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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

http://18.pro.tok2.com/~solht0920070/newmurmur_db/n460001/n460010.htm

より

宗教_キリスト教情報 NO n460010

−−−−コメント 2013/05/17−−−−

{新46_宗教_キリスト教_キリスト異聞_01}
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キリストて何者:キリスト教と呼ぶ宗教機関:イエスは自由自在に姿を変える生命存在だった?:そもそも悪魔が作った宗教:マザーテレサ「心の闇」は偽善者か?:バチカンは、神ではなく悪魔が支配していた!
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コメント:
キリスト教を語る時、キリストが何者であるかを語る方たちは少ない
聖書によれば、「十字架に磔けの刑に合い」処刑された
そして、生き返り天に昇ったと語っているそうである
おまけに、復活して再度地上に現れるそうである
これを奇跡と呼ぶそうである
しかしながら、私は 奇跡などとは受け取らない
これらの聖書の記述が正しいとするのなら、奇跡でなく現実に起きた出来事の記録と受け取る

そうすると、この出来事からわかることはおおよそ次のようになる
  「キリストの肉体は 磔の刑で肉体の生存機能は破壊されても、修復機能を持っているか、人類の知らない別の復活能力を持っている」と理解する
分かり易く言えば、「キリストと呼ぶ姿の人型の生物は 人型の地球人とは全く異なる生物であると受け取らざるを得ない」ことである
そして、肉体を修復して、生き返り・機能を復活させ、天に昇ったのであるから空中浮遊機能・装置を持っていたか、上空に居る卵形のUFOから牽引されて引き上げられたか、であると考えざるを得ないということである

加えて、宇宙は真空であるから、何らかの乗り物に上空でのり込んだか、真空中でも機能を維持できる肉体に変質していったということになる
キリストは 聖書の語ることが正しいとすると、以上の如く、キリストは地上の人間ではなく、人類の水準からみると化け物か異常に進んだ科学文明の何物でもないし、人間マリアなる地上の人類の女が妊娠して生み出した生物でないこととなる
わかることは 魂と肉体が機能的に分離し、それらの関係を制御出来る能力または科学水準にある存在であるということである

あなた方がそこまで理解出来るとするなら、次の記述の意味を容易に理解出来るし、キリストなる地球外生命体の内容を素直に理解出来るかもしれない
ただ、残念ながらキリスト教徒たちとの会話は成立しないと思う
{・・・・・・
「イエスは特定の形を持たず、見た目が変わる
時に彼は赤く、時に彼は白い
そしても時には小麦色になる
修道僧のように見える時もあれば、若者に見える時もあるし、老人に見える時もあるのだ」

なんてことが 1200年前のコプト語で記されたエジプトの書に書かれてあることが最近わかったという米国の報道です

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ピラトのイエスとの夕食

ピラトはイエスに自分の息子を代わりに生け贄にすると申し出て、ピラトは金曜日にイエスと夕食をとった
イエスはピラト本人と、そしてピラトの家の者すべてを祝福したという
ピラトは、イエスに自分のひとり息子を身代わりに処刑することを申し出る
そして、イエスが望むなら、逃げることができるとピラトはイエスに言う
イエスが「ピラトよ」と言うので、ピラトがイエスを見ると、「イエスの姿は消えていった」ことが書物には書かれている
・・・・・・・・・}

「イエスは特定の形を持たず、見た目が変わる」を素直に理解しようとすると身体を変換する能力を持っていること理解出来ると思う
もっと、問題は 「イエスの姿は消えていった」とあるように、その身体が変換するだけで無く消えていくことすらするということである
貴方は このように理解するかもしれない
キリストの能力は 一種の集団強制催眠をかけ、夜昼関係なく、キリストなる人型の人間の幻影を強制的に幻視させる位の地上の人類の脳の精神CONTROLが出来るということである
これらの能力は ファチマの三人の童子にマリアの姿が見えたのに、集まった万単位の数の群衆に見えなかったことからも、超能力的な遠方の人類の脳に関与して精神CONTROLして幻影を特定の人間の脳を絞り込み幻影や幻聴を見せ聞かせることが可能な水準の能力を所持していることを認識すべきと推測されるのである
{・・・・・・・
聖書によれば、「十字架に磔けの刑に合い」処刑された
そして、生き返り天に昇ったと語っているそうである
おまけに、復活して再度地上に現れるそうである
これを奇跡と呼ぶそうである
・・・・・・・}

もし、キリストの能力が最低でも推定される位の力であるとするのなら、上記の「十字架に磔けの刑に合い殺された」幻影を当時の民衆は 集団で見させられたということになるし、磔にして殺したと思い込んでいたが、実際は 何事も無かった
従って、死だキリストが生き返ったのでなく、磔で死ぬ幻影を見せられたに過ぎないことが容易に理解出来ると思うのである
「諸世紀」の記述に
神サタンを捕獲し幽閉するが、仲間であり配下のキリストも一緒に幽閉する
その時、キリストが「神サタンの発する指示は 逆らえない命令」であると弁明していることを予言している
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キリストを神の子と言う
ならば、神とはどのようなものであるかが問題となる

そこで、神を調査した情報があり、この下記の内容が正しいとすると、奴らのやっていることとあまりにも似ていることに気がつくと思うのである
過日、エリザベス女王が入院し、ベネテクト16世が辞任した「25000人になんなんとする子供たちを奴らの生け贄として殺し生肉を喰らい」黒い情報にも得心がいくと思うのである

{・・・・・・・・
神は天(宇宙?)から金塊等の貴金属の採取のために地球に訪れ、人類に貴金属の蓄積を命令した
神は人間を家畜として育て、人間の肉を食べ、血液を飲み、食事とした
神は、「一部の選ばれた人間達」に貴金属採取を任せ、地球を去った
「選ばれた人間達は」貴金属採取のために、神の命令の下、全人類を奴隷とする権利がある
この奴隷を使い金塊を蓄積し終わった時、不要になった奴隷の全人類を戦争で絶滅させ、神の来訪を待つ
人類の絶滅と金塊の蓄積を確認した神は、地球を再び来訪し、地上に「神の国」が実現する
神に「選ばれた人間達」は、他の人間達を支配する権利を確認するために、「神を真似し、神と同一の行動」を取る
神と同様、選ばれた人間達は人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を定期的に行う義務がある
・・・・・・・}

これが奴らに乗っ取られた所以であるし、そのことを人々は認識し理解することを要求されているのである

原文は 少し長いので関連の所を抜粋する

{・・・・・・・・
王族、貴族達の精神的支柱=宗教

紀元前からの歴史と伝統という権威を持つローマ帝国に対し、こうした小国は、何らの権威も無かった
しかも、ローマ帝国はキリスト教カトリックを国教とし、ローマ法王によって、神の「代理人」として世界を支配する皇帝の地位を与えられていた
神の支持の下に、世界を支配するローマ皇帝の「権威」に対し、富裕貴族=戦争屋=銀行家達は、どうしても別の「権威」を作り出さなくてはならなかった

● 「皇帝より自分達が世界を支配する方が正しい」という宗教的理由が必要であった

貴族達は、ローマ・カトリック教会が封印し隠していた古文書を探し回り、ついに古代シュメール語版聖書を発見する
ローマ・カトリック教会の用いる聖書よりはるかに古い、8000年前の最古の聖書であった
しかも、この最も信頼出来る最古の聖書には、カトリック教会の主張するキリストの教えとは全く別の事が記載されていた

−−−
神は天(宇宙?)から金塊等の貴金属の採取のために地球に訪れ、人類に貴金属の蓄積を命令した
神は人間を家畜として育て、人間の肉を食べ、血液を飲み、食事とした
神は、「一部の選ばれた人間達」に貴金属採取を任せ、地球を去った
「選ばれた人間達は」貴金属採取のために、神の命令の下、全人類を奴隷とする権利がある
この奴隷を使い金塊を蓄積し終わった時、不要になった奴隷の全人類を戦争で絶滅させ、神の来訪を待つ
人類の絶滅と金塊の蓄積を確認した神は、地球を再び来訪し、地上に「神の国」が実現する
神に「選ばれた人間達」は、他の人間達を支配する権利を確認するために、「神を真似し、神と同一の行動」を取る
神と同様、選ばれた人間達は人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を定期的に行う義務がある
−−−
こう記載された最古のシュメール語版聖書は、金塊の蓄積=銀行業と人類の絶滅=戦争を業とする富裕貴族達を狂喜させた

戦争により人類を絶滅させ、戦争で金儲けする貴族達の生き方が最も神に「忠実」な生き方である事が、ローマ・カトリック教会よりも権威のある最古の聖書によって証明された事になる

● ローマ・カトリック教会の使用する聖書は、このシュメール語版聖書を偽造したニセモノの聖書である事が暴露された

−−−
この奴隷を使い金塊を蓄積し終わった時、不要になった奴隷の全人類を戦争で絶滅させ、神の来訪を待つ
人類の絶滅と金塊の蓄積を確認した神は、地球を再び来訪し、地上に「神の国」が実現する
神に「選ばれた人間達」は、他の人間達を支配する権利を確認するために、「神を真似し、神と同一の行動」を取る
神と同様、選ばれた人間達は人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を定期的に行う義務がある

★ 上記のことを理解すると、奴らの行動遠因を理解出来ると、そのことを忠実に実施していることがわかるのである
先に、奴らが作りたい未来社会について案内した
そのとき、わからないことがあった
今の人類を屠殺(食料としてだけで無く)して、最終的に数億のゴイ・人類にチップを埋め込み奴隷階級として使うことは理解できても、その後がわからなかった
しかし、これらの記述が正しいとするのなら、その後は この記述に現れる神の到着がわかった段階で、これらの全ての奴隷階級は 貢ぎ物ものとして皆殺しにしてしまうということである
奴隷階級の運命がわかったにしても、「神を真似し、神と同一の行動」を取ったにしても、やつら「神に選ばれた人間達」と認識していても、その奴らのその後がわからない
このことは 今後の課題であるが、現段階の推測では 奴らは 神の食事の為の肉塊となり目出度く神の胃袋に入ると考えている
なればこそ、地上にはびこった人型の生物は 駆除して基の自然豊かな地上の楽園になるからであるし、地球劇場の一つの芝居が演じられ終演することになる


こう記載された最古のシュメール語版聖書は、金塊の蓄積=銀行業と人類の絶滅=戦争を業とする富裕貴族達を狂喜させた

戦争により人類を絶滅させ、戦争で金儲けする貴族達の生き方が最も神に「忠実」な生き方である事が、ローマ・カトリック教会よりも権威のある最古の聖書によって証明された事になる
・・・・・・・・・}

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キリスト教だけでなく、他の宗教を理解しようとするとき、「それらのエロスの歴史・裏の暗い内容であるから探すのに苦労する」を読み解くことが本来必要である
マザー・テレサの「心の闇」の問題となって世間を騒がしたことがある
もし、マザー・テレサがバチカンの本質を理解していたら離教したと思う
しかしながら、まじめに対応したがゆえに、「心の闇の問題」の問題に衝突し長いこと苦しんだようだ
それらの内容については いろいろと野次馬が語っているようだ
少し調べてみた
何かの参考になるかもしれない

4項の<☆マザーテレサが爆弾発言!『Come Be My Light』 :マザーテレサ (1910〜1997(87歳没):>

5項の<マザー・テレサの「心の闇」の問題:スピリチュアリズム普及会:50号:>

6項の<マザーテレサは偽善者か?:霊人のひとり言::2007年9月17日 (月曜日):>

7項の<バチカンは、神ではなく悪魔が支配していた!:光の戦士たち:2009-12-29 17:30:04::>

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現在、世間にはびこっている宗教は 時の権力と結びつく、そして発展と繁栄をする
それは 地球劇場の芝居のシナリオとでもいうことを言うことが出来る
そのことを理解するに参考になりそうなものがないかと調べたら参考になりそうな内容があった8項の<世界を支配する者たちの隠された歴史:世界の真実の姿を求めて!:::>

9項の<:この世は悪魔で一杯: 歴史に出てくる「最初のエクソシスト」がイエス・キリストだと知った夜:In deep:2013年05月04日:>


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多くの人々が、地上の宗教の本質に気がつき始めた
今回は キリストとキリスト教の組織などについて、少し吟味してみた
我々は 「宗教を破壊する」ことを語り、予言にも語られている
そのことを検証しようともしている
そのことを知り理解しようとしている諸氏の参考となれば幸いである

===NO n460010:参考文献の目次===

001:イエスは自由自在に姿を変える生命存在だった?: 古いエジプトの書の解読で発見された記述:In deep:2013年03月15日
002:「サンジェルマン伯爵」について:生の不思議な世界
003:サンジェルマン伯爵:アンサイクロペディア
004:マザーテレサが爆弾発言!『Come Be My Light』 :マザーテレサ (1910〜1997(87歳没)
005:マザー・テレサの「心の闇」の問題:スピリチュアリズム普及会:50号
006:マザーテレサは偽善者か?:霊人のひとり言::2007年9月17日 (月曜日)
007:バチカンは、神ではなく悪魔が支配していた!:光の戦士たち:2009-12-29 17:30:04
008:世界を支配する者たちの隠された歴史:世界の真実の姿を求めて!
009:この世は悪魔で一杯: 歴史に出てくる「最初のエクソシスト」がイエス・キリストだと知った夜:In deep:2013年05月04日
010:本来の人間の有り様とはどんなものなのでしょう:ロック

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===NO n460010:参考文献の目次詳細===

===1===============

イエスは自由自在に姿を変える生命存在だった?: 古いエジプトの書の解読で発見された記述:In deep:2013年03月15日:

http://oka-jp.seesaa.net/article/347234379.html

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「特定の姿を持たないキリストの姿」という記述の意味は?

▲ その記述があるコプト語という古代文字で書かれた 1200年前のエジプトの書
ニューヨークのモルガン図書館に写しがあるものを最近解読したのだそう
−−−
今回は上のようなタイトルのような「やや不思議なキリスト関係の記事」で、

「イエスは特定の形を持たず、見た目が変わる
時に彼は赤く、時に彼は白い
そしても時には小麦色になる
修道僧のように見える時もあれば、若者に見える時もあるし、老人に見える時もあるのだ」

なんてことが 1200年前のコプト語で記されたエジプトの書に書かれてあることが最近わかったという米国の報道です

最近のローマ法王の話なども含めて、思えば昨年来、キリスト(教)関係の記事を記すことは多かったです
「ロシアとキリスト」なんてのも昨年はよく出てきました

民族って何だろう

今日の本題とは関係ないんですけれど、「ロシアとキリスト」と書いた時に、最近見つけた下の写真を思い出しました
なんだかシチュエーションがよくわからないのですが、すごい雰囲気の写真だと思いませんか?

真ん中にプーチン大統領がいる以外は、誰と誰が何のために並んでいるのかよくわからない
写真に出展元がなく、探してみましたら、ロシア大統領広報サイト「プレジデント・ロシア」の 2012年11月4日の記事のものでした
そして、これは、ロシアの「民族統一の日」という記念日の写真だそうで、なるほど、いろいろな民族衣装の人が一緒に写っているのはそういうことか・・・とは思うんですけれど、この写真が放つ「違和感」が気になります
相当いろいろな歴史があったんだろうなあと思って、「民族統一の日」というものがどんなものか調べようと思いましたら、日本語記事がありました

ロシアの声の日本語版です
全文は、非常に長い記事で、こちらにあります
記事の中で目を引いたのは、ロシアの声の記事によれば、
> 奇妙に思われるかもしれないが、民族統一の日の意味について、多くのロシア国民はそれがよく分かっていない
という下りがあることでした
続けて、ロシア戦略研究所のレオニード・レシェトニコフ所長という人にその意味を尋ねると下のような答えが返ってきます
過去において人々をまとめたのは信仰であり、神への愛でした
これが主要軸だったのです
現在、このファクターはかつてほどの役割を担っていないのかもしれません
しかし祖国への愛、自分の国への愛、自分の家、自分の家族への愛はいまでも変わらずに残っています
それらすべてを合わせて、ロージナ(故郷)という言葉になるのです

なんだか曖昧な「民族統一の日」の概念ですが、同時に「出た、ロシアでの神への愛」という気持ちにもなり、キリストの名の概念の下に着々と国を作り続ける概念が私の頭の中を行き来します
この「ロシアとキリスト教」については、昨年のプッシー・ライオット事件などの前後に何度かご紹介したことがあります
下の記事などは代表的なものです

・「西側の大衆文化は悪魔に牛耳られており、米国はキリスト教を滅ぼそうとしている」: ロシアメディア
 2012年09月06日

あと、最近は、キリストを直接めぐる話ではないですが、「イスラエルと中国の関係の話」なんてのも最近は記事としていくつかありました

・イスラエルの「嘆きの壁」に中国人民解放軍の参謀総長が立つ姿を見た日
 2013年01月31日

というような記事がそれですが、インターネットでいろいろと写真を見てみると、上のプーチン大統領みたいな感じとは違いますけれど、下みたいな「聖地といわれる場所に住む人々との関係」の写真も出てくるのですね

写真のキャプションには「毛沢東とユダヤ人のハイレベル会談」と書かれているだけで、場所とか年代とかはわかりません
毛沢東以外の人が誰かわからないですけれど、クレジットには、フランク・コー( Flank Coe )、イスラエル・エプスタイン( Israel Epstein )、エルシー・フェアファクス・コルメリー( Elsie Fairfax-Cholmely )、ソロモン・アドラー( Solomon Adler )などとあります

上の写真を見た時に、とても違和感のあったことは「中国人である毛沢東が公の席で足を組んでいること」でした
今でも、中国や日本人を含めたほとんどのアジア人は公の場では足を組みませんし、それは大変に失礼なことのはずです
西欧人もそれに従って、相手が東洋人の場合は普通は足を組みません
しかし、それでもこの「首脳会議の場で足を組む」違和感は西洋人にはもしかしたらわからないと思います
日本人である私には強烈な違和感となってうつります
マオさん、あんたはナニ人だ?
いずれにしても、ずいぶんと昔から、イスラエルと中国との間にはいろいろとあったのかもしれません
私は一般的な、いわゆる世界史を今でもあまり知らないですので、過去記事のように、中国人民解放軍の参謀総長が嘆きの壁の前で「神にお祈りをする姿」なんてのは驚いたわけですけど、そんなに驚くことではなかったのかもしれないですね

▲ 嘆きの壁で祈りを捧げる中央軍事委員・人民解放軍総参謀長の陳炳徳さん
イスラエルの shturem より

というわけで、今日の本題です

ここから翻訳に入りますけれど、文中に出てくるいろいろな人名や言葉でわからないものがありますので、そのたびに調べたものを注釈として入れておきます
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Shape-Shifting Jesus Described in Ancient Egyptian Text
Yahoo! News (米国) 2013.03.12

古代のエジプトの書に描かれていたのは「自在に姿を変えられるキリストの姿」だった

▲ 研究者たちが 1200年前の古い書を解読した結果は驚くべきものだった
最近になって初めて解読された約 1200年前のものだと考えられているエジプトの書には、イエス・キリストの磔(はりつけ)のストーリーに関して、作り話ではないかとさえ考えられる、これまで見たことも聞いたこともないような光景が描かれていた

この書はコプト語で記されているもので、イエスの処刑に関与した総督ポンテオ・ピラト(ポンティウス・ピラトゥス)についてのストーリーが記されている

ポンティウス・ピラトゥス
ポンティウス・ピラトゥス(生没年不詳)は、ローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督(在任:26年 - 36年)
新約聖書で、イエスの処刑に関与した総督として登場することで有名

イエスが磔になる前、ピラトはイエスと夕食をとり、ピラトは自分の息子をかわりに生け贄として処刑すると申し出る
また、なぜユダがイエスを捕らえる時にに「ユダの接吻」として知られるキスをイエスにおこなったについての理由が具体的に描かれている
その理由とは「イエスが自由自在に姿を変えることができたから」だと、この書物には書かれてあるのだ
そして、この書においてイエスを捕らえるには木曜の夕方よりも水曜日の夕方にしたのは(一般的にはイエスは木曜に捕らえられたとされている)、復活の計画と何らかと関係があるらしい

ユダの接吻
マルコによる福音書 14章 45-46節
ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した
人々は、イエスに手をかけて捕らえた

絵はジョット作『キリストの捕縛』(部分)
グレゴリウス講座より

もちろん、これらの古い書物から見つかった記述が事実を示していることを意味するわけではない
しかし、当時の人々はむしろここに書かれてあることを信じていたように見えると、オランダのユトレヒト大学のローロフ・ブロエク( Roelof van den Broek )教授は述べる
ブロエク教授は「エルサレムの偽の聖者シリルとキリストの受難」の著者でもある

今回のエジプトの古書の写しは、ひとつは、ニューヨーク市のモルガン・ライブラリー(モルガン図書館)で見つかり、残りは、米国のペンシルバニア大学の博物館で発見された
以下、モルガン・ライブラリーにあるコプト語の写本の内容を部分的に抜粋する

ピラトのイエスとの夕食

ピラトはイエスに自分の息子を代わりに生け贄にすると申し出て、ピラトは金曜日にイエスと夕食をとった
イエスはピラト本人と、そしてピラトの家の者すべてを祝福したという
ピラトは、イエスに自分のひとり息子を身代わりに処刑することを申し出る
そして、イエスが望むなら、逃げることができるとピラトはイエスに言う
イエスが「ピラトよ」と言うので、ピラトがイエスを見ると、「イエスの姿は消えていった」ことが書物には書かれている

ユダの接吻の理由

聖書には、ユダは、親愛の表現であるはずのキスを裏切りの合図として使い、銀貨と引き替えにイエスを捕らえる裏切り行為として描かれている
しかし、このエジプトの書には、ユダがキスをした理由は「イエスには姿を変える能力があったからだ」と説明されている

ユダヤ人たちはユダにイエスについて下のように述べている

「イエスは特定の形を持たず、見た目が変わる
時に彼は赤く、時に彼は白い
そしても時には小麦色になる
そして、イエスは修道僧のように見える時もあれば、若者に見える時もあるし、老人に見える時もあるのだ」

その理由、つまりイエスの姿が次々と変化していくことから、ユダにイエスにキスをさせてイエスを特定するという方法を考えたことが書かれている

この「ユダの接吻」の意味については、古くから様々な説明がなされているが、4世紀に書かれた書物には「イエスを見た人たちは、イエスがどんな者とも似ていないと言う」といったことが書かれている

先のユトレヒト大学のブロエク博士によれば、エジプトでは、4世紀から5世紀にかけて、聖書が正式な聖典として認められていたという
しかし、特にキリスト教の修道士たちの間では、今回のエジプトの書にある出所の不確かなキリストの話は、よく受け入れられていたという

ブロエク博士は以下のように言う

「ここに描かれていること(キリストの姿が自在に変化していくこと)をイエスが実際におこなったと考えることは確かに難しいです
しかし、夕食に関しての描写などを読むと、あるいは本当にあったかもしれません」

「当時の人々はとても教養深い人たちでも厳格な歴史的態度を持つことはしませんでした
奇跡はまったく可能だったのです
さらに、それが古い話だから正しくないという理由はどこにもありません」


戻り


===2===============

「サンジェルマン伯爵」について:生の不思議な世界:

http://hanarikousei.seesaa.net/article/32756867.html

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「サンジェルマン伯爵」について

今日は、世にも奇妙な人物、「サンジェルマン伯爵」の紹介です

この人は、世界で最も有名なタイムトラベラー
というかこの人以外に、こんなに時代を経て出没した人を他に知らないんですが^^;

CSVファイルからサイトを自動生成!マッドアフィリエイター(Mad Affiliator)(ウィキペディアより)

「不死の人」と呼ばれ、ヨーロッパ各所に様々な年代に現れた怪人だが、確認できる記録に現れるのは1710年
フランスの音楽家ジャン・フィリップ・ラモーの日記によれば、当時50歳前後に見えたという
しかしその25年後、1735年にオランダのハーグに現れた彼は25歳前後に見えたと言う
その後、1750年にルイ15世と謁見した彼は40歳前後、1760年前後のルイ15世時代のヴェルサイユ宮殿には50年前と同じく50歳前後の姿で現れている(これらの記述から、1710年の人物と1735年以降の人物は 別人であるとする説もある)

多くの外国語に堪能で医学や科学の知識にも優れ、優雅で洗練された物腰のため、フランス宮廷で人心を集めた
ヴォルテールをして「彼は何でも知っている」と言わしめたという
ルイ15世の依頼でダイヤモンド内部の傷を取ったという話も残っている

ポルトガル系ユダヤ人とも、ルーマニア王家に縁の人物(ただし、当時ルーマニアは国家としてはまだ存在していなかった)ともいわれ、自分の年齢を二千歳とも四千歳であるともし、ソロモン王やシバの女王と面識があったとも語った
十字軍では、パレスチナにおいて、イングランド王リチャード1世とも会話したともいう
また「自分は不老不死なので、霊薬を口にする他は食事は必要としない」と言って、実際に人前では全く食事をしなかった

ルイ15世はサン・ジェルマンを気に入り、シャンボール城に彼のための錬金術実験室も用意させた
またフランスの外交特使として各国に派遣され活躍したが、同時にプロイセン王国のフリードリヒ大王にも仕えた秘密外交官であったと言う
1762年、ロシアのエカチェリーナ2世の即位に至るクーデターに加担したとも言われている
(この時にはヴェルダン伯爵という別名を名乗っていた)

しかしルイ16世の代になると先代ほどの信頼を得ることができず、フランス革命を予言して警告するも、聞き入れられなかった
その後フランス革命前後の時期にもフランス国内に現れ、1792年の王妃マリー・アントワネットの処刑の折、見守る群衆の中にサン・ジェルマンの姿があったという
また同時期の錬金術師として知られるカリオストロの師匠であったという風評も多く残っているが、この二人が接触していたことを裏付ける資料は確認されていない
サン・ジェルマン伯爵の死については、1777年にドイツのカッセルで死去とも言われているが、ドイツのエッケルフェアデ教会の記録には、「1784年2月27日死去、3月2日埋葬」という記録が残されている

しかしその後もヨーロッパ各地で目撃が報告されており、1785年に友人の前に姿を現したサン・ジェルマン伯は、これからヒマラヤに隠遁すると告げている
(但しその友人がどこの誰なのかは不明)
また1821年には教育家ステファニー・フェリシテ女史が彼に面会したと語っている
なおフランス革命後、皇帝ナポレオン1世もサン・ジェルマンの行方を追わせている
ナポレオンはエジプト遠征の前とエルバ島へ流される数ヶ月前に「“チュイルリー宮殿の赤い服の男”に出会い、助言をうけた」と言われており、この“赤い服の男”がサン・ジェルマン伯爵だという説がある

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ん〜、なんとも不思議な人ですね〜
「いつ生まれたのか」、「今はどうしているのか」というありえない疑問が自然と涌いてきますねぇ
彼は「異星人」というカテゴリに入れさせていただきます^^;


戻り


===3===============

サンジェルマン伯爵:アンサイクロペディア:

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%BC%AF%E7%88%B5

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「サンジェルマン伯爵」の項目を執筆しています

サンジェルマン伯爵(Comte de Saint-Germain、生年不詳 - 消息不明)は、ヨーロッパを中心に活躍した怪人
画家、音楽家、科学者、国家錬金術師など多彩な肩書きを持つが、その正体は謎に包まれている
「不老不死」だとか「タイムトラベラー」だとか言われているが、詳細は不明
アンサイクロペディアを生み出したのは、伯爵だという説もある

