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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

その他・つれづれ・近況 NO 90006


MFコメント 2007/08/12

ひふみを解読かるのに、なにやら参考になりそうな内容がありましたので、参考にしてください。これからはの世界は どんなに粗食であったとしても、餓死している人を思えば、なんと幸せと思えるということでしょうか!

足るを知れば、常に楽し

 【大紀元日本8月11日】
天上の星は、≪地上の人間には、[【満足するということを知らなければならない】ということが自分たちにはわかっていない]ということが永遠にわからない≫のを見て笑っている。

---台湾のロックバンド・五月天(Mayday)の「知足」より---

 目の前にコップ半分の水があったとき、それを多いと思うだろうか、それとも少ないと思うだろうか?人によって考え方はまちまちだろう。上から見ればとても少なく見えるが、下から見れば、一杯入っているように見えるはずだ。心の状態の良し悪しによって、事物に対する見え方は全く異なってくるものである。自分をかなり高い位置に据えて物事を見たならば、その物事に対する期待も自ずと高くなり、それがひいては、容易に失望してしまうことになる。逆に、自分の目線を低く下ろしたならば、一切がかなりいいものに見え、それがひいては、容易に満足するということになる。

 皆さんはおそらく、漁夫と金の魚の話を聞いたことがあるでしょう。

 一人の漁夫がいた。家はとても貧しいのに、奥さんは欲張りだった。ある日、漁夫が網を打つと、一匹の金の魚が網にかかった。金の魚は助けてもらうために、漁夫に願いを一つだけ叶えてあげると言った。心優しい漁夫は、何も要らないと言うと、金の魚を海に帰してやった。家へ帰って、漁夫がそのことを妻に話すと、妻はひどく怒って、木のたらいをもらっておいでと言った。そこで、漁夫は海辺に行って、金の魚から木のたらいをもらってきた。すると、妻は今度は、木の家がほしいと言った。金の魚は今度も妻の望みを満たしてくれた。つけあがった妻は、貴婦人になりたい、いや、女王になりたい、ついには、自分は海の女王になって、金の魚を召使にしたいと言い出した。漁夫からそれを聞いた金の魚は、何も言わず海に帰っていった。漁夫が家へ帰ってみると、そこにはぼろぼろの家と、あの木のたらいと、ぼろぼろの服を着た妻がいた。

 私たちはしばしば、自分の生活は良くないし、一番きれいな服も、最新モデルの携帯も持っていないと不満を漏らす。ところが、見方を変えれば、私たちには食べ物があってひもじい思いをする必要がないし、着る服があるので、寒い思いをしなくてもいい。私たちは元気だし、近くに戦争もない。もっと柔らかい眼差しで周りの物事を見、「足るを知る」の気持ちで生活してみてはいかがだろうか?

 老子が言った。「最大の罪悪は欲望が多すぎることであり、最大の災いは足るを知らないことであり、最大の過失は欲張りで満足することがないということだ。ゆえに、足るを知るということが分かっている人は、生きていて永遠に楽しいのである」。

(看中国ネットより)

(07/08/11 01:21)


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