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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

ノア−の大洪水情報 NO n340005

−−−−コメント 2012/12/27−−−−

{新34_ノア−の大洪水_ポ−ルチェンジ_地極回転_04}
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0706:世界の終わりから逃れたい?:ノアの大洪水の検証が一歩+α前進:それでも大地は動く:動画にトライしてみませんか?::期日の修正あり:「ノアの箱舟」の準備は よろしいか!?
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コメント:
 先に、大地は動くY
http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/newmurmur_db/n340001/n340006.htm
において、下記を案内した

{・・・・
これによると、本当の期日は
マヤ長期暦では 西暦2015年09月03日(木曜)
エジプト暦では 西暦2015年09月23日(水曜)
となるそうです
換算値では二十日ほどズレが出ますが、西暦2015年09月の大枠ではおおむね一致していることには変わりありません
・・・・}
この計算の根拠は 下記の内容に基づいている
{・・・・「世紀の計算ミス」の内容を大まかに説明すると、マヤ長期暦の1周期を約5000年としてグレゴリオ暦に換算した場合、4年に約1日増える“うるう年”を計算に入れていなかったというのだ
つまり、5000÷4=1250日もの誤差が出ており、誤差を修正すると、マヤ長期暦の終わりの日は、西暦2012年12月23日から1250日後の2015年9月3日になるというのである
・・・・}

原典によれば上記のようになるが、これをみて少しおかしいことに気がつかれると思う
エジプト暦では秋分となるから、これは計算にミスがみつからないと思う
ところが、マヤ長期暦がおかしいのである
1日であるキン、
20キンの「月」であるウィナル、
18ウィナルの「年」であるトゥン、
更に20トゥンを1カトゥンとし20カトゥンを1バクトゥン
とする単位で構成され結果として187万2000日(13バクトゥン、グレゴリオ暦の365.2425日で除すると約5125年)の周期となっている
気づいたかたもいると思う

上記のマヤ暦サイクルを5000年としているが、5125.3619年である
そこで、この数値を用いて計算すると次のようになる
5125.3619÷4=1281.3404日

ここで、400年の長期の閏年を減算しなければならないから
5125.3619÷400=12.8134日

そうすると、西暦2012年12月23日から1250日後ではなくて
1281.3404日−12.8134=1268.527日
を基準にしなければならないことが解る

先の原典の計算値の修正は次のようになる
1268.527日−1250日=18.527日

そうすると、2015年9月3日ではなくて、次のようになる
2015年9月3日+18.527日=2015年9月21.527日

修正値の比較は次の通りである
マヤ長期暦では 西暦2015年09月21.527日(火曜)
        西暦2015年09月22日(火曜)
エジプト暦では 西暦2015年09月23日(水曜)
先の原典での計算では二十日間のズレがでたが、マヤ長期暦に基づく修正値では計算上一日のズレとなった
マヤとエジプトは地球の反対側の関係になるので、時差を考慮すると、ほとんど同日という結論になる

問題は フィラエ島のイシス神殿の情報はあるが、この計算の根拠になっている神殿の神々の逸話の原典が見つからないことである
もし、ご存知の方がいれば連絡いただければ助かります

なにせ、地球の裏表、で同じ年と月日が一致して予言しているわけですので・・・少し唸り感動しています

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 先にロックさんから、地球儀をつかったポ−ルチェンジの動画の試みを送っていただいたが少し見にくいのでとコメントしたら取り付け器具の無い地球儀の新しい画像が送られてきた
良く撮影されていたが、背景があったので、これを隠せるとなお良いとおもった
私がゴミ袋などに使ている「大型の黒いゴミ袋」を使って、背景とお皿を隠したら理想的と思った
この「大型の黒いゴミ袋」は 市販されていて、ホ−ムセンタ−などで安価に販売されているので使われたらどうだろうと思った

また、動画の制作で検索すると性能制限であるが無料の動画制作ソフトが多数掲載されていた
もし、ロックさんのPCがWINだと使えるかもしれないと思った

「動画制作ソフト」で検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8B%95%E7%94%BB%E5%88%B6%E4%BD%9C%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

−−−例えば−−−
動画の作り方 - ニコニコ動画まとめwiki
ActionScript- Encode_tools- GameCam

2012年12月5日
−有料の動画作成ソフトもあれば、無料のお手軽ソフトもあります
「10万くらい払っても ...動画作成に役立つソフトウェアのリストは動画作成・エンコードのためのソフト集にまとめ てあるので、そちらも参考にして下さい
このページに限らず、 ...

nicowiki.com/howtomovie.html

−−−
 もし、地球儀を持っているようでしたら、次の方法でも大凡の様子がイメ−ジ出来ると思います

地球儀を手回しします
そうすると、慣性で自転していると思います
放置していると少しずつ自転速度は減衰していき、最後には停止します
この慣性自転している間に、地球儀を一定速度で横転させます
この横転角度が大凡135度になるとき、地球儀の自転が停止するようにします
少し繰り返して練習すれば、大凡一致出来るとと思います

これから少し面倒ですが、横転を続けますから、地球儀は逆さまにして、4分の1くらいの横転速度で180度になるまで横転を逆立ちするまで続けます
180度になりましたら、横転は停止です
少しやりにくいかもしれませんが、地球儀の自転を従来の回転方向と逆・逆転の方向に少しずつ回転速度を上げながら加速回転をさせます
逆転の速度は 回転方向こそ最初の方向と逆ですが、同じくらいになるまで増速させ一定になるようにします
この最初と同じ自転速度になるタイミングが、180度となり横転が停止した時期になります

もし、手が放せて、地球儀を離れて見れるようですと
地球は 従来と逆さまに、地球儀の絵を見ればなっていることに気がつきと思います
そして、地球が従来の方向と同じ速度で自転している姿を見ると思います

もし、この現象の以前に宇宙旅行に行き、この現象の後に地球に帰ってくると「あれ〜!地球の自転の速度も方向も同じなのに陸地のデザインが逆さまになっている」と驚くことになると思います
なお一層、地球を出発したときの都市などは消え失せ、ひふみではありませんが「泥芥どろあくた」に充ち満ちた原野となりはてた地球に驚くことになります

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少し、動画など作成するときの参考に

巷では 3時間とか3日間とか噂されている
しかし、これらの期間は短すぎて?が出てくる
なぜなら、
ポルチンジする距離は 地球半周であるから大凡20000kmである
そうすると、移動速度は次のようになる
3時間の場合、20000km÷3h=6666km/h音速を遙かに超える速度となる
3日の場合、20000km÷(24h×3day)=278km/h新幹線なみの速度となる
これが実現されると地表面はかなりガタガタになるが、それらしい過去の形跡も見当たらない

そこで、これらの数値は採用しないで、調査して推算した半年・およそ180日間を使うことにする
−−−
問題の2012年12月21日は 冬至であるから、太陽−地球の線上では 自転軸は外太陽系の方向に傾斜していることになる
この日に噂のボ−ルチンジが発生して、その原因がニビルまたは惑星Xであるなら、本日は 2012年12月19日であるから、その前兆・姿がたとえステルス惑星であったとしても何かが目視できて騒ぎになっていなければならないが、それらしきものの情報がみられない