−−−
[編集]

出身地は不明
だが本人曰く、イスラエル王国のソロモン王(在位:紀元前965年 - 紀元前925年)やシバの女王と面識があったとされるので、少なくとも紀元前10世紀には生まれていたものと推測される
スペイン王妃の不義の子だとか、ポルトガル系ユダヤ人だとか、トランシルバニアのラコッチー王家出身だとか色々言われるが、紀元前10世紀にはどの国家も氏族も存在しないのでデタラメである
紀元前6世紀には、ネブカドネザル2世統治下の新バビロニア王国に滞在し、バビロンの空中庭園に感銘を覚えていた
紀元前4世紀にアレクサンダー大王がバビロンに入城した際にもそれを見物していた
その後、イエス・キリストにも会い、水をワインに変える「カナの婚礼」の場面を目撃した
12世紀にはイギリス王リチャード1世と共に、第3回十字軍に参戦
15世紀にはカスティーリャ王フェルナンド5世の大臣をしていた
1710年、ベネチアに現れ、作曲家のジャン・フィリップ・ラモーや、セルジ伯爵夫人に会った
当時50歳ぐらいの外見だったという
しかし、1735年にオランダのハーグに現れた彼は、若返り術でも実行したのか、25歳前後の外見だったという
1743年から1745年までイギリスに滞在したが、この間スパイ容疑により逮捕された
その後、インドに2年間ほど滞在
1750年にルイ15世に謁見し、専用の錬金術実験室を用意され、秘密工作研究に従事
また、再びセルジ伯爵夫人に会う
夫人は当初、伯爵を別人だと思っていたが、40年前に交わした会話内容を当てたため本人だと認定
1755年にウィーンに在住、1756年に再びフランスに戻る
この後、ポンパドゥール夫人のお気に入りとなる
実はフリードリヒ2世のスパイだったとも言われる
しかし1760年、外務大臣の企てにより失脚してフランスを追われ、1762年にはロシアに赴き、「ヴェルダン伯爵」を名乗ってエカテリーナ2世を擁立するクーデターに参加
1774年、フランスに再び戻る
ルイ16世とマリー・アントワネットに謁見を試みるが、無碍に扱われて謁見は叶わなかった
この際、「政治の舵の取り方に注意しないと、やがて恐ろしい破局が訪れます」というフランス革命の予言めいたことを忠告したという
1777年、ドイツのライプチヒに移住し、「ラゴツィ公」を名乗り、オカルトの研究に勤しむ
この後、1777年や1784年に死亡説が流れたが、この後も記録が残されているので恐らくデタラメであろう
埋葬記録もあるらしいが、多分捏造に違いない
1785年、フリーメイソンの会合に出席
同年、友人に「ヒマラヤで隠遁する」と言っている
その後、この頃に日本も訪れたらしい
1789年頃には、再びマリー・アントワネット宛に手紙を送り、王の退位を進めるが、彼女はそれを無視した
後に彼女は処刑直前の日記において、サンジェルマン伯爵の忠告に従っておけばよかったと後悔する文章を記している
1793年、彼女が処刑された際には刑場でそれを見物
1814年、赤い服を着てナポレオン・ボナパルトに会い、助言を行った
1821年、教育家のステファニー・フェリシテと会う
1822年、「これからインドに行く」と語った
その後、ナポレオン3世に興味を持たれ、資料を取集されていたが、1871年に火災により焼失
このため、伯爵に関する情報は大半が不明となっている
1939年、チベットに滞在し、中世風の服装でアメリカ人飛行士と会う
第二次世界大戦中、ウィンストン・チャーチルに会い、助言を行った
1972年、フランスで「リシャール・シャンフレー」という名前でテレビ番組に出演
キャンプ用ストーブを用いて錬金術を行い、鉛を金に錬成した

現在も生きているかどうかは分からないが、フランスでサッカーチームを持っていたり、日本でパン屋を経営している節がある

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エピソード

非常なイケメンで、洗練された物腰であり、女性に白粉やオーデコロンをプレゼントしたりして、女性にたいへんモテていた
「ダイヤモンドを溶かして、最も美しい透明度を持つダイヤモンド1ダースに錬成し直してみせる」などと豪語
自身の若さは特殊な秘薬のためであり、食べ物を必要としない身体だったという
一説にはその秘薬とは賢者の石であると噂され、本人もそれを否定しなかった
ポンパドゥール夫人からその秘薬を求められたが、「陛下やあなたに怪しげな薬をさしあげるなんて、恐ろしくてとてもできません」と言って断った
ただし自分の使用人にはいくらか与えていたらしく、「私がお仕えしてからまだ500年しか経っていません」と語っていた

ヴォルテールから「彼はあらゆることを知っている」と称賛された
ジャコモ・カサノヴァが彼の実験室を訪れた際、銅貨を盤の上に置いて伯爵が何かすると、炎が上がった後に銅貨が金に変成していた
フランス語を初め、英語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、ヘブライ語、アラビア語、ペルシャ語、中国語、サンスクリット語を使いこなすことができた
バイオリンやピアノの名手であった
絵画の腕も優れており、別の画家が教えを乞いにきたという
独特な絵の具を使っていたらしく、ラトゥールという画家にその製法を尋ねられても答えようとしなかった
なお、彼の絵画作品は現存していない
自身が開発した技術で、ベネチアに亜麻糸で絹のような織物を作る工場を持っていた
テレパシー能力を有しており、相手の質問を言われる前に見抜いたり、遠くからの電波を受信して自分が必要とされている遠方へ突然赴いたりした
フリーメイソン、薔薇十字団の会員
ダイヤモンドの傷を取ったり、絹の染色技術、皮をなめして非常に柔らかくする皮革の技術など、18世紀には存在しない技術を習得していた
ただ、ダイヤモンドの傷を取るのには1ヶ月もかかっている
エジプトのピラミッド、ヒマラヤ、インドで修行を行って色々なことを学んだ
インドには85年間もとどまったという
扉を通らずに部屋に姿を現したり、姿を消したりするという瞬間移動技術を身につけていた
本人曰く「私は永遠に時を旅しているので未来のことが分かるのです」とのことから、タイムトラベラーと思われる
ローゼンメイデンシリーズの人形を作り、「お父様」と呼ばれていたという
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、坂本龍馬、ヨハネ・パウロ1世を殺害したという
武装戦隊アースガルツの司令官で、「クライン・サンドマン」や「ジーク・エリクマイヤー」と名乗った異星人であったという
この頃には髪が紫色であった


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☆マザーテレサが爆弾発言!『Come Be My Light』 :マザーテレサ (1910〜1997(87歳没):

http://ameblo.jp/64152966/entry-11501859882.html

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北信のガス袋 さんより転載します
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マザーテレサが爆弾発言!『Come Be My Light』
http://ameblo.jp/umincosmo/entry-11255547963.html

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マザーテレサ (1910〜1997(87歳没)
表題『Come Be My Light』は本のタイトルで、マザーテレサ著
テレサの死後10年後、2007年に出版されました
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「私には神(光)が見えない!
50年間、私は虚しい暗闇を生きてきた!
虚しい!
孤独だ!」

「私は神の存在を確信できなかった
私の信仰はどこへ消えたのか?
心の奥底には何もなく、虚しさと闇しか見えない!
この得体の知れない痛みがどれだけ辛いか!・・・・
神が存在しないのなら、魂の存在はありえない!
魂が真実でないとすれば、イエス、あなたも真実ではない!」

と、テレサが云い切れたのは、テレサがいかに真剣に、誠実に、真理を追求し続けたか! ということを表している

もし自己顕示欲(名と利)がわずかでもあれば、絶対なる神など存在しないことに気付かなかったであろう
(不公平な神ならたくさんいるが・・)

そしてバチカンは彼女の死後6年を経て、彼女に「聖人」の下の位の「福者」の位を与え、彼女の献身を称えた
しかし、その4年後に発表されたテレサの本心を知ったバチカンは、この爆弾発言(神は存在しない!魂はない!イエスは真実ではない!)によって、大混乱に陥ったのです

テレサの最大の偉業、偉大さは、ここに集約される
よくぞ云ってくれたテレサ!

「私の微笑みは仮面である」
と正直に告白し、絶望のまま死んだテレサに感涙やまず!
(「献身と修養によって神(光)が見えるようになるよ!」と教わって、真摯に70年も実行したテレサの落胆が伝わってくる・・・・)

以上、転載終わり

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マザー・テレサの「心の闇」の問題
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-50/spnl-50-1.htm

一部引用

40歳の頃に始まった「心の闇」という試練は、マザーが亡くなる87歳まで延々と続いていたのです
その点からして、マザーは「心の闇」を克服することなく他界したということになります
マザーが「心の闇」に苦悩していたという事実は、多くの人々に大きな衝撃を与えることになりました
マザーが語る積極的で自信に満ちた言葉を人生の拠りどころにしてきた人々は、強いショックを受けました
これまでマザーの「表の顔」だけが世界中に知れわたり、内面の悩み・苦しみは一切知られてきませんでした
人々はマザーの「表の姿」だけを見て感動し、憧れ、尊敬してきました
マザーの生き方を人生の手本とし、時には理想化してきました
見方によっては世界中の人々が、マザーの言葉や姿によってつくり上げられたイメージに騙(だま)されてきたと言えるかもしれません

マザー・テレサ の略歴と語録がまとめられています
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/44702814.html

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管理人

マザー・テレサに関する記事では、様々な陰謀論めいたものが出ていますが、それは恐らく、テレサが真実を語り始めたからでしょう
以下の記事には純粋な管理人の想いが綴られています
【マザーテレサは偽善者か?】
http://reijin32yoshi.blogzine.jp/shinsey/2007/09/post_c4aa.html

お勧めです ↑

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私の考えをまとめておきます
マザー・テレサの動機や行動は、純粋なものであったと思います
やはり、途中から利用されたんだと思います、バチカンなどによって
マザー・テレサが、本当に信じられなかったものは、実は、バチカンそのものであったと推測しています
バチカンそのものに、神は存在しないと気づいておられたのでしょう
それが、いつからだったのかまでは分かりませんが・・・しかし、固有名詞を出して批判することは、彼女の信条からは出来なかったと思うのです

カトリックの総本山は、悪魔によって支配されているといった言葉は、愛のみに生きる彼女には言えなかったのかもしれません
途中からは、マザー・テレサの周辺が、徐々に汚染され、おかしなものになっていったとしても不思議ではありません
彼女の告白本が出てからは、それに伴って様々なネガティブな情報が意図的に流されたと考えられます
私は、マザー・テレサを信じることにしました
ウソや偽善だけで、何十年も献身的な活動が出来る訳はないのです
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表の情報は、ここまでです
これ以降は、恐ろしくて、とても記事に掲載出来ません
内容の確認もとれていませんが、どうしても真実を知りたいという方は、以下から御覧下さい

中国政府は、調査船で311の証拠掴んでいる模様
http://ameblo.jp/64152966/entry-10422126719.html<バチカン・イエズス会とは?>
大変に見づらい動画があります


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マザー・テレサの「心の闇」の問題:スピリチュアリズム普及会:50号:

http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-50/spnl-50-1.htm

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?【1】死後、明らかにされたマザー・テレサの「心の闇」
?【2】マザー・テレサの「心の闇」に対する、さまざまな反応
?【3】マザー・テレサの「表の顔」と「内面の闇」
?【4】イエスとの出会いから始まった表と裏の両面
?【5】マザー・テレサの神秘体験と「心の闇」の真相
  ?1.マザーの神秘体験の実際
  ?2.スピリチュアリズムが明らかにするマザー・テレサの神秘体験の真相
  ?3.マザーの「心の闇」発生の真相と、2つの原因
?【6】マザー・テレサの死後の様子と、スピリチュアリズムによるマザーの再評価
  ?1.マザーの死後の様子
  ?2.霊的観点から見たマザーの真価
?【7】マザーを良き手本とし、さらにはマザーを乗り越える

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【1】死後、明らかにされたマザー・テレサの「心の闇」

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“Come Be My Light”出版の大反響

インドの貧民街の聖女マザー・テレサは、献身的で犠牲的な奉仕活動によって世界中の人々から讃美と敬意を集め、1979年にはノーベル平和賞を受賞しました
マザー・テレサの人生は、宗教の壁・人種の壁を越えた無償の純粋な利他愛の歩みそのものであり、物質文明に毒された地球上の人々に、人間としての尊厳と理想像を示すことになりました
マザーは、まさにキリスト教の神の愛の実践者でした

マザーは1997年、87歳で、インドのコルカタで他界しました
このときマザーが始めた「神の愛の宣教者会」の活動は世界123カ国に広がり、それに従事するシスターの数は3914人にのぼっていました
マザーの葬儀には、自由主義諸国ばかりでなく、社会主義圏の国々もこぞって追悼文を送りました

マザーの死後、彼女をカトリックの聖人に列するための列福運動が始まり、そのための調査が進められました
そうした動きの中で、マザーの列福運動の担当者の一人で「神の愛の宣教者会」の司祭であったブライアン・コロディエチェク神父によって、マザーが霊的指導者(カトリックの神父)たちとの間で交わした40通以上もの手紙が、一冊の本として出版されることになりました(*2007年・DOUBLEDAY RELIGION発行)
そしてそこに掲載されたマザーの手紙の内容が、世界中に大きな衝撃と反響を巻き起こすことになりました

マザーが懺悔聴聞司祭(ざんげちょうもんしさい)たちに送った書簡(手紙)には、生前は世間に一切知られることのなかったマザーの内面が赤裸々に綴(つづ)られていました
それは一般に知られてきたマザーのイメージから大きく懸け離れたもので、生前のマザーのイメージを覆すような内容でした
この本(“Come Be My Light”)の出版に先立って、その中に掲載されている手紙の一部(抜粋)と論評が米タイム誌に取り上げられ、世界中にマザーの隠された一面が報じられることになりました

*“Come Be My Light”という英語のタイトルを見ると、闇の中にいるマザーが主(イエス)に向かって「主よ、私のところに来て、私の光となってください(私を助けてください)」と訴えているかのように思われますが、実はこの言葉は、イエスがマザーを召命した際に、イエスがマザーに語った言葉なのです

したがって「汝マザーよ、立ちて(来たりて)、私の光となれ!」という意味になります

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生前のイメージを崩すマザーの「内面告白」

マザーを敬愛する人々は、神に対する深くて不動の信仰心が彼女の献身的・犠牲的な奉仕活動の源であり、純粋な利他愛の土台であると思ってきました
マザーはしばしば神への信仰を力強く語り、人々を励まし勇気を与えてきました
マザーは絶えず神に感謝の祈りを捧げています
私たちは、神への信仰のゆえにマザーの人生は、常に明るく積極的で希望に満ちたものであったと考えてきました

ところが彼女が霊的指導者(霊的指導担当の神父)たちに宛てた手紙には、それとは全く反対の“神の存在への疑念”が延々と述べられていたのです
“Come Be My Light”の出版によって、マザーを悩ませ苦しめてきた「心の闇(霊的闇)」の存在が広く知られるようになりました

マザーの内面告白を綴った手紙は、多くの人々、特にキリスト教関係者に大きなショックを与えることになりました
人々は、マザーを理想的な信仰者・揺るぎない不動の信仰者と考えてきたからです
まさかマザーが神の存在に疑念を抱き、亡くなる直前まで“神の不在感”という「心の闇」に悩み苦しんできたことなど想像だにしなかったのです

−−−
一部の神父だけが知っていたマザーの「心の闇」

生前のマザーの「心の闇(霊的闇)」について知る人間は、5人の神父を含むほんのわずかな教会関係者だけでした
マザーが自分の心の悩みを打ち明け救いを求めたのは、マザーの霊的指導担当者として懺悔告白を聞く立場にあった神父たちでした
いずれも“イエズス会”の神父たちで、ペリエール大司教、ヴァン・エクセム神父、ピカシー神父、ノイナー神父、ピート神父の5人です

彼らの他には、マザーの身近にいて長年ともに奉仕活動に携わってきたシスターたちでさえも(*マザーが最も信頼し、自分の後継者として指名したシスター・ニルマラさえも)、マザーの「心の闇」の存在を知ることは一切ありませんでした
マザーの死後、その内面の闇を知ったシスターたちが、たいへんなショックを受けたのは当然のことです
彼女たちは、どのようにしてそのショックを乗り越えたのでしょうか

神の存在に対する確信の上に堅固なキリスト教の信仰を確立していると思われていたマザーが、実は神の存在について疑念を抱いていたということは大きな驚きです
またそうした「心の闇」を告白したマザーの手紙を、カトリック教会関係者が一般向けに出版することを許可したことにも驚かされます
もちろんカトリック教会側には、マザーの内面告白を公表することが彼女の信仰を一方的に貶(おとし)めるものではなく、カトリック教会の権威を傷つけるものでもないという確信があってのことだと思われます

しかしそうしたカトリック教会の思惑とは別に、 マザーが終生「心の闇」に悩んでいたという事実の公表は、世界中に大きな波紋を引き起こすことになりました

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マザーの「心の闇」の軌跡

マザーは5人の霊的指導担当者に、自分の「心の闇(霊的闇)」をどのように告白していったのでしょうか
マザーがたどった「心の闇」の軌跡を、出版本に掲載された手紙の一部を引用して見ていくことにします

◆1953年(マザー43歳)……ペリエール大司教への告白

「私の心の中に恐ろしい闇があるために、まるですべてが死んでしまったかのようです
私がこの仕事(*インド貧民街での奉仕の仕事)を始めるようになって間もないときから、このような状態がずっと続いています」

◆1954年(マザー44歳)……ペリエール大司教への告白

「私の魂は、深い闇と悲しみの中に置かれたままです
でも私は不平を言うようなことはいたしません
神が望まれることはすべて、私を用いて成就していただきたいのです」

◆1955年(マザー45歳)……ペリエール大司教への告白

[2通の手紙から]

「私の心の中には、表現できないほどの深い孤独があります」

「私のために祈ってください
私の心のすべてが氷のように冷たいのです
私を支えていた疑うことを知らない信仰は、実際には私にとって、すべて闇を生み出すだけなのです」

◆1956年(マザー46歳)……ペリエール大司教への告白

「時々、寂しさの苦痛があまりにも大きいのです
同時に、いなくなってしまった方(イエス)への思慕の情があまりにも深いのです」

◆1957年(マザー47歳)……ペリエール大司教への告白

[2通の手紙から]

「私の魂の中には、あまりにも多くの矛盾があります
神への深い思慕の情――神との触れ合いを渇望するその思いが、繰り返し私に苦しみを与えるのです
私は神から求められてはいません
神から拒絶され、虚しく、信仰もなく、愛もなく、熱意もありません
私の魂には何ひとつ魅力あるものがありません
天国は何の意味もありません
それは私には空虚な場所のようにしか感じられません」

「私のために祈ってください
私がイエスにずっと微笑んでいられるように祈ってください
私は“神がいない”という地獄の苦悩を少し理解しています
しかし、それを表現する言葉が見つかりません」

◆1958年(マザー48歳)……ペリエール大司教への告白

「どうか私のために祈ってください
神への思慕の情が、私の心に恐ろしい苦痛を与えています
闇は大きくなるばかりです
何という矛盾が私の心に存在するのでしょう
苦痛があまりにもひどいので、あらゆる世間の評判や人々の話に何も感じることができません」

◆1958年(マザー48歳)……ペリエール大司教への告白

[一時的に「心の闇」が消滅した後、再び「心の闇」を体験するようになって]

「主は、私が闇の中にいる方がよいと思っておられるようです
主は、私一人を残してまた去ってしまわれました」

◆1959年(マザー49歳)……ピカシー神父への告白

[この手紙の中で、マザーは次のような神(主)への祈りを綴っている]

「主よ、あなたが見捨てなければならない私は、いったい誰なのでしょうか?
あなたの愛する子供は今、最も嫌われ者になっています
あなたから求められず、愛されず、私はあなたから捨てられてしまいました
私はあなたを呼び求め、すがりつきますが、あなたは応えてくれません
闇はあまりにも暗く、私は孤独です
求められず、見捨てられて、私は独りぼっちです
愛を求める心の寂しさに耐えられません
私の信仰は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか?
心の底には、虚しさと闇しかありません
主よ、この得体の知れない痛みは、何と苦しいことでしょう
絶えず私の心は痛みます
私には信仰がありません
私の心に次々と湧いてくる考え、私を苦しめる言葉にできない苦悩を口にすることはできません
答えを見い出すことのできない多くの疑問が、私の中に存在しています
私はそれを打ち明けるのが怖いのです
それが神を冒涜(ぼうとく)することであると思うと……
もし神がおられるのなら、どうか私を許してください
すべてがイエスとともに天国で終わるという希望を、信じさせてください
(中略)

愛――その言葉は何の喜びも私にもたらしません
神が私を愛していると教えられてきました
しかし闇と冷たさと虚しさに満ちた現実があまりにも大きいため、私の心は何の喜びも感じることができません
私が(奉仕の)仕事を始める以前には、愛も信仰も神への信頼も祈りも犠牲精神も私の中にありました
主の呼びかけに忠実に従う中で、私は何か間違いをしでかしたのでしょうか?
主から与えられた奉仕の仕事に、私は疑いを持ってはいません
その仕事は私個人のものではなく、神ご自身のものであると確信しています
(中略)

彼等(*同じ奉仕に携わるシスターたちや世の人々)は、私の心の中には神への信仰と信頼と愛が充満し、神との深い交わりと神のご意志との結びつきが心を駆り立てているに違いないと思っています
彼らは、私が表面上の明るさという仮面によって、どれほどの虚しさと苦悩を覆い隠しているのかを知りません
(中略)
神よ、あなたはあまりにも小さき者に何をしておられるのですか?」

マザーはこのように“神の不在感”という「心の闇(霊的闇)」の苦しみを、しぼり出すようにして神に訴えています
しかしその後で――「もしこれがあなたに栄光をもたらすのなら、もしこれであなたが喜びを得るのなら、もしこれで人々の魂があなたの御許(みもと)に導かれるのなら、もしこれが主(イエス)の渇きを十分に満たすことになるのなら、私は喜んで、人生の最後までこの苦しみを受け入れます」と述べ、キリスト教の信仰者としての道を歩むことを誓っています

ところがその2ヵ月後には、再び同じような内容の手紙をピカシー神父に送っています
「心の闇」の苦悩を告白し、神への悲痛な祈りを綴っています

「主よ(イエス様)、あなたは幼少期より私を召命され、あなた自身のものとしてこられました
私たちは共に同じ道を歩んできましたが、今、私はそれに背いて別の道を行こうとしています
地獄にいる者は、神を見失ったために永遠の苦しみを味わうようになると言われていますが、そうした彼らでも“神がいる”というわずかな希望があるならば、あらゆる苦しみを耐え忍ぶことができます

しかし私の魂は神を見失い、神が私を必要としていない、神が存在していないという魂の激痛に苛(さいな)まれています――主よ、どうか私の不敬をお許しください
私は「すべてを語るように」と言われました――私をすっぽりと取り囲んでいる闇の中で、私は自分の魂をあなたに向けて高めることができません
光もインスピレーションも私の魂に入ってきません
私は人々の魂に向けて、神の慈愛を語っていますのに……

私は、いったい何のために働いているのでしょうか?
もし神が存在しないとするなら、魂は存在できません
もし魂がないのなら、主よ(イエス様)、あなたも真実ではありません
(中略)

私の心には信仰がありません
愛も信頼もありません
あまりにもひどい苦痛があるだけです
(中略)
あなたと私との間には、恐ろしいほどに高い垣根(分離)があります
私はもうこれ以上、祈ることはできません
あなたと私を結びつける祈りは、もはや存在しません
私はもう祈りません
私の魂はあなたと一つではありません
(中略)

私はあなた(イエス様)が、大きな愛と力をもって私を今の仕事に召命された事実を疑ってはいません
私を呼び寄せられたのがあなたであったことを、私は知っています
この仕事は、あなた自身がなすべきものであるからです
しかし私には信仰がありません
私は信じていません
イエス様、私の魂を惑わせないでください」

やはりこのときも神への訴えの後に――「もし私の痛みと苦しみが、私の暗闇と分離があなたを慰めることになるのなら、主よ(イエス様)、私をあなたの望まれるようになさってください(中略)
私はあなた自身のものです
私の魂に、あなたの心の苦しみを刻印してください
私の感情を気にしないでください
私の痛みを心にとめないでください
(中略)

主よ、今だけでなく、今後永遠に私が苦しみ続けることをあなたが望まれるのなら、あとのことは心配しないでください
たとえ苦痛で弱った私の姿を見ても……
これは、すべて私の願いです
私はいかなる犠牲を払ってでも、あなたの渇きを癒して差し上げたいのです」と述べ、心の闇の苦しみの中にあっても、すべてをイエスに委ねて受け入れ、キリスト教の教義にそった方向で内面解決の道を見い出そうとする態度を表明しています

大きく乱れ、激しく揺れ動くマザーの心の様子が手にとるように伝わってきます

◆1961年(マザー51歳)……ノイナー神父への告白

「ここ11年間で、私は初めて闇を愛することができるようになりました
なぜなら今の私は、この闇が地上でイエスが味わった闇と痛みのほんの小さな一部分にすぎないことを信じているからです」

マザーはノイナー神父の霊的指導によって「心の闇(霊的闇)」を、イエスから与えられた仕事の一部分として理解し、自分が体験している闇の苦痛をイエスが味わった苦しみとして受け入れようとしました
このときマザーは、これまで闇で傷ついた心を一時的に開放することができたようです
明らかにマザーにとって霊的な転機・信仰の転機が訪れたようです
しかし、それによってマザーの心に完全な安らぎ・平静がもたらされたわけではありません
依然として「心の闇」は存在し続けたのです
半年後、マザーはノイナー神父に次のような告白をしています

「私自身について言えば、闇はとても暗く、痛みはとても辛いために、何も語ることはできません
時々、苦痛の支配がとても大きいのです
“神よ、助けてください”という私の魂の叫び声が聞こえるのです
(中略)

私の前にいるシスターたちは、神を愛し、神に近づき、日々成長の歩みをしています
しかし私は、孤独そのものなのです
空虚で、神から除外され、求められていません」

◆1962年(マザー52歳)……ピカシー神父への告白

「神はこのような状態にある私から、いったい何を得ることができるのでしょうか
私には信仰もなく、愛もないのです
先日来、私の心がどれほど暗く落ち込んでいたか、語ることさえできません
(中略)

闇はあまりにも暗く、痛みはあまりにも辛いのです
(中略)

人々は、私の信仰を見て、神のもとへ引き寄せられると言います
これは人々を偽っていることにならないでしょうか?
私は、本当のことを言いたいのです
“私には信仰はありません”と伝えたいのです
しかし、その言葉を口にすることはできません」

◆1964年(マザー54歳)……ピカシー神父への告白

「私の魂は、あまりにも暗く、あまりにも痛く、あまりにもひどいのです
(中略)

私は神を拒絶したい気がします
私にとって何よりも耐え難いのは、神の存在を渇望する強烈な思いなのです
この苦痛に満ちた心の闇のために、私がイエスからユダになってしまうことがないように祈ってください」

