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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

その他・つれづれ・近況 NO 90024


MFコメント 2008/06/01

日米中の組織文化の違いの内容です。
国際派であると自認されるかたには必すうの内容であ
るし、これから起きる出来事に対して動きを理解する
のに役に立つことでしょう。
卑近な所では 毎日の生活での理解の基になるのかも
しれません。
参考までに、

===2==================
■■ Japan On the Globe(550)■ 国際派日本人養成講
座 ■■■■

国柄探訪: 日米中の組織文化
〜 グローバル競争を勝ち抜くに
は グローバル競争を勝ち抜くには、自分の個性を強
みとして発揮していく戦略性が必要。
■転送歓迎■ H20.06.01 ■ 38,258 Copies ■
2,858,660 Views■
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■1.ヒラリーの個別指示■

あるアメリカの会社で大勢の顧客を招待してパーティ
を開くことになった。
総務部長のヒラリーは10人ほどの部下を使って、そ
の準備にかかった。
さすがエリート社員として将来を属目されている才女
ヒラリーである。
てきぱきと10人の部下にそれぞれの仕事を命じてい
く。
ビル、あなたは今からあの酒屋に行って、缶ビール6
ケースとワイン12本を買ってきて。
予算は200ドル以内にね。
1時間ほどで済むでしょうから、帰ってきたら、会場
設営をジョージと一緒にやって、、、
命令された10人の部下は一斉に仕事に取りかかっ
た。
他の人が何をしようと関係なく、一人ひとりがヒラリ
ーの命令を全うすれば、パーティの準備は滞りなく進
められるのだ。
しかし、それでも予想外の事が起こる。
ビルは酒屋に行ったが、予算が200ドルでは足りそ
うもないと知り、ヒラリーに電話してどうしたら良い
か、新たな指示を求めてきた。
ヒラリーは、別の店をあたって、何とか200ドル以
内で済まないか、チェックするよう命じた。
「ビルは相変わらず気が利かないわね。
次回の査定ではもう一ランク落とそうかしら。
それで、自分から辞めてくれるなら、好都合だけど」
とヒラリーは考えながら、携帯電話を切った。

■2.胡夫人の「差不多(チャープドゥオ、だいたい
こんな感じ)■

上海近郊の中企業のオーナー社長である胡さんは、社
員全員を招待して、年間売上達成の祝賀会を開くこと
を決め、その準備を夫人に頼んだ。
胡夫人は同社の総務部長でもある。
胡夫人はしっかり者の上海女性を何人か選び、買い物
や会場の準備を命じた。
その中には経理部の温さんもいた。
胡夫人のお気に入りのやり手女性の一人だ。
別の部のスタッフを勝手に使うことは本当なら越権行
為なのだが、オーナー夫人の意向には、経理部長も文
句は言えない。
温さん、あなたはどこかでオードブルをみつくろって
買ってきて。
見栄えが良くて、たくさんあるのをなるべく安くお願
いね。

胡夫人の命令は、中国語で「差不多(チャープドゥ
オ、だいたいこんな感じ)」と言うように、大雑把で
適当だ。
ただし、目的意識は非常に明確である。

温さんは、行きつけの店で20分ほど激しい値切り交
渉をした後、近くの別の企業で働いている夫を携帯電
話で呼び出し、大量のオードブルを運ばせた。

それを見た胡夫人は「温さん、さすがね。
もっと重要な仕事を任せても良い頃ね」と皆の前で褒
めた。
それを聞いていた経理部長は、そろそろ自分の首も危
ないかな、転職先を探し始めよう、と思った。

■3.部下たちのチームワーク■

東京にある中堅貿易商社の総務部長・福田氏はあまり
自分の意見を出さない人だった。
来社するインド人バイヤーたちの歓迎会の設営で、福
田部長が部下たちに指示したのは、「インドのお客さ
んに失礼のないよう、心の籠もった歓迎会にしてくだ
さい」
ということだけだった。

