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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

天空編情報天使のつぶやき

終末と太陽の検証

刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き (天空編NO.9966)

太陽のコメント

9962(2012年の黙示録) の中に聖書の予言のダイゼストがあった。
これを読んでいたら、

「・・・その時、多くの売国奴的な日本人が日本から出ていく・・・・」

という予言を思い出した。

ひふみの予言では

その前にガタガタにされて、世界の軍隊から攻撃を受ける

と予言されている。
毒麦の毒で良い麦が駆逐されるその一場面の現状を
9956においてtenten氏が嘆いていた。
そこで、その状況を少し(マタイによる福音書・13章26〜40)から要約してみよう。

人類が生え出て成長・科学的な文明の進化をすると、同時に毒麦(裕福層と呼ばれる我良しの人々)もあらわれてきた。
これらの我良しの人々を集めて抜き取ろうとしても、良い人々も一緒に抜き取るかもしれない。
ならば、成長した人類を収穫するまで、両方とも育つままにしておけばよい。
成長した人類を収穫する時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にしてUFOで焼き殺し、良い麦の方はUFOで集めて倉に入れてくれと言いつけよう。
収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使いたちである。
だから毒麦が集められてUFOの火で焼かれるように、世の終わりにもそのとおりになるであろう。

日本から逃げ出すと予言された売国奴的な毒麦たちは 逃亡地として米国を主力にするであろうと思う。
このことは 日本以外においても同様であろう。
そうすると、毒麦は 自然と集まっていく。
そして、
「刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、」、
焼き払い易いようにして、処理するということである。
(マタイによる福音書・13章26〜40)の予言が正しいとするのなら、現在は 毒麦も良い麦も、弁別し易いように収穫し易いように放置して勝手に育つのを待っているということになる。

ひふみでも云うがごとく、

「毒麦も抱き参らせる」
=毒麦の存在も許す
=良い麦が毒麦の毒牙にかかり苦しむことも許す
=それでも良い麦は 毒麦の毒に苦しむであろうが成長もするから良い教材であるとも言える

tentenさん!
何かを理解していだければ幸いです。

ただ、そのとき用済みになる毒麦は 集められて焼き殺されるとのことである。
きっと、米国は 刈り取る者に敢然と戦いを挑むのであろうと思う。
それが、都市攻撃と呼ばれる戦いで、焼き払われて・焼き殺されてしまうのでしょう。
ならば、その前に毒麦たちにガタガタにされ疲弊した日本は 都市攻撃の対象としての価値を喪失しているのかもしれません。
毒麦の毒牙にかかり、疲弊した良い麦は 焼き殺すにも値しないのかもしれません。
ということは、毒麦たちが逃げ出した日本の良い麦はガタガタになり疲弊していても焼き殺されず生き残るということを示唆しているのかもしれません。
今は その為の過程であるのかもしれないのですから、ただ冷静にに事の成り行きを見ている他はないのです。

次ぎも参考になるのではと思います。

{富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうが、もっとやさしい。(ルカによる福音書・18章25)
愚か者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物はだれのものになるのか。(ルカによる福音書12章20)
富んでいる人たちはわざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
今満腹している人たちはわざわいだ。飢えるようになるからである。
今笑っている人たちはわざわいだ。悲しみに泣くようになるからである。
(ルカによる福音書6章24〜25)}


9962(2012年の黙示録)

●ゼカリア書によれば、「終わりの日」には全地から三分の二の人が断たれ、三分の一が生き残ると述べられている。 聖書はハッキリと次のように述べている。

芽が生え出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。――毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかもしれない。収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれと言いつけよう。

 収穫とは世の終わりのことで、刈る者は御使いたちである。だから毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそのとおりになるであろう。(マタイによる福音書・13章26〜40)

 日本の現状はどうだろう。新聞に連日のように報道される政治家たちに代表される動物にも劣る恥知らずな行動。それらが日本人の民意を代表する人間の顔かと思うと、情けなさに目を覆いたいばかりである。

「武士は食わねど高楊枝」の日本人特有のサムライ美学はどこへ消えたのか。それどころか、仏教でいう「餓鬼道」に堕ちた人物ばかりがばっこしている。おそらくこのままでは「終末」が起こらずとも日本の没落は必至だろう。それほど日本人の品性は堕ちるところまで堕ちている。世界を救う人物が日本から出現するという人もいるが、とうてい今の私には信じられない。

神界から日本の現状を見ると、上位と下位の霊位が完全にひっくり返っているという。

●日本の将来が悲観的という理由を大別すれば、3つある。

 1.日本民族としての真の宗教がない。(民族としての哲理が存在しない)

  日本人には真の宗教というものはない。仏教(お盆)や神道(正月)に由来する行事もあるが、すべて形式的なものである。

 以前は道徳観念などを親や学校が教えていたからまだよかったが、いまや日本人として有すべき最低限の民族哲理さえ存在しないし、それが日本人全体の節制のなさにもつながっている。

 クリスチャンでもないのにクリスマスやハロウィンを祝ったりする程度は罪はないが、これほど節操のない国は地球上のどこにも存在しない。人はどう在り、どう生きるべきかという民族の美学が存在しないから、政治家や官僚たちが国会喚問でも平気でウソをつく。

 この世に生まれてきたからには、人を押しのけ、人より良い暮らしをして、精一杯おいしいものを食べて快楽を追求しなければ損という「旅の恥はかき捨て」的な日本人がいかに多いことか。

 2.富んでいる。

 いまの日本人なら「富むことがなぜ悪いのか」と言うだろう。戦後の日本人すべてが国をあげて「富む」ことを最大の目標にしてきたからである。

 聖書は明確に次のように述べている。

  富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうが、もっとやさしい。(ルカによる福音書・18章25)

  愚か者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物はだれのものになるのか。(ルカによる福音書12章20)

 人間には錯覚がつきものだが、中でも「今の状態は永遠に続かない。自分が必ず朽ちる(死ぬ)」ことを忘れている人があまりに多い。

 生まれてきた時は裸で、死ぬときも裸。土地や財産や権力などすべて神からの一時的な借り物で、自分の所有物などは何一つない。妻や子供、自己の肉体すらそうなのである。

 なのに貴重な生を無為にすり減らし、富と権力を得ようと狂奔している日本人のなんと多いことか。日本の1人あたりのGNPは世界一。世界から収奪した資源の浪費も世界一。おかげで東南アジアの森林がはげ山になった。アフリカでは飢えで人が毎日死んでいるというのに、これでは終わりの日でなくても、必ず日本は没落するであろう。

  富んでいる人たちはわざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。今満腹している人たちはわざわいだ。飢えるようになるからである。今笑っている人たちはわざわいだ。悲しみに泣くようになるからである。(ルカによる福音書6章24〜25)



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