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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

<警告碑は黙して語らず、ただただ、警告するだけ!>
天空編11827

http://slicer93.real-sound.net/0-hl-space-11827.html
(2011/04/01)

  • ロックさんのメール

    ロックです。
    こういう記事がありました。
    日本でもこういう石碑があったのですね。
    歌のようになっている辺り、ひふみとの関連が気になるところです。

    重茂半島 石碑の警告を守り津波被害免れる
    テーマ:社会
    「此処より下に家を建てるな」――。
    東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。
    1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。
    「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪」
    本州最東端の●ヶ埼灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。
    結びで「此処より――」と戒めている。
    (●は魚へんに毛)
    地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。
    昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。
    その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
    地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。
    巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。
    地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。
    先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。
    (読売新聞)


    ほかにも徳島県などにもあるようです。

     http://www.jma-net.go.jp/tokushima/tsunamihi/tsunamihitop.htm



  • 太陽(ミロク)さんのメール

    <警告碑は黙して語らず、ただただ、警告するだけ!>

    ロックさま
    いろいろのところで警告碑があります。
    また、過去、何度も津波に襲われ警告碑があるにも関わらず多くの津波による土左衛門となった方たちが出来ることを繰り返し繰り返し経験している所もあります。
    下記の旭市は 何度も襲われたのに、その対策をしなかった市です。
    私は この市の周辺を昔アルバイトで通っていたことがありました。
    そのとき、ここは 津波に襲われたら一発だなあ~と思いました。
    また、昔、住居の移住場所を探して、関東をドライブしていた頃、九十九里の海浜を通過しながら、ここも津波に襲われたら一発でお終いだなあ~なんて思っていました。
    海浜は 平和なときは極めて良い環境なのですが、一度荒れ狂うとどうしょうもありません。
    当時は その近くの高台なども探して廻った物です。
    ただ、どんなに警告碑が子孫に残されたとしても、その警告碑を尊重するかどうかは、子孫達の責任です。
    ですから、きついことかもしれせんが、今回、多くの方たちが命を失いましたが、それは自業自得です。
    もし、私が、下記の旭市の海浜に住んだとしたら、直ぐに津波対策がないことに気が付き、騒いだでしょう。
    そうすれば、よそ者が!と直ちに村八分になって住めなくなったでしょう。
    「土左衛門になってもしょうがない」としか言いようがありませんし、ただただ、どうしょうもなく津波にさらわれていくのを、それを嘆き悲しみ叫ぶのを、ただただ見つめているほかはありません。
    今回の地震は 貞観の大地震の大津波と同じものですから、この津波は 約1000年くらいの間隔で発生していることが分かります。
    近代の気象庁などの観測システムで観測されたのは初めてで史上最大かもしれせんが、歴史的には 記録されたもので珍しくも無い出来事です。
    「ただただ白ける他はありせん」
    話は 変わりますが、私は 約12500年位の間隔で発生する「ノアの大洪水他のことをHPにしました」
    このHPは これらの警告碑になぞらえても良いでしょう。
    この警告碑を見ても無視する方たちもいるでしょうし、そんな不吉な内容は 知りたくもないと言い張る方もいるでしょうし、否定・揶揄するかたたちもいるでしょう。
    要は この警告碑をみて、高台に家を造るか造らないかは その方の判断だからです。
    高台に家を造ろうとする方もいるでしょうし、今住み良い所に家を造る方に分かれるでしょう。
    そして、大津波にさらわれ土左衛門になったとしても「しかたないですね」と、たんたんと見るしかないのです。
    可哀想なのは その津波で肉親・友人などを失い悲しんだいる方たちですが、これは その方が生き残るべく選ばれた方たちであることを認識すれば苦しみも多々あるでしょうが慶賀の至りでもあるのです。
    ですから、どのようなことがあっても「警告碑」は 「警告が不必要になるまで、ただただ警告碑として、あえて勧誘や強く語りかけることもなく、草深くなっても黙々と立ち語る必要がある」のです。
    そして、ひふみで言うところの型示しとも言えますので、今回の地震と津波のその顛末は 我々が経験する雛形であるとも言えそうです。

    <千葉・旭市への津波増大、遠浅の海底地形が要因>

    読売新聞 3月30日(水)10時47分配信

    東日本巨大地震で、千葉県旭市では沖の遠浅の海底地形が津波を大きくし、762棟が全半壊、13人が死亡、2人が行方不明と甚大な被害をもたらしたことが、東大地震研究所の都司(つじ)嘉宣准教授の調査でわかった。

    都司准教授によると、津波の速度は深いほど速いが、遠浅の地形にぶつかると、そのエネルギーが増大する。

    その結果、目の前に遠浅の海底が広がる旭市の被害が大きくなり、沿岸の海底が遠浅でない西隣の銚子市(全半壊が26棟、死者なし)と、被害に大きな差が出たとしている。

    調査では、特に旭市飯岡地区の被害が大きく、矢指川入り口の砂丘には高さ7・6メートルまで津波が到達した痕跡も見つかったという。

    同地区では1960年と2010年のチリ地震で、3・7メートル、1・5メートルの津波を記録している。

    (もも いちたろう)





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