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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

時事128予言

神託●神託の記録と検証2011/10/26(黎明編 Mail.3447)

千成さん記
  • 内海新聞情報です。


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    神託●神託の記録と検証2011/10/26

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    ★2011年10月20日に神社で受けた神託

    神託には私が問いかけて神が答えるものと、向こうから一方的にサラサラ流れ落ちてくるものがあります。

    これは後者です。

    (内海君)はだんだん動物と話せるようになる。

    向こうから話してくる。

    動物と同じ様な位置に降りてくる。

    人間だとできない。

    動物は優しいよ。

    赤ちゃんも同じ。

    向こうからわかる。

    もっと(意識が)通りやすい。

    (意識が)通じやすい相手を直感的に選んでいる。

    人間は魂の目を閉ざしている。

    見えるもの、聞こえるものが、見えなく、聞こえなくなっている。

    人間が動物に接するとき、防御が入るので相手も身構える。

    動物も気を察知する。

    防御していない人には、向こうからしゃべったり、親しんでくる。

    そういう接触は無害。

    多くの人は、そういう態度(防御)をとるので。

    防御というのは攻撃。

    (人が愛を得ようとする態度について)物事を好きになるのは、行動によって愛を得ようとしている形。

    形式的なものに埋没して、愛を得ようとしている。

    (これは、何を言っているかというと人を愛するという場合、たいていは「私はあなたが好きです、愛しています」と恋人に言っていますよね?それは愛していないということです。

    本当にその人を愛していたら、言葉はいらないということです。

    防御しなければいいのです。)

    心を開いて、防御しなければ相手(動物とか)も襲おうとはしない。

    「世界が愛に満ちている」というのは、そのこと。

    人間は防御しようとする。

    防御があるから攻撃がある。

    巨大な防御は、巨大な攻撃を生む。

    人間が自然といっている、この空間、満たされているすべてのものに対して、人間は防御しようとしている。

    それゆえ、愛は憎しみになってしまう。

    防御しなければ、愛に満たされる。

    われわれが自然と言っているのは「愛に満たされた世界」です。

    自然と会話すれば、防御しなくていい。

    満たされている愛に対して、防御しなければ一緒になれる。

    人々が愛を求めるのであれば、防御しないことです。

    (どの宗教でもいいのですが、キリスト教で充ててみますと)イエス=キリストの言う「すべてを受け入れる(許すですかね?)」。

    すべての存在を受け入れる。

    防御すれば恐れが生じる。

    防御がとれてきた人は、すべての物質・空間と話ができる。

    向こうから話しかけてくる。

    (人々は)多くの防御が、正しいことと思っている。

    (これは、われわれが近代科学で人間と自然を対立してわけ隔てて考える思考法、人間とその他生物、物質とか、分けて考えて行動しようとする、およそすべてを指しています)

    それが、新たな対立を生んで、多くの憎しみ、恨みに変えていく。

    よりいっそうの防御は、よりいっそうの破滅、破壊をもたらす。

    今、もし滅亡すると思っている人、逃れようとしても防御を進める人は生き残れない。

    人間にとって正しいと思っていたことが間違っていた。

    動物、植物は防御していない。

    だから地震を予知できる。

    インディアンとかアイヌは(愛)を知っている。

    神社でやる地鎮祭とかはその名残。

    神道は自然と対話している。

    防御ではない。

    (神道では山や自然に偏在する神様を恐れ、お伺いをたてます。

    それは古代の人が神道においてこの世界に満たされている愛=神を「知っていた」からです)

    自然を知りたいという人は、防御しなければいい。

    「共存」は間違っている。

    都合のいい考え。

    仲間と認めていない。

    (共存というのは、防御を前提にしている。 常に人間と他をわける(=防御する)考えだからです)

    向こうは防御に対して、防御している。

    人間の集落が始まってから、防御が始まる。

    遊牧民はあんまり防御していない。

    すべての生命は愛の中にある。


    ★2011年10月22日に神社で受けた神託

    いずれ天変地異がきて(お金は)無価値になる。

    (内海君)は今もっているものを手放せばいい。

    あなたには必要ない。

    純粋無垢な魂に戻る。

    透明で光り輝く水晶。

    すべてを捨て去ると魂は光り輝く。

    水晶は魂と非常に似ている。

    魂は光。

    光を浴びて光を出しなさい。

    UFOが山の間を飛んでいる。

    別の星を見に来ている。

    新たな生命が生まれる。

    きれいな星。

    地球での反省を生かして別のものを作っている。

    再びそこでやり直そうとしている。

    この地球の失敗はもうすぐ清算される。

    放置による自滅。

    進化はない。

    人に愛を注ぐのはムダに見えるでしょう。

    功利的に思うとムダになります。

    ムダというのが投資なのです。

    (これさらりと言っていますが、すごい重要な考えだと私は思いました。)

    私たちが会話で「それムダ」というとき、そのムダはムダではないのです。

    あなたが投資した失敗は誰かの成長になっています。

    誰かのためになってよかったと思ったら違う運命が開ける。

    常に誰かのためになっている。

    いずれ大きな愛とか感謝になって帰ってくる。

    失敗だとかムダだと思うとよけいよくない。

    人の役に立っている。

    いずれ返ってくるので心配要らない。

    大きな甘やかしを受けた人は、誰かに放出して巡っていく。

    (大きな甘やかしを受けた人=金持ちの息子かもしれませんし、大富豪かもしれない。 でも彼らがムダに放出したもの。 それは彼らの亡きあと、すてきな美術や公園になっていませんか?)

    (内海君:小市民)





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