もっとも、惑星Xを探査する為の活動をNASAの皆さんたちは 頑張っているが、もし、2012年12月21日であるのなら観測どころで無く観測放棄して逃げたしてもおかしくない
しかしながら、本格てきに逃げ出している様子もない
最高の観測システムで調査しているのであるから、見つけているのであるのなら既に捕捉して軌道パラメ−タなど算出し、地球とのニアミスの期日などを推算しているはずである
ということは ここしばらく危険でないということのようである
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それはそうとして、巷では2012年12月21日で盛り上がっているようであるから、このときに地球に接近しボ−ルチンジを起こすと仮定してしてみることにする
この2012年の冬至の日か、2013年・2014年・2015年・・・・の未来の冬至の日にボ−ルチンジが開始する物とする

そうすると、次のことが解る

開始日を冬至頃とすると、停止日は 約半年間であるから夏至頃となる
このことは 地球の公転関係から起動する原因が冬至の短い期間にあったと考えざるを得ないことになる
何故なら、半年後の地球は 太陽の周りを公転して、太陽の裏側へと回ってしまうことになるから、その力は 地球の公転と同期してUFOのように移動しない限り継続出来ない
従って、冬至の前後数日の超接近によって、惑星Xの地球への引力が最高になりボ−ルチンジを起こすと考えると良いことになる

−−−
2012年の冬至の日は 承知のごとく不可となった
そうなると、2013年・2014年・2015年すもと言うことになるが、マヤの長周期暦の換算ミス説が現れ、2015年の秋分・・・・9月22日23日・・・・と言う有力な期日が指定された
そうすると、2015年の秋分9月22日23日であるから、地球のポ−ルチェンジは 「2015年の秋分→2015年の冬至→2016年の春分」ということになる

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地球のポ−ルチェンジの動画が出来たら、次の動画が出来るともっと様子がわかるようになる

「黄道面上で太陽の周りを公転しながらポ−ルチェンジで滑り回転している地球の動画」

なんとなれば、このポ−ルチェンジで滑り回転している周期の最小公倍数は 12500年±15%です
そうすると、この現象は一過性の現象でなく、周期性をもった現象ということですから、その原因を絞り込むこと容易になります
その候補の一つがステルス惑星の惑星Xです
地球とニアミスするのは 予言によれば「太陽=月=惑星X」となる大きさに見える条件にあることになります
その特殊な軌道から、ニアミスの周期性の条件を満たしますし、海底に残る磁気反転の縞模様の不均一性も、ニアミスがポ−ルチェンジを地球に起こす条件の斑(むら)として理解できることになにります
ので、「太陽=月=惑星X」となったと仮定した動画が出来ればなお分かり易いとなります
ただ、ステルス惑星の惑星Xと噂のニビル周期性が異なることです
惑星Xは 12500年±15%
ニビルは 3200年〜3500年くらい
この矛盾を解くには ニビルが三サイクルに一回の頻度で地球にニアミスしていると考えるとステルス惑星Xとなりますが、現段階では 情報不足と確認が取れませんので検討事項ということになります

===NO n340005:参考文献の目次===

001:0698] かなりはしょってますが:ロック:
002:0699] Re: かなりはしょってますが:ロック:
003:遠隔透視、ニビルとキルショット:エド・デイムス元少佐:2012年11月02日:
004:「宇宙人は存在する」=ロシア首相が発言、ネットで物議:12月18日(火):
005:マヤ長期暦:
006:グレゴリオ暦:
007:古代エジプトの暦(2)−歴史から見た古代暦:
008:フィラエ神殿:
009:イシス神殿・フィラエ島:

−−−−−−−−−−−−−−−

===NO n340005:参考文献の目次詳細===

===1===============

0698] かなりはしょってますが:ロック:

ロックです
お疲れ様です

地球儀にスタンドをつけた形のものでは、なかなか撮影しながら角度を揃えるのは難しいので何かないかなと思っていたら、スタンドについていないタイプの地球儀がありまして、それにカポっと乗っかる皿の上に乗せたら、縦回転でも横回転でも、周りの長さを測りおよその長さであるなら、地球儀に印をつけて少しずつ回しながら撮影もできるかなと思ったところです

写真はかなり乱暴ですが12分割して少しずつ縦方向に地球儀を回したものを撮影してみました
こういうものが、いちたろうさんの出したデータに近く連続で再生再現できればいいのですよね

ササさんならば、プロの写真家でもありますので、連続撮影はお手の物だと思うのですが^^;;

回してはセッティングして撮影となると、昔のアニメを制作するがごとく地道にするしかなさそうです

ひとつのフォルダに入れて、動画で並べておけば動画は次々と自動再生して個人的には見ることはできそうです

やはり再生ソフトがあるといいですよね
アナログな自分には難しそうです
とほほ、、、


戻り


===2===============

0699] Re: かなりはしょってますが:ロック:

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
何かヒントがないかなと諸世紀の表紙を見ますと、地球儀をスタンドで持っていますね

想像その1
 鳥は地球かごをいじる惑星Xか二ビルか何かでしょうか?
地球儀の斜めに走っている帯のようなものは、地球儀のスタンドに乗っているタイプのものだと、ポールシフトをイメージして地球儀を縦方向に回転させた場合に軸が正反対になり表紙の図と同じ傾きになることに気づきました
となると、

想像その2
☆の形をしたものは、惑星直列につながる太陽から月までの星のことを表しているのでしょうか?

想像その3
太陽と月には顔が書いてあるので、そこにも諸世紀の言う人間の太陽のことと月のサタンのことなのか二つの意味が重ねてあるのかは定かではありませんが、そんな風に思えます
鳥が何を意味しているのか、気になります

想像その4
地球儀を持つ手が何を意味するのか、羽をつけているあたり王のような存在の腕なのか、または鳥とその王の腕としてその時飛来する王の鳥を表しているのでしょうか

表紙は今見ると、ポールシフト以外の何者でもないことを示唆しているように思えます


戻り


===3===============

遠隔透視、ニビルとキルショット:エド・デイムス元少佐:2012年11月02日:

http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51834079.html

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エド・デイムス元少佐

この人は、昔に米陸軍リモートビューイング部隊にいたエド・デイムス元少佐という方です
リモートビューイングとは、日本語のいわゆる「遠隔透視」という能力のことであり、この米陸軍リモートビューイング部隊は、この遠隔透視能力を使ってソビエト国内の核ミサイル基地の配備状況を透視したり、地下秘密基地の存在を発見したりと、冷戦時代の情報戦に大きく貢献をしたようです

そして冷戦終了とともに部隊は解散されましたが、その中の代表的なメンバーの一人であったエド・デイムス元少佐は、その後もリモートビューイングを活用した様々な情報を世に公開しており、先月中旬頃には最新の情報を公開しました

その詳細について、執筆や講演活動で大人気の高島康司さんのブログ「ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ」で掲載をされていたので、以下に一部を転載させて頂きます

霊能や超能力の情報をすべて鵜呑みにするつもりはありませんが、そこで出てきた情報の中には「宇宙連邦」「善悪の宇宙人」「キルショット」、そして「ニビル」のことなど、非常に興味深いものもいくつかありました

−−−
ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ
デイムス少佐のリモートビューイング最新情報

10月16日に公開されたデイムス少佐のリモートビューイング最新情報だ
今回の内容はぶっ飛んだトンデモ系情報だ
ただ、内容は非常におもしろい
それぞれテーマに分けて掲載した
−−−
異次元の生物

・ これまでリモートビューイングでは、地球と人類の過去の歴史についてはあまり遠隔透視の対象にはしてこなかった
なので、いま私の最大の関心事はこの分野にある

・ 地球と人類の大昔の歴史をリモートビューイングすると、そこには明らかに「宇宙連邦」という存在があることに気づく
いま私はUFOが目撃されたような場所に出向き、そこでリモートビューイングを行って、過去に何があったのか明らかにしている

