狂った日本人達、欲ボケした現代、いろいろとありますが、この辺で少し立ち止まり、頭を冷やすのも良いでしょう。温故知新という諺(ことわざ)もあります。
明治維新以後、四つ足を食べ、同じ仲間の保乳類族の四つ足、多くの日本人達が共食いをするようになり堕落しました。
ここいらで、美しい日本の風景を眺めるのも良いと思います。
ひふみ的に言えば、神が神ノ国に指定したのもうなずけるかも・・・・コンクリトジャングルの中に埋もれていると、とんでもない事を考えるようになります。
地震で破壊された集落、簡単に壊れて、簡単に再建できる家々、自然と仲良く生きていたのでしょう。
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2011年09月17日日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景(訳者注) 古文書や古い学術資料などの新しい発見の報告が随時おこなわれるCHICC マンチェスターというサイトがあります。 先日、そこに「日本人の手により記述される 1897年の日本の光景」と題された膨大な量の着色された写真と、イラストが紹介されているページがリンクされていました。 その時酔っ払っていたのですが、その中の一枚を見て、私は唐突に涙が出てきました。 それはこの写真でした。 1897年の「京都の嵐山の橋」だそうです。 この光景は3月11日の震災の後に、東京吉祥寺の井の頭公園で私が感じた光景(心象の意味での風景)とまるでそっくりだったのです。 震災1週間目くらいの頃から2ヶ月間くらいの間、よく吉祥寺の井の頭公園に行き、ボーッとその光景を眺めていました。 あの頃の井の頭公園の光景は震災後の(私個人の)心の復興の過程そのものでした。 そんなわけで、その「1897年の日本の写真」の数々を見て、ご紹介したくなったので、一部ですが、ご紹介したいと思います。 該当サイトにはものすごい量の写真がありますので、ご各自でご覧いただきたいと思います。 こちらです。 Japan, Described and Illustrated by the Japanese そこから何枚か抜粋してみます。 ここに写っている国が美しい国だということを改めて感じます。 いろいろとありますが、今でも基本的には変わらないとも思っています。 なお、関連する過去記事として、震災後1ヶ月後にこのような記事を書いたことがあります。 ・どんなに愛される資格があるのかを私たちは知らない (2011年04月14日) 1858年に、日英条約のために来日していた英国の使節団の人が書いたものの紹介でした。 Japan: described and illustrated by the Japanese CHICC Manchester 2011.09.16 日本人の手により記述される 1897年の日本の光景 (※)写真の色は当時の手作業による彩色です。 東京・小金井の桜 ▲ 小金井という場所は私の住んでいるところから比較的近いのですが、どこだろう? こんなきれいなところは小金井にはすでに存在していないかも。 京都のお茶屋 ▲京都のお茶屋でくつろぐ女性たち。こういう光景が木陰の合間から「チラリと見える」というようなのを経験してみたいです。難しそうですが。 100年前の私 ▲ 「労働者の休日」と名付けられた写真。きみたちは明らかにポーズとったまま止まってるだろ(笑)。 右端の男性は「ホーキで三味線」という今でも通じる芸をしています。左から3番目の人には入れ墨がありますので、わりとワイルド系の人たちの宴会かもしれないですね。 鎌倉の大仏 ▲ 手作業で彩色された鎌倉の大仏。子どもとかオッサン方が勝手に仏像に上って、ポーズ取ってる(笑)。特に真ん中の大仏の手の上に立っている人がいいです。今はここに乗って写真撮ったら怒られそうですね。大仏と遊べた頃。 人力車 ▲ 「人力車」と題された写真。場所は不明。女の子がやはりかわいい。 果物屋 ▲ 場所は記されていません。横に「粟、水飴」と書かれているので、果物と同時に、穀物や甘いものなども全般に扱うような感じでしょうか。店員さんは退屈そう。 京都近くの林道 ▲ 私の子どもの頃(1960年代)の北海道にはこういう道がまだ結構たくさんありました。 力士 ▲ 1897年頃の力士というと、どんな人がいたのかわからないですが、相撲は当時も人気があったと思います。右側の力士がヨン様系のイケメン。 布屋さん ▲こういうの見たかったです。当時の女性が着るものを選ぶ様子。武士のジイサンが邪魔。 藤が咲き乱れる亀戸天神(東京) ▲ 「藤のまつりが行われている亀戸天神」と題されています。亀戸にこんなキレイなところがあるのかと思って、調べてみますと、今も藤祭りは行われているようです。下の写真がそうです。 ▲ 2006年くらいの藤祭り。travel.jp より。 牡丹園 ▲ そういえば、日本という国は観葉とか園芸の先駆けの部分もずいぶんとあります。今では観葉植物では当たり前の葉っぱの「斑」(緑と白などの葉っぱの模様のこと)なんてのも日本人が作り出したものだとか。 米をとぐ風景 ▲ 井戸から水をくみ上げるなど、かなりの重労働のようですが、女性の仕事だったようです。 ほうき売りの商人 ▲ 荷物積み過ぎ(笑)。 商店 ▲ こういうの何屋さんっていうんでしたっけ? 金物屋? バケツとかロープとかを日常品に売っている店。ちょっと前までは、普通に街にたくさんあったものですが、最近はあまり見ないですね。ホームセンターに代わられてしまいました。 地震で破壊された集落 ▲ 何の地震かの説明はないですが、1897年に起きた日本の大きな地震に宮城県沖地震(1897年)というM7.4の地震があります。その写真かどうかはわかりません。 葬式 ▲ 彩色のせいもあるだろうけど、なんかむしろ華やかな感じで。石橋喜久さんという方の葬儀みたいですね。 路上の花売り ▲ 当時だったら、この仕事をやりたいですね。お客さんも女性のほうが多そうだし。彩色のせいなのかもしれないですが、何だか、今の花屋よりゴージャスに見えます。 なんかこう・・・他の写真も含めて、全体的に「女の子(若い女性)が大事にされている」という感じをすごく受けます。 あと、人々が表情を無理に作っていないあたり(無表情に見える)、実は緊張していない生活していたことを想像させます。 緊張した生活の中では、人は写真を向けられると笑ったりポーズをとったりしがちです。 現代の写真の多くの人々は写真で笑っています。 表紙 他は、こちらにたくさんあります。 |
(もも いちたろう)
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