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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

諸世紀情報 NO 410004


MFコメント 2007/08/03

ノアの大洪水と太陽神の太陽(その一)

今までの検討で{第一章一編と二編に「神の霊」からの伝えられたと宣言している。

そして、「太陽神が残りの日々を理解したとき」と地上にいるノストラダムスの云うところの太陽の神に、「神の霊」からのメッセ−ジを伝え、その内容を太陽神が理解したとき「諸世紀」を書いた目的は 達成すると記載していることである。}の内容は 特別に難しい文面でないし、フランス人であれば殆ど暗号化されていない内容であるので、現代の感覚でいけば、500年余の昔から現代までにフランス人がこのことに気が付かなければならない。

しかし、「太陽神」「神の霊」「ノアの大洪水」「普通の洪水」「恒星の太陽」など、極めて分かりやすい語彙(フランス語が出来ない私が、辞書を片手にして変換できたくらいの基本ですから、母国語としているフランス人たちであれば、容易に理解できるはず)の羅列でありながら、私の様な理解と認識に至らなかったのはなぜか?それがまた別の悩ましい問題となる。(なお、ノストラダムスの説明する太陽神に関する予言詩は 特別暗号化されていなくて、素直なフランス語と思っています。

ノストラダムスは そのような記述をしても、目指す太陽神以外は 系統だってシナリオを殆どの人々が読まないと云う自身があったのであろうし、神の霊の力を借りて、未来透視していたのであろうと思います。)

そこで、どうゆう仕掛けで、そうなるのか考えてみよう。

1.ノアの大洪水について

ノストラダムスは ノアの大洪水と普通の大洪水の区別をしているし、このスペルについては特別の暗号化もしていない。

であるがえに、当然、「諸世紀」が書かれてから500年余の期間に、この予言の書を読んだフランス人やフランス語のできる方たちには 容易に弁別出きるはずだし、出来ていたとおもわれる。

しかし、「諸世紀」が未来の「ノアの洪水」のことを記述した書物であることを強く意識できなかった。その原因は キリスト教にあると考えている。キリスト教では 「ノアの大洪水」のことを何と説明しているだろうか?

言えることは 

「ノアの大洪水とは 神の偉大な力を見せた過去の物語である」
「そのような大洪水は 科学的にもありえない」
「従って、アララト山にノアの箱船の残骸があったとしても、それは太古の神の御力の証拠である」

などなどであろうとおもう。分かりやすく云えば、「キリスト教・バチカンによって神話伝説のレベルの中に埋没してしまっている」ということである。

だが、少し考えればおかしな事に気が付くと思う。「諸世紀」とは 「予言の書」として知られているものである。

過去の出来事の説明をしている歴史書では無い。未来を透視して予言しているものである。「諸世紀」の中で、「ノアの大洪水」のことが予言されているのであれば、それは 聖書の中に記載された過去の神話伝説の過去のノアの大洪水のことを説明していないことくらいは容易に矛盾無く理解できるのである。

ところが、キリスト教徒にとって、絶対の聖書の記述のバチカンの介錯を否定出来ないし、そのような大洪水が現実に考えられないということになり、これは 予言でなくて過去の内容を記述しているもの、聖書のコピ−であるなどと云う世評となるのである。

従って、「ノアの大洪水の原理などを知っていない限り、ノアの大洪水は伝説・神話のレベル」で止まってしまうことになるし、予言解読するにしても普通の気象現象の大洪水として取り扱うことになる。

しかし、「ノアの大洪水の地球物理的な知識をもって諸世紀を読めば、容易に未来のノアの大洪水のことを予言している」ということに思いが至ると云うものである。

私が諸世紀を最初に読んだとき、ノアの大洪水の原理などの認識が無かったこともあるが、分からないと放り出した。

しかし、ノアの大洪水の原理などを理解していたので、二度目からは 素直に未来のノアの大洪水の予言をしていると受け止めることができた。

結論的には 幾らノアの大洪水の予言ですよと、ノストラダムスが暗号化もせず素直に記述しても、ノアの大洪水の原理を理解したものでないかぎり、それが未来のノアの大洪水の予言であることすら理解されることがないと云うことを未来透視して理解していたとしか考えられないことになる。

<続く>



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