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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

「天」太陽の投稿記事

『終末と太陽の検証』

諸世紀情報 NO n410001

−−−−コメント 2012/06/09−−−−

{新41_諸世紀情報_地下室の壁の中の予言_01}
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0572・ノストラダムスの自宅の地下室の壁の中:諸世紀異聞T
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ノストラダムスの予言「諸世紀」には 基本的な問題を持っている
それは 「諸世紀」が、一章100編の四行詩の形式をとっているのに、欠落している章があることである
その欠落をノストラダムスが承知して、欠落・隠したのか?、予言の詩そのものが記述されていないのか?、現在、明確でないことである
「諸世紀」の編集形式によれば、欠落・隠した説が有力である
私が、「諸世紀」を解読する経緯と方法どについては 過去に案内したが、その時は この問題は 無視している
その時は 公開された予言詩編の解読を優先すべきで、この問題は その次のテ−マとすれば良いと考えたからである
なぜなら、公開された予言集の解読が方法論的にもある程度深化しないと、欠落したのかそもそも記述が無いのかの推論も進まないからでもある
この欠落したとするのなら存在しなければならない予言詩編を探しているのであるが、現段階に至っても明確でない
このことについては 2_<墓に込められた予言_1:>、3_<墓に込められた予言_2:>、4_<墓に込められた予言_3:>、5_<墓に込められた予言_4:>において若干の検討をした
それなりに分析したが、結論としては 保留扱いで、新しい情報待ちということになっていた
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その後、1_<クロケットの四行詩:>に関する公開された内容があったので、少し追加の吟味を進めることにしたが、結論として、?が残る内容であった
この主張は ノストラダムスの墓から発見されたもので、フランス政府が没収して秘密扱いになっていたものの中の半分くらいを取り出したものであるとのことである
この内容では かなり批判的な内容の記述で取り扱っていてコメントしているが、これは 無視するとにした
なぜなら、下記のように原文が英語であることで、「諸世紀」は フランス語をベ−スにして記述されているから、英文に変換した時に、予言の内容が正しくともひずめられていると考えなければならないからである
私が「諸世紀」を解読する時は 原文にできるだけ近づく必要から、フランス語ベ−スで記述されたものしか取り扱わなかった
だが、この掲示物の内容は 英文の予言詩集として記述されたものを取り扱い批判していたからで、この翻訳の著者は まじめに追跡・分析していないことが明らかであるからである
少し調査追跡をしてみたが、残念ながらフランス語ベ−スの欠落部分と言われる予言集に近づくことができなかった
このことは継続して追跡することにしているが、偽であれ本物であれ、吟味しないことには その真贋を検証もできないので、これまた正しい・本物と仮定して検討することにした
ただ、内容的には すでに案内した内容を越えるものを見つけることはできなかったので、この情報は 参考資料として収納することにして、新しい情報を探すことにした
過日、えんとつSUN氏が、数陣の知識から追跡の報を聞いたが、あれからしばらく経過しが良い報告がないから、上手くいかなかったと思われる
結論としては 「諸世紀」の原本か墓の中の原本の内容が手にいらない限り、良い結果を売ることは難しそうである
もっとも既存の情報からは 特別に新しい内容が見られないから、期待するのも無理なのかもしれない
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クロケットの四行詩:http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/861.htmlは 次のような形式で記述されている
1
In the millennium, two, the King's Son, before the turn,
Is seen by all amid thunderclaps.
Angry, the rubble of war and pestilence, the sins,
The fish returns to power after a long sleep. (*7)
二の千年期、転機の前に、王の息子が
雷鳴の中で、全ての人々に目撃される
怒り、戦争の瓦礫、悪疫、罪悪
魚は長い眠りの後で力を取り戻す

コメント

1行目の語順がわざとらしい不自然さである
また、ノストラダムスはミレニアムに当たるフランス語 millenaire を数えるほどしか使っていないが、それらはいずれも西暦紀元を基準にするものではなく、21世紀から始まる千年紀を上記のように表記することはありえない

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2012年05月に、関東大震災や東海・東南海・南海地震の噂が流れていた
現在は 2012/06/03であるから、この2012年05月説は 成就していないが、2013年05月もあるので、その折々にそじょうに乗せられると思うので、下記を案内しておきます
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「 ノストラダムスの大事典 」http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/1.html6項<百詩篇第10巻67番の四行詩:五月に非常に強い地震:>
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原文(フランス語ベ−ス記述)

Le tremblement si fort au mois de May 1 ,
Saturne, Caper 2 , Iupiter, Mercure 3 au beuf 4 :
Venus 5 aussi Cancer 6 , Mars, en Nonnay,
Tombera gresse 7 lors plus grosse 8 qu'vn euf 9 .

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異文
(1) May : may 1597 1610 1650Ri
(2) Caper : caper 1568A 1590Ro
(3) Mercure : Morcure 1568A, Marcure 1605
(4) beuf 1568 1590Ro 1772Ri : b?uf T.A.Eds. ( sauf B?uf 1672)
(5) Venus : Tenus 1627
(6) Cancer : cancer 1568A
(7) gresse 1568A 1568B : grosse 1590Ro, gresle T.A.Eds.
(8) grosse : gresse 1672
(9) euf 1568B 1568C 1568I 1627 1772Ri : oeuf T.A.Eds.
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日本語訳

五月に非常に強い地震
土星は磨羯宮に
木星、水星は金牛宮に、金星も同じく
巨蟹宮は火星に
アノネーでは その時に卵より大きな雹が降るだろう

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信奉者側の見解

テオフィル・ド・ガランシエールはこの星位の時に恐るべき地震と雹が襲うとだけ解釈していた (*3)
その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである
少なくとも、ジャック・ド・ジャン、バルタザール・ギノー、D.D.、テオドール・ブーイ、フランシス・ジロー、ウジェーヌ・バレスト、アナトール・ル・ペルチエ、チャールズ・ウォード、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)、ロルフ・ボズウェルの著書には載っていない

エミール・リュイール(未作成)(1939年)は、1941年5月に西欧で起こる大地震と解釈していた (*4)

アンドレ・ラモンは1988年に大戦が起こる予言と解釈していた (*5)

五島勉はかつて惑星直列に関連付けて1982年5月に起こる大地震ではないかと解釈したことがあった (*6)

流智明は2000年5月に起こる地震と解釈していた (*7)

川尻徹は1941年5月に起こったナチス副総統ルドルフ・ヘスのイギリスへの単独飛行についての予言と解釈した (*8)

霧満?江は2008年5月12日の?川大地震(四川大地震)と解釈した (*9)

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同時代的な視点

ピエール・ブランダムールによれば、2行目から3行目は、土星が磨羯宮に入り、木星、水星、金星が金牛宮に入り、火星が巨蟹宮に入る星位を表しているのだという
そして彼は、この星位に当てはまる1549年5月4日にモンテリマール(未作成)一帯を襲った大地震が、この詩のモデルになっていると推測した
ジャン・ペラの手になる当時の年代記には、同じ年の6月15日には、同じ地方でヘイゼルナッツやクルミより大きい雹が降ったと記録されていることも傍証とされる (*10)
ノネー(Nonnay)は近隣の都市アノネー(未作成)の語頭音消失

ピーター・ラメジャラーはこれに加えて、コンラドゥス・リュコステネス(未作成)の『驚異論』(1557年)に書かれている1538年のバーゼル地震の記録も併記している
そこには、チューリヒなどで卵よりも大きい雹が降ったと書かれているからである (*11)

ブランダムールはこの詩に関連性のある詩として、
百詩篇第3巻40番(未作成)、
百詩篇第6巻37番、
百詩篇第6巻51番、
百詩篇第6巻88番、
百詩篇第9巻83番などを挙げている

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磨羯宮(まかつきゅう)は、黄道十二宮の10番目で、黄経270度から300度までの30度領域を占める
磨羯宮は四大元素の土に関係していて、金牛宮・処女宮と一緒に地のサインに分類されるから、ほとんど同じ宿に集合・直列配列に地上から見たらなる
この磨羯宮と対極のサインは巨蟹宮であるから、地球を挟んで大凡直列の配置となる
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===NO n410001:参考文献の目次===

001:クロケットの四行詩
002:墓に込められた予言_1
003:墓に込められた予言_2
004:墓に込められた予言_3
005:墓に込められた予言_4
006:百詩篇第10巻67番の四行詩:五月に非常に強い地震

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===NO n410001:参考文献の目次詳細===

===1===============

クロケットの四行詩:

http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/861.html

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アーサー・クロケットは著書『ノストラダムスの未刊の予言集』において、「 ノストラダムスの出版されなかった四行詩 」として従来全く知られていなかった四行詩群を紹介した
しかし、それらはロベール・ブナズラが「インチキ」(imposture)と一蹴したように、まともな研究者からは相手にされていない
にもかかわらず、 日本でだけは 本物扱いする論者があとを絶たないという不思議な状況であるので、この記事ではその来歴を批判的に検討するとともに、原文対訳にコメントを付けておきたい
【画像】2001年版の表紙 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
来歴

発見時期

クロケットは明言していない
彼の著書は1981年もしくは1983年に初版が出ているので、事実だとすれば、それよりも前だったことになる
五島勉は『ノストラダムスの大予言・中東編』で「1986年」にフランスの秘密情報機関が発見した経緯を長々と述べているが (*1) 、それは時系列的に言ってありえない
志水一夫がつとに指摘していたように (*2) 、全て五島の創作と考えるのが自然だろう

また、歴史予言検証会 『2012年地球崩壊の驚愕大予言』(日本文芸社、2008年)では「つい最近」発見されたと述べられているが、明らかに事実に反している
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発見場所

クロケットは、サロン=ド=プロヴァンスにあるノストラダムスが晩年を過ごした家の地下室の壁を、改修の際に取り壊したら見つかったと主張した (*3)
しかし、ノストラダムスの家を含む区画は、1909年の大地震で大きな被害を受けており、その家の地下室はそれ以来ふさがれている (*4)
ふさがれていた地下室を再び開き、さらにその壁を修復するとなると相当に大掛かりな作業が行われたはずだが、そのような形跡は無い
地元サロン=ド=プロヴァンスのメディア『ル・レジオナル』(1984年11月8日木曜日付)は、「いつ、どこで、ノストラダムスの未発表の手稿が発見されたのか」と、そのような発見談が全く無いことを指摘した (*5)
ちなみに、クロケット自身が新発見予言の手稿について「ヨーロッパで広まっている」(has been making the rounds of Europe)と書き出しているので (*6) 、ヨーロッパ全土どころか発見されたはずの場所ですら知られていないという時点で、設定が破綻している
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文書の体裁