◆1965年(マザー55歳)……ノイナー神父への告白

「私の心と魂が求めに求めている主がいなくなってから、私の心には何も存在しません
孤独があまりにもひどいのです
どこにも頼れる人は見つかりません
神は霊的なものだけでなく、人の助けさえも奪ってしまわれました
私は誰とも話をすることができません
たとえできたとしても、私の魂には何も入ってきません
(中略)

神がいないことはどれほど辛いことでしょう
祈りもなく、信仰もなく、愛もありません」

◆1967年(マザー57歳)……ノイナー神父への告白

「これ(*ノイナー神父と会ったのに何も話せなかったこと)は、私の魂がどれほど空虚かということを示しています
(中略)

私の魂はどれほど神を、ただ神だけを追い求めていることでしょうか
神がいないことが、私の心にどれほど大きな痛みをもたらしていることでしょうか……」

◆1979年(マザー69歳)……ピート神父への告白

[ノーベル賞受賞の3ヶ月前]

「イエスは、あなた(ピート神父)を非常に愛しておられます
(中略)

しかし私はといえば、沈黙と虚しさがあまりにもひどく、見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえません
祈りで舌は動きますが、何も話せません……
(中略)

どうか私のために祈っていただきたいのです」

すでに69歳になったマザー、しかもノーベル賞を受けようとする直前においてもその心には依然として“神の不在感”が横たわり、彼女を悩ませ苦しめていました

◆1985年(マザー75歳)……アルバート・ヒュアート神父への告白

「私がシスターや人々に神や神の仕事について口を開くとき、その人たちに光と喜びと勇気をもたらすことをよく理解しています
しかしその私は、光も喜びも勇気も何も得ていないのです
内面はすべて闇で、神から完全に切り離されているという感覚です」

*ヒュアート神父は、2001年、マザーとピカシー神父との間に交わされた手紙を神学雑誌に載せ、マザーの「心の闇」の存在を初めて世間に公表しました
ノーベル賞を受賞してから他界するまでの期間にも、マザーが神父たちに内面の問題を相談していたことが“Come Be My Light”の中(第13章)で明らかにされています
死が迫った時期においても「心の闇」に苦しみ内面葛藤の日々を過ごしていた事実を、1995年(*マザー85歳、死の2年前)にマザーと会ったカーリン主教が証言しています(*ただしカーリン主教は、彼がマザーに「霊的枯渇状態を主(イエス)からの特別な贈り物として神に捧げるように……」と提案すると、マザーはその言葉を受け入れたとしています)

聖人と目(もく)されてきたマザーが“神に対する疑念”を告白していたことは、多くの人々にたいへんな驚きとショックを与えました
まさかマザーにこんな一面があったとは、誰も想像していませんでした
しかも驚いたことに、その「心の闇」はずっとマザーに付きまとい、マザーが他界する直前まで続いていたのです

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「心の闇」と、キリスト教の教義による受容との間の内面葛藤

今回出版された“Come Be My Light”の編集執筆者(コロディエチェク神父)は、マザーの「心の闇(霊的闇)」の存在に焦点をしぼり、その事実を世間に公表しました
この本はカトリック関係者によって出版されたことから明らかなように、マザーの「心の闇」を不信仰という形で示そうとしたものではありません
また、マザーの告白内容によってキリスト教のイメージが崩されるようになるとは考えていなかったことも分かります

編集執筆者は、マザーに「心の闇」があり、それがマザーの人生の50年近くにわたって存在し続けてきた事実を示すと同時に、マザーが「心の闇」の悩みを複数の神父たちに告白し、キリスト教的な霊的指導を受ける中で教義に従って乗り越えようとしてきた歩みも伝えています

マザーが自分の霊的指導者たちに「心の闇」の苦しみを訴えるたびに、彼等はキリスト教の教義にそった答えを示し、「心の闇」に対する姿勢や克服の方法(考え方)を教えてきました
キリスト教の中に身を置いているマザーには、神父たちが示す方向性は満足できるものではなくても、正しいものとして受け止められていたはずです

特に「心の闇」が発生するようになって10年ほど経ったとき(*1961年、マザー51歳のとき)に出会ったノイナー神父による指導は、マザーの心を揺り動かして大きな転機をもたらすことになりました
そのときマザーは、初めて得心がいく答えを与えられたと思ったようです
ノイナー神父との出会いがきっかけとなり、「心の闇」を前向きに積極的に受け止めようとする姿勢に変っていくことになります
しかし、それによってマザーの心から闇が消滅したわけではありません
その後も他界するまで苦しみは延々と続くことになります

マザーは、神父たちに「心の闇・霊的渇きの苦しみ」を訴え、彼等によるキリスト教的な指導を受け入れ心を治めようとします
それでもマザーの「心の闇」は消え去ることはなく、ある神父に悩みを打ち明けたかと思えば、また別の神父に相談するといったことを終生続けていったのです

マザーのこうした心の動きをたどっていくと、自分が抱える「心の闇」とキリスト教の教義との間で激しく揺れ動き、苦悩してきたことが分かります
何よりも死を控えた時期においても心が満たされない状態を訴え、指導を仰いでいたという事実は、マザーが人生の最後の最後まで内面葛藤の苦しみの中にあったことを端的に物語っています

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【2】マザー・テレサの「心の闇」に対する、さまざまな反応

マザー・テレサという“信仰者の鑑(かがみ)”と思われてきた人物が“神の存在への疑念”を抱いていたという事実は、キリスト教関係者に衝撃を与えただけでなく、他の宗教や一般の人々の間にも大きな反応を引き起こすことになりました

ここではマザーの「心の闇(霊的闇)」の告白に対する、さまざまな反応と見解を見ていきます

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キリスト教関係者の見方・見解

キリスト教関係者は、マザーの「心の闇」を信仰の危機として捉えるのではなく、むしろその闇はマザーの信仰にとってプラスをもたらすものであったと認識しようとします
マザーの苦悩をイエスや貧しい人々の苦しみと重ね合わせ、それはイエスや貧しい人々と苦しみを分かち合い共有する体験であったとするのです
そしてその内面葛藤を通してマザーは、人類を救おうとするイエスの苦しみの一端を担うことができたと言うのです

実際にマザーは、こうしたキリスト教的な考え方にそって「心の闇」の苦しみを受け入れようとします
それがイエスの使命に寄与することであり、イエスから与えられた自分の使命であると理解しようとしたのです
キリスト教関係者の多くは、マザーは信仰における喜びと苦しみの両方を体験しながら信仰の道を全うした、としています

“Come Be My Light ”の編集執筆者であるコロディエチェク神父も、まさに同じように捉えています
彼は「結び(最終章)」で次のように述べています

「マザーが最初、イエスから召命されたときには、彼女は光で満ち溢れていました
マザーが聞いたその声は、彼女の魂を神の近くに引き寄せ、よりいっそう神を求めさせることになりました
ところが神の光は、その後すぐに不在の闇となってしまいました
あとに続いた寂しさは、マザーがそれ以前に味わった強烈な慰め・喜びと同じくらい激しいものでした

マザーは十字架の秘密を共有するために、キリストの受難を通して神と一つとなるために、また彼女が奉仕する貧しい人々と一つとなるために召命されました
イエスの苦しみを共有することで、マザーは『貧しい人々の中の最も貧しい人のため』というイエスの渇きの痛みを深く認識することになりました
彼女が体験し手紙に記した心の闇は、容赦のない苦痛でした
(中略)

この厳しい試練の最初から最後まで、マザーは自分の使命に忠実であり続けました
(中略)

イエスから愛されず、必要とされていないと感じる心の痛みを乗り越えて、マザーはイエスへの愛を示すために、またイエスに喜びを与えるために、最大限の努力をしました
(中略)

マザーの闇の苦痛は、磔(はりつけ)にされた配偶者(イエス)と彼女をより親密に結びつけることになりました」

キリスト教関係者が言うように、マザーの「心の闇(霊的闇)」がイエスの苦しみを共有する体験であるとするなら、それはイエスと固く結ばれるきっかけとなります
苦しみに耐えることでイエスとの絆が深まり、苦しみは喜びへと引き上げられることになります
さらに苦しみが大きければ大きいほど、イエスとの関係は密接なものとなり、より大きな喜びが得られるようになります
事実、マザーはこうしたキリスト教的な解釈によって「心の闇」を受け入れ、その苦痛を乗り越えようとしました
しかしそのような解釈では、マザーの魂から発する“霊的欲求”を満たすことはできませんでした
一時的には理性で納得しても、時間をおくと再び心の中に闇の苦しみが湧き起こり、激しい葛藤を繰り返すことになりました
そしてその苦しみは、人生の最後に至るまで続いていくことになったのです

カトリック教会サイドでは、マザーは「心の闇」を抱きつつも、霊的指導者たちの導きを受けてそれをキリスト教的に受け止め、喜びに転じていくようになったと考えています
「心の闇」は確かに存在したけれど、それはマザーにとって決定的な信仰の危機を招くような深刻なものではなかったと捉えています
しかし現実には、マザーは繰り返し闇にとらわれ、悩み苦しんできました
マザーの心は「霊的闇」の苦悩と「キリスト教的な解釈」による克服という葛藤の中で激しく揺れ動き、その葛藤は死を迎える直前まで続いていたのです
こうした事実からして、キリスト教関係者が主張するように「心の闇」がマザーの信仰にプラスになったとは、とうてい考えられません

「心の闇」の苦しみは、イエスの苦しみを共有する体験であるとの認識は、キリスト教の教義に基づくものです
しかしその教義自体が間違っているとするなら、「心の闇」をキリスト教的な解釈によって乗り越えようとしたマザーの内面葛藤は、すべて的外れであったということになってしまいます

“スピリチュアリズム”から言えば、マザーの「心の闇」の問題はキリスト教の教義の間違いから発している、ということです
キリスト教会の霊的真理に対する無知が、マザーを長期間に及ぶ苦悩の道に追いやることになったのです
キリスト教の教義の間違いが、マザーに「心の闇」という悲劇をもたらすことになったのです

こうした点については【5】で詳しく取り上げます
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他宗教やキリスト教他宗派の見方・見解

イエスを救世主とは認めないキリスト教以外の宗教(*イスラム教・ユダヤ教・仏教など)からすれば、熱心なクリスチャンであったマザー・テレサが神の存在に疑念を抱き、人生の長い期間を苦しみ続けてきたという事実は、キリスト教の教義そのものの間違いを証明しているということになります

一方、マザーと同じキリスト教に属しながらも、正統派の教義(*三位一体論・贖罪論など)を認めないキリスト教の他宗派の人々も、カトリックの教義が間違っていたためにこうした結果を招いたのだと考えます
そして自分たちの宗派の教義こそが真実であるとの優越心に浸ることになります
しかし、そうした他宗教・他宗派に属する人々が自分の心を厳しく見つめてみたとき、本当に神の存在を実感していると断言できるでしょうか?
また自分と同じ宗教・宗派に属する者たちがマザーの心の揺らぎを非難できるほど立派な人間であるかどうか考えてみれば、必ずしもそうとは言えない現実に気づくはずです
誰もが、マザーを非難する資格がないことを自覚するようになるはずです

他宗教・他宗派の中に、教義どおりの信仰を全うしている人間が、果たしてどれほどいるでしょうか?
もしかしたら一人もいない、ということになるかもしれません
このように考えていくと、マザーの「心の闇」の苦しみは、宗教・宗派を超えたある意味でいずれの信仰者にも共通する問題であることが分かります

自分たちの宗教・宗派こそが正しい教えを説いているとし、それを基準にマザーを非難することは間違っています
どのような宗教・宗派の教えであっても「霊的事実」に照らしてみれば、多くの間違いを含んでいます
その間違った教義に忠実にそっていこうとすると、やがてその矛盾が苦しみとなって表面化してくるようになるのです
マザーも、キリスト教(カトリック)の間違った教義を信じて真剣に歩んできたために、悲劇的ともいえる苦しみに遭遇することになってしまったのです

マザーの真価は、「利他愛」という神の摂理に忠実に従ったところにあります
この点でマザーは、他の宗教・宗派の人々に優っています
マザーのように民族・宗教の壁を越えて自己犠牲的な人生を送った人間は、めったにいません
確かにマザーは、信仰的な悩みを持ち続けました
しかし「霊的観点」から言えば、実際の無私無欲の献身的な行為こそが、マザーの真実の「霊的価値・霊性」を示しているのです

他宗教・他宗派の人々が、神の存在に疑念を持ったという点を引き合いに出してマザーを“不信仰”と非難することは簡単ですが、彼らも(次で述べる)無神論者たちの目には、マザーと何も変らない“偽善的人間”に映るはずです

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無神論者・唯物論者の見方・見解

マザーが「心の闇」を抱いていたことに対して、最も辛らつな批判を浴びせるのは、言うまでもなく神の存在を受け入れない無神論者たちです
“無神論者”からすれば、現実にいるはずがない神を信じ、そのために人生のすべてを捧げるというようなことは、愚かな行為以外の何ものでもありません
無神論者にとっては、マザーだけでなく他宗教・他宗派の信仰者も皆、等しく偽善者なのです
しかし無神論が正しいという根拠はどこにもありません
無神論者は、「無神論」という宗教(思想)の信者と言えます
勝手に“神はいない”と思い込んでいるにすぎないのです
神を信じる宗教をすべて一括(ひとくく)りにして“アヘン”と決めつけることは、知性の乏しさを物語っています
神の存在を頭から否定したり、物質という目に見えるものしか信じようとしないことは、その人間の霊性の低さを示しています
無神論者・唯物論者が信仰者を非難するとき、その顔にはしばしば軽蔑(けいべつ)の表情が浮かんでいます

しかし考え方によっては、そうした無神論者もある意味で必要な存在と言えるかもしれません
なぜなら、それは間違った教義を押し付け、人々を霊的奴隷状態に陥(おとしい)れてしまうこの世の宗教に対する牽制(けんせい)になるからです
人々の魂を牢獄に閉じ込めてしまう間違った宗教は、無神論者よりもさらに質(たち)が悪いのです

したがって無神論者・唯物論者が、今回のマザーの「心の闇」の問題について“それ見たことか”と非難するのに対して、スピリチュアリズムでは彼らの主張にそれなりの正当性を認めるのです
この世のほとんどの宗教は霊的真実から外れた間違った教えを説き、それを人々に強いています
その結果、純朴な人々を“霊的牢獄”に閉じ込め、霊的成長を妨害することになっています
地球上のすべての宗教が、こうした大罪を犯しているのです

霊的観点からすれば、マザーも間違った宗教ドグマの犠牲者の一人であった、と言えるのです
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心理学者の見方・見解

マザーの「心の闇」の問題を、信仰的な観点からではなく、心理学的な観点から解釈しようとする人々もいます
マザーという信仰者の見本ともいうべき人間が、どうして神の存在に疑念を持つようになったのかを、人間の心理の面から探ろうとするのです
信仰心の中身にアプローチするのではなく、マザーの「心の闇」を心理状態の変化の面から、あるいは精神現象の面から捉えようとするのです

しかし、そもそも信仰心の何たるかも分からない心理学者が、信仰者の心をあれこれ詮索(せんさく)するということ自体、僭越(せんえつ)としか言いようがありません
心理学的なアプローチというと、何かしら客観的でアカデミックであるかのように映りますが、その結論は往々にして的外れのことが多いのです

マザーの心に闇が生まれるについては、マザーの個人的な性格が関係していることは明らかですが、それが「心の闇」の主な発生原因ではありません
マザーのような激しい性格が信仰と結びつくと、徹底して純粋さを追及するようになります
当然、視野は狭くなって心のゆとりが失われ、取り越し苦労やさまざまな悩みを抱え込むようになります
しかし同じカトリックの修道者の中にも、マザーと似た性格を持った人間や、同様の立場に置かれた人が多くいます
そうした人たちが皆、マザーのような「心の闇」を持つようになるわけではありません

仕事の多忙さ・修道院運営の責任の重さ・貧しい人々と触れ合う時間の減少といった点が、マザーの「心の闇」の発生原因として指摘されることもあります
しかしこうした問題も、マザーだけに当てはまるものではありません
またマザーが神秘体験で味わった衝撃がある種のトラウマになって、そこから苦しみが発生するようになったとの心理学的な説明がなされることもあります

確かにマザーの「心の闇」は、36歳のときの神秘的な特殊体験から発生するようになりました
その点から考えると、マザーの「心の闇」は一種のトラウマと言うことができます
ただしマザーの「心の闇」は霊的次元から発生しているものであって、心理学が対象としている表面的な精神現象ではないのです
マザーの「心の闇」の真相を明らかにするためには、心理学的アプローチではなく心霊学的アプローチが必要とされるのです

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マザー・テレサのファンを自認する人々の反応

生前のマザーのイメージが崩されて最もショックを受けたのが、“マザーファン”と言われている人々ではないでしょうか
キリスト教関係者が大きなショックを受けたのは当然のことですが、先に述べたように、キリスト教では「心の闇」を善いものとして位置づけすることができます
しかしこれまで一方的にマザーを理想化してきた人々にとって、マザーの「心の闇」の公表は、たいへんな混乱を引き起こすことになりました
ある人はマザーの隠された信仰的苦しみの深さを知り、信仰の世界の凄まじさを見せつけられ、信仰のない自分がマザーを勝手に理想化し慕ってきた軽率さを恥じるようになったかもしれません
実際のマザーは、無邪気なマザーファンが考えているような人間とは全く違っています
マザーは、神(イエス)に対して一途で強烈な憧れを抱き、それを実感できない苦痛に苛(さいな)まれてきました
マザーは、表と裏の異なる2つの顔を持った人間だったのです

世の中には大勢のマザーファンがいます
彼らはこれまでマザーの表に現われた部分、メディアで取り上げられた「表の顔」だけを見て、マザーのファンになってきました
彼らの多くが、マザー・テレサのファンであると自認することによって、自分自身が善人になったかのように思い込んできました
あるいは周りの人々から善人と思われることを期待して、そうしてきたのかもしれません
しかしマザーの本当のファンであるなら、何よりもマザーの無私無欲の生き方を見習うべきです
献身的・犠牲的なマザーの生き方に倣(なら)って、自分の人生を自分より恵まれない人々のために捧げるべきです
マザーのファンになるということは、人間の目ではなく神の目を気にして、純粋な奉仕的人生を送ることなのです
そうした努力がないところでマザーのファンを公言するのは、ある意味でマザーを利用することであり、自分自身を欺(あざむ)くことになってしまいます
それは本質的には、この世の人々が歌手やタレントやスポーツ選手のファンになるのと同じことなのです

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【3】マザー・テレサの「表の顔」と「内面の闇」……マザーの二面性と、その大きなギャップ

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マザーのキリスト教に基づく奉仕精神と「神の愛の宣教者会」

世界中の人々がマザー・テレサの中に、確信に満ちた神への信仰と明るく積極的な行動力、そして純粋に自己を犠牲にする利他愛・奉仕精神を見てきました
実感のともなった揺ぎない神への信頼と、祈りを通してのイエスとの深い交わりこそが、マザーの活動の原動力であると思ってきました
マザーが語る言葉は、国家や民族・宗教の壁を越えて、多くの人々の心に感動と勇気と励ましを与えてきました
世界中の人々がマザーの姿から、人間の尊厳と理想的な生き方を学ぶことになりました

マザーは1950年、40歳のときにインドの貧民街に「神の愛の宣教者会」をつくり、貧しい人々の中の最も貧しい人に愛の手を差し伸べ、神とイエスの愛の教えを啓蒙してきました
一人一人の人間は神にとってかけがえのない存在であるということを奉仕活動を通して人々に気づかせ、理解させようとしてきました
マザーは、「あなたが私の兄弟にしたことは、私にしてくれたことである」というイエスの言葉の真実性を、自らの行為によって人々に伝えようとしたのです
こうした精神のもとに、マザーは「神の愛の宣教者会」を始めることになりました

マザーは、この世から見捨てられ、今にも息を引き取ろうとする哀れな人々の中にイエス・キリストの姿を見ました
彼らに仕えることは、人類のために自ら苦しみを引き受けたイエスに仕えることであると考え、喜びを持って奉仕に携わってきました
マザーは――「人間にとって最も貧しいことは、飢えて食べられないことではなく、社会から見捨てられ、自分はこの世に生まれてくる必要がない人間であったと思うことである
その孤独こそが最大の貧困である」と繰り返し述べています

マザーが目指したのは、物質次元での施(ほどこ)しや上からモノを与えるといったボランティア活動や表面的な人助けではなく、人間の尊厳に基づく「魂への奉仕(霊的奉仕)・神の愛に倣った利他愛の実践」だったのです
マザーはこの世から見捨てられた最も貧しい人々に、神から必要とされていること・愛されていることを自覚させる“霊的救い”を目的とした奉仕活動を展開しようとしたのです

マザーが設立した「神の愛の宣教者会」は、徐々にその存在を知られるようになり、多くの人々の注目を集めるようになっていきました
そしてマザーのキリスト教徒としての純粋な生き方は、世界中の人々に感動を与えることになりました

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“ノーベル平和賞”受賞のスピーチ

マザーはこうした奉仕活動の理念を、絶えず人々や教会関係者に語ってきました
1979年、マザーの献身的な奉仕活動が認められ“ノーベル平和賞”を受賞することになりました
その際――
「祝賀会にかける時間とお金があるのなら、それを私にください
それで何万人もの貧しい人々を救えます」
と言って祝賀会を断ったマザーの感動的なエピソードが伝えられています
それはマザーの奉仕精神が本物であることを示した素晴らしい出来事でした

マザーは“ノーベル賞”受賞のスピーチの中で、次のような言葉を述べています

「私は、いただいたノーベル平和賞の賞金で、家がない多くの人々のためにホームをつくろうと思います
なぜなら“愛”は家庭から始まると信じているからです
もし貧しい人々のために家をつくることができたなら、もっともっと愛が広がっていくと思います
そして愛を理解することによって私たちは平和をもたらし、“貧しい人々”――家庭の中の、国家の中の、世界の中の貧しい人々に福音をもたらすことができるでしょう
(中略)

イエスが私たちを愛したように、私たちもお互いに愛し合いましょう
完全な愛で、イエスを愛しましょう
もうすぐクリスマスを迎えるこの時、イエスを愛する喜びやお互いを愛する喜びを与えていきましょう
私たちの心に、イエスを愛する喜びを持ち続けましょう
出会うすべての人々に喜びを分け与えましょう
喜びを放つものは本物です
私たちはキリストと共にいないかぎり、幸せにはなれません
キリストは私たちの心の中にいます
キリストは私たちが出会う貧しい人々の中にいます
(中略)

私たちにはイエスがいます
イエスは私たちを愛しています
もし私たちが、神(イエス)が私たちを愛しているということを忘れさえしなければ、イエスが私たちを愛するように、私たちもお互いに愛し合うことができるのです
大きなことをしようとするのではなく、どんな小さなことにも愛を込めて行うことが大切です
そうすればノルウェーは、真実の愛があふれる場所となるでしょう」

ここにはキリスト教の愛の教えを純粋に結晶化させたようなマザーの崇高な精神が語られています
キリスト教の信仰者の模範と言ってもいいような姿勢が示されています
マザーのスピーチに世界中の人々が感動し、敬愛の念を寄せたことは言うまでもありません

以上が、これまで世に知られてきたマザーの「表の姿(顔)」の一端です
多くの人々がマザーの生き方を自分の人生の手本とし、またある人はマザーを理想化し、熱烈に憧れることになりました

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マザーの「裏の顔」

ところが2007年、“Come Be My Light”の出版によって、こうしたマザーの「表の顔」の奥に、「心の闇(霊的闇)」という全く反対の「裏の顔」があったことが広く知られるようになりました
それまで人々の目に映っていたのは、自信に満ち、信仰の中で常に神(イエス)と一体化し、喜びと感謝に溢れ、一切の苦しみを超越しているマザーの姿でした
そのマザーとは正反対の、もう一人のマザーの姿が明らかにされたのです
神の存在に対する確信が得られず、「イエスが自分から去ってしまった、イエスに愛されていない」と感じ、孤独に悩む哀れなマザーの姿が表に出されたのです

“Come Be My Light”によれば、マザーはイエスによって貧困者救済の召命を受けてから他界するまでのほとんどの期間を「心の闇」を抱えて生きてきたことになります
本格的な奉仕活動を始めてから亡くなるまでの間、ずっと神の存在に疑念を抱き、煩悶(はんもん)してきたことになります
“信仰者の鑑(かがみ)”と賞讃される外面とは対極的な、ある意味で“信仰心が薄い者”と言ってもいいような内面の問題をひきずったまま人生を歩んできたということです

もし、マザーの「心の闇」が若い一時期に限定されたものであって年齢を重ねるとともに克服していったとするなら、その苦しみは信仰を深め強固にする“良き試練”であったということになるでしょう
晩年のマザーの篤(あつ)い信仰心は、若い頃の内面の試練を乗り越えた結果として獲得されたものであったと考えられます
実際、今日まで多くの信仰者が、若い時期に霊的試練・信仰的試練に遭遇し、血みどろの内面の闘いを通してそれを克服した後に、立派な信仰的人格を確立しています
そして晩年には神とともに歩む静かな境地に至っています
しかしマザーの場合は、そうしたケースとは全く異なっています
40歳の頃に始まった「心の闇」という試練は、マザーが亡くなる87歳まで延々と続いていたのです
その点からして、マザーは「心の闇」を克服することなく他界したということになります

マザーが「心の闇」に苦悩していたという事実は、多くの人々に大きな衝撃を与えることになりました
マザーが語る積極的で自信に満ちた言葉を人生の拠りどころにしてきた人々は、強いショックを受けました
これまでマザーの「表の顔」だけが世界中に知れわたり、内面の悩み・苦しみは一切知られてきませんでした
人々はマザーの「表の姿」だけを見て感動し、憧れ、尊敬してきました
マザーの生き方を人生の手本とし、時には理想化してきました
見方によっては世界中の人々が、マザーの言葉や姿によってつくり上げられたイメージに騙(だま)されてきたと言えるかもしれません

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マザーの表の言葉と現実のギャップ

マザーはノーベル賞の受賞スピーチで力強く神とイエスの愛を語りました
そしてお互いに愛し合うことの重要性や人工中絶の罪を訴えました
マザーのスピーチは、これまで人々が思い描いてきたマザーのイメージを明確に示していました
しかし先に述べたように、このスピーチの3カ月前、マザーは霊的指導者のピート神父に、それとは正反対の告白をしているのです
「私はといえば、沈黙と虚しさがあまりにもひどく、見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえません」と、自分の哀れな姿をさらけ出しています
ノーベル賞の受賞スピーチとこの告白を比較してみれば、天と地ほどの食い違い・ギャップがあることが分かります
明らかに一方は“光”で、一方は“闇”です

マザーの言葉の二面性は、至るところに見られます
もう一つ実例を挙げることにします
マザーは1993年、「神の愛の宣教者会」の全メンバーに宛てて「ベナレスからの手紙」を書いています
これはマザーの死の5年前の手紙で、マザーの遺言としてよく知られているものです
その手紙の中でマザーは、次のように述べています
(*五十嵐薫著『マザー・テレサの真実』PHP研究所発行より引用)

「私はあなた方の中で、まだ本当にイエスと出会っていない人がいることを心配しております
一対一、すなわちあなたとイエスだけで、という意味です
(中略)

あなたは本当に生きているイエスを知っていますか
それは本からではなく、あなたの心の中で、あの方と共にあり続けることによって知るのです
(中略)

