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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

時事67神示・聖書

人の記憶と忘れられない魂・心騒がせずに (黎明編mail.3113)

youさんのメール

  • 千成さん、お世話になっております。

    次々と新たな情報が顕になり、当方も驚いております。

    私の生活している三浦は崩壊する可能性もあり、九州に退避するなどが良いのかも知れません。

    実際待避された方のメールを読ませていただき感銘を受けます。

    がしかし現実問題それは難しいでしょう。

    また親戚が福島の海岸通り。

    今は放射線で入る事が出来なくなった地域であり、彼らは福島に強制避難しました。

    今後につぃては、全くどうなるか分らないとの事。

    今の自分には何も出来ない状態が続いています。

    私ごとの話ですが、ご理解されるか分りませんが書き綴りました。

    実は、311の半年前その福島に行き、何が起きるか分りませんが、とにかく1年分位の備蓄と準備をするよう話をしました。 本人達はいきなり来た私が何を話すのかと思いきや、その内容にあっけに取られ、「そんな事は今の時代絶対に起きない。 大丈夫だ」と言い切っていたのです。

    何故、自分もそのような行動に走ったのかは良く判らないのですが、3日間の休日があり、家内や子供達は学校との事から、リフレッシュとのことで一人車で導かれる様に行動したので、いきなり来た私に親戚もあっけに取られるのは当然です。

    普通に考えれば、「何も起きない」という彼の発言は当然です。

    しかし何故か私の発言にも熱が入り、とりあえず内容は伝える事は出来たようです。

    また、祖母の墓参りで心の中では、「これが最後の墓参りだと思います。 皆を守って下さい。 」と祈りました。

    今、この墓にも入れませんが。

    随分前のテレビ番組「ビートたけしのアンビリバブー」で取り上げられた内容ですが、簡単に書きます。


    第二次世界対戦の最中、アメリカ軍が飛行機で編隊を組み日本を攻撃。

    任務を終え機首を帰路に向け、四国だったか島々の上に差し掛かったとき、後ろの飛行機が日本の攻撃を受け被弾して海に沈みました。

    乗っていたパイロットは死亡。

    名前は忘れました。

    ところが最近生まれたある子供に、そのパイロットの記憶がはっきり残っていたのです。

    また、その時の状況や仲間を詳細に記憶し、今でも行なわれている当事のアメリカ軍のパイロット仲間でのパーティーに出席し、一人一人と当事の話をされていました。

    彼は、この日本に来てその被弾した海に訪れ、海に献花した映像がテレビで放送れたのです。

    ここで、記憶について幾つか疑問が生まれます。

    1、記憶は人の身体はなくなっても消えないのか。

    2、記憶はどこに記録されるのか。

    3、記憶は時間を超越するのか。

    4、人にどのように移るのか。

    5、記憶は、即呼び出しが出来る様に何処かに記録されるようだが、どのようなメカニズムか。

    6、この子供は何故、その記憶を持って生まれたのか。 (使命?)

    人は、元々自分と他人を理解する心を持っています。

    同時に様々な知識を蓄え利用出来る様になっています。

    一つの仮説でしかありませんが、その仮説を上手く説明できないのですが、次の様なイメージと思うのです。

    地球は人々の記憶や記録を全て取り込んでいるのではないでしょうか。すなわち、地球は大きな意識体であり、その上で生きている人々は何をしても地球の意志に捕えられ、全ての知識や経験、そして喜びや悲しみなど全てがこの地球に記憶されているのではないかと考えるのです。 もし、多くの知識を持った人が偉いなら、その知識はその人の物であり偉くなるのは当然です。

    苦労して得た知識です。

    高ぶり大威張りでその知識を利用して問題はありません。

    ところが人の心はそれを許しません。

    高ぶる人は、人々の間では下げすまれ、首を垂れる人が尊ばれるのです。

    人の心は、知識について次の様に気付いているのです。

    「知識や記憶は地球に蓄えられている多くの知識体に触れる事で得られる」事を知っていて、そもそも人の知識など一つもないのであり、地球が許さない知識は一つも得られない様になっている。