クロケットの主張によれば全51ページであり、うち救済されたのが21ページ、その最初の詩には「百詩篇第12巻63番」とあり、従来の最後の詩が百詩篇第12巻62番だったことと整合しているという
しかし、現在流布している百詩篇第12巻には、65番、69番、71番が存在しており、クロケットの説明とは根本的に食い違う
また、21ページ分というが、クロケットが紹介している詩篇は20篇強しかなく、1ページに1篇の詩が書かれていたことになってしまう
相対的に見て現代よりも紙が貴重だったはずの16世紀において、そのような無駄な使い方をしていたとは考えづらい
また、クロケットの紹介している詩篇には既存の詩の流用としか思えないものが混じっているが、発表を想定していない習作だったのなら、なおさらそのような紙の使い方をするはずがない
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内容

英訳しか公表されていないとはいえ、いくつかの詩篇では、冠詞と名詞が行をまたいでいて、文体が明らかにおかしい
  クロケットが既に知られている詩篇を訳すときには、原文の順序を忠実に守ることに力点が置かれていないので、フランス語原文がそうなっていたと見るほかはないが、そのような書き方はノストラダムスの正規の四行詩では全く見られない(第10巻3番にはそういう書き方が見られるが、音節数と韻の両面から単なる誤植と見なされている)
そうした書き方は、いかにも変則的な原文を忠実に訳したかのように見せかける過剰演出のたぐいだろう
また、クロケットの詩篇をフランス語に逐語訳してみると、音節数が10を越えるものが多い(ノストラダムスの本物の百詩篇は1行10音節が基本である)
この事実は、万一これらの詩篇が本物だったとしても、クロケットが原文にない情報を大幅に追加している可能性が高いことを示している
あとで見ていくように、20世紀の英語圏で広まった通俗的な解釈を踏まえて作成された詩篇がいくつもある点も、それらが偽作に過ぎないことを裏付ける
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全訳

クロケットが紹介した詩篇の全訳を提示する
これらのうちの2篇、および後述の暗黒予言は、1991年と2001年の改訂版では削除された
番号は紹介された順に便宜上付けておくもので、クロケット自身は本編、暗黒予言のいずれでも詩番号を付けていない
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1
In the millennium, two, the King's Son, before the turn,
Is seen by all amid thunderclaps.
Angry, the rubble of war and pestilence, the sins,
The fish returns to power after a long sleep. (*7)
二の千年期、転機の前に、王の息子が
雷鳴の中で、全ての人々に目撃される
怒り、戦争の瓦礫、悪疫、罪悪
魚は長い眠りの後で力を取り戻す

コメント

1行目の語順がわざとらしい不自然さである
また、ノストラダムスはミレニアムに当たるフランス語 millenaire を数えるほどしか使っていないが、それらはいずれも西暦紀元を基準にするものではなく、21世紀から始まる千年紀を上記のように表記することはありえない

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2
The red hats rejoice; Rome lays its palms,
Smoke rises from ashes as multitudes cry out
In anguish against the agony of conflict.
But the Man comes to end it for an eon of peace. (*8)

赤い帽子たちは祝福し、ローマはシュロの葉を敷く
灰から煙が立ち昇る、同時に多くの者たちが不平の声を上げる、
衝突の苦悶に立ち向かう苦しみの中で
しかし、その人物は平和の永続性のために、それを終わらせに来る

コメント
クロケットの解釈によれば、「赤い帽子」は枢機卿のことで、ノストラダムスは「多くの詩篇で」(in many of his quatrains)そう表現しているという
しかし、実際には百詩篇第5巻46番(未作成)でただ一度だけ登場するに過ぎない

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3
A new leader from the heavens brings the people
Together as one, all factions die and are reborn.
Exalted clergy bends to a higher rule. Angels are
Seen in joy. The Red Man dissolves in a bottomless pit. (*9)

天来の新しい指導者が人々にもたらす、
一つに纏まることを、全ての党派は死んで生まれ変わる
高揚した聖職者達はより高い規律に従う、天使達が
喜んでいるのが目撃される、赤い男は底なしの穴の中で消滅する

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4
Comets without tails fill the sky, move silently.
Panic abounds. An offering rejected, a tailed comet
Glides among the bees, dies, and heads of state
Nonplussed. Signatures in the sand are ignored by all. (*10)

尾のない彗星群が空を満たし、静穏に移動する
パニックで溢れかえる
ある贈り物が拒絶され、尾のある彗星がミツバチたちの間を滑空し、死ぬ
そして国家の首脳たちは 途方に暮れる
砂に印された痕跡は誰からも無視される
コメント
 改訂版で削除された2つの詩篇のうちの1つ
削除理由は公表されていないが、見当はつく
削除された2篇は、本編で「彗星」が登場しているただ2つの詩篇だったからである
「尾のある彗星」は明らかにハレー彗星を指している
日本語版だとその解釈が「この天空ショーが見られる年は、大きな彗星がやってくる時期にちがいない」 (*11) と曖昧に改変されているが、オリジナルでは「この天空ショーが見られる日取りは、疑いなく1986年である」 (The date undoubtedly for this heavenly display is 1986.) (*12) と断言されていた
1986年にハレー彗星が接近した当時は、それをよくない事件の到来と結びつける予言解釈などが珍しくなかった
クロケットもそうした風潮に便乗したものの、完全に外れたので1991年以降の改訂版で削除したというだけだろう
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5
A salver flies, comes to rest in the New City.
Hate flourishes for the entity within. Battle lines
Drawn. Fears of disease mask truth while three
Leaders in secret, unite against a false threat. (*13)

丸盆が一つ飛び、新しい都市へ休みにくる
内なる実体に向けて憎悪が繁栄する
戦線が 引かれる
病の恐怖が真実を覆い隠し、一方で三人の指導者たちは秘密裏に偽の脅威に対してまとまる
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6
Twenty plus two times six will see the lore of the heavens
Visit the planet in great elation. Disease, pestilence,
Famine die. Rome rejoices for souls saved. The learned
Smile in awe. Astrology confirmed. For science, a new beginning. (*14)

二十足す二かける六は見るだろう
天空の知識が意気揚々と惑星を訪れるのを
病気、ペスト、飢餓が絶える
ローマは救済された魂のために喜ぶ
学識者は畏敬して微笑む
占星術が承認される
科学にとっての新しい起点

コメント
当時も今も、フランス語は英語と違って西暦を2桁ごとに区切って読むことはしない
「二十足す二かける六」が32でなく2012を意味するのだとすれば、英語的な謎かけといえるだろう
当然、ノストラダムスの他の詩篇でこのような謎掛けは登場しないし、正規の百詩篇では西暦は普通に4桁で表現している

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7
A revolution without bloodshed, without strife.
Men in unhappy confusion strive for perfections
Beyond their ken. Failure. Then elation. The
Earth's forces give way to a new power above the clouds. (*15)

流血もなく争いもない革命
不幸な混乱にある男たちが完成のために苦闘する、彼らの知識の範囲を超えて
失敗
そして軒昂
地上の勢力は雲の上の新しい力に道を譲る

コメント

1行目に revolution とあるが、当時の revolution は「回転」の意味しかなく、ノストラダムスもそういう意味で用いていた
もちろんこの場合は、全く違うフランス語をクロケットがそのように英訳しただけという釈明が成り立つ余地はある
しかし、3行目の原文は釈明の余地無しに奇妙なものといわざるをえない
ノストラダムスはしばしば複数の行にまたがる描写をするが、冠詞だけ前の行に置くような無意味な分割はしていないからである

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8
The bees sting amid thunderclaps and lightning bolts,
Confusion. Fear. Awe. The fish trembles,
Governments are strangely silent while the heavens
Flash ominous messages to the populace. East and West darken. (*16)

雷鳴と稲妻の只中で蜜蜂たちが刺す
混乱
恐怖
畏敬
魚は震え、諸政府は奇妙にも沈黙する、それは天が全住民に凶兆を閃かせる時のこと
東と西は暗転する

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9
A new breed desends gratitude. Conflagration in the
heavens turns the Parisian lady to beam anew. A king
Orders a path through the forests and a servant busy
In argument with leaders fails. The West is receptive. (*17)

新しい種族が感謝して降りる
大火災が天で起こり、それはパリの貴婦人を改めて輝くようにする
王は 森を通る小道を整備する
そして、従卒は忙しい、指導者達との議論で
彼は失敗する
西は受け入れる用意がある

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10
Again the ancient woman who toppled from on high
Appears to the multitude. The cult is reborn.
Dire warnings. A nation rebuffed. Three young
Ones appear to seal the omens seen in a mist. (*18)

高所から転倒した古い女性が再び群衆に姿を見せる
信仰が復興する
恐るべき警告
ある国民は拒絶される
3人の若い者たちが前兆を封じるために現れ、霧の中で目撃される

コメント

クロケットは「高所から転倒した古い女性」を、1666年のロンドン大火でセントポール大聖堂から転落したマリア像にちなんで、聖母マリアと理解した
これが百詩篇第2巻51番から借用されたモチーフなのは明白だが、その解釈は20世紀以降に言われだした俗説にすぎず、そもそもセントポール大聖堂には転落したマリア像など無かった
この予言が現代の英語圏の解釈者たちの俗説に合わせて作られていることは明らかで、偽作の根拠の一つといえるだろう

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11
The comet gone, the fish floats on its side.
Pagans rejoice, sin triumphs, Satan's work is successful.
The King's Mother frowns as tears flow on pale cheeks
And a plague reigns unchecked throughout the land. (*19)

彗星が去り、魚は横倒しに浮く
異教徒は喜び、罪が勝利し、サタンの仕業が成功する
王母は蒼ざめた頬に涙を伝わせて非難の表情を見せる
そして伝染病が抑制されずに全土を支配する

コメント

改訂版で削除された2つ目の詩
「彗星が去り」はハレー彗星が去った1986年から間もない時期ということで、外れたことが明らかである
なお、3行目は聖母の幻像が人々の前に現れて警告するということで、ラ・サレットやファティマなど有名な事例はいくつもあるが、ノストラダムスの正規の詩篇には(実証的な論者の間では)聖母の出現と解釈できるモチーフは登場しない

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12
Night becomes day, a great fright everywhere,
A warning fulfilled and a woman seeks vengeance.
Great rumblings in Sicily, Dijon, Rome. Dread.
Blood flows in the cites while a false god cringes. (*20)

夜が昼になり、至る所に戦慄が走る
警告が成就し、女性は復讐を求める
シチリア、ディジョン、ローマでは大轟音
恐怖
偽りの神がへつらう時に、諸都市で流血がある

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13
Threats of war abound; nations quake. The ancient
Woman, ubiquitous, pleads for peace. A populace awed;
The year 90 plus 3 sees upheavals while mighty warriors
Shake fists. Anoh searches the horizon in vain. (*21)

戦争の兆候にあふれ、諸国民は震える
古い女性が至る所にあって平和を懇願する
人々は畏敬する
90足す3の年の動乱、それは屈強な戦士達が拳を振り回す時のこと
アノーは無駄に水平線を探す