日常、イエスと親しく触れ合うことを諦めてはいけません
(中略)

あなたは信じられますか
もしそれ(*イエスが “I THIRST”「私は渇く」と語りかけていること――筆者)が信じられるのであれば、あなたにはイエスの声が聞こえるでしょう
イエスが現存していることが感じ取れるでしょう
あなた方一人ひとりが、イエスと密接な関係になりなさい
(中略)

あの方(イエス)が呼ばれる、あなた本来の名前を聞きなさい
一度きりでなく、毎日聞くのです
心を込めて聞こうとすれば、きっと聞けるようになり、きっと理解できるようになるでしょう」
(※下線は筆者による)

ここには、まさにマザーの「表の顔」が明確に示されています
しかし実際にはマザーは、神(イエス)の愛を求めても得られない苦しみを神父に告白しているのです
マザーがここで述べていることは、本当はマザー自身が必死に求めてきたものです
それが得られないために「心の闇」が生まれ、マザーは苦しみ抜いてきたのです
「イエスと共にあり続ける」――それはマザーが何十年にもわたって煩悶し、求め続けてきたことなのです
マザーは、自分が必死に求めても得られなかったものを、周りの者たちには“やる気しだいで手にすることができる”と言っているのです
自分には不可能なことを、他人には強く求めていたことになります
このようにマザーの表向きの言葉と現実の心との間には、大きなギャップがあります

またマザーは、同じ「ベナレスからの手紙」の中で次のようにも述べています
「生きているイエスに個人的に触れ合うことを、妨げようとしているすべてのものに気をつけなさい
悪魔は私たちが人生の痛みを感じたり、過ちを時々起こすことを利用して、イエスが本当にあなたを愛していることを分からなくさせようとしているのです
これは私たちにとって危険で、しかもとても悲しむべきことです」

ここでマザーは、イエスの存在や愛に対して疑いを持つことは悪魔の計略にはまることである、と厳しく戒めています
しかしそのマザー自身は、神父に対して「私は神から切り離されてしまった」「神の愛が信じられない」「イエスは去ってしまった」などと告白しているのです

マザーの言い分に従うなら、マザーは悪魔の計略にはめられてしまった、悪魔に騙されていた、ということになります
「表の言葉」と「内面の闇」のギャップが、ここにも見られます
(*実際には霊界にも地上世界にも、キリスト教で説いているような悪魔・サタンは存在しません
神に対峙(たいじ)し、人々を闇に引きずり込もうとする悪魔・サタンは、空想の産物にすぎません
スピリチュアリズムは霊界の事実として、キリスト教の「サタン存在説」を否定しています)

神(イエス)の存在と愛に疑念を抱くマザーの言葉を聖書の内容に照らしてみれば、明らかに不信仰・神への冒涜(ぼうとく)ということになります
聖書に述べられている「イエスが弟子たちの不信仰を嘆いた言葉」が事実であるとするなら、疑いを拭い去れないマザーは、キリスト教徒の風上(かざかみ)に置けない不信仰者ということになってしまうでしょう
人々から、ひとかけらの疑念も持っていない模範的キリスト教徒と思われていたマザーも、聖書を基準にして見れば“救いようのない人間”ということになってしまいます

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現実のマザーの姿を見据える

ではマザーは、わざとウソをついて「表の顔」をつくってきたのでしょうか?
マザーは「裏の顔」「裏の闇の姿」を隠すために、意識して「表の顔」「表の光の姿」を装ってきたのでしょうか?
――そうではありません
マザーが持っていた二面性は、この世のペテン師やニセ霊能者が意図的にウソをついて人々を騙すのとは本質的に異なっています

マザーは故意にではなく、真剣に道を求める中で光と闇という相反する2つの心・正反対の心を持って生きるようになってしまったのです
そしてマザーは、大きな内面の矛盾を抱えて激しく葛藤することになりました
これが現実のマザーの姿・真実のマザーの姿だったのです

マザーは「内面の闇」に苦悩しながらも、それを表に出すことなく(隠して)、人々のために模範的な信仰者であり続けようとしました
悪く言えばそれは“立派な信仰者を演じてきた”ということになりますが、マザーにとっては「表の顔」も「裏の顔」も意図的なものではなく、両方がともに真実であったのです
相反する2つの心が、ともにマザーの現実だったのです

私たちはマザーについて、今後はこうした見方をしていかなければなりません

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マザーに対する見方の変更――“子供の見方から大人の見方へ”

マザーについての真実とは、「マザーは表と裏の両方の面を持った人間であった」ということです
マザーを尊敬し、人生の良き手本としてきた純朴な人々にとって、そうした受け止め方はあまり好ましいものではないかもしれません
しかし真実が明らかにされた以上、マザーを一方的に理想化するといった無邪気さは卒業しなければなりません

マザーを尊敬する人々の大半が善人であり、純朴であり、奉仕精神を持っていることは明らかです
そうであるからこそ、マザーという生きた見本に憧れることになりました
しかし、いつまでもそうした見方をすることは、霊界にいるマザーを喜ばせることにはなりません
むしろ苦しめることになってしまうのです
マザーは、自らの闇の部分を人々に知られないように「表の顔」に徹する努力をしてきたと思われます
マザーの二面性は悪意から発したものではなく、善意から出たものと考えるべきなのです
(*マザーが生前、「神父たちに宛てた手紙を処分してほしい」と再三にわたって願い出ていたのは、「自分を慕っている人々にショックを与えたくない」との思いがあってのことと推察されます)

これまでマザーについて著した本の大半が、マザーの「表の顔」だけを取り上げてきました
マザーの美しく理想的な姿・感動的な一面だけを伝えてきました
いずれの本も、マザーの真実の半分を知らせてきたにすぎません
彼ら(本の著者たち)もマザーの「裏の顔」を知らなかったために、結果的にマザーの虚像をつくり上げることになってしまいました

今、マザーの「心の闇」について明らかになった以上、私たちはマザーに対する見方を変更していかなければなりません
これまでのようにマザーの力強い感動的な言葉や献身的な奉仕精神を讃美するだけでなく、マザーも私たちと同じように悩み・苦しみながら生きてきた人間であることを認めなければならないのです
その大前提に立って、マザーの本当の価値を再評価すべきなのです

マザーの心に闇が発生するようになった要因としては、さまざまなことが考えられます
「性格的な要素(あまりの純粋さ・激しさ)」「キリスト教の教義の間違い」「神秘体験に対する無知」といった原因が挙げられます(*こうした問題については【5】以降で詳細に述べていきます)
マザーは、キリスト教の教えに忠実でありたいと願い、神秘体験に対する霊的知識もない中で――まさにそれは“闇”の環境と言えますが――精いっぱい良心の命令に従って生きてきました
大きなハンディを背負って、ひたすらキリスト教の愛の実践者として歩み続けたマザーを、私たちは正しく理解しなければなりません
マザーの真実の姿を、しっかりと見つめなければなりません

これまでのような単純にマザーを理想化するといった無邪気で子供っぽいあり方を脱し、ありのままの姿を認め、その中からマザーの真の価値を見出し尊敬していくという大人としての見方と寛容性が、私たちに要求されるのです
霊界でのマザーの歩みを考えると、なおさらそうしたことが言えるのです

マザーの「心の闇」の存在が公表された今、私たちはマザーに対する見方と態度を子供から大人へと変化させていかなければなりません
スピリチュアリズムは、マザーの表と裏の両面をそっくりそのまま認め、その上でマザーの本当の価値を「霊的事実」の観点から明らかにしています

マザーを一方的に理想化するあり方も、闇の存在を攻撃材料として“すべての信仰はウソ、マザーもウソつきである”とする考え方も、ともに間違っているのです

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【4】イエスとの出会いから始まった表と裏の両面

マザー・テレサは1910年、マケドニアで生まれました
1928年、18歳のときに、マザーはマケドニアを離れイエズス会のロレット女子修道会に入り、この年インドに旅立ちました
そしてインドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を始めました

修道女としての奉仕の人生が18年に及んだ1946年、36歳のときに、マザーに大転機が訪れました
それが“イエスとの出会い”という神秘体験だったのです

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イエスとの出会いと、「神の愛の宣教者会」の設立

マザーの「神の愛の宣教者会」は、マザーが36歳のときにダージリンへ向かう列車の旅の最中に起きた不思議な体験(神秘体験)が出発点となっています
そのときマザーは、現実さながらの生き生きとしたイエスと出会い、イエスから語りかけられたと述べています
マザーはイエスから、「修道院を出て貧民街に行き、貧しい人々への奉仕活動に携わるように」との召命(しょうめい)を受けたということです
そしてマザーは38歳のときに修道院を出て、院外居住者としての生活を始めるようになります
その2年後、マザーは「神の愛の宣教者会」を開設します
この「神の愛の宣教者会」での活動が、マザーの名を広く世界中に知らせることになりました
“貧民街の聖女”としてのマザーの「表の顔」はどんどん知れわたり、多くの人々に感動を与えることになりました
マザーは“イエスとの出会い”という神秘体験によって「神の愛の宣教者会」を設立し、気高(けだか)く美しい奉仕者としての「表の顔」の路線を突き進むことになったのです

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イエスとの出会いと、「心の闇」の始まり

イエスとの出会いという神秘体験が、現在まで知られてきたマザーの「表の顔」を形成していくきっかけとなりました
マザーにとってイエスとの出会いは、まさに人生を根本から変える最大の出来事でした
ところがこの神秘体験が、マザーに歓喜と希望をもたらし奉仕活動に拍車をかけさせると同時に、皮肉にも「心の闇」を生み出すことになったのです
「神の愛の宣教者会」設立のきっかけとなった歓喜の体験が、マザーを苦しめ続ける裏の世界の出発点にもなってしまったのです
類(たぐい)まれな神秘体験をしたばかりに、マザーは「表の顔」と「裏の顔」という相反する2つの世界を同時進行させて人生を歩むことになってしまいました
周りの人々には、マザーの「表の顔」「表の姿」しか見えません
そのため人々は、時とともにマザーをますます理想化し、「裏の顔」とのギャップを拡大させていくことになりました
それによってマザーは、よりいっそういたたまれない思いを味わうようになったものと想像されます

*イエスと出会って召命を受けたという“神秘体験”が、果たしてマザーが語る通りのものであったのかどうか、多くの人々の議論の的になりました
その真相については現在まで明確な見解は示されず、謎のままになっています
世界中のキリスト教関係者や神学者も、マザーを批判する無神論者も、またマザーの献身的な奉仕活動に感動し彼女を理想化してきた人々も、この神秘体験の真相を説明することはできませんでした
しかしマザーの人生を根底から変えることになった“神秘体験”の真相が明らかにされないかぎり、マザーの本当の姿を知ることはできません
また、マザーの「心の闇」の真実も明らかにはなりません
幸いなことに今“スピリチュアリズム”によって、その真相が解明されることになりました
スピリチュアリズムがもたらした「霊的知識」によって、マザーの神秘体験の真実が初めて明らかにされることになったのです
(*それについては次の【5】で見ていきます)

マザーの二面性を図示すると次のようになります

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【5】マザー・テレサの神秘体験と「心の闇」の真相

1.マザーの神秘体験の実際

マザー・テレサは36歳のときに、“イエスとの出会い”という神秘体験によって修道院を出て貧民街に赴(おもむ)くことになりました
やがてマザーは「神の愛の宣教者会」をつくり、本格的な奉仕の人生を歩み出すことになります
一方、その強烈な神秘体験は、マザーに表の顔とは正反対の「心の闇」という裏の顔をつくり出し、生涯にわたって霊的な悩み・苦しみをもたらすことになりました

マザーの人生を大きく決定した神秘体験については、マザー自身も生前、簡単に語っていましたが、マザーの死後に出版された書籍や今回の“Come Be My Light”によって、さらに詳しい内容が明らかになりました
ここでは2007年に出版された『マザー・テレサの真実』の中から、マザーの神秘体験の内容を見ていきます

インドのカルカッタ(現コルカタ)で修道院生活を送っていたマザーに結核の兆候が見られたため、マザーは空気のきれいなダージリンに行って静養するようにと命じられました
1946年9月10日、ダージリンへ向かう列車の旅の途中、マザーが祈りをしていると眼前に突如、十字架につけられた現実さながらのイエスの姿が現れました
そしてイエスはマザーに“I THIRST”(※)と叫びました
十字架につけられたイエスの傍(かたわ)らには、母マリアや使徒ヨハネやマグダラのマリアの姿も見えました
思いがけない光景に遭遇してマザーは混乱しました
やがてマザーを乗せた列車はダージリンに到着しました

こうした一連の体験を、マザーはその後、イエスからの直接的な召命であったと理解するようになります
「神の愛の宣教者会」の設立は、この神秘体験が出発点となっています
そのため「神の愛の宣教者会」では、マザーがイエスから召命を受けた1946年9月10日を“インスピレーション・デイ”と呼んでいます

※「私は渇く」という意味のこの聖句は、新約聖書の4つの福音書の中で、ヨハネの福音書だけに出てきます

ダージリンでマザーが、列車の中での神秘体験をどのように考え受け止めてよいのか分からず一心に祈りをしていると、聖母マリアが現れて
「イエスの言われることに“はい”と言って従いなさい
今は分からなくてもその言葉に従いなさい」
と語りかけます
その後、決心が固まらないマザーに対して、イエスは再び現れて呼びかけます
イエスの声は、早く次なる行動(*修道院を出て貧民街に入ること)に移るようにと催促します

このときの様子を、マザーはペリエール大司教への手紙の中で次のように記しています(*片柳弘史・編訳『マザー・テレサ書簡集』ドン・ボスコ社発行より、マザーの手紙の一部を引用)

「イエスの仕事をインドでするように何者かが私に呼びかけているから、これらすべてのことをするのです
このような考えは多くの苦しみを生みました
しかし、その声は言い続けるのです
“あなたは拒むのですか”と
ある日、聖体拝領をしているときに、同じ声がはっきりと言いました
“私はインド人の修道者がほしいのです
私の愛のために自らを犠牲にする人々
(中略)

十字架の慈しみによって満たされ、愛に満ちた修道女たちがほしいのです
あなたは、私のためにそうするのを拒むのですか”」

「“あなたは伴侶である私のために、そして人々の魂のためにもう一歩を踏み出すことを恐れるのですか
もうあなたの寛大な心は失われたのですか
私はあなたにとって二番目に大事な存在にしかすぎないのですか
あなたは人々の魂のために死んでいません
(中略)

もう一歩踏み出すことで、あなたは私の望みに応えることができます”」

こうしたイエスの言葉に対してマザーが、「ロレット修道会でこれまで通りあなたのために努めていきたい」と述べると、イエスはさらに次のように語ります

「“私は、インド人の神の愛の宣教者たちがほしいのです
とても貧しい人々、病気の人や死にかけている人、幼いストリート・チルドレン
彼らのあいだにあって私の愛の炎となれるような人々がほしいのです
貧しい人々を私のもとに連れてきてほしいのです
私への愛の犠牲として自分の生涯を差し出す修道女たちは、彼らの魂を私のもとに連れてくることができます
あなたが最も無能な者であること、弱くて罪深い者であることは知っています
でも、私はあなたがそのような者であるからこそ、あなたを私の栄光のために使いたいのです
あなたは拒むのですか”」

イエスの言葉はマザーを恐れさせました
一方、マザーの神秘体験を聞いた教会の霊的指導者(エクセム神父)は、マザーに神秘体験のことは忘れ、これまで通り修道生活を全うするように説得します
こうしたことがあってマザーは、イエスが求める使命を自分から取り除いてくれるようイエスに頼んでほしいと、マリアに懇願します
しかし祈れば祈るほど、イエスの声はますますハッキリしたものになっていきました
そして駄目押しするかのように、マザーに語りかけます
ほとんどイエスからの脅迫のようです

「“あなたはいつも『あなたが望むすべてのことのために私を使ってください』と言っていたのではありませんか
今こそ、それを実行に移してほしいのです
私の小さな伴侶、私の小さな者よ、私にそれをさせてください
恐れてはいけません
私がいつもあなたと共にいます
あなたはこれからも苦しむでしょうし、今も苦しんでいるでしょう
でも、もしあなたが私の小さな伴侶であるなら、十字架につけられたイエスの伴侶であるのなら、あなたの心に起こるこれらの苦しみを耐えなければいけません”」

「“もしあなたが、毎日どれだけ多くの子供たちが罪に落ちているかを知っていさえすれば……
裕福で有能な人々の世話をしている修道女たちの修道院は、たくさんあります
でも私のとても貧しい人々のための修道院はまったくないのです
私は彼らを望み、彼らを愛しているのに、あなたは拒むのですか”」

マザーはイエスの言葉を記した手紙をペリエール大司教に送った後、ダージリンからアサンソールに移動します
そしてマザーは徐々に、イエスの召命に従って生きていくことを決意するようになります
マザーはアサンソールで瞑想の日々を過ごし、そこでイエスとのさらなる神秘体験を続けていくことになります

マザーは
「アサンソールでは、まるで主(イエス)が私に自分を丸ごとくださったようでした
しかし甘美で慰めに満ち、主と固く結ばれた6カ月はあっという間に過ぎてしまいました」
と述べています
マザーは再びカルカッタに戻り、貧民街での奉仕活動を始めることになります

以上が、現在公表されているマザーの神秘体験の内容です
もちろんこれ以外にも教会関係の事情などから公表されていない資料があることでしょう
特にマザーの最初の霊的指導者であったエクセム神父には、マザーは神秘体験について詳しく述べていたはずです

しかしエクセム神父がマザーから聞いた内容は、ほとんど公表されていません
マザーの神秘体験を考えるうえで重要な内容の一つがアサンソールでの“神秘体験”――甘美で慰めに満ち、イエスと固く結ばれた体験ですが、これについての詳細は明らかにされていません

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2.スピリチュアリズムが明らかにするマザー・テレサの神秘体験の真相

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マザーの神秘体験についての、さまざまな解釈

マザー・テレサの神秘体験は、大半の人々にとって、それがいったい何を意味しているのか理解できません
マザーが本当にそうした体験をしていたのか、あるいはマザーがそのように思い込んでいただけなのか判断できません
マザーが程度の悪いウソをつくような人間ではない以上、その体験には何らかの深い意味があると考える人もいます
無神論者・唯物論者なら、マザーはイエスの幻想を見ただけ、イエスの言葉を聞いたと錯覚しただけ――あまりにもイエスのことを思い詰めたために、脳内でそれが事実であるかのような思い込みを生むことになったと考えるでしょう
精神病者が幻覚を感じるのと同じようなことが、マザーに起きたと決めつけるかもしれません
マザーの神秘体験とは、彼女の心の世界にイエスが登場し、イエスが語りかけた主観的体験・単なる幻想にすぎないと思う人がいるかもしれません

このようにマザーの神秘体験は、これまでさまざまに解釈され、現在においても謎とされています

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世界中に存在する同様の神秘体験

しかしマザーの神秘体験の真相は、スピリチュアリズムの「霊的知識」によって解明されます
スピリチュアリズムの長年にわたる心霊現象の研究は、マザーの神秘体験が彼女ひとりに限定された独自のものではなく、きわめてありふれた心霊現象の一つであることを明らかにしています
もしその神秘体験がマザーだけに起きた現象であるとするなら、それはある意味で奇跡ということになります
世の中ではこうした神秘体験が信仰と結びつくと、しばしば奇跡と見なされ、その話が後世にまで語り継がれることになります

マザーと同じように神秘体験によって信仰人生が大きく転換したケースが、昔からよく知られています
“パウロ”はダマスカスに向かう途中で神秘体験をし、それによってキリスト教に対する迫害者から熱心なキリスト者に転向しました
また“聖フランチェスコ”が神秘体験によってキリスト教会の刷新運動を始めるようになったことも、同様のケースと言えます

こうした話は、キリスト教に限らず世界中の他の宗教においてもたびたび登場します

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マザーの神秘体験の真相

マザーの神秘体験は、キリスト教徒からすれば一つの奇跡ということになりますが、スピリチュアリズムや心霊学から見るなら、きわめてありふれた心霊現象にすぎません
ここではスピリチュアリズムの「霊的知識」に基づき、マザーの神秘体験の真相を解説していきます
まず、ダージリンへ向かう列車の中で、マザーが祈りをしていた最中にイエスのビジョンが見え、イエスの声が聞こえたという出来事です
これはマザーに一時的に「霊視能力」と「霊聴能力」が発現したために、霊的ビジョンを見、霊の声を聞くようになったものと解釈することができます
太古の昔から多くの霊能者が、霊界にいる霊の姿を見たり、霊の声を聞いてきましたが、マザーの場合もそれと同じことが起きたのです
他の霊能者とマザーとの違いは、彼女が見聞きしたものがイエスのビジョンであり、イエスの声であったということです

さて、ここで重要な点は、マザーが見たり聞いたりした姿や声はマザーにとってはイエスのものであったけれど、実際にはそれはイエス本人のものではなかった、ということです
霊界の高級霊がある目的のために、マザーに自分たちがつくったマザー向けのビジョンを見せ、マザー向けの言葉を聞かせたということなのです
マザーが見聞きしたイエスの姿や声はイエス本人のものではなく、霊たちによってつくられたイエスの映像であり、イエスの模声だったのです
心霊的な知識が全くないマザーは、それをイエスの姿であり、イエスの声であると思ってしまいましたが、本当は霊たちによってつくられたものだったのです

こうした形での心霊現象は、しばしば見られます
地上人が理解しやすい映像や音声をつくり出すというのは、地上人を善導するために高級霊がよく用いる手法です
マザーが聞いたイエスやマリアの声は、2人の代理者としての役割を与えられた高級霊がつくり出したものだったのです
もちろん高級霊が代理者としての役割を果たすについては、さらに高い高級霊の許可が必要となりますし、それを遡(さかのぼ)っていけば“スピリチュアリズム”という人類救済活動の最高責任者であるイエス本人にまで至ります
したがってマザーが見聞きした姿や声はイエス本人のものではないけれど、すべてイエスの指示・許可のもとで発せられており、内容としてはイエス自身のものと言えます

霊界側がこうした手法を行使することができたのは、マザーに霊視能力や霊聴能力があったからです
マザーには生まれつき「霊的能力」が備わっていたのです
言い換えれば、マザーは霊能者としての素質を持って生まれてきていた、ということです
それがマザーの長年にわたる修道生活(霊主肉従の生活)・祈りの生活によって発現する時期を迎えていたのです
高級霊はその時期を見計らってマザーに働きかけ、修道院を出て貧しい人々への奉仕の人生を送るように導いていったのです

マザーが姿を見たり声を聞いたりしたのがイエスやマリアといったキリスト教に関係した人物であったのは、マザーが日頃からキリスト教の教えだけを学び、意識がキリスト教一色に染まっていたからです
マザーは、それ以外の人物に関心を寄せることがなかったのです
もしマザーが熱心な仏教徒であったなら、シャカの映像(ビジョン)やシャカの声が聞こえたはずです
霊界サイドが霊視や霊聴を利用して働きかける際には、地上人が受け入れやすいように配慮します
そのためマザーの場合には、彼女が最も慕い関心を寄せていたイエスやマリアを用いることになったのです

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マザーの「神との合一体験・接神体験」

マザーの神秘体験とは、霊界サイドによって演出された霊視現象・霊聴現象だったことが分かりました
こうした霊界からの導きが功を奏して、マザーは真に価値ある貧しい人々への奉仕の道に踏み出すことになりました
さて、マザーの神秘体験に関してもう一つ意義深いものが、マザーが「アサンソールでは、イエスが丸ごと自分をマザーに与え、甘美と慰めに満ちた中でイエスと固く結ばれた」と述べている体験です
この体験については、イエスのビジョン(霊視現象)やイエスの言葉(霊聴現象)の時のようには多く語られていません
全くと言ってよいほど、その様子は伝えられていません
実はマザーが言葉少なく語っているこの体験こそが深い意味を持っているのですが、その体験のあまりの特殊性のために、マザーやキリスト教関係者(*エクセム神父など)によって、意図的に非公表にされた可能性が考えられます

マザーがごく簡単に触れているこの神秘体験は、古来より「神との合一体験」とか「接神体験」として知られてきた心霊現象なのです
神と一つになったかのような感覚の中で、歓喜と霊的エクスタシーを体験する現象です
修行者の間では、瞑想の最中に神と融合し一つになったかのように感じられる神秘的境地・エクスタシーの境地の存在が知られてきました
このエクスタシーの世界を一度でも体験すると、魂にその強烈な刺激が刻印され、最高の喜び・幸福感を再び味わいたいと渇望するようになります
古代インドの神秘主義では、この世界が“ニルバーナ”と呼ばれ、神と融合・合一する状態と見なされてきました
インドの修行僧や仏教の密教僧の間では、神や仏と自分が融合して一体となる境地が理想化されるようになりました

一方、キリスト教徒にも同じ心霊現象が発生します
キリスト教徒にとっては、この神秘的境地は、イエスと一体となる世界・イエスと合体する瞬間として理解されることになります
キリスト教の教義によって“修道女はイエスの花嫁である”との意識が形成されているため、この体験には実際に霊的次元での性的歓喜・性的エクスタシーがしばしばともなうようになります
これが「接神体験」です
中世のキリスト教世界においては、神秘体験はとかくサタンの仕業とされたり、魔女の証拠とされ、あまり表立って語られることはありませんでした
しかしそうした中にあっても、霊性の高まった一部の修道女たちの「神(イエス)との合一体験・接神体験」が知られてきました
接神体験をした有名な修道女として、13世紀の聖クララ、聖人ハデウェイク、聖人メヒティルト、14世紀の聖カテリーナ、15世紀の聖マージェリー、16〜17世紀のベネデッタ・カルリーニなどの名前を挙げることができます
彼女たちは神秘的な霊的境地でイエスと一体となり、霊的な官能体験・恍惚(こうこつ)体験をしてきたのです

こうした「神(イエス)との合一体験・接神体験」は、実際にはイエスと交わるのではなく、高級霊や天使の関与によって摂理に一致した形で喜びが与えられるものです
神との合一体験・接神体験は、地上人のサイキック能力が一度に大きく開かれたときに起きる現象です
大量の霊的エネルギーが入ってくることで神の存在や愛の実感度が普段では考えられないほどに高まり、発生するものなのです
この意味で「神との合一体験・接神体験」は、低俗な“憑依現象”とは本質的に異なります

“Come Be My Light”を見ると、マザーがアサンソール滞在中に、あるいはそれ以前のダージリン滞在中から、こうした体験をしていた様子がうかがわれます
マザーが高い霊性と霊能力を兼ね備えた修道女であったために「接神体験」という特別な現象が起きていたことが想像されます

「神との合一体験」は、肉体がない霊界人にはひんぱんに発生しますが、地上人の場合には肉体という物質が妨げとなって、よほどのことがない限り発生しません
長期にわたる修行生活・厳格な霊主肉従の禁欲生活・真剣で深い瞑想と祈りの生活を通して、ごく一部の人間が体験する稀な出来事となっています

先に述べたように「神との合一体験」は、文字どおり神と一つになるというものではありません
霊的エネルギーが充満し、霊的感覚が鋭敏になり、神がきわめて身近に感じられるようになる「主観的体験」です
しかし本人には、まさに神と融合・合一したかのような歓喜・幸福感がもたらされるのです
これは神が人間に与えてくださった喜び・幸福感の一つです
霊界に行ったときには、誰もが味わうことになる「至福体験」なのです