・ 1980年代のリーガン政権のとき、私は空軍が実施したUFO調査のためのプロジェクトのメンバーだった
そのときには、空軍のパイロットが経験した実に奇妙な出来事の記録が多数あった
しかし、こうした情報はすべて極秘だったので、話すことが許されていなかった
私はもっと自由に話したいと思い、このプロジェクトを辞めた

・ 「宇宙連邦」の地球外生物は、かなり以前から人間にまみれて存在している
彼らは地球上にいる人間の協力者と一緒に活動している
こうした人間たちの素性を明らかにすることにいま私は関心を持っている

・ 地球にはUFOが着陸する巨大な地下施設が存在する
同じような施設は月や火星にもある
しかし、このような施設の他に、地球の表面には、地球外生物の司令部のような施設が存在する
こうした施設は、人類ではあるが他の惑星からやって来た人々が運営している

・ 最近、ミニットマンミサイルにビームが発射され、軌道が逸れるという事件が起きたが、このビームはこうした施設から発射された

・ 彼らの外見は人類とまったく同じで、我々と同じものを食べている
彼らの作戦を遂行するためには、エネルギーも電気も必要だ

・ だが彼らは、高度な知性を持つ別の存在と関係している
この別の存在は、我々の概念とはまったく異なり、非常に進んだテクノロジーを持っている
25年前、私はこの存在をリモートビューイングしたことがあるが、彼らはある機関に所属していた
彼らは地球外生物でもなければ、また地球上の生物でもなかった
・ この存在は異次元からやってきた存在である
彼らはこちらとあちらの2つの異なる次元に同時に存在することができる
彼らを一度カメラで撮影することに成功したこともある

・ リモートビューイングで彼らをとらえることは可能だが、表現のしようのない存在だ
リモートビューイングでは、人間が認識できる範囲の存在しか理解することができない
例えば、完全に盲目の人がリモートビューイングし「赤」という色を見たとすると、この人は「赤」を経験したことがないのでそれを表現することができない
それと同じように、この異次元の存在は我々の経験しているどの存在とも根本的に異なっているため、表現することができない

・ 彼らは我々人類にとっては善の存在である
彼らは人類を観察するだけではない
地球上に存在するすべての核兵器と格納場所を熟知しており、それらの機能を完全に停止することができる
彼らは、人類が自らを破壊しないように、すでに直接的に介入しているのだ
1954年以来、数回全面的な核戦争が起こってもおかしくない危機的な状況があった
その都度核戦争を未然に防止したのは彼らである

・ 彼らの防止の方法は極めてユニークだ
発射されたミサイルを打ち落とすというような物理的なものではない
たとえば海上からの核ミサイルの発射であれば、ミサイルが発射される前に、乗船しているすべての人間の意識を一瞬で遮断し、ミサイルの発射を不可能にさせてしまうというものだ
そして、彼らは絶対に人間を殺すことはない

・ 私は彼らの行っていることを支持している
そして、私が彼らの存在に気づいていることを彼らも知っている

・ またこの存在は、どんな姿や形にも変えて現れることができる
グレータイプにもなることができるし、そうではない形になることも可能だ

・ 一方、こうした善なる存在とはまったく対極の存在もいる
彼らもいわゆる地球外生物ではない
異なった次元からやってきた存在だ

−−−
キルショット、ニビル星

・ ところでマヤカレンダーと、私がかねてから警告している「キルショット」と呼ばれる巨大太陽フレアの放出だが、これと12月21日の終わるとされているマヤカレンダーとは、ほとんど関係がない
リモートビューイングでは、2013年頃にキルショットがあると出てくる

・ 興味深いことに、私が主催するリモートビューイングの研修生でプロになった人々が、「ニビル星」とおぼしき大きな惑星が地球に接近するのをリモートビューイングしている
私も彼らと同意見だ
どうも、「ニビル星」のような巨大な惑星が地球に接近しつつあるのかもしれない

・ キルショットが放出されると、世界の各地の水源は枯れてしまうので、水と食料の確保がとても困難になる
これがきっかで水と食料を巡る国内外の闘争が激化する

・ 一方、キルショットの被害があまり及ばない地域が世界にいくつかある
そのひとつは、ニュージーランドのクライストチャーチ市だ
ここは地震多発地域なので、住民は自然災害の準備がすでにできている
うまく対処し、多くの人々が生き残るようだ

・ いずれにせよ、キルショットに準備し、この被害を最小限に止めるための時間はすでになくなった
キルショットによる崩壊は時間の問題となってしまった

−−−
エハン・デラヴィさんは、先週の講演では直接ニビルがあるかないかについては言及しませんでしたが、今の地球の様子を観察すれば、それはおのずと分かるでしょう?といったスタンスでした

1つは、ここ最近に起こっている海底の隆起現象です
特にインド・オーストラリアプレートの境界付近は、8月下旬以来、700メートル(ほぼ2300フィート)も海の深さが減少していることがわかり、世界的にも話題になっています
http://poleshift.ning.com/profiles/blogs/tsunami-buoy-53046-evidence-of-indo-australian-plate-tilting

 続いて、エハンさんが注目をしているのは、昨年の夏頃から今年にいたるまで欧米を中心に世界各地で鳴り響いている怪音です
最近では日本でも聞こえる地域があると聞きますが、聞こえた人の話からすると、この音は上空からでも地下からでもなく、空間から聞こえて来るそうです

−−−
※快音は世界に終わりを告げる天使のラッパの音?

また新約聖書のヨハネの黙示録には、「最後の審判が始まるとき、7人の天使がラッパを吹き鳴らす」という予言があり、終末である現代におけるこの快音は、世界の終わりの始まりに聞こえる天使によるラッパの音であると言う人々もいます

ただ、もっと現実的に考えると、これは地中のマントルに変化が起こっており、その振動が地中から地表へ飛び出し、それが大気層に反射して空間全体に快音を響かせているという説もあるようです

これはこれで、ポールシフトの前兆現象であって、確かに世界の終わりの始まり、今までの磁極が終わり新しい磁極が始まるという意味では、ラッパの予言も間違ってはいないのですが…

快音の正確な原因はわかりませんが、いずれにしても今までの地球には起こらなかった不可思議な現象が最近は続いているは事実です

エハンさんは、それらは一つひとつを点で考察してもわからないが、すべては繋がっており、こういった現象は何が要因によってもたらされているかをよく考えると……ということで、前述したようにおのずとニビルに関しても答えが見えてくるようです

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ところで、話を再びエド・デイムス元少佐のリモートビューイングに戻すと、今回の情報の中には巨大太陽フレアの「キルショット」の話が出ています

この話題は世界的な科学者であり、NASAとも交流が深い増川いづみ博士から今年4月に話を聞いており、その一部を記事にもご紹介したことがありました

【電磁波、そして「覚醒」とDNAの進化】
(前略)
その中の一つが先ほど紹介した「ニビル星の接近」と「太陽フレア」による影響であり、ニビル星が太陽に接近することで太陽活動が活発化されて、地球にとんでもない規模の磁気嵐が降り注がれる可能性があるようです

自分が、よく太陽フレアが発生した後は「頭がグルグルする」といったり「頭痛がする」と言ってますが、より強力な磁気が地球に来ると人間は、その磁気の影響で「気絶する」可能性があるようです
すでに磁気の影響を強く受けている赤道から遠い地域(北極・南極、北欧)では、報道はされないものの太陽フレアの影響で気絶する人が続出しているようです
そして、よりによって、この気絶した時に木星規模のサイズであるニビル星が太陽と地球の間に入った場合は要注意のようです
太陽からの光が完全に遮断されてしまうので、最悪は数日間暗闇に覆われた地球で気絶したままの状態になってしまいます
ただでさえ太陽の光が届かないだけでも地球は冷やされるのに、これが冬であったら完全に凍死してしまいます