    なので、首を垂れる人々が尊いのは、その知識は、後ろにいる絶対なる大いなる意識体からいただいたのであり、本人が得たものではないからです。

    ならば人は死んでも心配は要らないのではないでしょうか。

    この子供がパイロットの記憶を得て生まれた訳は、地球が彼を通してその意思を伝える為だと考えられます。 今の人々が生きている使命は、それを伝える事のようです。

    私は昔から家内にその話をしていました。

    地球は大きな意識体であり、私達はその上で生かされている。勉強するのはその意識体と接続されるための訓練であり、自分で得たものでは決してない、と。 家内には理解されませんが。

    様々な事象が発生すれば、必ず人にとって何かが変わらなくてはならない、もしくは新たにされなければならないヒントや切っ掛けがあり、常に「それは何かを考え実行しなければならない」のではないかと。

    聖書になりますが、マタイによる福音書13章では次の様に語っています。

    そもそも地球に人々を連れて来て聖書もそこから始まっています。

    ところがその前に行なわれた事は聖書には書かれていません。

    その内容についてイエスが次ような話をしています。

    「太陽系の他の星々についても同様に人々を連れて来たのです。

    ところが、他の星々では人々は上手く生きられませんでした。

    太陽が照るとその輻射により、死滅。

    他の星では、敵に取られてしまい、消滅。

    また、他の星では、地球程ではありませんが、多少命を繋いだ者達もいます。

    あなた方は地球に降ろされその知恵と知識を育み大きく成長しました。

    所が、この地球にも敵が来て悪の心を持った人を降ろしてしまいました。

    なので、最後の時は一気に刈り取りを行います。

    これは一つの試験です。

    あなた方はこの試験に合格しました。

    しかし一つあなた方に方はまだ足りない事があります。それは、隣人を愛しなさい、です。 」 地球は意識体として、この人々を受け入れ育てる決心して下さったいわゆる「揺り篭」としての星です。

    なので地球もこの一生を終え、次の意識体として成長する必要があるのです。

    他の星々とて同様、お互い長い間で成長し、意識があり様々衝突や崩壊を繰り返し、そして別の意識や声明を育みます。

    いずれ太陽となり、銀河の中心に。

    そのように成長していると理解できます。

    当然、私達を生み出した以前の生命体は長い間地球人がどのような成長するかを見届けていました。

    また守って来たのです。

    彼らはこの地球人の成長を待ってました。

    もし二ビル(テュケイ、エレニン)が褐色矮星であれば、新たな進化をした素晴らしい褐色矮星が太陽系の中心に近づいている事となり、当然人類はその意識とも繋がり、別な価値観や文化、そして身体に進化するのは当たり前な気がしてならないのです。 その前に聖書にはあからさまに敵が書かれています。