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3.マザーの「心の闇」発生の真相と、2つの原因

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神秘体験の影響の大きさと「心の闇」の正体

マザーが36歳のときに、霊視現象・霊聴現象・接神現象(イエスとの合一体験)が集中して発生しました
こうした霊界から引き起こされた心霊現象を通して、マザーは新たな人生を歩み出す決心を固めていくことになります
マザーに修道院を出る決心をさせるために、霊界側はさまざまな心霊現象を起こしてマザーに働きかけました
マザーの決心を促すために、リアルで実感的なイエスの姿を見せ、イエスさながらの声を聞かせ、イエスとの触れ合いをさせてきました
もちろんそのすべてがイエス本人のものではなかったのですが、マザーは心の底からイエスであると信じ込んだのです

36歳のときの神秘体験が、マザーの心に大きな刻印を残すことになりました
それはマザーにとって、決して忘れることのできない人生最大の出来事だったのです
マザーは神秘体験を通して現実そのもののリアルなイエスと出会い、イエスと触れ合い、イエスと一体化しました
この体験の衝撃があまりにも強すぎたため、それが失われたとき、言葉にできないほどの喪失感とショックがマザーを襲うことになりました
リアルなイエスとの触れ合いが失われたとき、“神(イエス)の不在感”という苦しみが心を占めるようになりました
実はこれこそが“神秘体験”から始まったマザーの「心の闇」の正体だったのです

イエスと出会い、イエスと交わり一体となるという体験は、マザーに歓喜をもたらしました
マザーにとっては、その体験こそが神(イエス)の存在を実感する出来事でした
そしてそれが失われると、頭(理性)では神を信じてはいても、実感のともなわない現実の中で、神もイエスもいない闇の世界が展開することになってしまいました
マザーは、その後の人生を、神(イエス)の不在感という悲しみ・苦しみを抱いて過ごすことになってしまったのです
一時期の“強烈な神秘体験”――それが神を実感することであると思い込んでしまったところから、マザーの悲劇が生まれたのです

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心霊現象に対する無知が招いた「心の闇」

マザーやマザーを指導する教会関係者に、ここで述べてきたような霊視や霊聴や神との合一体験・接神体験といった「心霊現象」についての知識があったなら、マザーの喪失感を「心の闇」として捉えるようなことはなかったはずです
マザーに、自分が体験したものはいくつかの心霊的な条件が整って発生した特殊な現象であるとの認識があれば、悩み苦しみ続けるようなことにはならなかったはずです
イエスの声が聞こえなくなったからといって、焦るようなことはなかったでしょう

一時期に神秘体験(心霊現象)が集中して発生したのは、その時が霊界側にとってマザーを新しい道に導く絶好のタイミングだったからです
その後、神秘体験が発生しなくなったのは、霊界側から見たとき一定の成果があげられて、もはや心霊現象によって導く必要性がなくなったためか、あるいはマザーの反応があまりにも的外れで、これ以上は危険であるとの判断がなされたためかのいずれかです

マザーは晩年、「ベナレスからの手紙」の中で「神の愛の宣教者会」の全メンバーに向けて、次のように述べています
「一対一でイエスと出会い、イエスの声を聞きなさい
リアルなイエスの姿を見、生きているイエスと愛において一つとなりなさい」――実はこうしたことはすべて、マザーが36歳のときの神秘体験の内容なのです
マザーは、「かつて自分がしたのと同じ体験を皆にもしてほしい!」と望んだのです

ところが当のマザーはといえば、イエスの姿も見えず、イエスの声も聞こえず、イエスとの一体感が失われて苦しみ続けていたのです
マザーは、自らの「心の闇」の苦しみを押し殺して隠し、皆には「より深くイエスと結ばれるように」とのアドバイスをしたのです
しかし、これは明らかに的外れなアドバイスです
イエスの姿を見、イエスの声を聞くためには、霊能力という生まれつきの能力が必要となります
それと同時に、霊界側の働きかけが必要です
愛があればイエスを見、イエスの声を聞けるというものではないのです
またそうした条件が整ってイエスと出会ったとしても、それは本物のイエスではない、ということなのです

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キリスト教の教義の間違いも「心の闇」発生の大きな原因

マザーが「心の闇」を発生させてしまったもう一つの原因は、キリスト教の教義の間違いにあります
修道者の生活は、いずれの宗教・宗派にかかわらず共通しています
それは、一日が祈りで始まり祈りで終わるということです
彼らの祈りは、神への懇願・願い事が大きな部分を占めています
祈りは、神に対して直接願い事をする行為となっています
実は、そこに地上の大半の宗教の根本的な間違いがあるのです

もし神と人間が直接的な関係にあるとするなら、そうした祈りは正しい行為と言えますが、実際には神と人間は直接的な関係にはありません
神は人間をはじめ万物を創造すると同時に、それらを維持するための仕組みもつくり出しました
それが「摂理(法則)」です
神と人間は、いかなる場合においても、摂理を介して間接的に結ばれるようになっています
すなわち人間は、摂理を通してのみ神と関係を持つことができるようになっているのです
これが「神の摂理」による間接支配のシステムです
この観点から神について言えば、「摂理の神」ということになります

こうした事実を人間サイドから見ると、神は常に摂理を通して現れ、人間の目には神は摂理そのもののように映ることになります
人間が常に願い求めてきた「愛の神」は、摂理の背後に隠れていて、人間の前には現れないようになっているのです
しかしこれまで地球人類は、神と人間の関係を直接的なものと考えてきました
人間が真剣に祈り求めれば、神はそれを聞き届けてくれると思い込んできました
そのため不幸や災いを取り除き、幸せをもたらしてほしいと必死に祈っても、それが実現しないと“どうして神は苦しむ自分を助けてくれないのか”と思うようになったのです
人によってはいくら祈っても聞き届けられない現実の中で、“神などいない”と考えるようになってしまいました

マザーの場合も、これと同じことが言えます
マザーは毎日、真剣に神に祈ってきました
かつてイエス(神)と触れ合い交わった体験を、もう一度させてほしいと祈り続けてきました
しかし、いつまでたってもマザーの願いは聞き届けられませんでした
必死になって祈れば祈るほど、マザーの苦しみは大きくなっていきました
マザーの「心の闇」は、神と人間が「摂理(法則)」という機械的システムによって結ばれている事実を知らなかったところから発生したものなのです
もしマザーに、あるいはキリスト教会に、「神と人間の関係は摂理を介して間接的に成立するものである」との認識があったなら、マザーの祈りの内容も、神に対する姿勢も根本から違っていたはずです
「摂理という無慈悲で機械的な形をとってしか神は現れない」と分かっていたなら、むやみに神を呼び求め、神にすがるようなことはしなかったでしょう
マザーは、ひたすら「神の摂理」に自分をそわせるようになっていったと思われます
「神の摂理」と一致した歩みをしているなら、何ひとつ心配する必要はないのだと、心を切り替えることができたはずです
マザーは「神の摂理」に対する無知から、的外れな悩みを抱え込むことになったのです

このようにキリスト教の間違った神観が、マザーの心に闇を生み出すことになりました
神を「愛の存在」としてだけ捉え、「摂理の神」についての認識がなかったために、マザーは“神の不在感”という「心の闇」を持ち続けることになってしまったのです

また、イエスを神と同一視する“三位一体”の神観も、マザーの「心の闇」の原因となっています
その間違った教義によって、「イエスの不在」イコール「神の不在」と考えるようになってしまいました
マザーは、キリスト教の教えを信じ込み、それを基にしてすべての判断をしていったために「心の闇」を発生させることになってしまったのです

こうした意味でマザーは、間違ったキリスト教の教義の犠牲者であった、と言えます
マザーは生前、多くの祈りをしてきました
毎日、早朝から神に祈りを捧げてきました
しかし神に対する間違った認識のもとでのマザーの祈りの多くは、的外れなものだったのです
とは言え、それによってマザーの人生が無意味で無価値なものになったわけではありません
マザーは、やはり聖女に相応しい霊的価値がある崇高な人生を過ごしてきたのです
最後に、スピリチュアリズムから見たマザーの真の価値について述べていきます

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【5】マザー・テレサの死後の様子と、スピリチュアリズムによるマザーの再評価……霊界でのマザーの歩みと霊的観点から見たマザーの真価

1.マザーの死後の様子

マザーは、1997年に他界しました
その死を世界中の人々が悲しみましたが、マザーは死後霊界に入ってから、どのような歩みをしたのでしょうか
マザーから霊界通信は送られてきていないため、その詳細について知ることはできません
しかしマザーと同じように特定の宗教の熱心な信者でありながら、人類への純粋な奉仕に一生を捧げた先人たちの他界後の様子が知られています
そうした高い霊性を持った先人たちの霊界での歩みから、マザーの死後の様子を推測することができます

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地上時代のキリスト教の教義を捨て、新しく「霊的事実」を受け入れる

マザーは地上人生を熱心なキリスト教徒として過ごしました
そのキリスト教の教義が霊的事実と一致していたなら何も問題はなかったのですが、残念ながらマザーは霊的事実と懸け離れた人工的な教えに洗脳されたまま一生を終えることになりました

マザーは死後、しばらくの間はキリスト教の間違った教えを信じていましたが、やがてかつてカトリック教会に属していた神父や修道者から、キリスト教の教義の間違いを教え諭(さと)されることになりました
初めマザーは戸惑い、なかなか彼らの指導を受け入れることができませんでした
しかし霊界での時が経過する中で、徐々にキリスト教の間違いについて理解するようになっていきました
地上時代の間違った信仰を捨て去るにともない、マザーは先輩霊・指導霊から示される正しい「霊的知識」を、凄まじい勢いで吸収していきました
そして地上時代の神秘体験の真実と、自分を苦しめてきた「心の闇」の真相を知ることになったのです

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イエスについての真実を知り、スピリチュアリストになる

死後、マザーは自分の地上人生が多くの間違いによって占められてきたことに後悔の思いを持ちました
しかしその後悔は一時的なもので、そのうち自分がこれまで心から慕ってきたイエスが、霊界を総動員しての「地球人類救済プロジェクト(スピリチュアリズム)」の総責任者であることを知るようになります
そしてイエスの率いる霊界の軍団の一員として働くことを決心します

マザーは、地上でなしてきたインドでの貧困者への奉仕活動を“スピリチュアリズム運動”の一環として位置づけし、それを霊界から援助する役割を買って出ました
こうしてマザーは現在、地上で献身的に歩む奉仕者を霊界から援助するという仕事に携わっています
今、マザーは霊界で一人の高級霊として、またイエス主導の霊界の大軍団の一兵士として、スピリチュアリズム運動に参加しています
熱心な“スピリチュアリスト”として、他の高級霊たちとともに地球人類の救いのために歩んでいるのです

*地球圏霊界に属する高級霊の全員が、霊界を挙げての“スピリチュアリズム運動”に参加しています
スピリチュアリズム運動に参加している者を“スピリチュアリスト”と呼ぶなら、マザー・テレサを含めたすべての高級霊は皆、“スピリチュアリスト”ということになります
この意味で、スピリチュアリストではない高級霊はいないのです

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真実のイエスの愛を体験

マザーは、霊界でスピリチュアリズム運動に参加する中で、地上時代には求めても得られなかった“イエスの愛”を強烈に体験する生活を送るようになりました
霊界を総動員してのスピリチュアリズム運動が「地球人類を救いたい!」というイエスの愛から出発したものであることを知り、その中に身を投じることでイエスの愛をふんだんに味わうことができるようになったのです

地上時代に魂の奥底から渇望してきた「イエスと愛において一つになる」という歓喜と至福の体験を、マザーは今、霊界において思う存分満喫しています
最高の喜び・幸福感を味わっているのです
そしてキリスト教徒としてではなく“スピリチュアリスト”として、地上時代に携わってきた仕事を霊界から精力的に推し進めています
イエスの軍団の一員として、「スピリチュアリズム普及」のために全力で働いているのです

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2.霊的観点から見たマザーの真価

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何を信じるか・何を語るかではなく、何をするかが重要

神の摂理からすれば、その人間の本当の価値は、「何を信じるか・何を語るか」というところにあるのではありません
人間にとって一番大切な霊的成長は、日常生活の中での現実の行為によって決まるのです
「何を信じるか・何を語るか」ではなく、「何をするか」によって、その人の霊性が決定されるのです

地上では信条や語る言葉や外面によって、しばしばその人間の評価が下されます
正義や愛を語る人間、道徳的な言葉を口にする者は、とかく立派な人間だと見なされがちです
しかし実際には、この世的な評価とは裏腹に、その人間の心の中はエゴと虚栄心と物欲で一杯ということもあるのです
地上では簡単に人々を騙し、自分を善く見せかけることができますが、内面のすべてが知られる霊界では、地上のようなウソやゴマカシは一切通用しません

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“マザーの真価”――純粋で犠牲的な利他愛の実践

「人間は何を信じるかではなく、何を行うかで真価と霊性が決定する」――これが神の摂理です
確かにマザーは、地上時代には間違った教えを信じてきました
神とイエスについて、真実から懸け離れた教えを信じ込んできました
「霊的事実」に照らしてみると、キリスト教の教義に染まってきたマザーの地上人生には多くの間違いがありました

しかしマザーは、自分の人生を純粋で犠牲的な奉仕活動に捧げてきました
自分の利益・幸福を後回しにして、貧しい人々のために、自らの時間とエネルギーを捧げ尽くしてきました
そこには私利私欲というものは何ひとつありませんでした
こうした生き方が、マザーの霊性を高め、真実の霊的人格をつくり上げることになったのです
マザーの地上人生は、「利他愛」という最も重要な「神の摂理」と完全に一致していました
信じたものは間違っていましたが、「正しい行為」によってマザーの霊性は高められ、霊的成長の道を歩むことができたのです
ここにマザーの真価があるのです

マザーの一生は、まさに純粋な利他愛の実践そのものでした
マザーは地球人類の中で、最も「神の摂理」と一致した歩みをしてきました
最高に「霊的価値」がある生き方をしてきたのです
マザーの地上人生は、霊界の高級霊たちが今、自らをすべて犠牲にして地球人類のために献身的に働いているのと同じ次元の歩みでした
マザーは霊界の高級霊と同様の霊的実践を、地上にいながらにして行ってきたのです
マザーは、いかなる宗教・宗派に属する人々もかなわない真に霊的価値がある人生を送ってきたのです

マザーは地上では、「心の闇」という無意味で的外れな悩みを抱えて生きることになりました
しかしそうした歩みであっても、その純粋な利他愛の実践は、マザーの魂を「正真正銘の聖女・高級霊の高み」にまで引き上げました
「何を信じるかではなく、何を行うかが本人の霊性と霊的成長を決定する」――この神の摂理の真実性を、マザーの人生は証明しているのです

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マザーが地上人類に示した手本――無償の利他的行為の実際

マザーが「心の闇」を抱えながらも、貧しい人々への奉仕活動にすべてを捧げ尽くしてきたという生き方それ自体が“人類への教訓”と言えます
マザーの生き方は、私たちスピリチュアリストにとっても手本というべきものであり――「何を信じるか、何を語るかより、何を行うかが重要である」「信条や美しい言葉より、実際の行いこそがその人間の霊性を示している」という真理を教えています
マザーはキリスト教の内部に身を置いていたため、否応なく間違った教義を信じ込み、「心の闇」という悲劇を発生させることになってしまいました
しかしそうした苦しい状況にあっても、マザーはなすべき奉仕活動に専念してきました
スピリチュアリズムから言えば、マザーの実際の行為が、マザーを聖人にしたということです
マザーの信仰がマザーを聖人にしたのではなく、「無償の利他愛の実践がマザーを聖人にした」ということなのです
「何を信じるかではなく、何を行うかがその人間の真価と霊性を高める」という霊的真理を、マザーは自らの生き方を通して実証したのです

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【7】マザーを良き手本とし、さらにはマザーを乗り越える

「心の闇」を抱えながらも、マザー・テレサはその純粋な利他愛の実践によって、地球人類に多くの教訓を残しました
マザーの生き方は、一般の人々だけでなくスピリチュアリストにとっても良き手本と言えます

最後に、マザーに対する正しい見方と、マザーが私たちに残した教訓について見ていきます

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霊界には億万のマザー・テレサがいる事実を忘れない

地球人類のために人生のすべてを捧げ、犠牲的な歩みをしてきたのはマザー・テレサひとりだけではありません
霊界において“スピリチュアリズム運動”を進めている高級霊たちは、全員がマザーと同じく完全な利他愛の実践者です
霊界には、まさに億万のマザー・テレサがいるということなのです
この重大な「霊的事実」を認識すれば、マザーだけを理想化し、崇拝するようなことがあってはならないことに気がつくようになります
確かにマザーは、地上ではめったに存在しない純粋な利他愛の持ち主でしたが、霊界においては数限りなくいる高級霊の一人にすぎないのです

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偽善的ボランティア活動をしない

マザーは利他愛の実践に関して、きわめて重要な教訓を私たちに残しています
それは私たちが奉仕する対象者は、すぐ目の前にいる貧しい人々・自分より恵まれない人々である、ということです
マザーはインドの貧困者に奉仕するために、インド国籍を得てインド人となっています
イエスはマザーを召命する際に、「インド人の修道女がほしい」と語りかけています
マザーを理想化するファンの中には、わざわざインドに出向いてマザーの奉仕活動を手伝うボランティア活動に参加する人がいました
(*現在でも同じです)
しかしそうした行為は、マザーが本心から望んでいたことではなかったはずです
おそらくマザーは、「わざわざツアーを組んで日本から来て奉仕活動をするくらいなら、日本にいて貧しい日本人のために奉仕すればいいのに……」と思っていたことでしょう
そうすればインドを訪ねるための旅費や滞在費を、貧しいインド人に与えることもできるのです
インドにまで足を運んでマザーの手伝いをするという行為の底辺には、“自分の生きがいや満足を求める”という未熟な思い・幼稚な考えが潜んでいます
“自分は善いことをしている”という勝手な思い込みやエゴ的満足心が存在していることもあります
もしそうした思いがあるなら、インドにまで行って奉仕活動に参加することは“偽善的ボランティア”ということになってしまいます
事実、マザーは日本を訪問したときに、次のように述べています
「日本人はわざわざボランティア活動のためにインドに行かなくても、日本にいて貧しい人々を助けてください
日本の貧しい人々に奉仕してください」――「利他愛」の本質に照らしてみれば、このマザーの言葉は当然のことなのです
もし今、マザーが生きていたなら――「私は私のすべきことをしますから、あなた方はあなた方のすべきことをしてください
私は私の場所(インド)で全力を尽くしますから、あなた方はあなた方の場所(日本)で全力を尽くしてください」と声を大にして言ったはずです
純粋な利他愛は、対象者や場所を選びません
もし奉仕する相手や場所にこだわるようなことがあるとするなら、その人の奉仕精神や利他愛が本物ではないことを示しています
それはエゴ的行為・偽善的奉仕活動ということにもなりかねません
自己満足を求めるだけの子供っぽいボランティア活動は、一刻も早く卒業すべきです
“自分は善いことをしている”と自分自身を騙し続けるようなボランティア活動は、自らの魂を貶(おとし)め、偽善者の仲間入りをさせることになってしまいます

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マザーより大きな奉仕の可能性

マザーは、世間から見捨てられた貧困者に誠心誠意をもって奉仕してきました
貧しい人々の中の最も貧しい人の心に励ましを与えてきました
しかしマザーには死後の世界についての正しい知識がなかったため、死んでいく人々に、死後の世界の真実を教えてあげることができませんでした
「霊界の事実」を知ることは、死を恐れる人々にとって“最高の救い”となります
こうした意味で、霊界についての詳細な事実を知っている私たちスピリチュアリストは、マザーにはできなかった奉仕ができるのです
霊的知識を伝えて人々に“霊的救い”をもたらすという、次元の高い奉仕ができるのです
物質次元での人助けも利他愛であり立派な奉仕ですが、“霊的次元”での人助けは、それにも増して優れた奉仕活動です
それは永遠の魂の救いに直結するからです
より本質的で高次元の救いをもたらすことができるという点で、私たちにはマザーよりも大きな利他愛実践のチャンス・奉仕のチャンスが与えられているのです

霊界にいるマザーは、“スピリチュアリズム”こそがイエスの愛の普及活動であり、人々の魂に真の救いを与える「最高の利他愛の実践・最高次元の奉仕」であることを悟っています
そして地上のスピリチュアリストに協力して「霊的真理の普及」に全力を傾けているのです
今、霊界にいるマザーの願いは明瞭です
“スピリチュアリズム”が地球上に広まり、「霊的真理」が人々の人生の指針となり、世界中の人々が“霊的人生”を送るようになることなのです


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マザーテレサは偽善者か?:霊人のひとり言::2007年9月17日 (月曜日):

http://reijin32yoshi.blogzine.jp/shinsey/2007/09/

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天使の生まれ変わり「マザーテレサ」!

テレサは身分を隠しスラム街に飛び込み寝起きを共にした!

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私がブログを始めた最初の頃の記事『パワー・フォー・リビングって?2』に、以下のようなコメントを頂きました

(マザー・テレサのような素晴らしいキリスト教徒もおられたのですから)と書いておられますが、どうしてマザーテレサは晩年において、病気になり、それで亡くなったのでしょうかね?どうしてマザーテレサは自分の所属した教会でなく、彼女の組織を立ち上げたのですかね?

近年発表された文献によるとマザーテレサは最後の50年間神への不信の念に悩まされていたそうです
マザーテレサの偽善をそろそろ調べなおしたら、いかがでしょうか?
一考なさってみて頂けますか?

それで今回は、このコメントに添って「マザーテレサ」について考えてみます

マザーテレサが立ち上げた修道会「神の愛の宣教者会」は、宗教団体ではなく宗教の枠を超えた福祉を目的とするボランティア団体です

当初マザーテレサは誰にも知られないように個人で、インド・カルカッタのスラム街の貧しい子供たちに食べ物を与え無償で授業をしていました

やがて、この噂を伝え聞いた「聖マリア学院」時代の教え子たちがボランティアとして集まり始め、教会や地域の名士たちからの寄付が寄せられるようになって行ったのです

初めの頃は、バチカン(カトリック教会)はこの活動を容認していませんでした
なぜなら、「聖マリア学院」の校長であったマザーテレサが、修道院を出てスラム街のホームレスの子供たちと寝起きを共にするなど、カトリック教会としては許せる行為ではなかったからです
ホームレスの子供たちを孤児として修道院に迎え入れる事は認められても、カトリックの要職にある聖女が身分を落としてホームレスの中に入る、という行為はカトリックの権威を貶め、神をも冒涜するものだとされていたのです

今は少しは「まし」になってはきましたが、当時のカトリック教会は、あからさまに人種差別、身分差別が横行していた時代でした
ですから、カトリックの聖女が身分を落とし自らホームレスの中に入る、という行為はバチカンに対する裏切り的な行為だと批難をされても、決して認められるものではありませんでした

このテレサの活動は、1946年ごろから秘密裏に行われていましたが、ようやく「聖マリア学院」の校長などの要職を解くのを条件に、1948年に教皇ピウス12世からの修道院外居住の特別許可が得られたのです

そして1950年、カルカッタで協力者たちと共に精力的な活動を行っていたテレサはバチカンから修道会設立の許可を得ました
これが「神の愛の宣教者会」です

テレサによれば同会の目的は、『飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からもケアされない人のために働く』事である、とされました

なぜマザーテレサはこのような活動を始めたのかと言うと、汽車に乗っていた際に『最も貧しい人たちの中に入って働くように』という、神? か天使? と思われる存在から「啓示」を受けたと言われています

「聖マリア学院」の校長として教えていた頃の生徒と言えば、インドでも有数の富裕階級の子女たちばかりでしたので、何時しかカトリック教会の方針と自分の行いに疑問を感じ始めていたのです

それで、自分にはやるべき事が他にあるのでは、と自問自答して神に祈っていたと言います
そうしましたら、神? か天使? と思われる存在の声が聞こえてきたのだそうです
『最も貧しい人たちの中に入って働くように』、と

普通このような「神の啓示」などと言うものは、とても信じられないでしょうから、信じられない人々が、このような話は自分の行為を正当化させるために言い繕った作り話に違いないから、マザーテレサは偽善者に違いない、と決め付けてしまうのでしょう

しかしマザーテレサは、カトリックの要職である「聖マリア学院」の校長という地位(身分)を捨ててまで、恵まれない人々のためにこの身を献げる決心をされ、それを実行されました
このテレサの行為の何処が偽善なのでしょうか?

カトリックの要職である「聖マリア学院」の校長という地位(身分)のままで、修道会「神の愛の宣教者会」を立ち上げ、お供の者を従えながらボランティアと称する福祉活動に従事していたならば、キリスト教カトリックの布教活動の一環で売名行為に等しい、と見なされ偽善者と批判されても致し方がないのかもしれません
がしかし、実際は上記の通り地位も名誉もかなぐり捨てて、修道女の身分を隠しインド女性の着る質素な「サリー」を身に纏い、この身一つでスラム街に身を投じたのです

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マザーテレサのこの行為の何処が偽善だと言えるのでしょうか?

SGI(創価学会インターナショナル)会長兼創価学会名誉会長の地位(身分)のままで、マザーテレサの真似事をして名誉を金で買っている池田大作のような者を偽善者、と言うのです
晩年のマザーテレサも多くの名誉を受け取っている、と反論をされる方もおられるでしょう

しかしテレサの場合は、名誉を受ける事で修道会「神の愛の宣教者会」の活動を世に知らしめる目的があっての事だと思われます

さらに、経済性を伴う名誉の場合は、その賞金は福祉活動に使っており決して私腹を肥やしてはいません

賞の中でもっとも有名なものは勿論1979年に受けたノーベル平和賞でしょう
マザーテレサは受賞者のための晩餐会の出席は断りましたが、賞金はカルカッタの貧しい人々のために受け取りました
賞金を受け取ったとき、『私は受賞に値するような人間ではないけれど、世界の最も貧しい人々に代わってこの賞を受けます』、『このお金でいくつのパンが買えますか』と言ったといいます

そのときのインタビューの中で『世界平和のために私たちはどんな事をしたらいいですか』、と尋ねられたマザーテレサの答えはシンプルなものでした、『家に帰って家族を大切にしてあげてください』

マザーテレサのこの言葉、『世界平和のためには、家族を大切にしてあげてください』には非常に重みがあります

マザーテレサにはシンクロニシティの原理がハートで理解できていた、と思います
私たち個人個人のレベルで平和でなければ、世界が平和にはなり得ない、というのが解っておられたのでしょう
心が穏やかで平和な人が増えて行き、数百万人、数千万人規模に拡大して行けば『百匹目の猿現象』の如く、私たちの心がシンクロして平和の輪が拡がって行き、その輪が世界中に拡がる事で世界平和が実現して行く、というのがシンクロニシティの理論から見た世界平和へのプロセスです

つまり、『この世界は私たちの心が映し出された世界に過ぎませんから、私たちが絶えず苛立っていたり、怒り憎しみ恨み妬み等を持ち続けているから、その心がこの世界に反映して争い事の絶えない世界になってしまっているので、逆説的に私たちの心が穏やかで平和にさえなれば、その心がこの世界に反映して平和な世の中に必然的になって行く』、と言うことです

マザーテレサはこの事が理解できていたから、『世界平和のためには、家族を大切にしてあげてください』、という発言に結び付いたのだと私は考えます

マザーテレサが偽善者であれば、『世界平和のためには、核廃絶を推進して行き軍備を縮小し、さらには民族差別等の差別意識をなくし格差社会を是正し貧富の差をなくす事です』、などと訴えていたことでしょう
このような発言をすれば、多くの人々の共感を得るのは容易(たやす)いでしょうから

ですがテレサは、『私たちが自分の家族を大切にする事が、世界平和につながる』、と普通の人には中々理解し難い究極の真理を述べられました
この発言一つをもってしても、テレサは偽善者ではない事が明らかだと思います

マザーテレサは50年間神への不信の念に悩まされていた、と言いますが、それはテレサほどの人物でも、キリスト教・カトリックの枠からは出ることができず、カトリック教会の教義に縛り付けられていたからではないでしょうか

つまり、キリスト教の「神」を信じるが故に、戦争の絶えない飢餓に苦しむ子供たちで溢れている地獄そのものとも言える世界を、なぜ「神」は放って置くのか?