部下たちは早速ミーティングを開いて、どんな形の歓
迎会にするか話し合った。
式次第やアルコール、料理の内容が決まると、それぞ
れ分担を決めて、準備に入った。
デパートの地下に焼き鳥を買いに行ったA君は、おい
しそうなタンドリー・チキンが特売されているのを見
つけたので、当初案から変更した。
これは結構、辛いので、ビールの消費量が増えるだろ
うと考え、アルコール仕入れ担当のB君に携帯電話で
その旨、連絡した。
B君はビールを増やした分、ワインの本数を減らし
た。

A君が買い物を終えて社に戻ると、会場の設営が予定
より遅れていたので、すぐに手伝い始めた。

■4.モジュール型、ネットワーク型、擦り合わせ型

以上、似たような設定で、アメリカ人、中国人、日本
人が組織としてどう働くか、というケース・スタディ
をしてみた。

アメリカ人の組織は「モジュール型」である。
一人ひとりが組織を構成するモジュールであり、ボス
から個別指示が与えられる。
各モジュールは同僚のことなど考えなくとも、それぞ
れがボスの指示をきちんと遂行していれば良い。
あるモジュールの動きが悪ければ、比較的簡単に取り
替えることができる。

中国人の組織は「ネットワーク型」と言えよう。会社
の部課といった公的な組織とは別に、個人どうしのネ
ットワークがあり、そのネットワークを通じて仕事が
なされる。
このネットワークを中国語では「圏子(チュエン
ツ)」と呼ぶ。

日本人の組織は「擦り合わせ型」である。
構成員どうしで自発的な擦り合わせをして、助け合
い、補完し合って、全体の仕事が進む。

このように世界にはいろいろな組織文化があるが、グ
ローバル化の時代には、異文化の接触機会が増えて、
文化間の摩擦が起こる。
日本企業に就職したアメリカ人が「モジュール型」で
仕事をしていると、「擦り合わせ」を当たり前とする
日本人から見れば、「あいつは言われたことしかやら
ない」と不満が昂じる。
また日本企業で働く中国人が「圏子」のボスの方ばか
りを見て仕事をしていると、「あいつはごますりばか
りで、皆と力を合わせない」などという批判が起こ
る。

■5.アメリカ人の「アップ・オア・アウト(昇進
か、転職か)」■

次に、日米中それぞれの組織文化の中で、人々はどの
ようなキャリアを理想としているのか、『鷲の人、龍
の人、桜の人 米中日のビジネス行動原理』[1]に紹介
されている実例で見てみよう。

アメリカ人のジョン・ケリー(仮名)はカリフォルニ
ア工科大学で、コンピュータ・サイエンスの学位をと
り、IBMに入社した。
仕事自体は面白かったが、技術者よりもマネジメント
の仕事をしたいと思い、数年で辞めて、東海岸のエー
ル大学でMBA(経営学修士)をとった。
その後、ヘッドハンターの紹介で、エクソンに入社
し、住居も東海岸からテキサスのヒューストンに移し
た。
エクソンは一流企業で優れた人材も多く、ここではそ
んなに昇進できないと思い始めた頃、再びヘッドハン
ターから、カリフォルニアのシリコン・バレーにある
ハイテク・ベンチャーが技術部長を探している、とい
う情報がもたらされた。
聞いたこともない小企業で、ジョンはちょっと迷った
が、転職を決意した。
33歳の時である。
そのベンチャー企業は50人程度の規模だったが、M
&A(合併と買収)を繰り返して、5年も経たないう
ちに、3千人を超える企業に成長した。
ジョン自身も1千人の部下を持つ幹部に昇進した。
そして38歳の時に、別のソフトウェア・ベンチャー
企業の社長に就任した。
おりしもバブル崩壊と同時多発テロ事件で「社長20
年分の経験をした」が、それを乗り切って、今では自
信に満ちた日々を送っている。[1,p112]

アメリカ人のキャリア観は、「アップ・オア・アウト
(昇進か、転職か)」という一言で表される。
一つの会社で昇進が望めなければ、別の会社に移っ
て、あくまで自分の才能を生かせ る場を求める。
組織自体がモジュール型であるから、転職もやりやす
い。
逆に言えば、従業員の頻繁な転職に備えて、モジュー
ル型になっている、とも言えよう。