−−−
「キルショット」という表現ではありませんでしたが、上記のように増川博士も太陽フレアの影響をかなり危惧されていましたし、五井野博士も2013年は巨大太陽フレアによって引き起こされる大規模停電、そして停電による原発の暴発が要注意と先日に仰ってました
とはいえ、万が一地球方向へと「キルショット」が発生した場合も、地球に影響がやってくるには一定の時間的猶予があり、その間に避難や準備をすれば、ある程度は気絶を防ぐなどの影響を少なくすることができます
先日に増川博士からこの件の話を伺った際には、もしも「キルショット」が発生した場合には、できれば距離の長いトンネルの中心にまで避難をした方がよいと仰ってました
本当はその中心で、さらに外界と遮断できるシェルターのような中に入るのが一番のようですが、それは現実的ではないので、実際は車の中とかになるのかもしれませんが…

今のところXクラスのフレアが発生しても、メディアは一切取り上げようともしないので、恐らく「キルショット」が発生した場合も、本当は一分一秒を争う中で対策が必要であるというのに表の世界では一切報道はされないでしょう
自分のところには、どこからともなく情報が入っては来るので、本当に避難が必要だと思われる際には、すぐに情報が出せるようには準備しておきたいと思います

ただ、気絶は免れたとしても、この磁気嵐によって大規模停電が原発大国である日本で発生した場合には、北半球、地球は放射能地獄となるで、その場合はトンネルにいるだけでは身を守ることはできないと思います

ここでもシェルターがベストですが、繰り返しのように一般人には現実的ではないので、こうなったらキレートでひたすら体外に放射性物質を出すか、DNAを進化させて放射線にもビクともしない肉体作りをするしかないということです

いずれにしても、ニビルによって隕石が海に落下しても日本の原発は壊滅するし、太陽フレアで大規模停電が発生した場合も原発は壊滅するので、来るべき日が来る前に原発を完全に無害化させて葬り去るか、人類のDNAが進化するかの究極の選択を日本人はする時期に差し迫っているような気がします

まぁ、今のところどこに逃げても無駄であり、完全に乗っ取られている我国の現状をみると原発の処理も途方もない先の未来となりそうなので、DNAの進化が一番現実的でないようで現実的なのかもしれませんが…

でも、多くの人々のDNAを進化させるというか、変化させる研究・技術開発はかなり進んでいるので、その点はあまり心配しなくとも良いかと思います

ちなみに今回紹介した高島康司さんとはプライベートのお食事会が近々あるので、予言研究の専門家に2013年以降についてを色々聞けたらと楽しみにしています


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===4===============

「宇宙人は存在する」=ロシア首相が発言、ネットで物議:12月18日(火):

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121218-00000015-jij-int

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【モスクワ時事】
ロシアのメドベージェフ首相(前大統領)の「国家機密漏えい」がインターネット上で物議を醸している
首相は今月7日のテレビ5局の共同インタビューの直後、大統領が引き継ぐ「宇宙人ファイル」が存在すると暴露
ソ連時代からの軍事・宇宙大国のトップ経験者だけに、ジョークとは簡単に切り捨てられないようだ
テレビキャスターの個別懇談に応じた首相は「あなたに初めて明かす」と前置きした上で、「大統領交代時、核のボタンと一緒に『極秘』ファイルが渡される」と発言
「地球に来た宇宙人に関する資料で、専門の特殊部隊が作成したもの」と真顔で話した
 さらに「これ以上明かすと危険が及ぶので、詳しくは(米SF映画)『メン・イン・ブラック』を見てほしい」と話すと、キャスターはこらえていたが、笑いが周囲から漏れた
主要メディアは報道を見送ったものの、映像は動画サイトに転載された

最終更新:12月18日(火)16時21分


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===5===============

マヤ長期暦:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%9C%9F%E6%9A%A6

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チャパ・デ・コルソ石碑2号
メソアメリカ最古の長期暦の刻まれている
[7バクトゥン16カトゥン]3トゥン2ウィナル13キン6ベン[18シュル](紀元前36年)の日付であるが7バクトゥン、16カトゥン、18シュルの部分が欠損しているので計算で補っている

トレス=サポーテス石碑Cの裏面

アバフ=タカリク石碑2号

エル=バウル石碑1号

長期暦(ちょうきれき、英: Long Count Calendar,西: La Cuenta Larga)とはメソアメリカ文明でおそくとも紀元前1世紀頃から使用されはじめた長期間の時を表現する暦である
一般的にマヤ暦と呼称されることもある
マヤ諸都市の石碑に刻まれていたことでひろく知られるようになった

マヤの暦全般については、「マヤ文明#マヤのカレンダー」を参照

−−−
目次
1 長期暦のサイクル
 1.1 西暦との対応関係

2 起源及び最古の資料
3 注釈
4 関連項目
5 外部リンク
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長期暦のサイクル

1日であるキン、20キンの「月」であるウィナル、18ウィナルの「年」であるトゥン、更に20トゥンを1カトゥンとし20カトゥンを1バクトゥンとする単位で構成され結果として187万2000日(13バクトゥン、グレゴリオ暦の365.2425日で除すると約5125年)の周期となっている
そのため、石碑に長期暦で日が刻まれた場合にその日を特定できるという特徴を持っている
石碑に長期暦の日が刻まれたり墓の壁画に長期暦の日付けが刻まれたりしていると、歴史学上又は考古学上の貴重な資料となる
ただし、近年騒がれている周期に終わりがあるかのような解釈については、マヤ古来のものでなく西洋的な見方であるとして否定的な見解もある[1]

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西暦との対応関係

西暦との対応については以前はスピンデン対照法(Spinden Correlation)という換算法とGMT対照法(GMT Correlation、GMTは、グッドマン-マルティネス-トンプソンの略)という2つの換算法の間で論争があったが、現在はGMT対照法が2,3日のズレはあるがほぼ正しいという結論に落ち着いている

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起源及び最古の資料

長期暦の最も古い資料は7バクトゥンを表すもので(cycle7の資料と呼ばれる)、7バクトゥンのはじまる紀元前354年頃から紀元前30年くらいの時期にcycle7の資料が集中する付近に住むチャパス州北部とタバスコ州に住む先住民ソケーやオアハカ州北東部に住む先住民ミヘーの人々によって発明されたと推察されている
ラ=モハーラやトゥシュトラの小像に刻まれている碑文や銘文がかれらの言語を当てはめると解読できると主張する学者もいるからである

確実に最古の日付けが刻まれているとされるのは、メキシコ・チャパス州のチャパ・デ・コルソ(Chiapa de Corzo)の石碑2号である(7バクトゥン16カトゥン)
3トゥン2ウィナル13キン6ベン(18シュル=紀元前36年
以下、長期暦の単位を「.」で略す)の日付けが刻まれている
ただしグアテマラのアバフ=タカリクの石碑2号の日付けはカトゥン以下が欠損しているためはっきりしないが、カトゥンの「位」が6であれば7.6.0.0.0.として一番古くて紀元前235年までさかのぼることになる
また仮に16であっても7.16.0.0.0.であれば、紀元前38年になるので最も古くなる可能性を持っている
7.16.19.17.19であれば紀元前18年に当たる