本当に「神」が居られるのなら、世界は「神」のお力で平和な天国になって然るに

いくら「神」に平和を祈っても、一向に平和な世界になる気配さえ窺えない
本当は「神」などと言うものは存在しないのでは
この世界は自分の心が映し出された世界だ、と薄々感じてはいてもキリスト教の「神」を信じるが故に、そのジレンマに悩まされていたのではないでしょうか
そのジレンマがマザーテレサご自身の身体を蝕み、晩年病に苦しめられたのではないでしょうか
マザーテレサが偽善者故に罰が当たったのでもなければ、偽善者故に因果律の法則によるカルマが顕れたものでもない、と私は思います

天使の生まれ変わりのようなマザーテレサであっても、人間的な側面を持っていたのでしょう
たとえ天使であっても、人間の肉体を纏(まと)って生まれてきたのですから、人間としての苦悩を持って当然であり、そうでなければ人間に生まれてきた意味をなさない、と思います
『善』を行っているのに、悩んだり、病に冒されたりするのは本当の『善』ではなく『偽善』であるから、池田大作のような偽善者は、あたかも「天罰」が下ったかのような苦悩を味わう破目になっている、からと言ってマザーテレサの場合は、これには当たらないと思います
悩み多いから、他人の苦悩も理解でき人に優しくなれ、その優しさを全霊でもって実行した人がマザーテレサではないでしょうか

この記事を投稿したのは2007年9月17日ですが、2010年9月23日現在に至っても、いまだにマザーテレサに批判的な偽善者扱いするコメントが寄せられます
しかしながら、私個人の意見はこの記事のとおりテレサの活動を全面的に肯定し高く評価しています
したがいまして、テレサに批判的なコメントに対する返事は、金輪際投稿しませんので、ご了承願います

そして、コメントの返事に代えまして以下に動画を掲載します
この動画をご覧になられても「 テレサは偽善者だ 」、と思われるのはその方の自由ですのでコメント欄から削除は致しません

奇跡の人 アグネス・ポワジュの人生 マザーテレサ

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追記(9月18日 火曜日)

 この記事を投降した9月17日の翌日、すなわち9月18日にRSSリーダーに新着記事が多数届いていました
その中の「エハン・デラヴィのブログ」に『マザーテレサの真相:暴露された日記!』が投降されていました
これこそが、同時に同じ事を考え思っている人が複数存在する、という現象「シンクロニシティ」ですね


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バチカンは、神ではなく悪魔が支配していた!:光の戦士たち:2009-12-29 17:30:04:

http://ameblo.jp/64152966/entry-10422126719.html

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バチカンには、神ではなく悪魔が支配していたと・・・
表の法王と、裏に控える真の実力者である黒い法王

「現在のローマ法王、ベネディクト16世は本当はカトリックではなく、他の一神教信者です
また、裏で牛耳っているのはかつてイエズス会のトップにいた男で、”黒い教皇”の異名を持つピーター・コルベンバック(ピーター・ハンス・コルベンバック)という男です
http://kinnikuking.blog81.fc2.com/blog-category-184.html

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ピーター・ハンス・コルベンバックは キリスト教イエズス会の元総長である
しかし、裏の顔は悪魔教(サタン教=ルシファー教)の最高指導者、闇の支配者
(イルミナティhttp://kinnikuking.blog81.fc2.com/blog-entry-972.html)の宗教的なトップ

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「我々が日本の地震兵器攻撃を命令した」と話す黒幕の正体
http://foomii.com/00006/201104180630003410
http://plaza.rakuten.co.jp/kojisanjj/diary/201104220000/

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中国政府は、調査船で311は原子爆弾によるものだと証拠掴んでいる模様
日本政府の中に311計画参加している者達がいる模様
http://blog.livedoor.jp/masirito897/archives/8832251.html
(↑クリック
311計画に関わっていた日本の政治家、外国にいる311計画の責任者の居場所がわかります

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世界を支配する者たちの隠された歴史:世界の真実の姿を求めて!:

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1917.html

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世界の真実の姿を求めて! 最近世界が本当は全く違った歴史や事実を隠していることに気がつきました
自分でその真実を確かめたくて、このブログを書きます

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世界を支配する者たちの隠された歴史

富裕貴族の集まりである元老院は、ローマ帝国の皇帝の絶大な権力に逆らい、何とかして自分達の独立性を維持したいと考えていた
富裕貴族達は、皇帝と激しく対立していた
銀行の創立は「許可制」であった
許可していたのは、西ローマ帝国時代以来、生き残っていたイタリアの元老院である

15世紀になると、ヨーロッパでは次々に銀行が創立される
大部分はイタリアのヴェネチア等に本拠地を置いていた
当時の「お金の借り手」は、ほとんどが王族である
信用があり、莫大な資金を「使う」人物等、当時は王族しか居ない
戦争資金を提供していたのはこの銀行であった

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人類における銀行の起源は、「戦争資金調達機関」である

ローマ帝国の皇帝に反旗を翻した富裕貴族達は、帝国を分裂させ、「自分達の思い通りになる小国」を乱立させる

古代ローマ帝国は、東西ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は早々に内紛と戦争で分裂し、最終的にはドイツ、フランス、イタリア、スペイン等の小国分立の状態になり、現在に至っている

こうした貴族勢力=反カトリック=反皇帝の牙城がヴェネチアであった
このヴェネチアの金融業者が、後にスイスの金融界を形成する
そして、そのスイスがロスチャイルドに資金を融資する事になる

ロシアは決してロスチャイルド、ロックフェラーへの抵抗の「牙城」とは成り得ず、スイスから生え出した同一の樹木の異なる枝葉が、ロシアとロスチャイルド・ロックフェラーである

スイスの金融業界は、イタリアのヴェネチアからの移住者達が形成した

綿業に加え火薬産業と傭兵産業、つまり戦争産業が伝統産業となったスイスに、やがて、その売上の蓄積機能が加わり、ヴェネチアからわざわざ資金を運んでくる面倒を避け、スイスそのものが金融業を中心に担い始める

ロシアン・マフィア=マーク・リッチが、スイスでダボス会議を主催する所以は、ここにある
ロシアのプーチン自身が、スイスの金融機関を経営し、スイスを通じ欧米石油・ガス会社と事業提携を推進している歴史背景も、ここにある

ヨーロッパ中世が終わると、中世を支配した王族、貴族は、その資産で企業経営に乗り出し、現在、その企業は世界を支配する多国籍企業に成長している

多国籍企業のネットワークとは、王族、貴族のネットワークである

ロックフェラー、ロスチャイルドと言った財閥は、王族、貴族の末端の「下僕」に過ぎない
ロスチャイルドが世界を支配する等とデマ宣伝する者達は、月給20万円で雇われた王族の車の運転手が、王族のトップだと主張している事になる
ロスチャイルド等、王族のドライバー、豪邸の掃除人夫に過ぎない

イスラエルのランベール銀行は、元々、ベルギーの貴族ランベール一族が創立した

ベルギーは元々オランダの一部であった
ベルギー貴族は、ロイヤル・ダッチ・シェルのオランダ貴族の姻籍である

アメリカの金融システム、世界の通貨システム=ドルは、スコットランドの王族が「作っていた」

戦争する2つの勢力・両方に資金を貸し付け金儲けするロスチャイルド一族、

戦争する2つの勢力・両方に傭兵を貸し付け金儲けするスイス、そしてサヴォイ一族、 戦争する2つの勢力・両方に雇われスパイ活動を「商売として行う」タクシス一族

EUの原型は「商売としてスパイを行う、タクシス一族が形成した」

英国王室のその運営を「担当させられている」のは英国王家であるが、英国王室の「所有権」は、ローマ・カトリック教会=バチカンにある
バチカンの財政を握り、その権力を握って来たイエズス会は、元々軍事組織でありテンプル騎士団に源流を持っている

現在、一組織として多国籍企業の最大の株式所有主は、ローマ・カトリック教会=バチカンである
バチカンは、宗教組織ではなく、一つの「投資ファンド」である
利益のためであれば、喜んで戦争を引き起こす
バチカンの下僕として活動するドイツ系貴族ザクセン・コブルク・ゴータ一族が、ベルギー国王一族である

このザクセン・コブルク・ゴータ一族の末流が、英国王室ウィンザー家であり、ウィンザー家を「手本」に、明治時代、日本の天皇家は「創作」された

やがて世界帝国の中心地となるベルギーに、世界統一政府の「原型」である国連機関が置かれ、暴落する米国ドルを尻目に、英国金融街シティが、為替等の取引高で米国ウォール街を追い落とし、トップの座に就任し始めている
ベルギーと英国、共にバチカンの下僕ザクセン・コブルク・ゴータの国である

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王族、貴族達の精神的支柱=宗教

紀元前からの歴史と伝統という権威を持つローマ帝国に対し、こうした小国は、何らの権威も無かった
しかも、ローマ帝国はキリスト教カトリックを国教とし、ローマ法王によって、神の「代理人」として世界を支配する皇帝の地位を与えられていた
神の支持の下に、世界を支配するローマ皇帝の「権威」に対し、富裕貴族=戦争屋=銀行家達は、どうしても別の「権威」を作り出さなくてはならなかった

● 「皇帝より自分達が世界を支配する方が正しい」という宗教的理由が必要であった

貴族達は、ローマ・カトリック教会が封印し隠していた古文書を探し回り、ついに古代シュメール語版聖書を発見する
ローマ・カトリック教会の用いる聖書よりはるかに古い、8000年前の最古の聖書であった
しかも、この最も信頼出来る最古の聖書には、カトリック教会の主張するキリストの教えとは全く別の事が記載されていた

神は天(宇宙?)から金塊等の貴金属の採取のために地球に訪れ、人類に貴金属の蓄積を命令した
神は人間を家畜として育て、人間の肉を食べ、血液を飲み、食事とした
神は、「一部の選ばれた人間達」に貴金属採取を任せ、地球を去った
「選ばれた人間達は」貴金属採取のために、神の命令の下、全人類を奴隷とする権利がある
この奴隷を使い金塊を蓄積し終わった時、不要になった奴隷の全人類を戦争で絶滅させ、神の来訪を待つ
人類の絶滅と金塊の蓄積を確認した神は、地球を再び来訪し、地上に「神の国」が実現する
神に「選ばれた人間達」は、他の人間達を支配する権利を確認するために、「神を真似し、神と同一の行動」を取る
神と同様、選ばれた人間達は人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を定期的に行う義務がある

こう記載された最古のシュメール語版聖書は、金塊の蓄積=銀行業と人類の絶滅=戦争を業とする富裕貴族達を狂喜させた

戦争により人類を絶滅させ、戦争で金儲けする貴族達の生き方が最も神に「忠実」な生き方である事が、ローマ・カトリック教会よりも権威のある最古の聖書によって証明された事になる

ローマ・カトリック教会の使用する聖書は、このシュメール語版聖書を偽造したニセモノの聖書である事が暴露された

表向き、ローマ皇帝の部下である貴族達は、ローマ皇帝=ローマ・カトリック教会の「敬虔な信者」であった

しかし、貴族達はカトリック教会のウソを見抜き、シュメール語版聖書を信奉するグループをカトリック教会の中に、密かに作り上げた

ローマ帝国を解体するクーデター部隊である
その諜報組織としてフリーメーソンが作られ、後に、さらに急進的な実行部隊が作られ、それはイルミナティ結成へとつながる

シュメール語版聖書の教えの通り、この組織は定期的に人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を行い、自分達が神の「しもべ」である事を確認した
しかし、こうした組織では生温いと考え、神の国イスラエルを「先に作り」、そこを拠点として世界中に戦争を仕掛け、全人類を絶滅させる事で神の地球への再来を早めようと考える、さらなる急進派の少数精鋭部隊が精選された

この急進派が1948年、パレスチナの地にイスラエルを建国する

この急進派の中核となる実働部隊が、イスラエルのアイゼンベルグとブロンフマン一族である
ブロンフマン一族は、初代からベルギー貴族ランベール一族と血縁関係にある

この急進派の資金集めとその考えを広めるために作られた宗教組織が、現在のイラク戦争を推進するキリスト教原理主義教会であり、その熱心な信者、代理人がブッシュ大統領である

現在、アメリカ人の46%が、このキリスト教原理主義教会の信者である

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スキタイ民族

「白人」を語源辞典、医学用語辞典で引いて見るとコーケイジャン、コーカサス人と出てくる
現在チェチェンやアゼルバイジャン等の紛争の絶えない地域コーカサスが、白人という人種の源流、発祥の地である
キリスト教の聖書の中に出てくるアダムとイヴが食べる禁断の木の実リンゴはこのコーカサスが原産であり、白人が世界に民族移動するに従ってリンゴも世界に広がって行った

リンゴが重要なシンボルとして記載されているキリスト教最古の文献の1つシュメール語版聖書が示すように、シュメールの源流はこのコーカサス地方と関係があると思われる
(現在、考古学等ではシュメール文明の発祥地は特定できていない)

紀元前5000年前後、コーカサスから欧州全域に徐々に移動を始めた白人(スキタイ民族)は現在のトルコにあったトロイ帝国に代表される国家、都市を各地で建設する
さらに紀元前11世紀トロイのフランシオン王子率いるフランク族がドナウ川以西に移住、王子の名前フランシオンから後にフランス国家の名が取られる
また、もう一つのトロイ帝国を作る意図からシャンパーニュ地方にトロワ(トロイ)という町が作られ、トロイ王パリスの名を取り首都パリが建設される
英国ロンドンも古くはニュー・トロイと呼ばれ、ベネチアもAD466年、コーカサスから移住してきたスキタイ人が入植、経済の実権を握って行く
現在のドイツ地方にAD4世紀頃移住してきたスキタイ人は、自分達を「スキタイの純血種」=ジェヌイン・ワン=ゲルマンと呼び、異民族の排斥と親族間の結婚を厳守した
ナチス、ヒトラーのゲルマン主義、異民族虐殺はここから来ている
異民族排除はシュメール版聖書の示す通り、自分達を半神半人と考え、神の血の成分を薄めないために行われる
神が宇宙から採取に来るとシュメール聖書に記載されている貴金属の収集への執着=金銭欲=銀行業を生業とする習性もここから来ている
デル・バンコ一族もこの部族だった
この部族の特徴は、トロイあるいは聖書の中のエレサレム等、伝説や書物の中で聞かされてきた国家(都市国家)を再び現実世界の中で築こうとする所にある
(イスラエル建国とモルモン教)

1090年、現在のトルコ、トロイ帝国の跡地にスキタイ人が結集、トロイ帝国再建と聖書に記載されているエルサレム再建を誓いテンプル騎士団を結成する
1126年、エノク書を信仰するテンプル騎士団はフランスのトロワ(新しいトロイ帝国)に結集、トロイ帝国再建を誓いエルサレム奪還のためイスラム教徒大量虐殺の十字軍に出発する

現在、デル・バンコ一族はスコシア・モカッタ銀行の共同経営者となり、1948年、この銀行が経営するイスラエル・レウミ銀行がイスラエル建国資金の大部分を出資した
スキタイはエノク書の指示通りエルサレム再建に成功した
続く事業はイスラエルを世界を支配する世界帝国に育成する事である
要は世界を動かすマネーの支配である

現在デル・バンコ=モカッタ銀行は、ロンドンで金GOLDの取引を独占している
ロンドンの貴金属取引所ロンドン・メタル・エクスチェンジ(LME)の「黄金の間」と呼ばれる部屋では、毎日デル・バンコ一族を中心とした5つの銀行が国際的な金GOLD価格を独占的に決定している
その決定に世界中の金融機関、貴金属購入者が黙って従っている
あらゆる商品の中でも最も重要で、しかも紙幣より信用のある決済手段である金GOLD価格が、たった5つの銀行により独裁的に決められている
「価格は需要と供給の関係で決まる」という市場原理が全くの「作り話」である事が分かる
市場を成り立たせている根源にある金GOLDが、市場原理でなく独裁で決められている

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世界を支配するためには、抵抗する者の抵抗心を麻薬で失わせる「心理戦争」も重要になる
デル・バンコは、CIAそのものであるデューク一族の麻薬入りタバコ会社ブリティシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の創立資金を出資する
エノク書はイスラエル以外の全ての人種を絶滅させるよう指示している
全人類を絶滅させるまで絶え間ない戦争が必要とされる
 デル・バンコは戦争で使用する火薬を大量生産しているデュポン社を経営し、共同経営者であるランベール銀行はイスラエル建国資金を一部出資している
デュポンが火薬生産を止めれば世界中の戦争が止まる
だがデル・バンコは火薬の大量生産を続ける
イスラエル以外の全人類を全滅させる事が「神が再臨」する条件だとエノク書が教えているからだ
 そしてランベールの経営する新聞エレサレム・ポストは、「有色人種を絶滅させよ」と叫び続けている
ランベールは世界最大のメディア企業AOLタイム・ワーナー、CNNTVを経営し「戦闘シーンをカッコ良く」放送している
子供と若者が戦闘もののTVゲームをやるように喜んで本当の戦争に参加するように、そして人類の絶滅に貢献させるためだ
悪質サラ金業者が「強盗でも何でもして金を持って来い」と怒鳴るように、借金だらけであったナチス・ヒトラーに対し厳しい取り立てを行い、窮地に陥ったヒトラーをユダヤ人の家全てに強盗に入らせ、ユダヤ人を大量虐殺し、奪った金で借金を返済させた国際決済銀行BIS
このBISが自己資本規制を8%に上昇させた事で(銀行が金を貸し出さず自分で持っている事)、日本では資金不足で優良企業が次々に倒産、年間自殺者が3万人、15年間の不況で50万人が自殺する事態となった
 BIS規制を強化したBISの頭取ジャン・ゴドーは、エノク書を信仰するランベールの頭取である
ゴドーは「人類絶滅、有色人種絶滅は神の再臨への道」と考え、日本人50万人の大量虐殺を実行した
   イスラエルを中心とした「神の国」の再臨、それはイスラエルを中心とした世界統一政府による中央集権管理体制であり、その実験は現在EUによって行われている
 EUの本部はランベール銀行ブリュッセル支店の重役室の中にある
それはEU統一の実験の目的がどこにあるかを示している
EUと米国を動かしているのがイスラエル、ランベール(地下経済)とデル・バンコのオフショアであるという実像が浮かび上がって来る
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49600388.html

2007年01月31日
アジア侵略者の正体・・日本独立のための第3章
 ヘルマン・シュライバー著「ベネチア」には、13世紀頃、有色人種絶滅を主張し、エルサレム奪還を目指してアラブ人の虐殺を繰り返したテンプル騎士団の殺人、放火、強姦、略奪等、暴虐の限りが記されている
テンプルが何故暴力を繰り返したかは、2006年10月15日配信の「米国を手足として動かすイスラエルとは何か」という拙稿に譲るとして(注1)、テンプルはアラブ人から奪った富を利子付きで貸し付ける歴史上初の銀行を創立する
 やがて世界を支配する事になる金融業は、暴力団と同一語であった
テンプル・ハウスと呼ばれる彼等の舘は、「大酒を飲み、買春を行い、盗品を交換する」舘であった
やがてあまりの暴虐から欧州を追放されたテンプルは、英国スコットランドに流れ着き定住する
彼等は、そこから北海の荒波に乗り出し、北欧のバイキングと共に海賊行為を繰り返し、また漁業に従事する
 英国本土に帰り、盗品と漁業の収穫に課税されるのを嫌った彼等は、本土に到着する前のマン島のような小島で、密売と交易を行い小さな島々に富を隠した
これが現在のタックスヘイブン、無税のオフショア取引の源流となる
 テンプルは、やがてその有色人種絶滅思想から来る暴虐さと、荒波で船を操作する航海術、海賊の戦闘能力を買われ、英国王室の傭兵となり、世界を支配する大英帝国の海軍を形成する
アジアでアヘンを密売する大英帝国、アジアへの侵略者の正体はこのテンプルであった
 テンプルが英国海軍を規律付けるために作った英国海軍法は、そのまま英国海軍の植民地となった米国の法体系に引き継がれ、裁判社会である米国の裁判手続き法は、悪行を極めたテンプルの法体系に依存するという皮肉になった
 十字軍時代には、異郷の地で戦闘を繰り返すテンプルが、休息を得、睡眠を取るためにイスラム世界にキリスト教会が次々に作られた
 イスラム世界に常駐し、 日常的にイスラム教徒と交流する、この異郷のキリスト教会は、イスラム世界に放たれたテンプルの諜報・スパイ組織となり、またイスラムの影響を受けた独特のキリスト教会を形成する(注2)
これが諜報組織の源流である
 エジプトのコプト教会のようなイスラムや、マニ教の影響を受けたキリスト教会により、やがてイスラムで発達した数学、化学、天文学の知識が西欧にもたらされる
 テンプルの故郷になったスコットランドのフリーメーソンが、最強の諜報組織となり、スコットランド人が英国の近代産業革命を実現する(注3)
 1941年、上海の英国プロテスタント教会を急襲した日本軍が、教会と英国諜報組織MI6とフリーメーソンが一体化している事を発見した意味はここにあった
 テンプルの目的は、有色人種を絶滅し、神の国イスラエルを再建する事にあった
十字軍を行ったテンプルのイスラエリズムの近代における拡大コピーが、英仏米によるアジア侵略であり、第二次大戦後のイスラエル建国と相次ぐ中東戦争、そしてイラク戦争となって現れる

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http://alternativereport1.seesaa.net/article/49602357.html
注・・ローマ帝国の背後にはローマ・カトリック=キリスト教があり、ユダヤ系ベネチア金融業の背後にはユダヤ教がある
ユダヤ教には「自分達だけが神に救われる選ばれた民である」という選民思想がある
その選民思想を抽出し、極度に歪めた物が現代の米国を支配するキリスト教原理主義である
イラク戦争を強硬に推進するキリスト教原理主義は、ユダヤ教の「エノク書」を経典として成立した
この経典はキリスト教からもまたユダヤ教からも余りに極端で歪んでいるとして排除されたものである
その歪んだ選民思想は「白人だけが生きる価値があり有色人種は絶滅せよ」と主張する
このキリスト教原理主義にはクーン・ローブ、ハリマン銀行、ロックフェラー等、世界の金融業の中枢から多額の資金が出資されている
ローマ対ベネチアの対立を歴史分析の視角に取り入れる理由は、現代の戦争の歴史的根源を探るためである

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http://alternativereport1.seesaa.net/article/49602277.html
古代ローマ帝国は東・西ローマ帝国に分裂した後、早々に西ローマ帝国は滅び分裂し東ローマ帝国はビザンツ帝国として生き残る
一方ローマ帝国の皇帝と激しく対立したローマの富裕貴族は、イタリアのベネチアに自分達だけのベネチア帝国を作り上げる
自分達が対立していたローマ皇帝の末裔ビザンツ帝国には一緒に住めないという形になる
当初ベネチアはビザンツ帝国の出先機関としてビザンツの行う地中海貿易を担い、地中海の警備を担当する
しかし地中海貿易で豊かになったベネチアは銀行業で莫大な富を蓄え、遂に敵であったオスマン・トルコと組みビザンツ帝国を滅ぼす
ここにローマ帝国ロマン人に寄生しながら最後は寄生主を裏切り滅ぼしたベネチア金融業と、ローマ帝国ロマン人との怨念の関係が決定的となる
このベネチア金融業の中核にいたのがユダヤ人銀行家であった
ローマ帝国の衛星都市として栄えてきたオデッサは、またユダヤ商人の商業都市としても栄えて来た
オデッサのユダヤ商人
その背景にはローマ帝国とベネチア帝国の因縁の対立という歴史があった
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オデッサの公立図書館で古い資料を漁っていると、黒海最大規模の港湾都市オデッサの港を整備したのが石油企業オクシデンタルであると古い公共工事の出納帳に記載が出て来た
環境保護を訴えるアメリカの元副大統領アルバート・ゴアの会社オクシデンタルが、米国の敵国であったソ連の石油をこのオデッサの港から密輸していた
そのためにゴア一族は自分の手でオデッサの港を整備していた
オクシデンタルの会長アーマンド・ハマーの父はオデッサ生まれでオデッサ育ちのユダヤ人であった
オクシデンタルはこのオデッサの代表的ユダヤ系企業として、ロマノフ王朝の後継者ソ連の石油に寄生して来たとも言える

このゴアの密輸石油をオデッサ港から運び出していた石油タンカー企業ラファルジュの弁護士が、次期大統領候補ヒラリー・クリントンである
石油、鉱物資源マフィアのマーク・リッチ等とゴアが弁護士を共有してきた歴史的背景には、オデッサ出身のユダヤ系ロシアン・石油マフィアと全く同じ石油密輸ビジネスをゴアが行って来た事から来ていた
次期大統領候補ヒラリーも同類である

http://alternativereport1.seesaa.net/article/50169256.html

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ブッシュの正体

古代ローマ帝国は、東西ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は早々に内紛と戦争で分裂し、最終的にはドイツ、フランス、イタリア、スペイン等の小国分立の状態になり、現在に至っている
・・・歴史の教科書は、こうした流れについて語って「は」いる

西ローマ帝国が分裂を繰り返し、現在のドイツ、フランス等に「落ち着く」までには、バラ戦争、百年戦争等・・膨大な数の戦争がヨーロッパで繰り返された
戦争には資金が必要である
一体、延々と戦争を繰り返すその資金は、どこから来ていたのか

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15世紀になると、ヨーロッパでは次々に銀行が創立される
大部分はイタリアのヴェネチア等に本拠地を置いていた
当時の「お金の借り手」は、ほとんどが王族である
信用があり、莫大な資金を「使う」人物等、当時は王族しか居ない
戦争資金を提供していたのはこの銀行であった

● 人類における銀行の起源は、「戦争資金調達機関」である

しかし不思議な事に、スペインのフェリペ2世などは戦争に全財産を使い果たし、破産してしまう
破産しているにも関わらず、イタリアの銀行はフェリペ2世に戦争資金を貸し付け続ける
破産しているのだから返済不可能である
これは、利益目的で銀行が動いていたのでは無い事を示している

銀行の創立は「許可制」であった
許可していたのは、西ローマ帝国時代以来、生き残っていたイタリアの元老院である
富裕貴族の集まりである元老院は、ローマ帝国の皇帝の絶大な権力に逆らい、何とかして自分達の独立性を維持したいと考えていた
富裕貴族達は、皇帝と激しく対立していた

