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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

諸世紀情報 NO 410005


MFコメント 2007/08/15

ノアの大洪水と太陽神の太陽(その二)

2. ここで、予言に関して原点にもどってみょう。殆どの優れた予言者たちは 自らの力で透視したのではなくて、何らかの存在によって、未来を透視させられたと説明している。

そうなると、幾つかの疑問が湧き出出くる。

a. 透視をさせた何らかの存在とは 何者か?
b. 何故に、その人物を選択して透視をさせたのか?
c. その透視した情報を誰に伝えようとしたのか?
d. 何の目的で未来透視させ、予言としたのか?

などである。

例えば、ヨハネの黙示録を考えてみよう。

a. ヨハネは ヨハネが云うところの神からイメ−ジとして見せられている。ただし、ヨハネの時代の知識で、そのイメ−ジを咀嚼していたために、現代の科学認識から行くと、極めて分かり難い。

b. 現段階で分かっていることは 「ヨハネを預言者として位置づける為」ということは分かっている。

c. その預言的な情報を誰に伝えるのかは 聖書に編入されているのでキリスト教徒の為と云う人々は多いが、全人類に対してなのか、特定の個人に大してなのか、その本質的な意図は 分かっていない。

d. ただ、聖書などに組み入れられいるので、特定の個人というよりか、キリスト教徒に対しての預言集として考えられている。

預言というものが、このような性質を持つために、神より伝言として不特定多数の人類へ伝えられたものと考える習慣が長い歴史で培われたということである。その為に、預言者が神から降ろされたイメ−ジやコ−ドなどを一般に公開すると、自動的に不特定多数の人類へ伝えられた物と受け取る習慣を持っている。

当然のことながら、「諸世紀」の預言集も、フランス人に始まり不特定多数の人類へ伝えられた書物と受け取る習慣から、同様の扱いを「諸世紀」の預言集発刊から現代に至るまで、それまでの全ての人々が、未来の特定の人物の太陽宛に記載されていると云うことに思いが至らなかったということである。

勿論、そのような事実を思い至らないようにする為に、通常の預言と呼ばれる内容も多数組み合わせている。

その為に、殆どの人々が通常の預言の項目に注目するとともに、未来の特定の個人の太陽へ預言の書の形式にして、心の関で妨害しているということである。素直に読めば、その事は 特別に難しい表現を使っていない。

云われれば誰れでも容易に納得できるのであるが、それらの思いこみ・マインドコントロ−ルされている人類の殆どが難解な通常の予言の解読に邁進するばかりに、理解できないということになっている。逆に言えば、これが「神の霊たち」の狙い目で、「仲間の太陽」へ絞って伝えることが出きる所以でもある。

(続く)



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