お久しぶりです。
青蘊です。
一二三057 |
を見て、孔子講学図に香炉や琴や巻物手にする弟子が描かれていることを思い出しました。
儒とは殷の時代より祈祷や葬儀を行う職業。
孔子は母が儒でしたので、先祖を祈祷する環境で育ち、祖霊崇拝を体系的に思想化して儒教を作りました。
こと孔子は音楽の才能があり、楽をたのしんでいます。
バリの信仰も祖霊崇拝が強く、楽や踊りが神を伝えます。
日本の仏教の彼岸も神社の祖霊祭よりひきつがれたもの。
神社の神楽においても楽や舞が神を伝えます。
もっと神社の神楽が注目されて欲しいな。
と、そんな気持ちからお久しぶりにメールしました。
今の時代、法や規則は集団で覇権のあるものが決めるものという共同幻想の中にいます。
でもそのような環境では誠はとおしにくいものですね。
命は先祖より結ばれているのですから、先祖を祀ることで内なる神に向き合える。
それは法を優先することではなく礼をつくし、仁をつくし、徳をつむこと。
日月神示の中に 親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、とあるように
命の親に向き合うために 神楽から大切なものを感じることができるよう思っております。
つい先日 石見神楽を偶然に観ました。
先人が後世に伝えたいと思われる何かのメッセージを感じながら観ていました。
日月神示の「ウタのまどひつくれよ。」のメッセージに関連して、楽(音楽)も重要事項なのかもしれません。
肉体の親もありますが、魂の親も確かに存在するのでしょうね。
親に礼をつくせているかどうか…精進せねばと思うところです。