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コメント

「アノー」(Anoh)はノア(Noah)のアナグラムだというが、現代フランス語でノアのことは Noe と綴る
ノストラダムスは「アンリ2世への手紙」でノアに何度か触れているが、いずれでも Noe と綴っている
要するに、ノストラダムス本人の常用語と一致しておらず、ろくな調査もせずに偽作されたことが明らかである

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14
Five punctures appear. The malady spreads.
Churches overflow with the devout, and blood trails
Are seen. Rome scoffs; the puzzle deepens.
Images weep and the King demands answers before his death. (*22)

五つの刺し痕が現われる
疫病が広がる
教会は敬虔さにあふれる
血の跡が見られる
ローマが嘲笑うので、謎は深まる
肖像は泣く
そして王は死を前にして答えを求める

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15
Three women in black of a charitable order;
Shocked at first, receive a blessing from one like themselves.
A mystery told, three times, but no one can see the future
Save the three. And a pox to all who reveal the secrets. (*23)

情け深い修道会の黒衣をまとった女性三人が最初に衝撃を受け、彼女達自身のような存在から祝福される
神秘が三度語られる
しかし、誰も未来を見ることはない、三人を除けば
そして、秘密を暴露する者全員に水疱性の疾患が

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16
Mars and the Sceptre will be conjoined,
Under Cancer shall be a calamitous war;
Later, a new ruler, Laus Masbu, will be anointed,
Who will reign in blood for 27 years. (*24)

マルスと王杖が結びつくだろう、巨蟹宮で
凄惨な戦争が起こるだろう
のちに新しい支配者ラウス・マスブが油を塗られ、27年間、血で支配するだろう

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コメント

前半2行は百詩篇第6巻24番のほぼそのままの転用
3行目の Laus Masbu は、クロケット自身が説明しているように、百詩篇第2巻62番の Mabus、百詩篇第6巻33番の Alus が第3の反キリストの名前とされることがあることを踏まえたものだろう
しかし、それらの2つの詩篇を組み合わせて反キリストを導く解釈も、20世紀の英語圏で主張されるようになったものに過ぎない
なお、「油を塗られる」は「王に即位する」ということ
4行目は百詩篇第8巻77番から転用したものだろう

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17
Two decades plus 7 the great empire rules.
Famine, pestilence, blood, tears, war.
The Antichrist is joyous and the multitudes
Cry out for Xerxes. Oppression for all in a troubled world. (*25)

二十年間足す七、大帝国が支配する
飢餓、疫病、血、涙、戦争
反キリストが喜び、群衆は クセルクセスを叫び求める
混乱した世界の中での万民への弾圧

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コメント

27年間の支配と反キリストのモチーフは百詩篇第8巻77番からの借用だろう
クセルクセスは「アンリ2世への手紙」に登場するが、Zerses と変則的に綴られている
「そしてアンテクリストの大帝国がアティラに現れ、ゼルセスが数え切れない大軍をもって下るでしょう」(第49節)

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18
The abomination from the East makes his purpose.
The papacy falters. A strange conflict between
The devout and the pagans. A flock seemingly
Forsaken, yet divine plans for intercession arise. (*26)

東からの憎むべき者がその目的を作り出す
教皇制は挫折する
奇妙な衝突、それは 敬虔な者と不信心者と間で
信徒はあたかも見捨てられたかのようだ
だが、調停のための神意の計画が持ち上がる

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19
Darkens descends. Eclipses great. North and South change.
War and nature unite against the peace. Heavenly holocausts
Rain blood on the rocks and our face is mutilated. (*27)

それは暗くなり、降りる
大きな日食
北と南が変わる
戦争と自然は平和に対抗して手を結ぶ
天来の大虐殺が岩の上に血を降らせ、我々の顔は損傷させられる

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コメント

1行目は抹消されていた、という思わせぶりな触れ込みによって3行しか掲載されていない詩
これまた単なる過剰演出の類だろう

−−−
20
A new ruler anointed, rises from the 50th latitude;
Renews the once-great fish. Peace for a millennium.
Rome rebuilds and the divine hand at the ruler’s side
Departs. Earth in renewal, but the scars heal slowly. (*28)

油を塗られた新しい支配者が緯度50度から発する
かつての偉大な魚が更新する
一千年紀の平和
ローマは復興し、支配者の傍にあった神の手は 離れる
大地は再生するが、傷はゆっくりと癒える

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コメント

「緯度50度から」のモチーフは「アンリ2世への手紙」からの借用だろう

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21
Garden of the World, near Pacific shores,
In the pathway of Mountain Fault;
Shall plunge into a mighty tub. The populace sickened;
Forced to drink of poisonous sulphur-waters. (*29)

平和な岸辺に近い世界の庭園は 山の断層の小道にあるが、巨大な水槽に沈み込む
全住民は病気になる、有害な硫黄の水を飲むことを強いられるから

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コメント

百詩篇第10巻49番を少し改変しただけの詩
この詩の改変は、太平洋(Pacific Ocean)に面したカリフォルニアが地震によって水没するという解釈に基づいている
クロケット自身が解釈の中で言及しているように、エドガー・ケイシーの予言に似たようなモチーフが存在する
クロケットはそれに影響されたのだろう
なお、ノストラダムスは既発表の詩を微修正しただけの詩を別の巻に収録したことは無い
百詩篇第2巻59番(未作成)と予兆詩旧2番の類似性はつとに知られているが、後者は百詩篇でない上にジャン=エメ・ド・シャヴィニーの偽作が疑われている
第8巻38番と第8巻52番は1行目が全く同じだが、残り3行のモチーフは全く異なっている
そうしたことから、この詩が第12巻の一部として残されていたということは、まずもってありえない

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22
When the calm ends, the earth will so quake,
The Great Theater, filled, will lie in ruins;
Air, sky, earth dark and troubled,
And atheists will plead with God and the saints. (*30)

平穏が終わるとき、大地が大きく震えるだろう
満員の大劇場は廃墟になるだろう
大気、空、大地は暗く、混濁し、無神論者たちは神と聖人達に嘆願するだろう

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百詩篇第9巻83番ほぼそのままの詩
直前の詩と同様の理由で、これが第12巻ということはありえない
ましてやこの場合、「太陽は金牛宮の二十度」と時期設定が明示されていたオリジナルに比べて、「平穏が終わる時」などと曖昧さが増しており、壁の中に秘匿する理由が全くない

クロケットはこのあと百詩篇第10巻74番と百詩篇第1巻48番を取り上げている
日本語版だと、後者のみが既発表の詩篇で前者は新発見であるかのように読める
これは寺島研次訳でも南山宏訳でも同じだが、原書ではどちらも既発表とも未発表とも書いておらず、曖昧にぼかされている

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ノストラダムスの暗黒予言

クロケットの著書の初版には、「ノストラダムスの暗黒予言」(Black Prophecies of Nostradamus)と題するA4版1枚の裏表に印刷された2ページ分の別刷りの付録がついていた
これはフランス語版にも別刷りの形で付いていたようだが、日本語版では省かれた

日本語版で省かれた理由は明らかでないが、その安易さから偽作であることが明らかだからとも指摘されている (*31)
実際のところ、上記で引用した予言以上に、安易な詩篇(および日本で発表された1980年代末から90年代初頭にかけて外れが明らかになった詩篇)が多い
後の改訂版では、新しい事件にあわせた増補が行われているので、その代わりに省かれたという側面もあったのだろう
本当に大発見の詩篇だったのなら、その程度の理由で省くことなど考えられない
言い換えると、もともと時流にあわせて偽造した詩篇だったから、時流にあわせて省くことなど何でもなかったということだろう
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便宜上、登場順に番号をつけておく
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1
In the West, blood runs in streets, night screams.
A populace outraged. Men in warrior garb strike out ;
Security dies. Victims battle helplessly, but the
Warriors are supreme in a new dark age of terrible chicanery.

西では街路に血が流れ、夜が叫ぶ
民衆は激昂する
武装した男達が殴りかかる
治安は死ぬ
被害者達は助けなしに戦うが、ひどいごまかしの新たなる暗黒時代において、戦士達が至高である

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クロケットによると、これはアメリカの治安の悪化に関するものだという
冠詞のみで行が終わるという不自然さが、またも登場している

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2
In the eighty plus nine the vast East collapses.
Hunger. The germs do not thrive. The West in sympathy.
Brings about its own downfall. Bones everywhere. The
Famine rages, but there is no echo in marbled halls.

八十たす九に広大な東が破綻する
飢饉
細菌は繁殖しない
西は同情する
それ自体の滅亡をもたらす
骨は至る所に
飢餓が猛威を振るうが、大理石模様の会堂の中には響かない

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中国やソ連についての予言だという
1989年というのは東欧で一連の民主化が行われた年で、いい線をいっていると見えなくもないが、天安門事件で民主化に逆行した中国にはどう足掻いても当てはまらない
また、飢餓が民衆の間に広まったというのも事実ではない

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3
A spit of land in the midst of sand and water
Arms itself against mighty hordes. Robed men descend
En masse. Thunderbolts. Lightning. The arrogance of
The few melts. Blue waters claim a once powerful nation.

砂と水の真ん中に大地の唾
武器それ自体が屈強な大群に相対する
長衣を纏った男達が降りる、
大挙して
落雷
稲妻
数人の者たちの倣岸さが
消える
青い水がかつての強大な国民を殺す

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クロケットの解釈によれば、イスラエルの敗北が予言されている可能性があるという
彼に言わせれば、イスラエルは地図で見るとアラブ国家の間に落ちた唾のような存在で、それを長い衣をまとったアラブ人たちが攻撃することだという
結果的に第四次中東戦争以来、アラブ・イスラエル間の大きな戦いは30年以上起こっていないが、クロケットがこれを偽造した1983年は、まだ第四次から10年しか経っていなかった
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4
The Occident reels. A new revolution, bloodless, engulfs the multitudes.
Levies oppress. Leaders quake
As the royal coffers are bare and great gold
Treasuries sink and a comet two years past has crossed the sky.

西方は目眩がする
無血の新しい革命が群集を飲み込む
課税が重圧になる
指導者たちは震える、王の金庫が空だから
そして偉大な黄金の宝物が沈む
そして、彗星はその二年前に空を横切っていた

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アメリカでの、税制の抜本改正に関する詩だという
四行目はハレー彗星の2年後、つまり1988年を指すという
1983年の時点で、アメリカの財政の悪化は明らかになっていた
だが、1988年は、ここでいわれるような大きな節目の年にはならなかった
本編で削除された2つの詩篇と同じく、クロケットがハレー彗星を重視していたことが窺える詩篇である

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5
The Caribe flares and a great nation succumbs ;
Hirsute warrior Delif reigns among Western isles, unchallenged.
Pestilence follows. The hammer strikes, but falls away.
And the sun grows dark on Paradise. The beaten rise up.