■6.中国人のリスク分散■

中国人のマギー・ウーさん(女性、仮名)は、上海交
通大学の工学部の出身である。
ウーさんのお父さんは学校の教師だったが、文化大革
命の時に奥地に追放された経験を持つ。
それでも学歴こそが世渡りの武器であると、ウーさん
は小さい頃からよく勉強をするように躾けられ、優秀
な成績で大学に入れたのだった。
卒業後、ウーさんは3年ほど上海の外資系コンサルテ
ィング企業に務めていたが、友人の紹介で別の外資系
コンサルティング会社に移った。
まだ28歳だったが、ここでは初級マネジメント職に
つき、給料も倍に跳ね上がった。
しかし、ウーさんの狙いは、マネジメントの経験を積
むことだった。
それは今後のさらなるキャリア・アップのための武器
になるはずだ。
転職後、1年経った頃、これまた友人の紹介で、上海
の復旦大学を出た優秀な男性と結婚した。
彼も在中国のGE(ゼネラル・エレクトリック)から
デル・コンピュータに転職していた。
結婚3年目で、夫がデルのカナダ支社に転勤するチャ
ンスが訪れた。
ウーさんは会社を辞めて、夫についてカナダに行き、
MBAに挑戦することとした。
お金の面では大変だったが、二人の両親だけでなく親
戚をあげて応援してくれることになった。
両方の一族にとって、カナダに親戚がいる、というこ
とは、中国で何かあっても外国に頼れる先がある、と
いうリスク分散となる。
また、この二人をつてに、将来、一族の中からカナダ
への留学生を出せるだろう。[1,p115]
強い上昇志向を持ち、転職を繰り返す、という点で
は、中国人はアメリカ人の「アップ・オア・アウト」
に似ている。
しかし「リスク分散」の意識が強い所が中国人のキャ
リア観の特色だろう。
国や企業のリスクを、友人や一族といった「圏子」で
の助け合いを通じて分散するのである。

■7.日本企業の「場」■

田表有効さん(日本人)は、早稲田大学の政治経済学
部を卒業してソニーに入った。
同級生の中には外資系企業を志望する人もいたが、学
生時代に人事系コンサルティング会社で実習をしてい
た関係で、田表は優秀な人材は一流企業に集まること
を知っていたので、ソニーを選んだ。
田表さんはある事業部の経営企画分野の仕事に就き、
2年目には、優秀な上司の指導も得て、その事業部の
抜本的な立て直し策を経営トップに直接報告する、と
いう機会に恵まれた。
それが評価されて何段階も抜擢昇進しそうになった
が、どこからかブレーキがかかった。あまりに突出し
た昇進は、職場の安定を損なう恐れがある、との危惧
が働いたのだろう。
それでも日本企業の中では、きちんと実力を示し、人
間関係もうまくこなせば、相当程度自由にやらせて貰
える事が判ってきた。
それに比べれば、外資系に入った友人は、初任給も高
く、立派な肩書きを貰えたが、所詮、出先機関での末
端的な仕事しか与えられていなかった。

5年目になると、同期入社組の中には、ソニーを辞め
てベンチャー企業を起こす人も出てきた。
田表さんも、産学連携して何かやりたいと思っていた
が、せっかく人材も機会も豊富なソニーという「場」
にいるのだから、その中で業界全体をあっと言わせる
ような新しい事業を具体化しようと考えている。

■8.日本の「職人染色型」■

[1]の著者キャメル・ヤマモト氏は、このような日本型
のキャリアを「職人染色型」と呼んでいる。

これは、ある一つの会社という場で、染物が染め上が
るようにトヨタ人やパナソニック(松下)人など、人
材が染め上がっていきます。
ここにもアメリカの波が押し寄せ、一部の業界では、
アップ・オア・アウト的なものが出てきていますが、
それはまだ辺境的存在です。
また、競争激化のおり、正社員の数も絞り込まれて、
個人のネットワークに頼る中国型も出てきています。
ただし日本的な強みを発揮できるメーカーなどの中核
部分は依然として職人染色型でしょう。[1,p112]
日本の組織文化である「擦り合わせ」も、こうした
「染色」によって初めて可能になるのであろう。
ヤマモト氏がわざわざ「職人」という言葉を使ってい
るのも、注意すべきである。
ヤマモト氏が「アップ・オア・アウト」の話をする
と、あるアメリカ人はこう言ったという。

