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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

時事27宇宙

<エレニン彗星って何なんだろう>NO2

  • そうなると、「エレニン」が太陽系に進入し、太陽系の中心に接近してくると太陽系全体の引力バランスに重大な影響を与える可能性があるのだ。

    2011年9月になると「エレニン」は太陽系の中心部に接近すると予測されている。

    この頃になると、この地球からも肉眼で確認できる大きさで見えるという。

    米連邦航空宇宙局(NASA)傘下のジェット推進研究所のシュミレーション
    http://ssd.jpl.nasa.gov/sbdb.cgi?sstr=C%2F2010+X1&orb=1
    では 9月17日頃に、地球から2100万マイル付近を「エレニン」が通過する。

    噂の終末を語る天体現象としては 大凡、次の彗星や惑星達がある。

    惑星X    木星の4倍の質量 黄道面に対して垂直らしい

    デュ−ケ   木星クラスの形状と質量 黄道面に対して垂直らしい

    エレニン彗星 直径4〜5km中性子星_木星クラスの質量、黄道面に対し約10度傾斜

    (デュ−ケとエレ−ニンが冥王星外軌道でコンタクト、黄道面)

    現段階では どうもエレニン彗星に関しては 噂ほどのものでもないように思える。

    ともかくも、エレニン彗星の本体の観測・視認が出来ないとこれ以上の検討も進みそうもない。

    晴れた日には 夜空を見るしかなさそうである。

    もしかしたら、陰の政府の連中が、地球上で悪さをする為に、針小棒大に情報を流していること考えられので、注意しながら様子をもう少し見ていくしかなさそうである。


    −−−参考文献−−−−−−−−−

    1。 <地球に向かって進む「コントロールされた」彗星に対し発せられたロシアの警告>BY:ソルチャ・ファール

    http://higasinoko-tan2.seesaa.net/article/188591723.html

    2011年03月07日

    2。 <エレニン彗星、軌道の確認。 >

    http://bluesboy.at.webry.info/201105/article_16.html

    3。 <C/2010 X1 (Elenin)>

    http://ssd.jpl.nasa.gov/sbdb.cgi?sstr=
    C%2F2010%20X1;orb=1;cad=1

    4。 <宇宙から厄災の星―大災害に備える米国>

    良い宇宙人と悪い宇宙人NO 2901

    http://www51.tok2.com/
    home/slicer93190/10-6901.html

    5。 <エレニン彗星役に立った>

    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6744643.html

    6。 <直接4キロしかないのに ガスから判断する質量が8万キロという異常さは事実ですが。>。

    7。 <エレニン彗星(ニビル)接近で世界各地に地震?>

    http://d.hatena.ne.jp/k1491n/20110702/1309620994

    2011-07-02

    8。 <2011年05月19日米国大統領府発表「エレーニン彗星衝突の危険あり 」>

    http://vipvipnews.com/archives/3752276.html


    ===1===========


    http://higasinoko-tan2.seesaa.net/article/188591723.html

    2011年03月07日

    地球に向かって進む「コントロールされた」彗星に対し発せられたロシアの警告(再)

    <地球に向かって進む「コントロールされた」彗星に対し発せられたロシアの警告>

    BY:ソルチャ・ファール

    モスクワの地下5,000メートルに『核』シェルターを建造することに対する、ロシア国防省のアナトーリー・セルジュコフ国防相によってメドヴェージェフ大統領に用意された恐ろしいレポートによると、たとえ計画が順調に進んでいるとしても、我々の太陽系内で新たな彗星エレニン(Elenin)[写真]が出現したことにより、2012年のスケジュールに向けた計画の完成で「それでは十分でない可能性がある」為、「さらに資源の備蓄」を「ただちに」追加しなければならないことを意図した警告をしています。

    セルジュコフ国防相の恐れを誘発させたのが、このレポートの中で彼が彗星エレニンのために新たに軌道計算をしたことが根拠にあると述べており、この天体物がいくつかのタイプの「知的なコントロール」の下にあって、当初見込んだ来たるべき落下時期よりも「非常に早く」我々の地球に接近する「見込み」があると見ています。

    彗星エレニンが、ニューメキシコのメイヒル近郊のISON- NM天文台の18インチ(45cm)の望遠鏡から補足され、ウズベキスタンのMaidanak天文台の博士で科学者のアレクセイ・セルゲーエフとアルテム・ノビチェンコによって確認され、この補足した時の映像を研究に役立たせようとしたリューベルツィの研究施設から、2010年12月10日に博士で科学者のレオニード・エレニン[写真]によって確かに発見されました。