カリブ族が燃え上がり、偉大な国民は敗れる
毛むくじゃらの戦士デリフが西の島々を支配し、問題にされない
悪疫が続いて起こる
鎚は打つが、脱落する
そして楽園で太陽は暗くなる
打ち負かされたものが上る

コメント

キューバとアメリカとの間で戦争ないし何らかの対立が起こる予言だという
デリフはフィデル(Fidel, フィデル・カストロ)のアナグラムで、それがソ連(鎚)の支援を受けてアメリカ(偉大な国民)に勝つが、ソ連は撤退すること、およびアメリカは負けるが、再び立ち上がり共産主義勢力を打倒することと解釈した
キューバ危機辺りを念頭に置いて、似たようなことが起こると考えたのかもしれない
カリブ族はコロンブスが出会っていた先住民族で、探検記の類を通じてノストラダムスが知っていたとしてもおかしくはないが、正式な彼の作品には一度も出てこない

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6
The second millenium minus ten in the West, Multitudes in vertigo.
Disorientation reigns among all.
A flower to blame. Graves overflow with the young.
A royal decree fails and leaders among the ruins.

第二の千年紀ひく十、西では群集が眩む
誰もが方向感覚を失う
責められるべき花
墓所は若者で溢れかえる
王令は機能せず、指導者達は廃墟の間に

コメント

1990年に麻薬が蔓延し、若者が多く死ぬという予言だそうである
これまた、1983年の段階で安易に想定できそうなモチーフだが、ここまでの異常流行はなかった

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7
Contamination everywhere ; the land, air and sea spoiled ;
Invisible clouds descend on the multitude, unaware.
Insidious death. Sickness. Engines of power grind into red dust,
Acid from the heavens, and a universal color fades

汚染が至る所に
大地も大気も海も台無しになる
気付かぬうちに見えない雲が群集に降りてくる
陰湿な死

動力源が赤い塵にする
天からの酸、そして世界の色が褪せていく

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酸性雨をはじめとする環境問題に関する詩であり、仮に本編に含まれていたら、五島勉などが積極的にとりあげたのかもしれない
しかし、漠然としすぎており、単なる事後予言に過ぎないことは明らかであろう
なお、当「大事典」がこの詩を採り上げたのは下のコメント欄からも明らかなように、2010年10月のことであった
2011年になると、上記の訳文を剽窃して環境問題の予言として紹介する『絶望の大予言ミステリー』のような安直な本も出版された

クロケットの四行詩を解釈した文献
これらの文献は、飛鳥昭雄(未作成)が本物だった場合と断り書きしているのを除けば、本物(もしくはその可能性が高い)と断言するか、本物であることを当然の前提とした上で解釈している
五島勉 『ノストラダムスの大予言・中東編』祥伝社、1990年
五島勉 『ノストラダムスの大予言・残された希望編』祥伝社、1992年
徐錦泉 『アノーの水平線』角川書店、1992年
南山宏監修 『1999年,ほんとうに人類は滅亡するのか!?』学習研究社、1993年
安田一悟 『白い女王の箱』たま出版、1996年
飛鳥昭雄 『アスカ・ファイルIV』アスキー/アスペクト、1998年
歴史予言検証会 『2012年地球崩壊の驚愕大予言』日本文芸社、2008年
南山宏監修 『恐怖の大予言ミステリー99』双葉社、2010年
並木伸一郎 『人類への警告!!― 最期の審判は2012年からはじまる』竹書房、2010年
南山宏監修 『絶望の大予言ミステリー』双葉社、2011年
飛鳥昭雄 『プラズマで解き明かす太陽系超先端 宇宙「超」シークレットゾーン』ヒカルランド、2012年




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墓に込められた予言_1

<墓に込められた予言_1:ML3053:::>
{新41_諸世紀_墓に込められた予言_1} −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<墓に込められた予言_1>

コメント:===1===
ロックさんから、「ノストラダムスの最後を迎えた家の地下室の壁の中に塗り固めてあった」予言というものの案内があった
ロックさんの説明のように、「公開する際に原書も含めて記述してくれればもっと検証がしやすいのです」に私も同意するものです
しかし、それを待っていたら、何時のことになるか分からないので、その翻訳と内容が正しい物として★印に私なりの解読を付加してみたいと思います
なお、☆は 原文の翻訳、●は ロックさんの解読です
===1==================

ロックです
予言関連の本を見ていましたら、諸世紀でも公開されなかった内容の予言詩がノストラダムスの最後を迎えた家の地下室の壁の中に塗り固めてあったそうです
個人的にはそうならば、公開する際に原書も含めて記述してくれればもっと検証がしやすいのですが、、、

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でも、およそ内容は想像がつきそうな内容のように感じます
☆に記載のあった予言詩を掲載しておきます
●「二つめのミレニアムー世紀の変わり目からほどないころ、雷鳴が轟き、魚は長き眠りにつく
怒り、戦争、混乱、疫病、そして瓦礫、、、
すべての人はどこへともなく消えていく」

★置換翻訳
{二つめのミレニアムー、(二つ目・二番目のオリンピックのとき)世紀の変わり目からほどないころ(7000年期の世紀の変わり目=西暦2000年)、雷鳴が轟き(巨大な音・マントルの境界層の破断音が轟き響く)、(かってのノアの大洪水において、幾百億の魚の化石が残された様に魚たちは 長き眠りにつき化石となっていく)魚は長き眠りにつく
怒り、戦争、混乱、疫病、そして瓦礫、、、(それらの過程において、怒り、戦争、混乱、疫病が地上に現れ、数多の物が瓦礫となっていく)すべての人はどこへともなく消えていく(地上の人々は あるものは大津波に流され、あるものは 地上を去り、全ての地上の人類は 地上から消えていく)}

★平易意訳
{二つ目・二番目のミレニアムー=オリンピックのとき、7000年期の世紀の変わり目=西暦2000年からほど無い頃(北京オリンピックが終わってほど無い頃)、巨大な音・マントルの境界層の破断音が世界中の大地と空に雷鳴のような轟音が轟き響く、ノアの大洪水の開始である、
かってのノアの大洪水において、幾百億の魚の化石が残された様に魚たちは 長き眠りにつき化石となっていく
ノアの大洪水のことを人々が知り、それらの過程において、怒り、戦争、混乱、疫病が地上に現れ、数多の物が瓦礫となっていく、そして、地上の人々は あるものは大津波に流され、あるものは 地上を去り、全ての地上の人類は 地上から消えていく}

★ 補足説明
全体の文章から、特別な暗号化はしていないように思います
従って、そのまま解読に使いました
ただ、原文がないので確認は出来ませんが、ミレニアムー=オリンピックと受け取っても良いと考えられます
ここで注目しなければならないのは 二つ目・二番目のミレニアムーとあることで、三つ目と記載していないことです
もし、三つ目以後であれば、二つめのミレニアムーは 三つ目のミレニアムーということになるからです
そうなると、2008〜2012年の間をしていしていることになります
加えて、ノアの大洪水の情報が一般的になれば、2012年のオリンピックは 実施されない・無くなるということになりますので、「二つ目・二番目のミレニアムー」ということになります
時期的には 21世紀に入って、2008年の二回目の北京オリンピック後、からそれほどしない期間に、人々は ノアの大洪水のことを知ることになる
人々は 荒れ、破壊が進み瓦礫となる
その頃、人々の中からポツポツと消えて居なくなることが始まり、最終的には 全ての人々がノアの大洪水・・・・によって、地上から消えてしまう
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●「世紀の変わり目からほどないころ」は2000年をおよそ越えて一世紀分の5分の1の2020年くらいまでは入っているように思います
「雷鳴が轟き、魚は長き眠りにつく」の部分は、ノアの大洪水によって水浸しになった地球を上から見るとすべて魚のような描写になるように思いました
「すべての人はどこへもなく消えていく」とは、掲挙によるもの含め、支配層の起こす擬似ハルマゲドンによる戦争や本命の都市攻撃やノアの大洪水によるものの連続によって起こる描写のように思いました

☆「夜が昼となり、随所に大いなる恐怖
警告は的中し、女たちは復讐に立ち上がる
地軸をつんざく大鳴動、そして不安
邪神が人々の心に巣くい、都市のあちこちで血が流される」

★ 置換翻訳
{夜が昼となり(地軸が移動・極の滑り回転が始まり、夜と昼とが入れ替わったような関係になる、太陽が正規のの軌道からそれ始め、最後には 反対の方向から太陽が昇るようになる)、随所に大いなる恐怖(世界中いたるところの人々に、予言されたノアの大洪水が始まったことを知り恐怖におののくことになった)
警告は的中し(ノアの大洪水の警告は 的中して現実のものとなったのだ)、女たちは復讐に立ち上がる(地下の地軸の移動を押さえている女神たちは マントル層の境界層を動かないように押さえていた閂(かんぬきを外して、ノアの大洪水を開始させたのだ)大洪水の警告は 的中して現実のものとなったのだ)
地軸をつんざく大鳴動、そして不安(巨大なマントル層の破断音・オグミオンに人々は 不安になり恐怖におののく)
邪神が人々の心に巣くい(未来の無くなった人々の心に、悪魔が巣くい)、都市のあちこちで血が流される
(狂乱と破壊と殺戮が始まり、多くの血が流されることになる)}

★平易意訳
{地軸が移動・極の滑り回転が始まり、夜と昼とが入れ替わったような関係になる、太陽が正規のの軌道からそれ始め、最後には 反対の方向から太陽が昇るようになる・夜が昼となるのだ
世界中いたるところの人々に、予言されたノアの大洪水が始まったことを知り大いなる恐怖におののくことになった
ノアの大洪水の警告は 的中して現実のものとなったのだ
地下の地軸の移動を押さえている女神たちは マントル層の境界層を動かないように押さえていた閂(かんぬき)を外して、ノアの大洪水を開始させたのだ
地軸をつんざく大鳴動、そして、巨大なマントル層の破断音・オグミオンに人々は 不安になり恐怖におののく
未来の無くなった・死を理解した人々の心に、悪魔邪神がが巣くい、都市のあちこちで血狂乱と破壊と殺戮が始まり、多くの血が流されることになる}

★ 補足説明
この文章も平易文が多いので理解し易いと思う
分かり難いのが、「女たちは復讐に立ち上がる」と云うところである
これは 神話に現れる女神たちのことで、女たちと普通の文にしあるので分かり難いが、この意味を理解すれば容易に理解できる

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●「夜が昼となり、随所に大いなる恐怖
」は人々の活動時期が昼を避けて上空から見えない夜になるような都市攻撃後の避難生活を言っているようにも思いました
「警告は的中し、女たちは復讐に立ち上がる
」の部分は諸世紀曰くの太陽が警告して来た内容が的中、女達は復讐に立ち上がるとは諸世紀の言う女王と従う人類でしょうか? 「地軸をつんざく大鳴動、そして不安
邪神が人々の心に巣くい、都市のあちこちで血が流される
」これはノアの大洪水の直前のオグミオンによる描写かと思いますし、その直前の時節では都市では他の予言詩にもあるように、狂った人たちが断末魔的な行動にいそしんでいる状況を言っているように思います

