚えています。
又、偉大なことが検証されているといった内容を確認することができはじめました。
それまで「太陽のサイト」を読んでいたにも関わらず、サイトの存在の意味も検証についてもほとんど理解できていなかったということに気付きました。
一二三解読は、理解を促進させるような働きもあるようです。又、人民にとっては理解しづらい高度な仕組が展開しているようです。なので、理解されない姿が一二三神示に表現されていて、そのことは予言の検証の題材となり、大変ユニークですが、理解しない人々も検証に参加しているということになります。
人の動きも大きな仕組の一齣に使っているようです。
よって推移を見守り、サイト運営を「行い」という観点から考えて、更新するように心がけねばと思っています。
地つ巻 第15帖 (152)
太陽(ミロク)のサイトの上の役員に「終末と太陽の検証」が判りかけたらバタバタに埒(らち)つくのですが、学や智恵が邪魔してなかなかに判りませんから、くどく申しているのです。 |