    その彗星エレニンの発見と同時に、エレニンが黄道に沿った飛行で太陽に4天文単位以上(正確には0.44天文単位:約3億7500万マイル)まで接近するように、その方角へ向かっていく移動をも確認しました。

    最初の近日点は、獅子座の星座の夜明け前の空、つまりは7月で、それを肉眼で確認できる時期は2011年9月5日、言い換えると、その現象を起こすために太陽から0.45天文単位(4200万マイル)くらいの地球の軌道でも起こる(接近)ことをおそらく予測しています。

    セルジュコフ国防相のレポートで最も不吉なのが、彗星エレニンが我々の太陽の方へと向かって侵入してくる上で、冥王星の軌道の向こう側で発見された不可解な木星サイズの惑星に「直接接触」したように見えるという主張です。

    アメリカ・ルイジアナ大学ラファイエットの科学者ダニエル・ウィットマイア(Daniel Whitmire)とジョン・マティス(John Matese)は、この不可解な惑星に「テュケー」と名付けました。

    まさに、我々が2月18日のレポート『ロシアのリーダーが2012年に新たな惑星が到着することを法王と確認した』で以前述べたように、我々の地球の古代の民族が同様に別の名を付けたそのことです。

    たとえアメリカの宇宙機関NASAが、『彗星の軌道がわずかにそれる可能性があるため、地球からそれるという保証はない』と言ったとしても、彗星エレニンについてのメモで非常に興味深く、さらにNASAが、先の発言とは矛盾する発言で『…彗星エレニンは地球のどこにも近づかない。

    最も接近する日(2011年9月10日)でも、それは我々の惑星から2500万km以上のポイントだ。』と述べました。

    彗星エレニンをコントロールしているその地球外生命体軍のアイデンティティーに対して、我々の世界に向け前カナダ国防相:ポール・ヘルヤー(Paul Hellyer)が前もって警告していました。

    彼は以下のように地球外生命体ついて述べました:

    『数十年前、他の惑星からの訪問者が、我々に対して援助をすると申し出た一方、我々に対して警告をしました。

    けれどもその代わりに、あるいは我々の少なくとも何人かが、その訪問者を脅威と判断して、先に発砲して撃って、後で議論をすることに決めたのです。 』

    ヘルヤー国防相が言及したその『他の惑星からの訪問者』に関して、我々は現在、第二次世界大戦中の米国に出現した直後、そのUFO艦隊に対しアメリカ軍が発砲した、『ロサンゼルスの戦い』と呼ばれた出来事に関して、米軍参謀長ジョージ・マーシャル(1880-1959)からフランクリン・ルーズベルト大統領(1882-1945)に送られたメモ[下記参照:現物のコピー]から、さらに状況を探り出す事ができます。

    『ロサンゼルスの戦い』での、このUFOへの米国による最初の発砲から、UFOは第二次世界大戦期間中の作戦展開でヨーロッパや太平洋の戦域上空に出現し続け、米陸軍航空隊:第415夜間迎撃戦闘隊により『フー・ファイターズ』と名付けられました。

    このUFO/フー・ファイターズに関する最も有名な報告は、現在『ロズウェル事件』として有名な、日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した米陸軍航空隊:第509爆撃隊の拠点があるニューメキシコのロズウェル陸軍航空基地の近くに衝突した、あるいは、少なくとも一機が撃ち落とされたときの、1947年の夏に生じました。

    一番最初に『フライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)』が、本当に捕えたアメリカ政府の市民によって報告[写真上]されたが、米軍は、以前彼らがその日に何を収容したのか?について早急に完全否定することで、その存在すらをも完全に否定しました。

    まさしくこのロズウェル事件に関するメモが最も重要で、その事件の調査を、当時のハリー・トルーマン大統領(1884-1072)の親しい個人的な友人と米国空軍長官(その調査結果を米国国防長官:ジェームズ・フォレスタル(1892-1949)に報告したS・サイミントン(1901-1988))によって率いられました。

    1948年〜1949年の間ずっと、長官のフォレスタルとサイミントンは、1949年3月28日にフォレスタル(調査団の責任者)にとって代わったトルーマン大統領と常に意見の対立で衝突していました。

    その入れ替わった 2ヵ月間(1949年5月22日)以内に、フォレスタルは政府により強制的に拘留されたベセズダ・ナバル病院の窓から飛び降りて、自殺で死亡したと報じられました。

    しかしながらこのケースで非常に興味深いことは、ロズウェル事件に関するフォレスタルとサイミントンとの最後の会議となった議事録の内容です。

    その一部分で以下のように述べています。

    (つづく)