☆「五つの刺し傷が現れ、疫病はさらに広がる
教会は狂信者であふれ、血の跡は永遠に消えない
ローマの法王は嘲笑の対象となり、王たちはその死に振り回される」

★ 置換翻訳
{「五つの刺し傷が現れ、疫病はさらに広がる
(人類を襲う欺瞞、怒り、戦争、混乱、疫病が蔓延し、中でも伝搬性の疫病は世界中に猛威をふるう)
教会は狂信者であふれ、血の跡は永遠に消えない
(法王からしてユダヤ教徒であることを人々は知り、教会がまともでない連中のたまり場・狂信者があふれかえり、人々は殺戮の限りをつくし、血塗られた教会の血は消えない

ローマの法王は嘲笑の対象となり、王たちはその死に振り回される
(最後の法王の頃、キリスト教の欺瞞が明確になり、人々の嘲笑の対象となり、世界中の奴らの代理人である政治支配者・大統領・首相などは その死による原因で、自らの立場の危うさを取り繕うのに忙しくなる)}

★ 平易意訳
{五つの刺し傷が世界に現れ、人類を襲う欺瞞、怒り、戦争、混乱、疫病が蔓延し、中でも伝搬性の疫病は世界中に猛威をふるう
法王からしてユダヤ教徒であることを人々は知り、教会がまともでない連中のたまり場・狂信者があふれかえり、人々は殺戮の限りをつくし、血塗られた教会の血は消えない
最後の法王の頃、キリスト教の欺瞞が明確になり、人々の嘲笑の対象となり、世界中の奴らの代理人である政治支配者・大統領・首相などは その死による原因で、自らの立場の危うさを取り繕うのに忙しくなる}

★ 補足説明
「五つの刺し傷が世界に現れ」が分かり難いところです
世界にたいして、刺し傷ですから、人類世界に対して、社会的に傷・工作をする奴らがいて傷・工作を明確に実施するということになるので、欺瞞・恐怖と怒り・戦争・政治的な混乱・疫病などを加えて世界を破壊しょうとする活動が顕著になり人々にも分かりやすい出来事ということなることを意味している
宗教にいたっては 壊滅的な事実が明確になり、狂信者のたまり場ということになると例えをつかって説明していることを理解すれば、後の記述は 自ずから理解出きると思う

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●「五つの刺し傷が現れ、疫病はさらに広がる」は世界の五大陸での戦争や人類の抹殺のための仕込みのことを表現しているように思います
「教会は狂信者であふれ、血の跡は永遠に消えない
ローマの法王は嘲笑の対象となり、王たちはその死に振り回される」

「教会は狂信者であふれ、血の跡は永遠に消えない」

アメリカなどの大国の戦争指導者たちのことを言っているように思いますし、ひふみで言うようなその起こしためぐりは魂も含めて消去されるというような内容のことを言っているようにも思いました
キリスト教の末路を言っているように思いますし、王たちと表現されるのは世界各国の首脳たちであるのなら、他の予言詩でもある法王の暗殺や、バチカンは最後までごまかし続けると言う様な内容に関連するように思いました

☆「戦争の兆しが頻発し、国々は震え上がる
女王たちは平和を懇願してあわてふためくが、群衆たちはただ恐れるのみである
90に3を足した都市に動乱が起こり、強力な戦士たちは奮い立つ
そして、しまいには水平線にたどりつく」

★ 置換翻訳
{戦争の兆しが頻発し、国々は震え上がる
(最終戦争の兆しがイラン専制核攻撃などの噂や兆しが頻発して、最終戦争の発生に国々は 震えおののく)
女王たちは平和を懇願してあわてふためくが、群衆たちはただ恐れるのみである
(世界の女性の指導者たちは 平和を願い、あたふたと動き回る
しかし、庶民クラスの群衆は ただ恐れるのみである)
90に3を足した都市に動乱が起こり、強力な戦士たちは奮い立つ
(世界の主な93の都市に動乱・戦乱が起こり、軍隊の戦士たちは 戦いに勇みだつ)
そして、しまいには水平線にたどりつく
(それらの最終の結果=地平線、行き着くところまで云ってしまう
最終戦争まで行ってしまうことになる)}

★ 平易意訳
{最終戦争の兆しが、例えばイラン専制核攻撃などの噂や兆しが頻発して、最終戦争の発生に国々は 震えおののく
世界の女性の指導者たちは 平和を願い、あたふたと動き回る
しかし、庶民クラスの群衆は ただ恐れるのみである
世界の主な93の都市に動乱・戦乱が起こり、軍隊の戦士たちは 戦いに勇みだつ
そして、それらの最終の結果=地平線、行き着くところまで云ってしまう
最終戦争まで行ってしまうことになる}

★ 補足説明
最終戦争の噂・兆しで、世界中の政治指導者たちは 恐れおののく
平和を願い、女性指導者たちは かっぱっに活動するが、庶民は ただ恐れるのみである
最初は 世界中の93の都市で動乱・戦乱が起きる
軍隊の戦士・兵隊たちは 戦いに勇みだち出陣していく
が、鎮圧出来ず、行き着くところまでいってしまう

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●女王の活動の様子にも思えますが、、、

☆「大いなる数7の年にそれは起こる
ヘカツゥームの競技のとき、二つのミレニアムの年から遠からずして、死者が墓から起き上がる」

★ 置換翻訳
{大いなる数7の年にそれは起こる(それは おおいなる7000年期に21世紀に起きる)
ヘカツゥームの競技のとき(オリンピックの時)、二つのミレニアムの年から遠からずして(二つのオリンピックの年が過ぎてから遠い未来でなく)、死者が墓から起き上がる(忘れられたものが、墓のようなもの・コンピュ−タのようなものの中から)」

★ 平易意訳
{それは 大いなる数7の年=おおいなる7000年期に21世紀に起きる
ヘカツゥームの競技・オリンピックの時、それも二つのミレニアムの年から遠からずして二つのオリンピックの年が過ぎてから遠い未来でなく、死者が墓から起き上がる(忘れられた殺人者=ノアの大洪水の説明が、墓のようなもの・コンピュ−タのようなものの中から現れていくる」

★ 補足説明
この説明も、殺し屋(ノアの大洪水の事が人々に知られるようになる)が、2008年のオリンピックの年を過ぎてから、遠くない未来に現れてくる
その殺し屋の情報は 墓のようなもの・コンピュ−タのようなものの中に記述されていて、人々が認識するようになる

−−−
●この辺りは支配層などは数字にこだわって事を起すらしいですがその辺りと関連があるように思います
「死者が墓から起き上がる」の部分は、1999年の予言詩が2000年以降振り向かれることがなかったが(それは一つの死者の描写かなとも思いました)、ある時(大いなる数7の年にそれは起こる
ヘカツゥームの競技のとき、二つのミレニアムの年から遠からずして、)を境にパソコンのデスクトップを通して復活するというような風にも読めました
ヘカツゥームの競技のときというのは、世界中で有名な競技大会なら、オリンピックなどの大会のことのように思います
ヘカツゥームでは検索が出来ないみたいなので、2010年、2014年などのサッカーのワールドカップなどはそれに当てはまらないかな?とも考えたりしています
サッカー自体が起源時には切り取った人の頭をボール代わりにしていたなんて話も聞きますので
以下は、最後の予言らしいです

☆「星をいただく国の統治が20年間続き、月をいただく国が50年間支配する
そののち、太陽が力を失い、やがて、わが予言は成就し、終わらんとす」

★ 置換翻訳
{星をいただく国の統治が20年間続き(地球人類世の中は イギリス・アメリカなどに代表する西欧人種の国が始動すし約2000年間続く)、月をいただく国が50年間支配する(新しい世界、その後、人類の世の中は 東洋の文明が始動する5000年間続く)
そののち、太陽が力を失い(その後、太陽の活動は停止・太陽は帰郷していなくなる)、やがて、わが予言は成就し、終わらんとす(そのとき、太陽の活動・命題は 成就して、一連の予言は 完了する)}

★ 平易意訳
{地球人類世の中は イギリス・アメリカなどに代表する西欧人種の国が始動すし約2000年間続く、ノアの大洪水の後、新しい世界、その後、人類の世の中は 東洋の文明が始動する5000年間続く
その頃、その後、太陽の活動は停止・太陽は帰郷していなくなる
やがて、太陽の活動・命題は 成就して、一連の予言は 完了する)}

★ 補足説明
この予言は 第1章第48編との関連で理解すべきものと推測します
諸世紀の殆どの記述は ノアの大洪水までで、そのことを太陽に理解させようとするものです
ですから、太陽がそれらの一連のことを理解したとき、諸世紀の目的は達成したことになりますので、第1章第48編の記述となります
が、それ以後の太陽の活動期間などについては 上記の目的のために邪魔になる予言は一切が省略されています
それを補うものであるのかもしれません
少し分かり難いのですが、どうやら人類の文明の質の変化にかこつけて説明していると考えられます
現在まで続く、約2000年の西欧文明、これから新世界に至る約5000年の東洋文明(神道)と云うわけです

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●「星をいただく国の統治が20年間続き、月をいただく国が50年間支配する」

20年の尺が2000年だったり、5000年の尺なら、支配体系の異なる時節を言っているように思います
単純に20年、50年なら、星をいただくといえばアメリカが浮かびますし、月ならイスラム系や中国、ロシアなどの国が浮かびます
太陽が力を失いのところは諸世紀曰くの太陽が役目を終えた時とも読めます
でも、復活すると予言にはあるので、何かしっくり来ません

第1章第48編の

20番目の時代月による支配は終わり
7000年紀に他の者が彼の王国を築く
太陽が残された日々を理解したとき
その時我が予言の意図は完成する

の内容と見比べますと、20年と50年を足すと70年になります
「星をいただく国の統治が20年間続き、月をいただく国が50年間支配する」の足して70年が第48編の7000年紀をさしているのなら、解釈も変わるように思います

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諸世紀 第01章第048編

原書
Vingt ans du regne de la lune passez,
Sept mil ans autre tiendra sa mon archie,
Quand le soleil prendra ses jours laissez,
Lors accomplit a fine ma Prohecie.

原書置換
Vingt ans du regne de la lune passez,
Sept mil ans autre tiendra sa mon archie,
Quand le soleil prendra ses jours laissez,
Lors accomplit a fine ma Prohecie.