以下紀元2世紀のものまで挙げると、 7.16.6.16.18.〔6エツナブ1ウオ〕(紀元前32年) トレス=サポーテス(Tres Zapotes)の石碑C(メキシコ湾岸)

7.19.15.7.12?.12エブ〔0ケフ〕(紀元37年) エル=バウル(El Baul、グアテマラ高地)の石碑1号

8.2.2.10.5.〔7チクチャン18ウオ〕(紀元83年) アバフ=タカリク(Abaj Takalik、グアテマラ高地)の石碑5号

(8.)4.0.0.0.〔1アハウ8ポプ〕(紀元120年) ダーバントン=オークス蔵の硬玉製の儀礼斧

8.4.5.17.11.〔7チュエン14カヤブ〕(紀元126年) アバフ=タカリク(Abaj Takalik、グアテマラ高地)の石碑5号

8.5.3.3.5.〔13チクチャン3カヤブ〕(紀元143年) ラ=モハーラ(La Mojarra)の石碑1号

8.5.16.9.7.〔5マニク15ポプ〕(紀元156年) ラ=モハーラ(La Mojarra)の石碑1号

8.6.2.4.17.〔8カーバン0カンキン〕(紀元162年) トゥシュトラの小像(Tuxtla Statuette、メキシコ湾岸トウシュトラ山塊)

〔8.8.0.7.0.〕3アハウ13シュル (紀元199年) ハウバーグの石碑(Hauberg Stela、紋章文字が刻まれているがどの遺跡のものか比定できない)

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注釈
1.^ マヤ・カレンダー(NAGA K'U 奥義学校)

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関連項目

2012年人類滅亡説

リリウス日 - 長期暦と同じく、特定の日を基点として日数を数え上げている


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グレゴリオ暦:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6

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グレゴリオ暦(グレゴリオれき 伊: Calendario gregoriano)は、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法である
現行の太陽暦として世界各国で用いられている
単に新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある
現在使われている紀年法としての西暦もグレゴリオ暦と呼んでいる

平年には1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を、365日+97/400 = 365.2425日、とすることがグレゴリオ暦の本質である
この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の 365.242 189 572日(2013年年央値)に比べて26.821秒だけ長い

日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした

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目次

1 制定の経緯
2 ユリウス暦によるずれ
3 グレゴリオ暦の暦法
4 グレゴリオ暦の精度
5 グレゴリオ暦の各国・各地域における導入 5.1 プロテスタント
 5.2 正教会
 5.3 日本におけるグレゴリオ暦導入
  5.3.1 グレゴリオ暦導入の経緯
 5.4 各国のグレゴリオ暦導入年月日
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク

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制定の経緯

ユリウス・カエサルによって紀元前45年に制定されて以降、キリスト教文化圏を中心に使用されてきたユリウス暦は、暦年の平均日数を365.25日とする近似法であり、これは1太陽年に対して約0.0078日(約11分15秒)長い
このため、黄道上で太陽が特定の点(春分点、秋分点、夏至点、冬至点など)を通過するという天文現象の発生日時は、暦上は4年毎に約0.0312日(0.0078日×4)ずつ早まって行き、約128年で1日分だけ早まることになる
この近似精度自体は暦法の制定当時の文化水準を考えれば極めて高精度であると言えるが、千数百年も暦の運用が続くと天文現象の発生日時の暦上の変動は無視できないものとなっていった
特にキリスト教においては、重要な祭日である復活祭の日付は毎年の春分日を起点として定義されるが、第1ニカイア公会議(325年)において春分日はユリウス暦上で毎年3月21日とすることが決められていた[1]

16世紀後半には、ユリウス暦上の春分日である3月21日に対して、実際の春分日(天文現象としての太陽の春分点通過日)は平均してユリウス暦上の3月11日となり、10日ものずれが生じていた
このため、ローマ・カトリック教会としても事態を無視できなくなり[2]、実際の春分日を第1ニカイア公会議の頃の3月21日に戻すため、トリエント公会議(1545年 - 1563年)において教皇に暦法改正を委託した
時の教皇グレゴリウス13世は、これを受けて1579年にシルレト枢機卿を中心とする委員会を発足させ、暦法の研究を始めさせた
この委員会のメンバーには、当時の代表的な科学者であった天文学者アロイシウス・リリウスや数学者クリストファー・クラヴィウスらが含まれていた
委員会の作業の末に完成した新しい暦は1582年2月24日に発布され、同年10月4日(木曜日)の翌日を、曜日を連続させながらも10日間を省いて、10月15日(金曜日)とすることを定めた

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ユリウス暦によるずれ

1582年まで用いられていたユリウス暦では、通常の年(平年)は1年を365日とし、4年ごとに置く閏年を366日とし、これによって平均年を365.25日としていた
365日+1/4 = 365.25(日)……1年間の平均日数(平均年)= 正確に31 557 600秒 = 365日6時間
しかし、平均太陽年(実際に地球が太陽の周りを1周する平均日数)は、365日5時間48分45.179秒 = 31 556 925.179秒 = 約365.242 189 572日(2013年年央)[3]である
このため、ユリウス暦では1年で11分14.821秒のずれが生じ、約128年で1日のずれとなる
前述の通り、16世紀末に10日ものずれが生じていたのはこのためである
31 557 600秒/年 - 31 556 925.179秒/年 = 674.821秒/年 = 11分14.821秒/年 …… 1年ごとのずれ 86 400秒/日( = 1日)÷ 674.821秒/年 = 128.03 年…… 1日のずれが生じる年数

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グレゴリオ暦の暦法

新たに定められたグレゴリオ暦では、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を設けることにより、平均年を365.2425日とした
365日+97/400 = 365.2425(日)……グレゴリオ暦による1年間の平均日数
なお、400年間の日数は、365.2425 × 400 = 146 097日であり、これは7で割り切れる(146 097÷7 = 20 871 週)ので、グレゴリオ暦は、曜日も含めて400年周期の暦である

400年間に97回の閏年を設けるには様々な方法があり得るが、400年間につき3回の非閏年がなるべく均等に分布すること、分かりやすく記憶しやすいことを考慮して、「西暦紀元(西暦)の年数が100で割り切れて、かつ400では割り切れない年は閏年としない[4]」というルールが採用された

この365.2425日という値を算出したのはコペルニクスである
もっとも、主要な天文学者(コペルニクスも含む)が各々に算出した1年の長さの平均値がとられ、結果としてコペルニクスの値に近くなったという説もある

平年および閏年のそれぞれにおける各月の日数は、グレゴリオ暦においてもユリウス暦と同じである
すなわち、1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月は31日、4月、6月、9月、11月は30日で、2月は平年が28日、閏年は29日である

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グレゴリオ暦の精度

グレゴリオ暦における平均の1年は、実際に観測される平均太陽年(2013年年央)に比べて26.821秒だけ長い
このずれは約3221年で1日に達する
365.2425日/年 × 86 400秒/日 = 31 556 952秒/年  31 556 952秒/年 - 31 556 925.179秒/年[5] = 26.821秒/年……1年ごとのずれ 86 400秒/日( = 1日)÷26.821秒/年 = 3221.36(年)……1日のずれが生じる年数

以上のように、ユリウス暦では1日のずれが生じるまでに約128年しかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに約3221年を要するまでに精度を高めたものとなった

ただし、上記の年数は平均太陽年が不変としたときの計算であるが、実際には平均太陽年は100年(正確には1ユリウス世紀)ごとに0.532秒だけ短くなっていることに注意すべきである(平均太陽年の計算式)