    この宇宙には、千成さんが言われる様に敵が居ます。

    これは事実聖書の記述から遥か昔から知られていたのです。

    地球の人々を守る装置は? そういう証拠は? と言われると難しいのですが、「ツングースカの大爆発」が上げられます。

    その内容は、ロシアの調査員Yuri Lavbinは次の様に語っています。


    「彼は宇宙船が地球上の全人類の絶滅を防ぐ為に高度10kmの地点で宇宙物質を爆破したと信じている。

    私は確信しており、私達がある優れた文明の力によって救われたと言うことを公式に声明することが出来ます。

    彼らは桁外れのスピードで地球に向って来たこの巨大な何かを爆破したのです。

    今ついに、破壊されたこの素晴らしい物質が見つかったのです。 」

    人類を創造しこの地球を選んだ宇宙人は、大いなる愛で私達人類を導こうとされています。

    同時に、その進化を良く思わない宇宙人もいる事は明らかです。

    その戦いがこの10年で激しさを増し、とうとう太陽系の内部に及んで来ました。

    今は、その良き宇宙人は必死で地球人を守ろうとされています。

    しかし私達人類は誰かの悪の手の平で踊らされています。

    その悪である誰かは今は人々を躍らせていると思っているのでしょう。

    しかし、神や地球の意識、そして二ビルが来る次の時代では神は正しい方ですので、彼らを許さないでしょう。

    これは約束されている事であり、その時が近づいています。

    人一人の知識や経験など大したことありません。

    苦労も楽も、以前も今後も。

    最後に皆で手を取り合い良かったと言える。

    それが次時代の切符のようです。

    イエス・キリストは自分が十字架にかけられ死ぬ事を知っているのに、弟子達を思い諭しているのに驚きます。

    私達は、この神示を元に多くの迫害を受けるかも知れません。

    それは宗教ではなく、新しいことを良く思わない人々が多くいるのです。


    ヨハネの福音書 14章1節

    あなたがたは心を騒がしてはなりません。

    神を信じ、またわたしを信じなさい。

    「心を騒がせるな。

    神を信じなさい。

    そして、わたしをも信じなさい。

    わたしの父の家には住む所がたくさんある。

    もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

    行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。

    こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

    わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。 」

    トマスが言った。

    「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。

    どうして、その道を知ることができるでしょうか。 」

    イエスは言われた。

    「わたしは道であり、真理であり、命である。

    わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

    あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。

    今から、あなたがたは父を知る。

    いや、既に父を見ている。 」

    フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。

    そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。

    「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。

    わたしを見た者は、父を見たのだ。

    なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。

    わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。

    わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。

    わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。

    わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。

    もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。

    はっきり言っておく。

    わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。

    わたしが父のもとへ行くからである。

    わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。

    こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

    わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。 」


    123神示/五葉の巻/第3帖(966)

    友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ、

    山も友ぞ、

    川も友ぞ、

    動植物も友ぞ。

    一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、

    何も彼も皆友ぢゃ、

    友は己ぢゃ、

    皆己となれば己なくなるぞ、

    己なくなれば永遠に生きられる、

    無限の己となるぞ。

    御神前で拝むもよいなれど、

    空を拝めよ、

    山も川も拝めよ、

    野菜拝めば野菜が、

    魚を拝めば魚が神となり、

    又、己となるのぢゃ。

    足らぬことないクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるぞ。

    昭和三十六年九月一日(9月1日)、

    旧七月二十二日(7月22日)(1961年)

    (ひふみ神示 第三十七巻)


    123神示/五葉の巻/第15帖(978)

    今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、

    その時来たぞ、

    岩戸がひらけると言ふことは

    【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、

    今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、

    今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、

    一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、

    ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、

    心得なされよ、

    神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、

    大地も転位、

    天も転位するぞ。

    昭和三十六年九月一日(9月1日)、

    旧七月二十二日(7月22日)(1961年)(ひふみ神示 第三十七巻)

    何故、私がひふみ神示を組み立てているのかは、自分でもよく分らないのですが、心がこれをしなければなりませんと言って聞かないのです。

    私には聖書とひふみ神示を繋げる役目があるのかも知れません。

    実際、この文章を打っている最中も、涙が止まらないのです。

    どうでも良い話かも知れません。



千成さんのメール
  • youさんのことをスプーン曲げは本当にできる!  で書いたら、今回長文のビックリメールをいただいてオヨヨです。

    今回のyouさんのメールには貴重な情報がいっぱいですね。

    そしてそれらの情報が互いに関連づけて書かれていることにも驚きました。


    私には聖書とひふみ神示を繋げる役目があるのかも知れません。

    そのようですね。

    youさんからあることで指導を受けていて、youさんが、ポケポケ頭のわたしの指導に際して、あまりに忍耐強いので、「この方はただ者ではなさそう」と感じたと書きましたが、やはり、 youさん、何らかの使命を神様からいただいているような・・・そのことは今後ますます明らかになってくるのでしょう。

    「隠されていたことは明らかになる」とどこかで読んだことがありますが、隠されていたyouさんの使命が明らかになりつつあるようです。

    聖書とひふみ神示を繋ぐことなんて、youさんしか出来ないことかもですよ。


    ところが最近生まれたある子供に、そのパイロットの記憶がはっきり残っていたのです。

    このテレビ番組はずっと前にわたしも見ましたよ。

    感動的でしたね。


    一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、

    youさんが引用してくださった神示にこの↑行がありますが、わたしもyouさんという方とお知り合いになれて youさんの研究されている聖書の世界がわたしに身近になってきました。

    涙がチョチョ切れるくらいありがたいですね。