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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

時事105神示

一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ(黎明編 Mail.3311)

千成さん記
  • 以下の帖に少しわかりにくい部分があります。


    お神山(やま)作る時は、何方(どちら)からでも拝める様にしておけよ。一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ。

    神山(やま)というのは、サイトやブログのことだと、今までの解読から見えていました。

    ということはお神山(やま)作る時は、何方(どちら)からでも拝める様にしておけよ。 とは、 サイトやブログを作る時には、皆が拒否反応を起こさないように、一方的な情報を入れずに作れよ、と言っていることになります。

    太陽(ミロク)さんは <むりやり楽しいお話も良いのかも!・・・・超高度成長下の日本です。> のようにすばらしい内容をまとめておられます。

    そのほかに<美しき日本・神が愛した日本・・・・・>などのロマンチックな内容も紹介してくださっています。

    その他の科学的な考察はみなさんご存じです。

    それなのに、ネット世界でなかなかとりあげてもらえないようです。

    「なんでかなぁ、」と考えていたら 一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞという行が目にとまりました。

    一方からというのは、何かサイトに一方的なバイアスがかっている、という意味なのでしょう。

    太陽(ミロク)さんは 今まで ももいちたろうというHN で貴重な情報をまとめられているのに、わたしが勝手に 太陽(ミロク)という HNにしたことがいけなかったようです。

    このHNを見て宗教だと思われて今までは一般から避けられたのかも。

    そのことについて 一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ。 とここで警告しているような気がしてきました。

    これからは太陽(ミロク)さんのご自分のHNであるももいちたろうに戻したいとおもいます。

    これについては、現在当サイトを見てくださっている方々はカウンターから約600名おられるようですが、それらの方々は、太陽(ミロク)というHNのほうが慣れていて何ら異論は無いと思いますが、太陽(ミロク)さんの科学的な情報を世間に紹介するには ももいちたろう でないとダメなような と思えてきました。

    そのことを含めて何もかも変へて仕舞ふと申してあろうが。と言っているのかもです。


    ひふみ神示 第十一巻 松の巻 第二十一帖(312)

    昭和二十年七月七日、

    旧五月二十八日(1945年)

    九月八日からの祝詞は初めに、

    ひとふたみ唱え、

    終りに百千卍(ももちよろず)宣(の)れよ。

    お神山(やま)作る時は、何方(どちら)からでも拝める様にしておけよ。一方から拝むだけの宮は我れよしの宮ぞ。何もかも変へて仕舞ふと申してあろうが。

    神徳貰へば何事も判りて来るのざぞ。

    要らんもの灰にするのざぞ。

    息乱れん様にせよ。

    七月七日、

    アメのひつくのかみ。




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