原書直訳
20番目の時代月による支配は終わり
7000年紀に他の者が彼の王国を築く
太陽が残された日々を理解したとき
その時我が予言の意図は完成する

直訳を意訳
西暦2000年月に住む進化した生物による地球の支配は終わり
7000年紀に地球方面担当の者が彼の王国を築く
太陽が我が予言を解読し残された自分の未来と人類の未来を理解し
太古に計画された運命にもとずき行動を開始した時
その時我が予言[諸世紀]を書いた意図は完成する

平易意訳
西暦2000年に月に住む進化した生物に依る地球人類の支配は終わり、
西暦2000年から2999年に地球方面担当の者が王国を築く
太陽が我が予言の意図を解読し残された自分の未来と人類の未来を理解し、
太古に計画された運命にもとずき行動を開始した時、
その時我が予言[諸世紀]を書いた意図は完成する

解説と補足説明
年代などは 容易に理解できる
しかし、月に依る支配を人類は 理解していない
進化した生命には 常識であるが原始的科学水準の人類にとっては 月が巨大な宇宙船であることを理解することは出来ない
増して、そこに住む月人達の存在を認め、その月人達が地球の環境や生命の進化を管理している事実を理解納得出来ないであろう
加えて、人類が彼らの地球劇場の出演者として遺伝子を合成し地球の人類の出演者とする
科学技術の進化を制御して紛争殺し合いを演出する
進化ゲームの材料が人類である事実である事などである
最後には 西暦1999年10月ゲームオバーとなり、メインデータ「人類の建設した都市と科学」の破壊をする為に人類を攻撃する
この戦いは 話し合に依る停止や回避は無い
アメリカを先頭に人類の生き残りを賭た激しい戦いとなるだろう
しかし、地球の管理制御する為に多数の月人が潜入していることすら人類は知らない人類は 破れる
そして、都市は住めなくなる
そして、西暦2000年に「ノアの大洪水」と呼ばれる「地球の極の滑り回転」に依る海水の3000m以上の津波で全てを洗浄する
その後、新しい遺伝子の人類を制作し「新しい進化紛争ゲーム」を開始して楽しむ
この事実を月に依る人類の支配と呼ばずして何と言うべきだろうか
すでに、このような悪魔の所業を阻止すべく宇宙において解放戦争が開始されている その事すら脳天気な人類は 知らない
最大の被害者でありながら
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この予言詩は 大変重要なもので「諸世紀」の製作目的が記載されている事である
普通、予言に製作の目的を記載する事は 無い
この「諸世紀」には 太陽に未来の出来事を知らせる為に製作したと明確に記載している
従って、「諸世紀」の解読を開始するには この予言詩から始めなければならない
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墓に込められた予言_2

<墓に込められた予言_2:ML3061:::>
{新41_諸世紀_墓に込められた予言_2} −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<墓に込められた予言_2>

コメント:===1===
ロックさんからの、「2012年地球崩壊の驚愕大予言」の「ノストラダムスの最後を迎えた家の地下室の壁の中に塗り固めてあった」予言というものの案内が正しい原本に基づいたものであるとして、今後の推移のシナリオについて考察してみょう
なお、☆は 原文の翻訳、●は ロックさんの解読、★は MFの解読です
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T 社会的出来事
まず、世界的な社会の出来事が掲載されている
その概略は その過程において「人類を襲う欺瞞、怒り、戦争、混乱、疫病」(五つの刺し傷・自然現象でなく意図的に地球人類に仕掛けられた悪意)が蔓延し、中でも伝搬性(戦略的ウイルスのエイズ・鳥インフルエンザなどなと)の疫病は世界中に散布され猛威をふるう
また、宗教の破壊も進み、教会は 嘲笑の対象となり狂人で溢れる
このような環境の中、人々の心は浮き足立ち、並行して戦争の兆しの情報で地球人類は 脅迫をうけ、女性の政治指導者たちは 平和を訴えるが、庶民は ただただ恐れる日々を送る
その様な中、世界の主な93都市において動乱が起こり、軍隊が出動する
しかし、その混乱は 収まらず、最終戦争へと誘われる

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☆「五つの刺し傷が現れ、疫病はさらに広がる
教会は狂信者であふれ、血の跡は永遠に消えない
ローマの法王は嘲笑の対象となり、王たちはその死に振り回される」

★ 平易意訳
{五つの刺し傷が世界に現れ、人類を襲う欺瞞、怒り、戦争、混乱、疫病が蔓延し、中でも伝搬性の疫病は世界中に猛威をふるう
法王からしてユダヤ教徒であることを人々は知り、教会がまともでない連中のたまり場・狂信者があふれかえり、人々は殺戮の限りをつくし、血塗られた教会の血は消えない
最後の法王の頃、キリスト教の欺瞞が明確になり、人々の嘲笑の対象となり、世界中の奴らの代理人である政治支配者・大統領・首相などは その死による原因で、自らの立場の危うさを取り繕うのに忙しくなる}

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☆「戦争の兆しが頻発し、国々は震え上がる
女王たちは平和を懇願してあわてふためくが、群衆たちはただ恐れるのみである
90に3を足した都市に動乱が起こり、強力な戦士たちは奮い立つ
そして、しまいには水平線にたどりつく」

★ 平易意訳
{最終戦争の兆しが、例えばイラン専制核攻撃などの噂や兆しが頻発して、最終戦争の発生に国々は 震えおののく
世界の女性の指導者たちは 平和を願い、あたふたと動き回る
しかし、庶民クラスの群衆は ただ恐れるのみである
世界の主な93の都市に動乱・戦乱が起こり、軍隊の戦士たちは 戦いに勇みだつ
そして、それらの最終の結果=地平線、行き着くところまで云ってしまう
最終戦争まで行ってしまうことになる}

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U ノアの大洪水関連

この書き残された「ノストラダムスの最後を迎えた家の地下室の壁の中に塗り固めてあった」予言は 諸世紀で明確に出来なかった「ノアの大洪水」へと至るシナリオと時期の推定的シナリオが掲載されていることである
基本的には 7000年期・21世紀に入り、二つのオリンピックが終わってから、しばらくして、人々は インタ−ネットからその情報を得るようになる
その期間としては 三つが指定されていないので、二つから三つ・2008年〜2012年の範囲が指定されていることになる
2008年8月8日北京オリンピック終了してからの4年間がほど無い頃の範疇ということになる
問題は ほどないい頃との指定はされていて、二つの予言からおおよそ2008年〜2012年の範囲と分かるが、そのどの年であるかが分からないことである
ただ、「・・・墓のようなもの・コンピュ−タのようなものの中から現れていくる
・・・・」から、世界中の人々にその情報が周知されるには 数年がかかると思われるので、早くても、2011年、2012年のいずれかを指し示していると推定される
私としては ホピの予言などから、2012年ではないかと思っている
簡単に整理すると下記のようになるので、さしあたって、北京オリンピックが終わるのをってTの社会現象を加味しながら、「ノアの大洪水」の情報の拡散・伝搬の様子を検証していくことになる

1. 2008年8月8日北京オリンピック開始
2. 2008年10月北京オリンピック終了
3. 2008年10月〜
4.{ノアの大洪水の情報がインタ−ネットを経由して世界に知られるようになる}
5. 2012年10月頃〜オグミオンの雷鳴の轟きが世界中で聞かれる
6. 世界の人々は ノアの大洪水が開始したのを悟り・悪魔の邪心が起こり破壊を開始する
7. ノアの大洪水開始
8. 地上から人の姿が全て消える

−−−
U−@
☆「二つめのミレニアムー世紀の変わり目からほどないころ、雷鳴が轟き、魚は長き眠りにつく
怒り、戦争、混乱、疫病、そして瓦礫、、、
すべての人はどこへともなく消えていく」

★平易意訳
{二つ目・二番目のミレニアムー=オリンピックのとき、7000年期の世紀の変わり目=西暦2000年からほど無い頃(北京オリンピックが終わってほど無い頃)、巨大な音・マントルの境界層の破断音が世界中の大地と空に雷鳴のような轟音が轟き響く、ノアの大洪水の開始である、
かってのノアの大洪水において、幾百億の魚の化石が残された様に魚たちは 長き眠りにつき化石となっていく
ノアの大洪水のことを人々が知り、それらの過程において、怒り、戦争、混乱、疫病が地上に現れ、数多の物が瓦礫となっていく、
そして、地上の人々は あるものは大津波に流され、あるものは 地上を去り、全ての地上の人類は 地上から消えていく}

−−−
U−A
☆「大いなる数7の年にそれは起こる
ヘカツゥームの競技のとき、二つのミレニアムの年から遠からずして、死者が墓から起き上がる」

★ 平易意訳
{それは 大いなる数7の年=おおいなる7000年期に21世紀に起きる
ヘカツゥームの競技・オリンピックの時、それも二つのミレニアムの年から遠からずして二つのオリンピックの年が過ぎてから遠い未来でなく、死者が墓から起き上がる(忘れられた殺人者=ノアの大洪水の説明が、墓のようなもの・コンピュ−タのようなものの中から現れていくる」

−−−
U−B
☆「夜が昼となり、随所に大いなる恐怖
警告は的中し、女たちは復讐に立ち上がる
地軸をつんざく大鳴動、そして不安
邪神が人々の心に巣くい、都市のあちこちで血が流される」

★平易意訳
{地軸が移動・極の滑り回転が始まり、夜と昼とが入れ替わったような関係になる、太陽が正規のの軌道からそれ始め、最後には 反対の方向から太陽が昇るようになる・夜が昼となるのだ
世界中いたるところの人々に、予言されたノアの大洪水が始まったことを知り大いなる恐怖におののくことになった
ノアの大洪水の警告は 的中して現実のものとなったのだ
地下の地軸の移動を押さえている女神ニンフたちは マントル層の境界層を動かないように押さえていた閂(かんぬき)を外して、ノアの大洪水を開始させたのだ
地軸をつんざく大鳴動、そして、巨大なマントル層の破断音・オグミオンに人々は 不安になり恐怖におののく
未来の無くなった・死を理解した人々の心に、悪魔邪神がが巣くい、都市のあちこちで血狂乱と破壊と殺戮が始まり、多くの血が流されることになる}


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V 予言の全シナリオの成就

これらの情報が正しいとすると、ノストラダムスの予言は 少なくとも太陽に理解させる諸世紀とノストラダムスの人生の終わりに際しての全予言の集大成的な予言の二段階の構造をしていることになる
@
地球上の太陽に、地球に降臨している理由の説明、〜諸世紀の第01章第048編の下記の内容

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諸世紀の第01章第048編
原書
Vingt ans du regne de la lune passez,
Sept mil ans autre tiendra sa mon archie,
Quand le soleil prendra ses jours laissez,
Lors accomplit a fine ma Prohecie.