この富裕貴族達が、自分の「思い通りになる」国を作ろうと考え、資金を提供し、ローマ帝国を分裂させ、皇帝に対抗して戦争を繰り返していた
そして自分の領土拡大のために、貴族同士が戦争を繰り返していた

戦争の費用は、この富裕貴族達が出していた
当時、それ以外に、戦争資金を提供出来る富裕層等居なかった

この富裕貴族が、多少の財産を作った市民の財産を預かり、集め、それをマトメ上げ、戦争資金として王族に貸し付けるために作ったのが、銀行の「始まり」であった
戦争に勝ち、敵の領土と財産を略奪し、その利益を戦争資金提供者達は分配した
銀行の「利息の始まり」である

皇帝に対抗する元老院のあるイタリアに、銀行が集中した理由がこれで説明が付く
フェリペ2世が破産していても、銀行が資金を貸し付けた理由がこれで説明が付く

貴族が皇帝と権力闘争し、貴族同士が縄張り争いし、「我を張り合う」・・「負けたくない」という意地で動くから、破産した相手でも戦争が「うまい」相手には、幾らでも資金を貸し付けた事になる

ローマ帝国の皇帝に対抗した富裕貴族達が、「自分の思い通りになる地域、縄張り」を作るため、「王族」という「雇われ兵」を雇用し、戦争によって「貴族の縄張りを守る」ために、戦争実行機関として作ったものが「国家」であった

こうして出来上がったドイツ、フランス、イタリア等という近代国家には権威が無かった
ローマ帝国が紀元前からの長い伝統を持っているのに対し、貴族の作った国には「歴史」が無かった
新しい国の「権威を作る」ために、1つの民族、1つの言語、1つの文化でマトマッタ1つの国家・・という民族国家=ネイション・ステイツの「概念が捏造」された
そして、その民族の歴史が数千年ある「という話」にし、ローマ帝国に対抗し権威を「作り上げた」

実際には、自分の国の中には様々な言語、民族があったが、それは「無かった」事にした
人種差別を行い、他の民族を「何とかして国から追い出そうとした」

15世紀以降、戦争屋=銀行=富裕貴族は、支配下に置いたアメリカから入ってくる金銀によって戦争資金を調達した
アメリカは、ヨーロッパにとって「戦争の草刈り場」となった
アメリカのネイティブ(差別的にインディアンと呼ばれた)を奴隷として働かせ、戦争資金の金銀を鉱山から掘り出していた銀行家達は、「劣った人種=ネイティブ」という人種差別で奴隷制度を正当化した

フランス、ドイツ、日本等という「国家」が、最初から「戦争のために」作られた制度であり、1つの民族というウソを「通す」ため、国内では必ず人種差別を行い、海外では人種差別による奴隷支配により「国家経営、戦争実資金」を入手するシステムであった事が分かる

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http://alternativereport1.seesaa.net/article/50333133.html
ローマ帝国の皇帝に反旗を翻した富裕貴族達は、帝国を分裂させ、「自分達の思い通りになる小国」を乱立させる
これが多くの戦争を経て、現在のドイツ、フランス、スペイン等になる

紀元前からの歴史と伝統という権威を持つローマ帝国に対し、こうした小国は、何らの権威も無かった
しかも、ローマ帝国はキリスト教カトリックを国教とし、ローマ法王によって、神の「代理人」として世界を支配する皇帝の地位を与えられていた
神の支持の下に、世界を支配するローマ皇帝の「権威」に対し、富裕貴族=戦争屋=銀行家達は、どうしても別の「権威」を作り出さなくてはならなかった
「皇帝より自分達が世界を支配する方が正しい」という宗教的理由が必要であった

貴族達は、ローマ・カトリック教会が封印し隠していた古文書を探し回り、ついに古代シュメール語版聖書を発見する
ローマ・カトリック教会の用いる聖書よりはるかに古い、8000年前の最古の聖書であった

しかも、この最も信頼出来る最古の聖書には、カトリック教会の主張するキリストの教えとは全く別の事が記載されていた

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神は天(宇宙?)から金塊等の貴金属の採取のために地球に訪れ、人類に貴金属の蓄積を命令した
神は人間を家畜として育て、人間の肉を食べ、血液を飲み、食事とした
神は、「一部の選ばれた人間達」に貴金属採取を任せ、地球を去った
「選ばれた人間達は」貴金属採取のために、神の命令の下、全人類を奴隷とする権利がある
この奴隷を使い金塊を蓄積し終わった時、不要になった奴隷の全人類を戦争で絶滅させ、神の来訪を待つ
人類の絶滅と金塊の蓄積を確認した神は、地球を再び来訪し、地上に「神の国」が実現する
神に「選ばれた人間達」は、他の人間達を支配する権利を確認するために、「神を真似し、神と同一の行動」を取る
神と同様、選ばれた人間達は人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を定期的に行う義務がある
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こう記載された最古のシュメール語版聖書は、金塊の蓄積=銀行業と人類の絶滅=戦争を業とする富裕貴族達を狂喜させた
戦争により人類を絶滅させ、戦争で金儲けする貴族達の生き方が最も神に「忠実」な生き方である事が、ローマ・カトリック教会よりも権威のある最古の聖書によって証明された事になる

ローマ・カトリック教会の使用する聖書は、このシュメール語版聖書を偽造したニセモノの聖書である事が暴露された

表向き、ローマ皇帝の部下である貴族達は、ローマ皇帝=ローマ・カトリック教会の「敬虔な信者」であった
しかし、貴族達はカトリック教会のウソを見抜き、シュメール語版聖書を信奉するグループをカトリック教会の中に、密かに作り上げた
ローマ帝国を解体するクーデター部隊である
その諜報組織としてフリーメーソンが作られ、後に、さらに急進的な実行部隊が作られ、それはイルミナティ結成へとつながる
シュメール語版聖書の教えの通り、この組織は定期的に人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を行い、自分達が神の「しもべ」である事を確認した

しかし、こうした組織では生温いと考え、神の国イスラエルを「先に作り」、そこを拠点として世界中に戦争を仕掛け、全人類を絶滅させる事で神の地球への再来を早めようと考える、さらなる急進派の少数精鋭部隊が精選された
この急進派が1948年、パレスチナの地にイスラエルを建国する
この急進派の中核となる実働部隊が、イスラエルのアイゼンベルグとブロンフマン一族である
この急進派の資金集めとその考えを広めるために作られた宗教組織が、現在のイラク戦争を推進するキリスト教原理主義教会であり、その熱心な信者、代理人がブッシュ大統領である

現在、アメリカ人の46%が、このキリスト教原理主義教会の信者である

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http://alternativereport1.seesaa.net/article/54742244.html
米軍基地ディエゴ・ガルシアの深相
インド洋はるか沖合にあるディエゴ・ガルシア島は、米軍のアジア戦略基地の中でも最重要基地の1つになっている

ディエゴ・ガルシアは遠洋の孤島のようであるが、音速の戦闘機、戦略爆撃機にとっては、インド洋の遠海ディエゴ・ガルシアはアジア全域を監視するに十分な戦略基地である

ディエゴ・ガルシアには、戦闘機、爆撃機の常駐に加え、航空母艦、原子力潜水艦が寄港し、アフガニスタン戦争では、ディエゴ・ガルシアがアフガンへの戦略爆撃の最大拠点となった
アジアの戦争は、このディエゴ・ガルシアが担当する

この島は英国領であり、米軍は英国の許可を得てこの基地を使用している
アジア戦略において、米国が英国の許可を得て動いている事、米国が英国の出先機関である、という事実が浮かんで見えて来る

世界中のインターネットを盗聴監視する軍事衛星監視システム、エシェロンは、カナダ、オーストラリア等、かつての大英帝国のネットワークを使い、米国がそれを借り受ける形で行われている

技術と費用、運営の労力は米国が出し、エシェロンによる盗聴の成果は英国が「入手」する
そこには米国の「君主」英国と属国=米国の関係が浮かんで来る
エシェロンの最重要情報の最終的な解析地は、大英帝国のネットワークであるニュージーランドに置かれている
情報分析の最重要基地は、ワシントンにもニューヨークにもハワイの米軍基地にも置かれて居ない

米国の政治の中心地ワシントンDCは英国領土であり、ワシントンDCの住人は米国で選挙に投票する権利が無い
なぜなら米国の政治の中心地ワシントンDCは英国の領土であり、英国の支配下にあるからである

ところで、英国王室のその運営を「担当させられている」のは英国王家であるが、英国王室の「所有権」は、ローマ・カトリック教会=バチカンにある
バチカンの財政を握り、その権力を握って来たイエズス会は、元々軍事組織でありテンプル騎士団に源流を持っている
従ってテンプル=イエズス会の軍事戦略を読解しないと、米国のアジア戦略は読めない事になる

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ヨーロッパ中世が終わると、中世を支配した王族、貴族は、その資産で企業経営に乗り出し、現在、その企業は世界を支配する多国籍企業に成長している
多国籍企業のネットワークとは、王族、貴族のネットワークである
ロックフェラー、ロスチャイルドと言った財閥は、王族、貴族の末端の「下僕」に過ぎない
ロスチャイルドが世界を支配する等とデマ宣伝する者達は、月給20万円で雇われた王族の車の運転手が、王族のトップだと主張している事になる
ロスチャイルド等、王族のドライバー、豪邸の掃除人夫に過ぎない

ヨーロッパとロシアを合体させ、ユーラシア帝国を形成する、その目的で、ヨーロッパ貴族・ロイヤル・ダッチとロシア貴族・ロマノフは動いていた

カーン博士は、本書において、既に1960年代に、将来ヨーロッパは統一される、と予言している
ヨーロッパの王族は、EUの誕生を50年前から計画していた

カーンは、ここで、EU統合を推進しているのがアメリカの多国籍企業であり、EU統合はアメリカ企業の利益である、と具体的にデータを提出し、分析している
EUが、アメリカに代わる第2の勢力である、という考えが間違いである事が、ここで歴史的に証明される
EUはアメリカが「製造」した

カーンは、EU統合の経済的実態はアメリカが担い、統合のための政治活動はヨーロッパの政治家に担当させる必要がある、と分析する
ヨーロッパ人は「メンツ」を大事にする
全てアメリカが主導したのでは、ヨーロッパのプライドが許さない
そして、詳細なデータを基にヨーロッパ企業は、アメリカ企業と提携し、時間をかけ合併の道を採用する事が生き残りの道である、と分析する

ここでは、表向きはヨーロッパの覇権を主張しつつ、時間をかけ、ヨーロッパ帝国はアメリカ帝国と合併し、世界帝国を形成すべき、と考えられている
ソ連崩壊、EU統合、ロシアとEUの連携=ユーラシア帝国の形成は、世界帝国形成への序章である

−−−
その世界帝国の中枢は、どこになるのか

カーンが、ヨーロッパ多国籍企業とアメリカ多国籍企業の統合を「説得」し、世界帝国を形成すべきと主張する、その基礎データ資料は、イスラエルのランベール銀行が提出している
50年前の話である
EU統合の際、EU本部はベルギーのランベール銀行の重役室に置かれた
50年前からの計画をイスラエルは「成就」した

ロックフェラー、米国ブッシュ大統領が熱烈な信者であるキリスト教原理主義は、イスラエルを中心に世界帝国を作る、と強硬に主張している
米国の主張とEU統合の活動は、「一致」している
イスラエルのランベール銀行は、元々、ベルギーの貴族ランベール一族が創立した
ベルギーは元々オランダの一部であった
ベルギー貴族は、ロイヤル・ダッチ・シェルのオランダ貴族の姻籍である
拙稿「ガソリン高騰の謎(2)」で記したように、米国の産業界、石油業界はスコットランド金融界を生命線としている
スコットランド金融界の意向を受け、スコットランド王ジェームズ6世が鋳造した30シリング硬貨は、通称「ドル」と呼ばれ、それがアメリカの通貨ドル、世界通貨ドルとなった
アメリカの金融システム、世界の通貨システム=ドルは、スコットランドの王族が「作っていた」

スコットランド金融界と共に、ウォール街を含むニューヨークの街を建設したオランダ金融界(ランベールのベルギー)
そのためニューヨークは元々、ニューアムステルダムと呼ばれていた

スコットランド貴族の作ったドル通貨が「役に立たなくなった」ため、現在、スコットランド金融界の盟友、オランダ・ベルギー金融界の作ったユーロが覇権を握りつつある

ブッシュ大統領が退任した後には、ヒラリー・クリントンが大統領になるかも知れない
大統領=覇権が交代しても、アメリカ合衆国が無くなる訳では、もちろん無い
アメリカからイスラエルに向かう舗装道路ドルが老朽化のため使い物にならなくなり、EUからイスラエルへ向かう高速道路ユーロが新たに建設されても、「全ての道はローマに通じ」ている

−−−※−−−
・・ヨーロッパの農産物市場において、世界の食糧を支配する穀物商社が、イスラエル企業と「カルテル」を組み、EUを舞台に米国とイスラエルが「合併」している様子は、農産物マーケティングボード・システムの変容として、拙稿「通貨ユーロの秘密」に記載されている

http://alternativereport1.seesaa.net/article/73764302.html
3. SCにとって小さな島国の英国よりもヨーロッパ全体を対象にしたビジネスの方が本業であり、ロンバート街のSCは英国支店に過ぎない
そのSCの本店がイタリアのロンバルディアにある銀行スコシア・モカッタである
19世紀、世界の覇権が英国に移ると、イタリアの金融街ロンバルディアにある銀行群は次々と英国に支店を開いた
英国にはロンバルディアのコピーのような金融街が出来、ロンバルディア街、ロンバート街と呼ばれるようになった
米国のウォール街は英国のロンバート街に依存し、ロンバート街の本拠地はイタリア、ロンバルディアにあった
しかし、ロンバルディアの銀行に資産を預ける資産家は、イタリア政府に従順に税金を納める事はしない
資産は当然、直近にある税金の課されないベネチアに置く
そのため金融街ロンバルディアの銀行は、皆、本店を税金の課されないベネチアに置く

つまりベネチアが世界の中心、世界の支配者であるという事になる

ベネチアの金融界は狭いギルド社会であり、過去800年間ベネチア金融界を支配してきたのがデル・バンコ一族である
銀行=バンクの語源になっているこのデル・バンコ一族が世界の支配者ベネチアの中心に居る
デル・バンコは課税を逃れるため、欧州では全く別名のウォーバーグ銀行を経営している
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4.

1913年、米国に渡ったウォーバーグ一族の1人ポール・ウォーバーグは、米国のウォール街に指示し、米国の中央銀行FRBを創立し、ポール自身がFRB議長の席に座る
ポールはFRBの事務仕事、雑用をベネチアの支店の、そのまた支店である米国の世界「最大」の銀行シティ・バンクに担当させた
ブッシュ一族などデル・バンコにとって雑用係なのだ
またウォーバーグ、デル・バンコはナチス、ヒトラーを全面的に支持、資金援助し人種差別によるユダヤ人大量虐殺を行わせた
そしてポール・ウォーバーグは最大手銀行クーン・ローブ一族と婚姻し、その銀行を系列下に置いた
正式名リーマン・ブラザース・クーン・ローブ(ライブドアの親会社)の会長でブッシュのハリマン銀行の社長ハリマンに命じ、ブッシュ一族からヒトラーへの多額の資金援助をも行わせた

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5.

ヒトラー支援に見られるデル・バンコ一族の人種主義は、他民族、有色人種との結婚を厳禁し、一族の純血を守り、欧州全体に広がる親族間との結婚しか認めない所にも出ている
その白人至上、純血主義、異民族排外がヒトラーを政権に就けた
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6.

「白人」を語源辞典、医学用語辞典で引いて見るとコーケイジャン、コーカサス人と出てくる
現在チェチェンやアゼルバイジャン等の紛争の絶えない地域コーカサスが、白人という人種の源流、発祥の地である
キリスト教の聖書の中に出てくるアダムとイヴが食べる禁断の木の実リンゴはこのコーカサスが原産であり、白人が世界に民族移動するに従ってリンゴも世界に広がって行った

リンゴが重要なシンボルとして記載されているキリスト教最古の文献の1つシュメール語版聖書が示すように、シュメールの源流はこのコーカサス地方と関係があると思われる
(現在、考古学等ではシュメール文明の発祥地は特定できていない)

紀元前5000年前後、コーカサスから欧州全域に徐々に移動を始めた白人(スキタイ民族)は現在のトルコにあったトロイ帝国に代表される国家、都市を各地で建設する
さらに紀元前11世紀トロイのフランシオン王子率いるフランク族がドナウ川以西に移住、王子の名前フランシオンから後にフランス国家の名が取られる
またもう一つのトロイ帝国を作る意図からシャンパーニュ地方にトロワ(トロイ)という町が作られ、トロイ王パリスの名を取り首都パリが建設される
英国ロンドンも古くはニュー・トロイと呼ばれ、ベネチアもAD466年、コーカサスから移住してきたスキタイ人が入植、経済の実権を握って行く
現在のドイツ地方にAD4世紀頃移住してきたスキタイ人は、自分達を「スキタイの純血種」=ジェヌイン・ワン=ゲルマンと呼び、異民族の排斥と親族間の結婚を厳守した
ナチス、ヒトラーのゲルマン主義、異民族虐殺はここから来ている
異民族排除はシュメール版聖書の示す通り、自分達を半神半人と考え、神の血の成分を薄めないために行われる
神が宇宙から採取に来るとシュメール聖書に記載されている貴金属の収集への執着=金銭欲=銀行業を生業とする習性もここから来ている
デル・バンコ一族もこの部族だった
この部族の特徴は、トロイあるいは聖書の中のエレサレム等、伝説や書物の中で聞かされてきた国家(都市国家)を再び現実世界の中で築こうとする所にある
(イスラエル建国とモルモン教)

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7.

1090年、現在のトルコ、トロイ帝国の跡地にスキタイ人が結集、トロイ帝国再建と聖書に記載されているエルサレム再建を誓いテンプル騎士団を結成する
1126年、エノク書を信仰するテンプル騎士団はフランスのトロワ(新しいトロイ帝国)に結集、トロイ帝国再建を誓いエルサレム奪還のためイスラム教徒大量虐殺の十字軍に出発する

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8.

現在、デル・バンコ一族はスコシア・モカッタ銀行の共同経営者となり、1948年、この銀行が経営するイスラエル・レウミ銀行がイスラエル建国資金の大部分を出資した
スキタイはエノク書の指示通りエルサレム再建に成功した
続く事業はイスラエルを世界を支配する世界帝国に育成する事である
要は世界を動かすマネーの支配である

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9.

現在デル・バンコ=モカッタ銀行は、ロンドンで金GOLDの取引を独占している
ロンドンの貴金属取引所ロンドン・メタル・エクスチェンジ(LME)の「黄金の間」と呼ばれる部屋では、毎日デル・バンコ一族を中心とした5つの銀行が国際的な金GOLD価格を独占的に決定している
その決定に世界中の金融機関、貴金属購入者が黙って従っている
あらゆる商品の中でも最も重要で、しかも紙幣より信用のある決済手段である金GOLD価格が、たった5つの銀行により独裁的に決められている
「価格は需要と供給の関係で決まる」という市場原理が全くの「作り話」である事が分かる
市場を成り立たせている根源にある金GOLDが、市場原理でなく独裁で決められている

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10.

世界を支配するためには、抵抗する者の抵抗心を麻薬で失わせる「心理戦争」も重要になる
デル・バンコは、CIAそのものであるデューク一族の麻薬入りタバコ会社ブリティシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の創立資金を出資する
エノク書はイスラエル以外の全ての人種を絶滅させるよう指示している
全人類を絶滅させるまで絶え間ない戦争が必要とされる
デル・バンコは戦争で使用する火薬を大量生産しているデュポン社を経営し、共同経営者であるランベール銀行はイスラエル建国資金を一部出資している
デュポンが火薬生産を止めれば世界中の戦争が止まる
だがデル・バンコは火薬の大量生産を続ける
イスラエル以外の全人類を全滅させる事が「神が再臨」する条件だとエノク書が教えているからだ
そしてランベールの経営する新聞エレサレム・ポストは、「有色人種を絶滅させよ」と叫び続けている
ランベールは世界最大のメディア企業AOLタイム・ワーナー、CNNTVを経営し「戦闘シーンをカッコ良く」放送している
子供と若者が戦闘もののTVゲームをやるように喜んで本当の戦争に参加するように、そして人類の絶滅に貢献させるためだ

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11.

悪質サラ金業者が「強盗でも何でもして金を持って来い」と怒鳴るように、借金だらけであったナチス・ヒトラーに対し厳しい取り立てを行い、窮地に陥ったヒトラーをユダヤ人の家全てに強盗に入らせ、ユダヤ人を大量虐殺し、奪った金で借金を返済させた国際決済銀行BIS
このBISが自己資本規制を8%に上昇させた事で(銀行が金を貸し出さず自分で持っている事)、日本では資金不足で優良企業が次々に倒産、年間自殺者が3万人、15年間の不況で50万人が自殺する事態となった
BIS規制を強化したBISの頭取ジャン・ゴドーは、エノク書を信仰するランベールの頭取である
ゴドーは「人類絶滅、有色人種絶滅は神の再臨への道」と考え、日本人50万人の大量虐殺を実行した

イスラエルを中心とした「神の国」の再臨、それはイスラエルを中心とした世界統一政府による中央集権管理体制であり、その実験は現在EUによって行われている
EUの本部はランベール銀行ブリュッセル支店の重役室の中にある
それはEU統一の実験の目的がどこにあるかを示している
EUと米国を動かしているのがイスラエル、ランベール(地下経済)とデル・バンコのオフショアであるという実像が浮かび上がって来る

http://alternativereport1.seesaa.net/article/80170966.html

多国籍企業、多国籍銀行の「所有権」は、その株式の「集積」として表現されるが、現在、一組織として多国籍企業の最大の株式所有主は、ローマ・カトリック教会=バチカンである
バチカンは、宗教組織ではなく、一つの「投資ファンド」である
利益のためであれば、喜んで戦争を引き起こす
バチカンの下僕として活動するドイツ系貴族ザクセン・コブルク・ゴータ一族が、ベルギー国王一族である
このザクセン・コブルク・ゴータ一族の末流が、英国王室ウィンザー家であり、ウィンザー家を「手本」に、明治時代、日本の天皇家は「創作」された
やがて世界帝国の中心地となるベルギーに、世界統一政府の「原型」である国連機関が置かれ、暴落する米国ドルを尻目に、英国金融街シティが、為替等の取引高で米国ウォール街を追い落とし、トップの座に就任し始めている
ベルギーと英国、共にバチカンの下僕ザクセン・コブルク・ゴータの国である

注1・・ロックフェラーは、より大きな勢力の「代理人」に過ぎない

http://alternativereport1.seesaa.net/article/92152966.html

永世中立国スイス
世界の富裕層の資金の3分の2が集中する金融国家スイス
金塊等の形を取っている、その富裕層の資金が戦争等で侵略され略奪される事が無いように、スイスは永世中立国となっている

イラク戦争のように、「生物・化学兵器をイラクが持っている」と米国は主張して戦争を起こしたが、後に、それが誤りであったと米国自身が認める「誤った戦争」であっても、現在も米軍はイラクに駐留し、支配を継続している

戦争に正当な理由など不要であり、「モラルなど無い、何でもあり」というのが戦争の実態である
人間同士が殺し合いを行うのであるから、ある意味、当然である
しかし、スイスが永世中立であることは世界中が認め、誰も攻撃はしない
この地域だけには、まるで「戦争にモラルが存在する」かのようである
それはスイスに世界中の金持ちの財産が集まり、世界中の政府は金持ちの支配下にあり、金持ちの財産を危機にサラス事を避けようという点では、世界中の金持ち=政府が「一致」しているためである
永世中立とは、そういう意味である

スイスの金融業界は、イタリアのヴェネチアからの移住者達が形成した
ヴェネチアの金融界は、ローマ帝国の皇帝に反旗を翻したローマの富裕貴族が作り上げた
スイスの伝統商業は綿製品製造であり、ヴェネチアの港から輸入された世界中の綿花がスイスの綿業を支えていた
スイスの山奥の産業は綿花とヴェネチアを通じ、世界中に航路でつながっていた
綿業の昔から、スイスは「国際国家」であった

ヴェネチアの金融界は、ヨーロッパで繰り返される戦争に際し、各国の国王・貴族に戦争費用を貸し付け、戦勝国の略奪品を、さらに戦勝国から利息として「略奪し」巨大化した
戦争産業である
しかし、戦争を行うには資金だけでは足りない
兵隊と火薬が要る
ヴェネチアの依頼を受け、綿花を綿製品に加工していたスイスは、ヴェネチアからの依頼でスイスの山岳地帯で採掘される硝石を火薬に加工し、また貧しい農民を傭兵としてヨーロッパ中の戦争に派兵した

綿業に加え火薬産業と傭兵産業、つまり戦争産業が伝統産業となったスイスに、やがて、その売上の蓄積機能が加わり、ヴェネチアからわざわざ資金を運んでくる面倒を避け、スイスそのものが金融業を中心に担い始める
往路に火薬と兵隊を乗せ、帰路に売上=戦争の略奪品を運ぶ

火薬と傭兵=戦争産業と銀行
この2つは1つの産業であった
世界の金融大国、永世中立国、金融大国スイスのこれが正体であり、ここに金融業=戦争産業の本質が浮かび上がって来る

http://alternativereport1.seesaa.net/article/98523841.html

金で殺人を請け負う殺人専門マフィアの2大組織が、イスラエルのアイゼンベルグ一族とイスラエル=カナダのブロンフマン一族である

ブロンフマン一族は、初代からベルギー貴族ランベール一族と血縁関係にある
世界最大のメディア企業AOL・タイムワーナー・ランベールの経営一族である(現在AOLだけ分離状態にある)
ブッシュ大統領の銀行リーマン・ブラザースと一体化し、ランベールはCNN・TVを経営している
ランベール=リーマンから、ライブドア堀江は資金提供を受けていた

80年代、米国に吹き荒れた「企業乗っ取りの嵐」の中心となった銀行、ドレクセル・バーナム・ランベールが、このブロンフマン=ランベール一族の銀行である

EUの設立当初の本部は、ブリュッセルのランベール銀行の重役室に置かれていた
EUを「誰が作ったか」を、それは明確に示している

http://alternativereport1.seesaa.net/article/101168051.html

魔女軍団の国モナコ

拙稿「決定的に変化した戦争の形態」より続く

ドイツのアドルフ・ヒトラーのナチス組織が、政治組織=政党になる以前は、トゥーレ協会と呼ばれる交霊術等を行う、心霊研究の「オカルト」組織であった事は余り知られていない
「幽霊に憑依される特技を持つ人間」に、様々な幽霊を憑依させ、その「お告げ」に基づいて人生計画を立て、政治政策を立てると言う、相当「いかがわしい霊媒師」の集団が、ナチスの原型であった
しかし、このトゥーレ協会はやがてナチスとなり、莫大な数のドイツ国民に支持される程、いわば人気があり、それだけ「予言が的中する霊媒師の集団」であった
現在、世界最強の通貨となったユーロを発行する統一ヨーロッパ=EUの本拠地は、ドイツでもフランスでもなく、ベルギーのブリュッセルに置かれている
なぜブリュッセルなのか?誰も説明が出来ない