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グレゴリオ暦の各国・各地域における導入

ユリウス暦と太陽年(実際の季節)とのずれは、13世紀の哲学者ロジャー・ベーコンが指摘してから300年もの間顧みられず、16世紀になって宗教上の問題が顕著になるまで放置された
このずれを修正し新たにグレゴリオ暦を制定した後も、それがローマ教皇による発令だったためか、その導入時期は国・地域によってまちまちであった
ヨーロッパ圏内であっても、カトリックの国は比較的早く導入したが、一方でそうでない国では導入までに少なくとも100年以上かかった

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プロテスタント

プロテスタント諸国については、グレゴリオ暦への改暦に消極的だった理由の一つとして、復活祭の日付の決定がある
自らの祭事の日付をカトリックが定めた暦によって決められることを嫌ったわけである
しかし、ユリウス暦の日付がずれており、ずれた日付を基に祭日を決めることに問題があることは、プロテスタントの宗教家も認識はしていた
このためグレゴリオ暦は非カトリック国にも徐々にだが浸透した
ドイツのプロテスタント諸国は、日付の決定のみグレゴリオ暦を使用するが、復活祭の日付の計算にはプロテスタントのドイツ人天文学者ヨハネス・ケプラーが作成したルドルフ星表を使うということで妥協した
この暦は改良暦と呼ばれた
しかしケプラーはグレゴリオ暦の方が優れていることを知っていたため、日付計算はすべてグレゴリオ暦で行っていた
このため、実質的には改良暦はグレゴリオ暦で計算するのとほぼ同じだった
この妥協はうまくいき、周辺プロテスタント諸国もこれに追随した

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正教会

正教会が優勢な東欧では、より長い時間がかかった
16世紀、コンスタンディヌーポリ全地総主教イェレミアス2世はグレゴリオ暦を否認し、他の正教会でもグレゴリオ暦を承認する教会はなかった
このことはブレスト合同が不完全なものに終わる結果にも影響があった

現在でも正教会は、フィンランド正教会を除いてグレゴリオ暦を使用していない[6]
コンスタンディヌーポリ教会が1923年に採用した暦は修正ユリウス暦(英語: Revised Julian calendar)と呼ばれるものであり、厳密にはグレゴリオ暦ではないが、グレゴリオ暦とユリウス暦の月日の修正が行われ、2800年までは二つの暦の間にずれが出ないようになっている(2800年以降は再びずれが生じる)

今でもエルサレム総主教庁、グルジア正教会、ロシア正教会、セルビア正教会、日本正教会はユリウス暦を使用している
ただし、ロシアでも教会以外の一般社会ではグレゴリオ暦を採用している
従って、ユリウス暦12月25日の降誕祭はロシアのカレンダーでは「1月7日」と表示されている

他方、復活大祭の算出には全正教会がユリウス暦を使用する[7]ため、復活祭およびそれに伴う祭日・斎日は全正教会(フィンランド正教会を除く)が一致して祝っている

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日本におけるグレゴリオ暦導入

日本では、明治5年(1872年)に、従来の太陰太陽暦を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告された
この「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めた
そのため明治5年12月2日まで使用されていた天保暦は旧暦となった(明治改暦、明治の改暦)

この布告は年も押し詰まった同年11月9日(1872年12月9日)に公布されたため、社会的な混乱を来した
暦の販売権をもつ弘暦者(明治5年には頒暦商社が結成された)は、例年10月1日に翌年の暦の販売を始めることとしており、この年もすでに翌年の暦が発売されていた
急な改暦により従来の暦は返本され、また急遽新しい暦を作ることになり、弘暦者は甚大な損害を蒙ることになった
一方、福澤諭吉は、太陽暦改暦の決定を聞くと直ちに『改暦弁』を著して改暦の正当性を論じた
太陽暦施行と同時の1873年(明治6年)1月1日付けで慶應義塾蔵版で刊行されたこの書は大いに売れて、内務官僚の松田道之に宛てた福澤の書簡(1879年(明治12年)3月4日付)には、この出来事を回想して「忽ち10万部が売れた」と記している[8]

これほど急な新暦導入は、当時参議であった大隈重信の回顧録『大隈伯昔日譚』によれば、政府の財政状況が逼迫していたことによる
すなわち、旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となる
すると、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を1年間に13回支給しなければならない
これに対して、新暦を導入してしまえば閏月はなくなり12か月分の支給ですむ
また、明治5年も12月が2日しかないので、11か月分しか給料を支給せずに済ますことができる
さらに、当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となる計算である
新暦導入を機に週休制にあらためることで、休業日を年間50日余に減らすことができる[9]

しかし、施行まで1か月に満たない期間の中で慌てて布告されたためか、この布告には置閏法に不備があった
その不備とは、グレゴリオ暦の重要な要素である「西暦の年数が100で割り切れ、400で割り切れない年を閏年としない」旨の規定が欠落していたことである
このままでは解釈次第では導入された新しい太陽暦はグレゴリオ暦ではなく「ユリウス暦と同じ閏年の置き方を採用した日本独自の暦[10]」ともされてしまう
また、同布告の前文にある文面もおかしく、グレゴリオ暦で1日の誤差が蓄積されるには3300年しか要さないにもかかわらず「七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス」としていた
これは起草者が参考にした天文書『遠西観象図説』の誤りと考えられている

そこで1898年(明治31年)5月11日に、改めて勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)を出して、グレゴリオ暦に合わせた閏年に関する調整を定めた

閏年ニ關スル件(明治31年勅令第90号) 神武天皇即位紀元年數ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス

この勅令では、神武天皇即位紀元(皇紀)を用いて閏年と平年とを求めているが、西暦を用いたグレゴリオ暦の採用と事実上違いはない
この置閏法の誤りを修正する勅令が公布されたときには、日本で太陽暦を導入してから初めての「紀元年數ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年」である皇紀2560年すなわち1900年(明治33年)は、1年半後に迫っていた

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グレゴリオ暦導入の経緯

明治5年10月1日(1872年11月1日) : 例年どおり、弘暦者(頒暦商社)により翌年の暦(旧暦)が全国で発売される
11月9日(12月9日) : 「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)を公布
突如として明治5年は12月2日で終了すると定められる
11月23日(12月23日):太政官布告第359号で「来ル十二月朔日二日ノ両日今十一月卅日卅一日ト被定候」(12月1日および2日を11月30日および31日と定めた)とする
翌24日付け太政官達書で取り消す
11月27日(12月27日): 太政官布達第374号により、「当十二月ノ分ハ朔日二日別段月給ハ不賜」(この12月の分は、1日・2日の2日あるが、別段月給を支給しない)と、12月分の月給不支給が各省に通告される[11]
12月2日 : 天保暦を廃止

1873年1月1日に当たる明治5年12月3日(旧暦)を明治6年1月1日(新暦)とする太陽暦への改暦(明治改暦)

1873年(明治6年)1月12日 : 頒暦商社の損失補填のため、向こう3年間の暦販売権を認める

1875年(明治8年)1月12日 : 頒暦商社の暦販売権を明治15年まで延長する
1883年(明治16年) : 本暦と略本暦が伊勢神宮から頒布される
1898年(明治31年)5月11日 : 明治5年の改暦における置閏法の問題(明治33年(1900年)がグレゴリオ暦と異なり閏年となってしまう)を修正した勅令「閏年ニ關スル件」(明治31年勅令第90号)が公布される