直訳を意訳
西暦2000年月に住む進化した生物による地球の支配は終わり
7000年紀に地球方面担当の者が彼の王国を築く
太陽が我が予言を解読し残された自分の未来と人類の未来を理解し太古に計画された運命にもとずき行動を開始した時その時我が予言[諸世紀]を書いた意図は完成する

A
諸世紀の第01章第048編は 「諸世紀の予言を書いた理由の記述」であるのに対して、「ノストラダムスの最後を迎えた家の地下室の壁の中に塗り固めてあった」の予言は ノストラダムスの最後を迎えたことから、ノストラダムスの諸世紀を含めて予言の全てを完結させる内容を記述する立場から記述していることになる

a.[諸世紀]を書いた意図は完成する
b.わが予言は成就し、我の生涯は終わらんとしている
との違いである
少なからずb.から分かることは ノストラダムスは 太陽の全生涯を神の霊たちに遠隔透視させられ、その生涯を記述していたことになるのである
であれば、1999年の地上での騒ぎ、そのものを遠隔透視しながらその行く末もニヤニヤしながら見ていたことになるし、その意図をもう一度検討しなおす必要がありそうである

−−−
V−@
☆「星をいただく国の統治が20年間続き、月をいただく国が50年間支配する
そののち、太陽が力を失い、やがて、わが予言は成就し、終わらんとす」

★ 平易意訳
{地球人類世の中は イギリス・アメリカなどに代表する西欧人種の国が始動すし約2000年間続く、ノアの大洪水の後、新しい世界、その後、人類の世の中は 東洋の文明が始動する5000年間続く
その頃、その後、太陽の活動は停止・太陽は帰郷していなくなる
やがて、太陽の活動・命題は 成就して、一連の予言は 完了する)




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墓に込められた予言_3

<墓に込められた予言_3:ML3074:::>
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{新41_諸世紀_墓に込められた予言_3}

コメント:===1===
「2012年地球崩壊の驚愕大予言」の「ノストラダムスの最後を迎えた家の地下室の壁の中に塗り固めてあった」と云う予言の原本が欲しいと、その情報の出自を探している
この本の著者の名前は無い
あるとすれば、「歴史予言検証会」と称する集まりのようである
この「歴史予言検証会」の正体は 調べているが、現時点では 不明である
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』でも=1=の様に、その記述は無い
ウィキペディアでは ノストラダムスの偽物たちの紹介もあるが、死の床で残した数十編の予言詩に関する説明もない
私としては この原本の全てを見たいと思っているが、現段階では 「歴史予言検証会」という組織そのものの正体が分からないので、本を売るために作た「ゴ−ストの組織」ではないかとすら思い始めている
この書籍で取り上げているのが、数十編あると主張している内容の6編程度しか取り上げていない
常識的には 数十編と書けば、少なくとも20〜30編くらいは最低でもあると受け取れるので、6編以外の予言詩を知らないと、「死の床で残した数十編の予言詩のシナリオ・構造」を読み解くことが不正確ということになる
ノストラダムスおたくの様なHPを見てみたが、これらの「死の床で残した数十編の予言詩」についての記述が見られない
もう少し追跡してみたいと思っている
皆さんが情報をお持ちであったなら、教えて欲しい
===1==================
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9
ノストラダムス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミシェル・ド・ノートルダム
Michel de Nostredame

ノストラダムスの肖像画(1614年頃)
ペンネーム ノストラダムス
Nostradamus
誕生 1503年12月14日
プロヴァンス
死没 1566年7月2日(満62歳没)
職業 医師、占星術師、詩人、料理研究家
国籍 フランス
ジャンル 詩、予言
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配偶者 アンリエット・ダンコス
アンヌ・ポンサルド
子供 マドレーヌ・ド・ノートルダム
セザール・ド・ノートルダム
シャルル・ド・ノートルダム
アンドレ・ド・ノートルダム
アンヌ・ド・ノートルダム
ディアーヌ・ド・ノートルダム
親族 レニエール(ルネ)・ド・サン=レミ
ジョーム・ド・ノートルダム
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影響を与えたもの
ピエール・チュレル
ジロラモ・サヴォナローラ
ピエール・チュレル
リシャール・ルーサ
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表・話・編・歴
ノストラダムス(Nostradamus, 1503年12月14日 - 1566年7月2日)は、ルネサンス期フランスの医師、西洋占星術師[1]、詩人
また料理研究の著作も著している
日本では「ノストラダムスの大予言」の名で知られる詩集を著した
彼の予言は、現在に至るまで多くの信奉者を生み出し、様々な論争を引き起こしてきた
本名はミシェル・ド・ノートルダム(Michel de Nostredame)で、よく知られるノストラダムス(ミシェル・ノストラダムス)の名は、姓をラテン語風に綴ったものである
しばしば、「ミシェル・ド・ノストラダムス」と表記されることもあるが、後述するように適切なものではない
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目次
1 概要
2 出自
3 生涯
 3.1 少年時代および遊学期
 3.2 博士号取得とアジャンでの日々
 3.3 医師としての活動
 3.4 予言者としての成功
 3.5 晩年 4 著作
5 学術的な検証
6 予言の典拠
 6.1 占星術について
 6.2 歴史関連の参考文献
 6.3 予言関連の参考文献
 6.4 他の参考文献
7 関連年表
 7.1 ノストラダムスの存命中の関連年表
 7.2 没後の関連年表
8 名前の表記について
9 信仰について
10 ノストラダムスの肖像画
11 脚注
12 関連項目
13 参考文献
14 外部リンク
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概要

ノストラダムスは改宗ユダヤ人を先祖とし、1503年にプロヴァンスで生まれ、おそらくアヴィニョン大学で教養科目を、モンペリエ大学で医学を、それぞれ学んだ
南仏でのペスト流行時には、積極的に治療にあたり、後年その時の経験などを踏まえて『化粧品とジャム論』などを著した
他方で、1550年頃から占星術師としての著述活動も始め、代表作『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』などを著し、当時大いにもてはやされた
王妃カトリーヌ・ド・メディシスら王族や有力者の中にも彼の予言を評価する者たちが現れ、1564年には、国王シャルル9世から「常任侍医兼顧問」に任命された
その2年後、病気により63歳で没した
彼の作品で特によく知られているのが、『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』である(『諸世紀』という名称も流布しているが、適切なものではない)
そこに収められた四行詩による予言は非常に晦渋(かいじゅう)なため、後世様々に解釈され、その「的中例」が喧伝されてきた
あわせて、ノストラダムス自身の生涯にも多くの伝説が積み重ねられてゆき、結果として、信奉者たちにより「大予言者ノストラダムス」が祭り上げられることとなった(「ノストラダムス現象」も参照のこと)
これに対する学術的な検証は、長らくほとんど行われてこなかったが、現在では、伝説を極力排除した彼の生涯や、彼が予言観や未来観を形成する上で強い影響を受けたと考えられる文献なども、徐々に明らかになっている
そうした知見を踏まえる形で、ルネサンス期の一人の人文主義者としてのノストラダムス像の形成や、彼の作品への文学的再評価などが、目下着実に行われつつある
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出自

ノストラダムス一族の主要人物も参照
ノストラダムスの父方の先祖は、14世紀末以降、アヴィニョンで商業を営んでいた
父方の祖父がアンジュー公ルネに仕えた医師・占星術師だったとするのは、ノストラダムスの弟や長男による粉飾であり、彼も実際には商人であった
彼の一族を更に遡れば、失われた十支族のイッサカル族に辿り着くといった話もあるが、これもまた創作である
父方の曾祖父ダヴァン・ド・カルカソンヌと祖父クレカは、15世紀半ばにユダヤ教からキリスト教に改宗した
改宗した後、クレカは三度目の結婚相手の姓をもとに、ペイロ・ド・サント=マリーあるいはピエール・ド・ノートルダムと改名した
サント=マリーは妻の正式な姓であり、ノートルダムは妻の通称的な姓であったが、どちらも聖母マリアを意味する
祖父は改名後、理由は不明ながら後者の姓をより多く用いるようになり、それが息子や孫(ノストラダムス)にも引き継がれた
ピエールの息子でノストラダムスの父にあたるジョーム・ド・ノートルダムも、当初はアヴィニョンで活動する商人だったが、サン=レミ=ド=プロヴァンス(当記事では以下サン=レミと略記)の住民レニエールと結婚した後、サン=レミに居を移した[2]
出自についての補足事項として、後段の「信仰について」も参照

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生涯
下掲の関連年表も参照
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サン=レミのノストラダムスが生まれたとされる一角
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少年時代および遊学期

ノストラダムスは、1503年12月14日木曜日に、当時まだフランス王領に編入されて間もなかったプロヴァンス地方のサン=レミで生まれた[3]
幼い頃には母方の曾祖父ジャン・ド・サン=レミが教育係を務め、ノストラダムスに医学、数学、天文学ないし西洋占星術(加えて、ギリシャ語、ラテン語、カバラなどを含めることもある)の手ほどきをしたとも言われるが、ジャンは1504年頃に没していた可能性が高いため[4]、 彼が教育を施したとは考えられない
父方ないし母方の祖父が教育係とされることもあるが、どちらも15世紀中に没しているので問題外である(これらは公文書類で確認できる)
結局のところ、彼が幼い頃に誰からどのような教育を受けていたかは、明らかになっていない
ノストラダムスは、15歳前後(1518年頃)にアヴィニョン大学に入学し、自由七科を学んだようである
この点は実証的な伝記研究でも確実視されているものの[5]、
史料的な裏付けはなく、入学時期もはっきりしない
在学中には、学友たちの前で、コペルニクスの『天球の回転について』の内容を20年以上先取りするかの如くに正確な地動説概念を語るなど、諸学問、特に天体の知識の卓抜さで知られていたとする「伝説」はあるが、裏付けとなる史料はなく、創作と思われる
このアヴィニョン大学在学は、1520年に中断を余儀なくされたと推測されている
ペストの影響でアヴィニョン大学をはじめとする南仏の大学の講義が停止されたからである[6]
このことは、1521年から1529年まで各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめたと、後に本人が語ったこととも矛盾しない[7]
他方で、遍歴に先立って、ノストラダムスがモンペリエ大学医学部で医師の資格を取得したとする説もあるが、現在では虚構の可能性が高いと考えられている
この説は、後にノストラダムスの秘書になったジャン=エメ・ド・シャヴィニーによるものだが、史料による確認が取れず、ノストラダムス自身が後の私信で、医学と判断占星術の研究歴を1521年頃から起算していることとも整合していない[8]
史料的に裏付けられる同大学入学は遍歴の後である
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博士号取得とアジャンでの日々