そのモデルは、コンサルティングとか投資銀行とか、
ハイテクなど、個人の実力のちょっとした差が会社の
業績に直接響くような企業には適しているよ。・・・
でも、そのモデルは、多くの製造業では成り立たない
な。
そういうところでは個人の僅差にはあまり意味がなく
て、むしろ仕組みやシステムの勝負だからね。
[1,p125]

コンサルティングやソフトウェアなどでは、一人の天
才がいるかどうかで勝負が決まってしまう。
そういう天才を活かすためには、移動性の高いアッ
プ・オア・アウト型が適しているだ ろう。
しかし、多くの設備や部品・材料を使って製品を作り
上げる製造業では、共通の文化で染め上げられた多数
の「職人」が綿密な擦り合わせをしていく事が必要で
ある。
自動車産業などで日本企業が強い国際競争力を誇って
いるのも、この強みが現れているのだろう。

■9.日本の組織文化の強みを生かす■

日米中の組織文化の比較をしてきたが、米中はかなり
近く、日本の独自性が際だっている点が浮き彫りにな
った。
今後、グローバル化が進む中で、国内企業でも外国人
社員が増えているし、また中小企業でも海外に支社や
工場を持つ事が当たり前となってきている。
そうした中で、日本企業として国際競争力を維持・強
化していくためには、どのような組織文化を持つべき
なのか。
従来通りの「職人染色型」と「擦り合わせ」でやって
いくべきなのか。
それともアメリカ型や中国型に変えていくべきなの
か?

日本企業がアメリカ企業の真似をしようとしても、二
流のアメリカ企業になってしまうだけで、それでは国
際競争には勝てない。
逆に日本企業がアメリカや中国に工場を立ち上げ、2
0年ほどもかけて現地人幹部社員を徹底的に染め上げ
て、日本流の組織文化を築き、立派な業績をあげてい
る例も少なくない。
そこではアメリカ型や中国型の組織文化を一部取り入
れてはいるが、基本としての「染色型」と「擦り合わ
せ」は堅持している。
グローバル競争を勝ち抜くには、他者に学びつつ自分
の個性を磨き、それを強みとして発揮していくという
戦略性が必要である。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(526) 御手洗富士夫の和魂洋才経営
「日本人の魂である終身雇用を育てることが、競
争力の源泉」

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog5
26.html
b. JOG(111) 盛田昭夫の "Made in JAPAN"
自尊と連帯の精神による経営哲学

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jo
g111.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向
け)
   →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛
びます。

1. キャメル・ヤマモト『鷲の人、龍の人、桜の人 米
中日のビジ
ネス行動原理』★★

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/40872038
16/japanontheg01-22%22
===1===============
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより 
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「子供を伸ばす家庭教育」に寄せられたおたよ