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各国のグレゴリオ暦導入年月日

1582年10月15日 - イタリア、スペイン(ポルトガルを含む)、ポーランド王国
1582年12月20日 - フランス王国 後に中断(フランス共和暦)
1583年1月1日 - ベルギー、オランダの一部地域
1583年から1587年まで - ドイツ、スイス、ハンガリーのカトリック諸都市
1700年3月1日 - ドイツのプロテスタント諸都市、デンマーク
1752年9月14日 - イギリス帝国(後のアメリカ合衆国など当時の植民地すべて)
1753年3月1日 - スウェーデン
1867年10月18日 - アラスカ(日付変更線がアラスカの東側から西側に移動されたため、金曜日が2回連続して繰り返された)
1873年(明治6年)1月1日 - 日本
1896年(建陽元年)1月1日 - 李氏朝鮮
1912年(民国1年)1月1日 - 中華民国(建国とともに採用、同年2月12日の清朝滅亡とともに国内全域で正式な暦となる)
1918年2月14日 - ロシア(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)
1923年3月1日 - ギリシャ
1940年6月27日 - ソビエト連邦[12]

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脚注

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1.^ 山崎昭・久保良雄 『暦の科学』、講談社〈ブルーバックス〉、1984年、pp96-98
2.^ デイヴィッド・E・ダンカン 『暦をつくった人々 人類は正確な一年をどう決めてきたか』 松浦俊輔訳、河出書房新社、1998年12月、15頁
ISBN 4-309-22335-4
3.^ 天文年鑑2013年版、p190(執筆者:井上圭典)
4.^ 例えば西暦2000年、2400年、2800年は100で割り切れ、かつ400で割り切れる
したがって西暦2000年、2400年、2800年は閏年となる
これに対して西暦1900年、2100年、2200年、2300年、2500年、2600年は100で割り切れるが400では割り切れない
したがって西暦1900年、2100年、2200年、2300年、2500年、2600年は平年となる
5.^ 天文年鑑2013年版、p190(執筆者:井上圭典)
6.^ ロシアにおいて1917年グレゴリオ暦3月に起きた革命を「2月革命」、同11月に起きた革命を「10月革命」と呼称するのは、当時のロシアで採用されていた暦に従ったためである
ロシアで最も強い影響力をもつロシア正教会は正教会に属する
7.^ ただしこれは、ユダヤ教の祭日が決まった後でキリスト教の祭日を決定するという初期のキリスト教の祭日決定法に従うためで、グレゴリオ暦を導入していないことによるものではない
ユダヤ教では1年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するため、正教会では完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである
8.^ 福澤諭吉 『福澤諭吉書簡集』第2巻、岩波書店、2001年3月23日、173-175頁
ISBN 4-00-092422-2
に収録
其後改暦の令あり
此時も同様、唯一片の詔にて更に諭告文を見ず
余り難堪存候に付、生は私に改暦弁と申小冊子を出版して、一時に十万部計り国内に分布し、此出版にては聊か行政の便を助けたること、今日も私に自負の意あり
? 福澤諭吉, 松田道之宛て書簡(1879年(明治12年)3月4日付)
9.^ 円城寺清 『大隈伯昔日譚』 立憲改進党々報局、1895年、pp. 601ff
10.^ 日付が12日ずれているため、ユリウス暦そのものではない
11.^ 『法令全書 明治5年』第7冊、内閣官報局、1912年、pp. 358 f
NDLJP:787952/236
漢字は新字体にあらためた
12.^ 同国では1929年10月1日よりソビエト連邦暦が採用されていたが、同日にグレゴリオ暦へ完全に復帰した

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関連項目

ウィキソースに太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行スの原文があります
ウィキソースに閏年ニ關スル件の原文があります

閏年
閏秒
ISO 8601 - 日付と時刻の表記に関する標準


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古代エジプトの暦(2)−歴史から見た古代暦:

http://www.moonover.jp/bekkan/mania/koyomi2.htm

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『高校の教科書などでエジプトの暦は太陽暦であったと述べられている場合が多いが、この1年365日という数値は、たぶん、太陽の運行の観察から得られたのではなく、ナイル河の毎年の増水開始の時期に注目して、次の年の増水開始までの日数を数え上げたことで得られた…』〜吉成薫/2000/講談社選書メチエより抜粋

エジプトの神話において、一年を365日とする閏日の無い暦は、太陽神ラーによって民衆に与えられたものとされている
それに対し、閏日のある暦は月の神でもあるトト神に属するもので、トトが一年の時間を増やしてしまったために閏日が発生するようになった…と、されていた
しかしこれは神話から見た視点に過ぎない

歴史から、つまり現実の人間世界から見た暦とは、どのようにして作られたのか
30日というのは、月の満ち欠けが一周する日数とほぼ同じである
そして、365日は、ナイル川が増水する周期であった
アスワン・ハイ・ダムが出来る以前、まだナイル川が増水を起こしていた時期に、学者がその周期を測ったところ、一度めの増水から、ほぼ365日で次の増水が起こっていたという
ナイルの増水は、農業、つまり人々の生活と深く結びついている
誰が見てもわかる川の増水から導き出される暦だったなら、天文観測が発達する以前から使われ始めても、不思議はない

この365日は、民衆暦と呼ばれた
閏日がないのだから4年に1日ずつズレていくわけだが、平均寿命が30歳にも満たなかったとされる古代エジプト人では、一生のうち7日くらいしかズレないので、大して問題は無かっただろう、と専門家はいう
長い年月で見ればどんどんズレて、いずれ一周してしまう暦なのだが、個々人の一生からすれば、暦のズレた時期に生まれたものはズレているうちに死に、合っている間に生まれた者は合っているうちに死んで行く
もしかすると、暦に足りない日があることを意識したことが無い者もいたのではないか
あるいは、暦などを必要としたのは、一部の、行政に携わるものだけだったのではないだろうか

ともあれ、古代エジプトの暦の発生には様々な異説があり、実際のところは分からない
エジプトは南北に長い国なので、北の都と南の国境では、実際の気象現象との間に誤差があったことも事実だ
時差があったのだ
統一された民衆暦が導入される以前には、複数の太陰暦が使われており、この太陰暦の名称が民衆暦に導入された、という説もある
天文学の得意な学者さんは、民衆暦での12月のあと、閏月を挟んで新年までの日数を調節していたとも主張する
が、この辺りの日数計算はどうにも私の頭では理解出来ないので、はしょらせていただく

総合すると、現在のところ、「民衆暦は実際の自然現象とズレてはいたものの、調節を行って、実際の自然現象と食い違わないようにされていた」、「この統一された民衆暦が導入されたのは、王国が統一された紀元前3000年より少し後くらいの時代」…で、あろう、という二つの仮説が有力視されているようだ
神々の与えたとされる暦を使って、実際の季節と暦とがズレていったのは、一般に使われていた民衆暦ではなく、行政の暦のほうらしい
(だから神官や書記官たちは、「季節がズレて、夏に冬がやってくる」等とぼやいたメモ書きを残したのだ)
 トト神が「一年の日数を増やした」といわれのない文句(笑)をつけられるハメになったのも、どうやら、この神官や書記官たちインテリ階級のせいらしい

もともと暦は太陰暦から生まれたのだから、その暦を太陽神ラーの権威に結びつけた神話のほうが不自然なのだ
神話から実際の歴史を予測することは不可能だ、ということの、一つの例だろうか

ちなみに、閏日を採用しない1年365日の暦を使いつづけた場合、実際の季節と暦とがぴったり一致するのは、1470年に一度だという
エジプト古代王国の歴史が約3000年なので、この暦が採用されてから使われなくなるまでの間、実際に1月1日にお正月が来た回数は、2、3回ということになる

人間の一生にくらべれば、とてつもなく長い
なんとも、壮大な話である

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◆ポイント解説/太陽暦、太陰暦とは?