ローマ帝国の崩壊以降、ヨーロッパでは様々な国が次々に生まれては消え、戦争に次ぐ戦争の時代が1000年近く続いて来た
このあまりに長い戦争に「飽き飽きしたヨーロッパ人」が遂に戦争を止め、1000年振りに1つにまとまったのがEUである

EUの統合は、欧州石炭・鉄鋼共同体と言う、あらゆる産業の基本物資であった石炭と鉄鋼の生産・流通を一体化させる事から始まった
これがEUの原型であると言われているが、実は、この石炭・鉄鋼共同体の以前に、ヨーロッパ中部を支配したハプスブルク帝国の時代、ハプスブルク対反ハプスブルク勢力で戦乱に明け暮れた16世紀に、この2つの勢力両方に、「敵軍の情勢、軍勢」の情報を教える、戦争のための情報提供を行う「スパイ組織」が存在した

つまり、戦争の両方の当事者に雇われスパイ活動を行う、専門的な情報屋=スパイ商売を行う人間達が居た
ヨーロッパのあらゆる地域に親族を置き、様々な商売を行い、また宮廷貴族となり、ヨーロッパ中を「情報面で既に統一していた」一族が居た

戦争する2つの勢力・両方に資金を貸し付け金儲けするロスチャイルド一族、

戦争する2つの勢力・両方に傭兵を貸し付け金儲けするスイス、そしてサヴォイ一族、

戦争する2つの勢力・両方に雇われスパイ活動を「商売として行う」タクシス一族

このタクシス一族が「情報面でヨーロッパ統一を既に16世紀」に実現していた

これがEU統合の原型である

EUの原型は「商売としてスパイを行う、タクシス一族が形成した」

しかし「敵軍が全長50mの戦艦を建造している」というスパイ情報を提供しても、情報を提供された地域・国で、メートルという単位が使われていなければ、敵軍の戦艦の全長が分からず、その対策も立てる事が出来ない
そのためヨーロッパを統一した「スパイ組織タクシス」は、kg、メートルといった単位をヨーロッパ全体で統一する必要があった

このヨーロッパ統一スパイ組織を16世紀に作り上げた初代フランツ・フォン・タクシスが、ヨーロッパの各国の王・貴族に「命じ」、測量単位を「統一」させた
メートル、kgと言った単位は、スパイ組織タクシスが「創立した」
そしてヨーロッパ中の王侯・貴族は、タクシスの「命令に従ったのである」

これは、誰が最初のヨーロッパ「統一王」であるかを明確に示している

このタクシス家の本拠地がブリュッセルである

2008年現在、EU本部がブリュッセルに置かれている理由は、ここにある

ヨーロッパ各地に、様々な職業、貴族として偏在したスパイ・タクシス
特に、ドイツ・バイエルンで王侯・貴族「お抱えの」霊媒師として、その「予言の的中率が高い」と大人気であった「占い師」がトゥルン・ウント・タクシスであり、このタクシスが活躍した組織がトゥーレ協会、つまり後のヒトラーのナチス組織である

タクシスの「占いは的中するはずである」
ヨーロッパ全体に拡がった親族のネットワークを駆使し、ヨーロッパ中の情報を手に入れていたタクシスにとって、「行方不明になった親類が、どこにいるか」等と聞かれれば、「来月〜に来る」等と予言し的中させる事は簡単であった
徒歩で〜を目指して歩いていた、と言う情報があれば、来月頃、徒歩で、どこに居るかは、簡単に「予言できる」

こうしたスパイの「カラクリ」を知らない王侯・貴族の間では、タクシスは予言を的中させる「魔女・悪魔の使い」と考えられていた

EUは、世界最大のスパイ組織、魔女軍団タクシスが創立した

なお、2008年現在、世界中の大富豪が集まる金融都市・観光地モナコの全産業は、タクシス一族が支配している

世界中の大富豪達の「投資事業の水先案内人」として、魔女タクシスの予言が「相変わらず的中し続け」、タクシスのスパイ組織が世界中から「正確な情報を集め続けている事実が」、モナコが世界の大富豪の集まる金融国家である事実から、明確に浮かび上がって来る

http://alternativereport1.seesaa.net/article/100450175.html

ヨーロッパ人にとって中欧=ミッテル・オイローパという言葉も同じ複雑な意味を持っている
まずハプスブルク家によるヨーロッパ支配
この大帝国を巡る賛否両論の評価
この帝国内部でのすさまじい権力闘争
ヨーロッパの内戦
トルコ帝国との激しい戦争
文字通りの内憂外患

ヨーロッパの統一と分裂の「深い悩み」、現在の統一EUに至るヨーロッパの苦労と感慨が、この言葉には込められている

ミッテル・オイローパという言葉がドイツ語である事からも分かるように、中欧はドイツ文化圏に長く覆われて来た
現在のオランダは、国家としての統一が英国、フランス等よりも遅れ、地方貴族が割拠したドイツのホラント伯爵がこの地を支配した事から、このホラントが「なまって」オランダとなった

このミッテル・オイローパの内紛を制し統一を保たせていたのが、イスラム勢力=トルコからの攻撃であり、この外患に対してはミッテル・オイローパは「統一して反撃した」

特に1683年、首都ウィーンがトルコ軍に包囲され、ヨーロッパがイスラムの支配下に入る危機に立たされた首都攻防戦は、文字通り国家存亡の危機に立たされた激戦となった

この時、ハプスブルク帝国の総指揮官として起死回生、トルコ軍を激しく撃破し続け、ヨーロッパをイスラムから守り抜いた軍人・武将がサヴォイ公オイゲンであった

ハプスブルクの財政担当であり、戦争資金を帝国に貸し付け、戦争で莫大な利益を上げ続けたロスチャイルドは、後に銀行家として世界的に有名になり、21世紀の現在も、世界の金融の「コントローラー」として歴史の表舞台に立ち続けている

一方、サヴォイ一族の名前は、現在、ほとんど歴史の表舞台には出てこない

しかし、この名武将・戦略家の一族は歴史から消え去った訳ではない
サヴォイは、麻薬・アルコールを使ったマインドコントロールにより人間を廃人と化し、「何でも命令を聞くロボット人間・ゾンビ人間」を使いテロ・暗殺を企てる「戦略家・名武将」として、イスラエルを始めとした世界の大富豪達の「私的シークレット・サーヴィス」として、現在も活躍している

ハプスブルクの守護神サヴォイは、イスラエルを始めとした世界の大富豪の守護神に転身した

イラン・コントラ事件において、ブッシュ大統領一族とロックフェラーの部下としてイランへの武器密売を担当したドディ・アルファイド、その婚約者で英国王室に反旗を翻した元英国皇太子妃ダイアナ
この2名は「自動車事故」の形で口封じのために暗殺されたが、暗殺直前に宿泊していたのは「名門ホテル・サヴォイ」であり、ダイアナとドディを乗せたまま暴走し壁に激突、大破し、この2名を暗殺した車のドライヴァーは、麻薬とアルコールで精神錯乱=マインドコントロール状態にあったサヴォイ家の下僕であった

軍隊において、単なる「資金繰り」を行うロスチャイルドと、軍の指揮権を握る一族の「どちらが地位が上か」は、明白である

歴史の表舞台に出てくる者達は「常に、下っ端」である

http://alternativereport1.seesaa.net/archives/200809-1.html

プーチンとロスチャイルドを結ぶ地下水脈

「歴史の教訓」より続く
書籍紹介 : アンリ・ボグダン 「東欧の歴史」 中央公論社 (2)

本書には、16世紀、プラハ、モラヴィア等の発祥時の大学がイエズス会によって作られた、と興味深い記述が出てくる
かつて、あらゆる学問が神学の一部として存在する、という時代には、学問の場は修道院等にあった
その後、神学とは「別物」としての学問の「成立が許される」状況になり、初めて修道院から学問の場が大学へと「分離され」移行する
これは、理論的には中世キリスト教神学者ドゥンス・スコトゥスによって、神は人知によっては把握し得ない、一方で現実世界の事は人間の知覚で把握でき人知を持って分析する事が出来る、従って神の事は神学に任せ、現実世界の事は神学とは別の科学によって分析出来る、と2分された事に起源を持っている(注1)

しかし、教会からの学問の自律には、反カトリックの政治運動、カトリックを信奉するローマ皇帝と貴族との対立・権力闘争、貴族側の優勢という「政治」の力学が背景に存在した
そして、皇帝=カトリックに反旗を翻した貴族達は、「カトリックとは別の宗教」を信奉する
禁断とされたエノク書等の初期キリスト教の経典を用い、「自分達の方が皇帝=カトリックよりも、歴史・伝統の古い正当なキリスト教徒である」と称した
その経典には、「一部の白人を除き、全人類を絶滅させた時、神が再来する」と書かれていた

21世紀、米国ブッシュ大統領の信仰するキリスト教原理主義の源流である

イエズス会の宣教師が戦国時代の日本を訪れ、火薬と鉄砲を与え、戦国武将に「日本人=有色人種同士の相互殺戮」を行わせたのは、「一部の白人を除き、全人類を絶滅させ、神を再来させる」ためであった

こうした貴族勢力=反カトリック=反皇帝の牙城がベネチアであった
このベネチアの金融業者が、後にスイスの金融界を形成する
そして、そのスイスがロスチャイルドに資金を融資する事になる(注2)

このベネチアはローマが東西に分裂すると、ビザンツ帝国の影響下に置かれる
ロシアの政治勢力図の中に入る

スイスとロシアを結ぶ、地下ネットワークが、こうして形成される

ロシアと、スイスのバーゼル、アムステルダム(オランダ)、アントワープ(ベルギー)、そして英国を結ぶ航路が、大きな通商ルートとなる
この荒海で漁を行い、英国・スイス・オランダ・ベルギー・ロシアを行き来する漁師の航海術が、後に大英帝国の海軍を形成する

冷戦時代、敵国であるはずのソ連(ロシア)の原油を英国ICI(インペリアル・ケミカル・インダストリー)が精製する地下ルートが、こうして準備される(注3)

ロシアン・マフィア=マーク・リッチが、スイスでダボス会議を主催する所以は、ここにある
ロシアのプーチン自身が、スイスの金融機関を経営し、スイスを通じ欧米石油・ガス会社と事業提携を推進している歴史背景も、ここにある

ロシアは決してロスチャイルド、ロックフェラーへの抵抗の「牙城」とは成り得ず、スイスから生え出した同一の樹木の異なる枝葉が、ロシアとロスチャイルド・ロックフェラーである(注4)


戻り


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:この世は悪魔で一杯: 歴史に出てくる「最初のエクソシスト」がイエス・キリストだと知った夜:In deep:2013年05月04日:

http://oka-jp.seesaa.net/article/358630734.html

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<この世は悪魔で一杯: 歴史に出てくる「最初のエクソシスト」がイエス・キリストだと知った夜>

そして目にした英国オックスフォード大学の最新の「悪魔憑き」の調査研究論文

映画から行き着いた「ルカによる福音書」でのキリスト最近は過去の思い出の中で引っかかっているものを再確認したりすることが多いのですが、ほとんど生産的なことをしてこなかった人生なので、思い出すといっても映画とか音楽とかそんな類いばかりなんですが、最近ふと気になっていたものにエクソシスト3という映画があります

大ヒットした 1973年の『エクソシスト』の正式な続編で(エクソシスト2は関係ない映画)、エクソシストの原作者でもある人が脚本を書いて監督をした映画で、下のような話です

20年以上前に見た記憶があるのですが、完全に内容を忘れていたんですよ
それで、先日どうしても見たくなって探すと、メディアはすべて廃盤

しかも、 DVD などは Amazon でも楽天でもヤフオクでも1万円を超えるプレミア状態となっていて、中古としては購入するのに躊躇する価格となっていました
Amazon の中古市場では最低価格でも 12,000円からで、最高価格は 34,000円という異常なプレミアになっています
再販すりゃいいのに

DVD はあきらめて、レンタル落ちの VHS ビデオ版を探し出して購入しました

改めて見てみると、なるほどプレミアがつくのもわかるほど強烈な映画で、20世紀 FOX 配給の純然たるハリウッド映画にも関わらず、たぐい希なカルトムービーの仕上げとなっています
内容自体が強烈で、視覚的な部分を抑えている分、台詞がキツく、人によっては精神的にこたえる映画です
たとえば、映画では死体の首を切り落としてキリストの像の首とすげ替えたりする殺人が相次ぐのですが、それらの状況を「台詞だけ」で言われると、映像よりもむしろ厳しく感じるたりします
まして、主演は天下の名俳優で私の最も好きな俳優のひとりであるジョージ・C・スコット
しかも、彼の晩年の映画のひとつ

まあしかし、映画の内容そのものはどうでもいいのですが、この「エクソシスト3」という映画、どうも直接的には描いていないのですが、作者は、

「現代の社会では、すでに神と悪魔の" 実際の戦い" が始まっており、そして悪魔が勝つ寸前にいる」

ということを言いたい作品のようにも見えます

映画の中で主人公の刑事が、殺人事件の現場で見つけた「聖書で焼かれている部分」に着目して、そこを家の聖書で読み直す場面があります

そこは映画ではこのような台詞です

イエスは悪霊の取りついた男の名を聞かれた
その者は答えて言った
レギオン・・・大勢だから・・・

この「大勢」( many )の言葉で、主人公の刑事の読書は止まります

悪魔は彼だけではなく、「大勢に取り憑いている」と、このレギオンという人(複数の存在)は、イエスに言ったということが聖書に書かれているようです

私は、
「この流れだと、イエスがこのまま悪魔払いに進みそうだな」
と思って、この記述のある聖書の該当部分を探してみました

すると、これは新約聖書のルカによる福音書 8章26節から始まる場面であることがわかりました
−−−
ルカによる福音書 / 8章 26節-36節

一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた
イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た
この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた

イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った
「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ、頼むから苦しめないでほしい」

イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである

この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた

イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った
たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである
そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った

ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた
悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった
悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った
すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ

確かにキリストは聖書の中で悪魔払いをやっていることを知りましたが、調べると、この悪霊の下りは聖書の他のセクションにも多く出てくるようで、Wikipedia のレギオンを引くと、下のようにありました
−−−
レギオン

ローマ軍団のこと
以降、レギオンは軍団を表す言葉となった

・マルコによる福音書第5章に登場する悪霊
この悪霊に取りつかれた男は墓場に住み、裸で歩き回って昼も夜も大声で叫びながら自分の体を石で切りつけ、鎖や足かせも引きちぎるほどの力を持っていた
その男から出た後、二千頭ほどの豚の群れに取りつき、豚は突進して断崖から落ち、溺れ死んでしまった

つまり、「レギオン」というのは個人の名前ではなく、「たくさんの人による集団」という意味のようです
そのくらいの人々に悪魔がとりついている
エクソシスト3はこのことを述べていた映画のように思います

▲ 自らを「レギオン」(大勢の人物)と名乗る男に悪魔払いをするイエス・キリスト
Pictures from Children's Bible Story Books (子どものための聖書のストーリー) より

聖書でも映画でも、
「この世は何万何百万も悪魔に取り憑かれている」
ということのようでした

悪魔だらけの世の中
そこに私たちは住んでいる

しかし、なぜか「ああ、なんか世の中そんな感じだよなあ」とむしろ納得してしまいまして、最近の世の中を見ていて、やや絶望していた私ですが、むしろ、「あー、悪魔か」と、今のこの世が奇妙であることに納得できたことで、逆にむしろ元気が出てきて(笑)、「エクソシスト3」を見てから精神的にやや復調しました

だって、正気の人ばかりが作っている世界にしては、どうも実際のこの世の中、狂っていると思わないですか?

最近そう思って落ち込んでいたので
正気じゃなくて悪魔だったんだ

みんな

あるいは(ほぼ)全員かも

続けて目にしたオックスフォード大学の論文

偶然というのは続くもので、映画を見た後、ふと目にした米国のブログの最新記事に、「悪魔憑きに関してのオックスフォード大学の論文」の記事がありました

オックスフォード大学は英語圏では最古の大学である名門中の名門ですが、悪魔憑きについても長年研究しているチームがあるようです
論文自体は 2008年のものですが、概要を要約していたものをご紹介します

このオックスフォード大学の報告に感心したところは、なんとなく科学機関というのはこういうものをすべて「精神医学的なもの」と最初から決めてから調査に入りそうな感じがしますが、そのような前提条件を持たずにおこなっており、また観察の現場には医療チームと科学者だけではなく、司祭や修道院の女性たちも同室で観察させ、結果として、

「これは精神的なものではなく、明らかに悪魔憑きである」と、科学的な結論に達したという、ある意味ではすごいレポートです

正しいとか正しくないではなく、「前提条件なしで物事を調べる」ということは科学の基本というような気もしますので、さすがだなと思った次第です
なんとなくですが、現代の多くの科学機関では、エクソシズムなどに関しても、「最初から精神疾患」という前提で調査を始めそうで、「どのような精神疾患か」ということを突き止めることに終始しそうな気がします

確かに多くが精神的な問題であることは事実でしょうけれど「前提をつけた研究(物理や化学の基本の理論から逸れないように結果を出すように最初から決めておこなうこと)」というものが科学をダメにしたと思っているので、白紙の状態から考えるのはいいなと

いや、なんかもう実に、今は真面目に「悪魔」っぽい世相だと感じるのですよ
そんなわけで、ここからオックスフォード大学の「悪魔の報告」の概要です
−−−
Possession: Evil Is Still Evil
Phantoms and Monsters 2013.05.03

引用:
A Case of Demonic Possession
オックスフォード・レビュー (英国) 2008.03

悪魔憑きの事例

精神疾患の境界を判定する精神科医とニューヨーク医科大学の臨床精神医学の准教授により、あるひとりのアメリカ人女性が明らかに悪魔に取り憑かれていると判定された
彼女は、研究チームの観察の中で空中浮揚をおこない、未知の言語を話した
彼女の本名は明かされていないが(ここではジュリアと記す)、悪魔的な団体と長い期間関与していた経歴を持つ人物だった
彼女は、医師と精神医学者たちによる医療団と、さらにキリスト教の司祭、司祭助手、そして修道院から派遣された女性たち、そして何人かの一般のアシスタントたちによって作られたチームでその行動が観察された
アシスタントたちも何人かが精神医学に関しての専門の訓練の経験を持つ

観察結果は、同室でその経過を観察したリチャード・E・ギャラガー( Richard E. Gallagher )博士によって、オックスフォード大学の発行するオックスフォードレビューに記された

以下はその観察記録からの抜粋だ

ギャラガー博士は以下のように記述している

「私たちがいる中、ジュリアは定期的にトランス状態に入る
精神的に問題を抱えた人々は、しばしば (精神的な)" 解離 " に直面する
しかし、ジュリアのトランス状態には異常な現象が伴っていた
彼女がトランス状態に入ると、彼女の口から様々な脅しや卑猥な言葉、そして嘲りの言葉が出てくる」

「たとえば、『この女を放っておけ!』 というような言葉を叫んだり、『お前たちは馬鹿だ!』と言ったかと思うと、『このジュリアはこの俺だ』と呻いたり、(同室にいる司祭に)『その間抜けな司祭を部屋から追い出せ!』と叫ぶ」

「特筆すべきは、その声が明らかにジュリア本人の声とは違うということだ
しかもその声は様々に変化する
時には甲高い声でささやき、時には、低く響き渡る
トランス状態に入っている時、あるいはエクソシズムを受けている時の彼女の言葉の内容は、宗教と聖なるものを誹謗中傷するものだった」

そして、ギャラガー博士このジュリアとされる女性は、トランス状態から回復した時には、上のようなことを話した記憶がまったくない

さらにギャラガー博士の記述は続く

「時々、ジュリアの周りにある物が棚から飛んでいく
これらは、超心理学者たちの間では、念力的なサイコキネシスという希な現象として知られている
また、ジュリアはトランス状態の時に、彼女の知識をはるかに越えていると思われる事実や現象についても言及した」

「彼女は私たちから知らされていない、あるいは彼女が知るはずもない多くの事実をトランス中に口にした
私たち観察メンバーのチームの親族関係、世帯構成、家族の死亡や病気に関する情報などを口にする
しかも、たとえば、『どのような種類の癌でどのように亡くなった』などの、ほぼ知り得ることが不可能なような情報も話した
さらには、観察チームのメンバーの家で昨晩起きたことすら知っていた」

ジュリアは、悪魔払いの儀式(エクソシズム)をカトリック教会に要請した
彼女は、自分が悪魔からの攻撃を受けていることを確信したのだ
悪魔払いの場にもギャラガー博士は同席した
その状況を以下のように記述している

「エクソシズムは、6月のある暖かい日に始まった
とても暖かい日だったが、儀式の行われた部屋は明らかに寒かった
ところが、ジュリア(の内部にいる者)が口から奇妙な音と共に蒸気のように見えるものを噴出した
その場にいた者たちはその蒸気から耐えがたい熱を感じ、メンバーたちは汗を噴いた」

「ジュリアは最初、静かにトランス状態に入っていった
しかし、カトリック式の儀式と祈りの呼び出しが続く中で、次第に、ジュリアから複数の音や声が聞こえてきた
大声で呻る動物のような音や人間の声と思われる音までがまとめてジュリアから発せられている
人間の声は、ラテン語とスペイン語で話した
さらに、私たちの知らない未知の言語でも話した
ちなみに、ふだんのジュリアは英語しか話すことができない」

「その声は非常に攻撃的で、聖なるものを冒?した内容で、また卑猥な言葉や猥褻な言葉を話し続けた
そして、同席している者たちすべてに脅しをかけた
また、『ジュリアを放っておけ!』と何度も叫び、修道院の女性たちにも卑猥な言葉を浴びせ続けた」

「そして、トランス状態のジュリアはその力も強大だった
暴れる彼女を押さえつけるためには、修道院の女性たちが3人がかりでも難しかった
そして、驚くべきことには、ジュリアは約 30分間のあいだ、空中に浮かんだのだ
高さは彼女の足の半分程度の高さだった」

ギャラガー博士はこの観察と論文を記述した理由について、「現代社会での明らかな悪魔憑きの事例を文書化しておくため」だとする
そして、このような現象に懐疑的な人たちのためにも説得力のある文書を残しておきたいと考えたという

「悪魔憑きの事例は非常に希だ
しかし、いわゆる『抑圧』と『侵入』はそれほど希なことではない
そして、この場合は正確にそれを識別することは困難だ」と、ギャラガー博士は述べた

−−−
(訳者注) 小説でも読んでいるような気分になりますが、これはれっきとしたオックスフォード大学の化学研究論文からの抜粋です

それにしても、ジュリアさんのトランス中の状態の描写が映画「エクソシスト」の描写そのものなのは面白いですね
「エクソシスト」の原作は小説として 1971年に出版されたもので、上のオックスフォード大学の論文は 2008年のものです

もっとも小説「エクソシスト」自体が、 Wikipedia によりますと、> メリーランド悪魔憑依事件をもとにした、と書かれているので、「メリーランド悪魔憑依事件」という事件があり、ある程度はその実話がベースになっている小説だったようです
どうも、この「メリーランド悪魔憑依事件」というもの自体、かなりあやふやな話らしいのですが、それでもこれだけ共通項が多いのは興味深いです

なお、過去記事の、

・米国ボルチモアで聖職者相手に開始されたエクソシズム(悪魔払い)の儀式のレッスン 2011年01月11日

という記事に以下のような記述があります

悪魔に取り憑かれた際に現れる重要な4つの徴候は、この何世紀もの間、一貫している

それは、神聖なシンボルまたは、神聖な祈りに対する暴力的な反応とと共に、彼らは、説明のつかない能力を示すことがある
例えば、通常では考えられない腕力などの力

また、その人がそれまでには知らなかったような未知の言語を話したり、あるいは理解する
あるいはその人が知りようがないような知識

なお、最近はあまり書いていませんが、In Deep の過去記事には「エクソシズムと悪魔憑き関係」の記事がとけっこうたくさんありました
多くは「悪魔の輪郭」というカテゴリーにあります
そのカテゴリーからいくつか記事をリンクしておきますね

・「悪魔の聖書」ギガス写本の調査が本格化している
 2011年01月03日

・災害現場の空に浮かび上がる「欠けた五芒星」と、完全に廃虚と化したコロンビアの町
 2011年01月23日

・ジャマイカの著名高校で生徒が次々と悪魔に取り憑かれたという報道
 2011年02月02日

などです


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:0793] 本来の人間の有り様とはどんなものなのでしょう:ロック:

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ロックです
お疲れ様です

46万代:キリスト教<開可>
{新46_宗教_キリスト教_キリスト異聞_01}
の記事を拝見しました

今、研究課題として、武士道をモチーフに人間の有り様を考えているところです
ハリウッド映画のラストサムライでは綺麗に夫の仇である相手を恨まないその妻の姿がありました
恨まないという面はどう昇華させるかということにもつながるように思います

現代社会に生きる自分がもしも戦国の世の中に生まれて、武器を取らなければいけない立場となってしまった時どのように生きるべきであるのか、、、、死後の世界が知らされていない、知らない故の恐ろしさや葛藤がそこで出てくるのかなと考えるところです
武士たちは武家社会においては、民を守る存在であったけども、裕福なものは少ないという一面があったそう

昔であれば、やあやあ我こそは、遠くにいるものは音にも聞けなどの言葉を発して正々堂々と戦う風潮も元寇の襲来によって崩れたというのは、自分たちが習った歴史の教科書などに記される内容

人間的な葛藤はともかくとして、奴らの場合は「神は人間を家畜として育て、人間の肉を食べ、血液を飲み、食事とした」を信条とする生き方であれば、その中にいる限り、奴隷的な立場にある人間が平和に暮らすことは叶わない

何かを犠牲にしなくては生きられない環境の中に置かれている人間が、どう向き合って暮らすべきなのか
ひふみなどで言われているお詫びしなければいけないという部分は、地球劇場の環境からすれば当然とも思うことはできます

貴金属が価値のあるものと教育され、その価値観で地球上を満たされていく

武士の本懐なのかどうか、敵に辱められる前に、味方に介錯されることが武士の生き様とも映画などでは描かれるものの、人間の肉を食べ、血液を飲み食事とする存在から見れば、余興以外の何者でもないなというのが思うところです

地球劇場の姿を認識し、生命体本来の生き方を通すことの難しさもまた感じるところです

{・・・・・・・・
神は天(宇宙?)から金塊等の貴金属の採取のために地球に訪れ、人類に貴金属の蓄積を命令した
神は人間を家畜として育て、人間の肉を食べ、血液を飲み、食事とした
神は、「一部の選ばれた人間達」に貴金属採取を任せ、地球を去った
「選ばれた人間達は」貴金属採取のために、神の命令の下、全人類を奴隷とする権利がある
この奴隷を使い金塊を蓄積し終わった時、不要になった奴隷の全人類を戦争で絶滅させ、神の来訪を待つ
人類の絶滅と金塊の蓄積を確認した神は、地球を再び来訪し、地上に「神の国」が実現する
神に「選ばれた人間達」は、他の人間達を支配する権利を確認するために、「神を真似し、神と同一の行動」を取る
神と同様、選ばれた人間達は人間を殺害し、その肉を食べ、血液を飲む儀式を定期的に行う義務がある
・・・・・・・}

これが奴らに乗っ取られた所以であるし、そのことを人々は認識し理解すること を要求されているのである


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====参考文献終わり====



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