happytogetherさんより
私は保育園育ちでしたが、小学校入学前に、母は大手
術を受け、体力的な問題もあって、外で働くことを断
念。
貧しかったので、小学校時代はずっと家で内職をして
いました。
今思えば、それは私の成長にとってとてもプラスだっ
たと思います。
子供はまず親の真似をします。
母の内職は縫い物だったので、母が仕事を始めると、
私もそばに行って真似事をして いました。
編み物を始めれば、私も見よう見まねで同じことをし
ていました。
すると母が仕事の手をチョット休めて私に針の持ち
方、運び方、編み棒の持ち方、目の作り方、など教え
てくれます。
子供の私でも母の忙しいのは分かっているので、その
瞬間に覚えてしまおうと、真剣に耳を傾けたもので
す。
父が新聞を読めば、その膝へ入り込んでいたことも覚
えています。
その前の保育園時代には、先生の弾く美しいピアノに
魅せられていつもピアノのそばにいました。
高学年になって、それが「乙女の祈り」だったことを
知り一生懸命練習しました。
そう、子供はまず親や身近な大人の真似をするもので
す。
なので、子供の周りにいる大人の日々の生活がそのま
ま子供の教育であるのです。
そのうち、真似だけでなく、私なりの興味を見つけ出
すようになりますが、父も母も何も言わず見守ってく
れました。
手も出しません。
私はマンガを書くことが大好きで、小中時代、机に向
かっているのは勉強でなくマンガ書き、寝転がってい
るときは本読み、という風でしたが、それを止められ
たことは一度もありません。
オルガンを弾くのも、工作をするのも大好きでした。
何かを夢中でやっているときに中断された、という記
憶は殆どありません。
集中力の養成は正にあの時代になされたのでは、と思
います。
そう考えると、子供の小さな成長や変化に気付き、見
守ってあげられる環境というのが、いかに大切か分か
ります。
時間に追い立てられるような生活も、子供の成長の為
に見直したいところです。
経済的にますます大変な世の中になってきています
が、子供が大きく成長する期間せめて(10才くらいま
で?)は、しっかり子供を観てあげて欲しいです。
(そういう支援体制を国はもっとやるべきです。)
私もそうでしたが、育てている間は途方もなく長く感
じますが、終わってみると、いかに短かったか分かり
ます。
そしてその短い期間にこそ、それからの長い人生をど
う生きるか、の根幹が出来上がるのです。
決して疎かにはできません。
過ぎてしまったら最後、2度と戻っては来ない!
そのことを肝に銘じて子育てに当たって欲しいと思い
ます。
大人は子供の見本です。
良い見本であれるよう、私達大人もまた日々努力です
ね。
(ブログ: 
http://happy.ap.teacup.com/happytogether/)


子さんより
つい昨日、4歳の娘の幼児教室をやめさせて、子供の
やりたがっていた水泳教室に通わせることにし、「し
かし、本当にこれでよかったのだろうか」と悩んでい
たので、大変励みになるメルマガでした。

辞めさせた理由としては、近所にとても仲の良い(け
んかもよくしていますが)友達ができ、本当に楽しそ
うに目を輝かせながら遊んでいる姿を見て、わざわざ
遠くの幼児教室に通わせることよりも、そちらに時間
をさいた方が良いような気がしたからでした。

幼少期は、やはり人間関係から様々なことを学ぶし、
それは幼児教室の教えてくれることよりよっぽど価値
あるような気がします。
それに、幼児教室で出される課題は、特に幼児教室に
は通っていない大人の私が当然に解けるものばかりで
す。
なぜ今それをできるようにしなくてはならないのかと
いうことも、疑問でした。
しかし、「これだけはできたほうが今後の能力の飛躍
につながりますよ」といわれると、幼児教室の先生も
悪い方ではないだけに、親としては「そういうものか
な」と思ってしまうのも事実です。
今後もいろいろ悩みつつ、親業とは何かを考えていけ
れば良いと思っています。

遠賀太
郎さんより
私は現在66歳です。戦後の高度成長期に企業戦士と
して会社のためにすべてを擲って働いてきました。
当然、子育て、家庭のことは妻に任せっぱなしという
ことでした。
その結果が子育てに失敗しました。
小学校卒業まではとても成績優秀な子どもでした。
競争世界に負けないためにとの思いで、私は子どもに
理不尽なことを要求し続けました。
その結果、中学3年の頃から家庭内暴力が始まり、勉
強どころか、家庭崩壊の道をたどりました。
私の二の舞をして欲しくないとの願いで投稿させてい
ただきました。
家庭教育の大切さが身に染みております。
親が子どものことをじっくりと見極め、その子の性格
や、興味を持っていることなどを的確に把握し、決し
て無理強いをしないことです。
私の人生を振り返っても無理をしたことは決してよい
結果を生んでおりません。
子育てを一度間違うと、その子の生涯を台無しにさせ
るとともに、家庭も崩壊され、その立て直しにはとて
も沢山のエネルギーと時間がかかることを体験しまし
た。
これから子育てを始められるお父さん、お母さんは、
今回の松永氏の提言は含蓄のある内容と思われますの
で、十分に吟味されることをお薦めいたします。!

■ 編集長・伊勢雅臣より

子は国の宝、子育ては立国の大業ですね。

読者からのご意見をお待ちします。以下の投稿欄また
は本誌への返信として、お送り下さい。
掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_res.htm


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