太陰暦とは
月の公転周期から導き出される「一ヶ月」
月は平均して29.5日で地球の周りを一周する
これにあわせ、29日と30日からなる一ヶ月を交互に組み合わせて作られたのが「太陰暦」
しかし、これでは355日になってしまうため、たりない10日を付け加えるため、3年に一度、閏月が付け加えられた

太陽暦とは
地球の公転周期から導き出される「一年」
一年は365.2422日なので、端数を切り捨て365日とし、これを12に分けたものが現在使われている12ヶ月である

古代エジプト暦では
1年を12等分することを重視した暦
一ヶ月を30日に固定しているため、変則的な太陰暦
上のほうにも書いたように、30×12で360日、これに5日を足した365日である
だが、太陽暦よりはるかに機能的で、使いやすい暦だった

時は本来この世に存在せず、人間が擬似的に作り出す知恵の産物である
このように複雑に組み合わせ、使いやすいよう改良していくことには、古代の人々の多大な努力と研究があったはずだ
まさに、知恵の神トトの支配下におくに相応しい概念と言えよう


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フィラエ神殿:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%82%A8%E7%A5%9E%E6%AE%BF

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アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(エジプト)

フィラエ神殿(イシス神殿)

英名 Nubian Monuments from Abu Simbel to Philae
仏名 Monuments de Nubie d'Abou Simbel a Philae

フィラエ神殿(フィラエしんでん)は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌビア遺跡
中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である
現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである
アスワン・ダムの建設により、半水没状態であったが上流のアスワン・ハイ・ダムの建設を機にユネスコにより1980年、フィラエ島からアギルキア島に移築、保存されることとなった
現在はアギルキア島をフィラエ島と呼んでいる

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世界遺産

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世界文化遺産に登録されている

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登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)

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関連項目

ウィキメディア・コモンズには、フィラエ神殿に関連するメディアがあります
世界遺産の一覧
ロゼッタ:欧州宇宙機関(ESA)の彗星探査機
チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星本体へ投下する着陸機は、フィラエ島の名を取り“フィラエ”と命名されている
セヘル島 - フィラエ島近くの遺跡のある島


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イシス神殿・フィラエ島:

http://cocoguru.fc2web.com/sub3e1.html

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フィラエ島はアスワンダムの上流・アスワンハイダムの下流といった場所に位置する
元々、フィラエ島はオシリスの妹であり妻でもあるイシス女神がホルス神を生んだ場所として、聖地であった
そのため、ここにはイシス女神を祀るイシス神殿が築かれ、緑の美しさともあいまって「ナイルの真珠」と呼ばれてきた
ところが、アスワンダムの建築により、このフィラエ島も水没することとなり、遺跡保護のため、隣接するアギルキア島に遺跡が解体移築された
遺跡を移転しただけでなく、島の形も、もともとのフィラエ島に似せたというから、凄い
現存する遺跡は、古代エジプト末期王朝から、プトレマイオス朝、ローマ時代にかけてのもの
イシス神殿に行くには、フェリー・ボートを利用しなくてはならない
ボートに10分くらい乗っていると、イシス神殿が見えてくる
ボートはイシス神殿を横から眺めながら、渋滞する桟橋へと移動していく
写真右側の大きな建物が第一塔門、そこから左に誕生殿、第二塔門、本殿と続く
この神殿はクレオパトラの父のころに完成したらしい
桟橋を降りると正面が、この第一塔門
桟橋から、この第一塔門まで、美しい列柱が続いている
この第一塔門の右側にはホルス神を中心にイシス女神らが、左側には敵を打ちすえるファラオが刻まれている
この第一塔門の左側の入口から進めば誕生殿、中央の入口から進めば第二塔門
左下は第二塔門
中央にハヤブサの頭を持つホルス神が彫られている
右下はハトホル柱
ハトホル柱というのは、牡牛の耳を持つ愛と喜びの女神ハトホルの顔を彫り込んだ柱のこと
ハトホルはホルスの妻である
そのせいか、この神殿にはハトホル柱が多い
本殿手前の列柱広間
巨大な柱は、パピルスをかたどっていて美しい
イシス神殿は保存がよく、屋根もしっかりしているのだが、その分、奥まった部屋はどうしても薄暗くなってしまう
風雨にさらされていないから、レリーフの保存状態はいいのだけれど・・・
その点、ここは明かりが入って、気持ちのいい空間
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レリーフ
この神殿、建物が美しいだけでなく、内部のレリーフが非常に美しい
イシス女神の神殿だけあって、女神のファミリーが数多く描かれている
神々の家族関係を整理すると、兄妹の関係にあるオシリス神・イシス女神が夫婦で、その息子がホルス神、そして息子(ホルス)の妻がハトホル女神となっている
左はオシリス(左)・イシス(中央)・ホルス(右)のファミリー
ホルスが幼児の姿で描かれている珍しいもの
エジプトの神話をはしょって紹介すると、オシリスは弟であるセト神に殺されてしまい、死体をばらばらにされた
それを妹であり妻であるイシス女神が拾い集め、オシリス神を復活させた
復活したオシリスは冥界の王となった
死後の生活を重視した古代エジプトでは、冥界の王であるオシリスは非常に重要な神
再生と復活から、枯れた植物が再び芽を出すということに結び付けられ、穀物神との性格も持っている
イシス女神はオシリス神の妻であるとともに、ホルス神の母として尊敬されている
死者の保護者としても描かれることが多い
頭の上に、日輪と牝牛の角や椅子(玉座)を載せている
ホルス神は、ハヤブサの頭を持つ天空の神
ファラオはホルス神の地上での化身とされた
こちらは大人のホルス神(左)
通常、ホルス神はこのようにハヤブサの頭で表現される
ハヤブサといっても精悍というより、丸みをおびて可愛らしい
しかし、単に可愛いだけではない
ファラオがホルス神の地上での化身とされたことから、ホルス神はファラオの守護者でもある
更に、天空の神としての性格からか、太陽神とも合体していく
隣の牝ライオンの頭をした女神は、おそらく勝利の女神セクメト
左はホルス神に乳を飲ませるイシス女神
イシス女神がホルス神を生んだ地とされるだけあって、この神殿には幼いホルスと母としてのイシスを描いたレリーフが多い
これは、その中でも有名なもの
真ん中の椅子に座っているのがイシス女神
赤ん坊のホルス神を抱いて乳を飲ませている
これもホルス神に乳をふくませるイシス女神
こちらのイシスは立ったまま、乳を飲ませている
女神の顔が壊されているけど、ホルス神の状態はかなりいい
上のレリーフもそうだが、子供のころのホルス神はなぜかハヤブサの頭をしていない
それと裸の姿なのは、古代エジプトでは「子供」であることの象徴
古代エジプトでは大人は決して裸では描かないのだそうだ
こちらは、オシリス神とイシス女神のレリーフ
一番右側の羽根を持った女神がイシス女神
イシス女神の羽根で守られているのがオシリス神
死者の保護者としてのイシス女神の姿である
それにしても、羽根で守っているイシス女神の像はとても綺麗だ・・
女神像
髪や髪飾りが、とても美しい
ィラエ島には、イシス神殿だけでなく、ハトホル神殿、トラヤヌス帝のキオスクなど、いくつもの建造物がある
右はトラヤヌス帝のキオスク
船着場の側の休息所らしい
未完成ということだが、なかなか美しい建物
この建物の裏は、もうナイル河である


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====参考文献終わり====



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