現在のモンペリエ大学医学部1521年からの約8年にわたる遍歴を経て、ノストラダムスは1529年10月23日にモンペリエ大学医学部に入学した
この時点で、薬剤師の資格は取得していたようであり、その後研究を重ねて医学博士号を取得したとされる
ただし、記録は確認されておらず、むしろ、当時の学生出納簿にはノストラダムスの名を抹消した形跡があり、この傍には、在学中に医師たちを悪く言ったかどで告発された旨の記述がある [9]
なお、この頃の「伝説」としては、博士号取得後に請われて同大学の教授として教鞭を執ったが、保守的な教授たちとの軋轢が生まれ、1年で職を辞することとなったというものがある
しかし、これを裏付ける史料は見つかっていない
従来博士号を取得したとされてきたこの時期の前後に、エラスムスに比肩しうる学者として知られていた、アジャンのジュール・セザール・スカリジェの招きを受けたこともあり、ノストラダムスはアジャンへと移住した[10]
彼はアジャンで開業医として医療に携わる傍ら、博識のスカリジェから多くを学んだらしい
また、1531年にアジャンのアンリエット・ダンコスと結婚したことが、1990年代に発見された結婚契約書から窺える
この発見によって、従来謎だった最初の妻の名前も明らかになったが[11]、慎重な見方をする論者もいる [12]
実際のところ、この時期既にアジャンにいたのだとすれば、モンペリエで3年間研究して博士号を取得したとされた通説との間に、齟齬を来すことになる
結婚契約書の真偽はなお検討の余地があるとしても、アジャン滞在中に最初の結婚をし、子供[13]をもうけたことは、確実視されている
しかし、1534年頃に妻子ともに亡くなったようである
この死因にはペストが有力視されているが、実態は全く不明である[14]
この後に妻の実家から持参金などをめぐって訴訟を起こされたという話もあるが、これも定かではない[15]
同じ頃には、元来気難しい性格であったスカリジェとの仲も険悪なものになっていった[16]
さらには、1538年春にトゥールーズの異端審問官から召喚を受けたようである[17]
この理由は「聖人を冒涜した」事を問題視されたという程度にしか分かっていない[18]
怠惰な姿勢でマリア像を作っていた職人に、不用意に投げかけた言葉が逆恨みを招いたからと説明されることもあるが、これはトルネ=シャヴィニーらが言い出した根拠のない話のようである[19]
このほか、アジャンのプロテスタント医師サラザンが召喚された際に、交流のあったノストラダムスにも累が及んだとする説もある[20]
ともあれこうした諸状況の悪化が、ノストラダムスに再度の遍歴を決心させたとされるが、上述の通り裏付けとなる史料に乏しく、詳細は不明である
ひとまず、妻子と死別したらしいこと、少なくともそれが一因となって旅に出たらしいことは確実視されている
実際、1530年代後半以降、彼の足取りは一時的に途絶える[21]
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医師としての活動

当時の医師たちのペスト治療時の服装
ノストラダムスがこのような格好をしていたかは定かではないが、可能性は指摘されている
ノストラダムスが晩年を過ごした家 星を見るノストラダムス
アンリ2世の死と結びつけられる百詩篇第1巻35番(1656年版)
解釈に都合良く原文が改竄されている
長い放浪を続けたノストラダムスは、1544年にマルセイユの医師ルイ・セールに師事したとされ[22]、翌年には3人の囚人の診察をした記録がある[23]
そして、1546年に同じ南仏の都市エクスでペストが流行した時には、治療のために同市へ赴いた
伝説では、この時にノストラダムスは、鼠がペストを媒介することを見抜き、鼠退治を命じたという
また、アルコール消毒や熱湯消毒を先取りするかのように、酒や熱湯で住居や通りを清め、更にはキリスト教では忌避されていた火葬すらも指示したとされる
しかし、後年ノストラダムス自身が『化粧品とジャム論』で述懐しているこの時の様子に、当時の医学知識の範囲を超えるものはないため、殺菌消毒をはじめとする一連のエピソードは悉く創作であると思われる[24]
『化粧品とジャム論』には、その時に用いた治療薬の処方も載っているが、その効能は疑問視されている
結局のところ、彼の医療活動とペスト沈静化の因果関係は不明瞭なままである
現時点で確実に言えるのは、当時は医師達も尻込みする傾向の強かったペストの流行地に、果敢に乗り込んで治療に尽力した人物ということだけであり、その実効性を評価しうるだけの材料には乏しい
その後、ノストラダムスはプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に落ち着き、1547年11月11日にこの地で未亡人アンヌ・ポンサルドと再婚した
ノストラダムスは終生この街で過ごすことになるが、1年程度の旅行で家を空けることは何度かあった
最初の旅行は、再婚後間もなく行われたイタリア旅行であり、処方箋などからはヴェネツィア、ジェノヴァ、サヴォーナなどを回ったらしいことが窺える[25]
この旅行中の出来事としては、以下のような「伝説」が有名である
ノストラダムスはこの旅行中、ある修道士たちの一団に出会った時に、そのうちの一人の前で恭しくひざまずいた上で、その修道士が将来ローマ教皇となることを示唆したために、周囲の失笑を買ったという
しかし、その修道士フェリーチェ・ペレッティは、ノストラダムスの死から20年程のちにシクストゥス5世として即位し、予言の正しさが証明されたのだという
この出会いにも裏付けはなく、後世の創作と思われる
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予言者としての成功

1550年代に入ると、ノストラダムスはサロンの名士として、公共の泉の碑銘を起草したり、クラポンヌ運河の建設に出資したりするようになる[26]
こうした活動と並行して、翌年1年間を予言した暦書(アルマナック)の刊行を始めるなど、予言者としての著述活動も本格化させていく
暦書は大変評判になり、その成功に押されたのか、ノストラダムスは、より先の未来を視野に入れた著作『予言集』の執筆に着手する(ノストラダムスが『予言集』をどのような意図で出版したのかははっきりしていないが、この点を考える一助として、後段の予言の典拠も参照)
1555年5月に初版が出された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、4巻の途中までしかない不完全なもの(完全版は全10巻)ではあったが、大きな反響を呼び起こしたとされる[27]
そのわずか2ヶ月ほど後に当たる1555年7月に、国王アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスからの招待を受けた
『予言集』の評判が王宮に届いたことが一因とされることが多いが[28]、暦書の評判に基づくものであって、『予言集』はそもそも関係がなかったという指摘もある[29]
翌月に王宮で行われた謁見は成功裏に終わったようだが、会見内容は不明である
カトリーヌはそれとは別に、ノストラダムスを個人的に呼んで子供たちの未来を占わせたとされ、四人の御子息はみな王になるという答えを得たという
四男エルキュールが早世したことでこれは外れたが、「御子息から四人の王が生まれる」という予言だったとする説もある
この場合、三男アンリはフランス王となる前にポーランド王となっていたため、正確な予言だったことになる
しかし、後にヴェネツィア大使ジョヴァンニ・ミキエリが1561年にまとめた報告書などでは、宮廷ではノストラダムスの「王子たちがみな王になる」という予言の噂が広まっていたとあり、「四人の王が生まれる」という予言は確認が取れていない[30]
この件に限らず、カトリーヌとの対話は色々取り沙汰されるが、後出の唯一の例外を除いては、対話の内容を伝える史料は存在していない
1559年6月30日、アンリ2世の妹マルグリットと娘エリザベートがそれぞれ結婚することを祝う宴に際して行われた馬上槍試合で、アンリ2世は対戦相手のモンゴムリ伯の槍が右目に刺さって致命傷を負い、7月10日に没した
現代には、しばしばこれがノストラダムスの予言通りだったとして大いに話題になったとされるが、現在的中例として有名な詩が取り沙汰されたのは、実際には17世紀に入ってからのことであった[31]
ノストラダムスは、1556年1月13日付けで国王と王妃への献呈文をそれぞれ作成し、1557年向けの暦書に収録したが、このうちカトリーヌ宛ての献辞では、1559年を「世界的な平和 (la paix universelle)」の年と予言している
このため、果たして1559年の悲劇を見通していたかは疑問である(この予言は同じ年のカトー・カンブレジ条約になら当てはまる、とする指摘もある)
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晩年

ヘンリ2世亡き後に王位に就いたフランソワ2世は病弱で、早くも1560年後半の宮廷では、ノストラダムスの予言を引用しつつ、王が年内に没すると噂されていたという
実際にフランソワ2世はこの年のうちに没し、ノストラダムスの名声は更に高まったようである
このエピソードは、ヴェネツィア大使ミケーレ・スリャーノやトスカナ大使ニッコロ・トルナブオーニらの外交書簡にも記載があるので、史実だったと考えられる[32]
なお、この頃のノストラダムス本人は、王侯貴族などの有力者を相手に占星術師として相談に乗っていたことが、現存する往復書簡からは明らかになっている
事実、1564年に依頼に応じて作成した、神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の子ルドルフのホロスコープも現存している
ただし、その予言の的中度、信頼度という点では、必ずしも芳しい評価ばかりではなかったようである
もちろん、カトリーヌのようにノストラダムスに心酔していた人物はいた
彼女の場合、ノストラダムスを世界一の狡猾漢呼ばわりしているスペイン大使ドン・フランセス・デ・アルバの本国宛の書簡にも、その心酔ぶりを揶揄しているくだりを見いだすことができる[33]
しかし他方で、ノストラダムス自身の往復書簡の中では、顧客や出版業者から、予言の曖昧さや冗長さにしばしば苦情も出されていたことが明らかになっている[34]
なお、1559年の処方箋も現存しており、医師としての活動も継続していたことが窺える
ときに、フランソワ2世の後を継いだ弟の国王シャルル9世は、フランス各地をまわる大巡幸の一環として、1564年10月17日に母后カトリーヌともどもサロンの街を訪れた
この時シャルルは、ノストラダムスに会うためだけに立ち寄った、と語ったという
カトリーヌがモンモランシー公に宛てた書簡で言及しているおかげで、この時の会見内容は例外的に伝わっている
それによればノストラダムスは、モンモランシー公が90歳まで生きること、そしてシャルルも同じだけ長生きすることを予言したという(前者は3年後に公が75歳で没したことで外れ、後者はシャルルが10年後に23歳で没したことで外れた)[35]
他方、ノストラダムスは、国王よりもむしろ随行していた少年に関心を示し、国王親子のいないところで、その少年がいずれフランスの王になると予言し、周囲を当惑させたというエピソードもある
この少年はナヴァル家のアンリで、のちにアンリ4世としてフランス王位に就くことになった
このエピソードはパリ市民ピエール・ド・レトワルの日記(1589年)に見出すことができ[36]、史実かどうかはともかく、当時の人々に知られたものであったようである
さて、大巡幸中のシャルル9世は、その後アルルに逗留した折にノストラダムスを呼び出し、彼に「常任侍医兼顧問」の称号を下賜したようである[37]
なお、これは名誉上のものであり、ノストラダムスが宮廷に出仕したわけではない
また、彼が国王から何らかの称号を賜ったのは、これが唯一である
後にノストラダムスの伝記を書いた秘書のジャン=エメ・ド・シャヴィニーが「アンリ2世、フランソワ2世、シャルル9世の顧問兼医師」と誇張して紹介していたこともあり、あたかもノストラダムスが一定時期宮廷に出仕していたかの如くに書かれることもあるが、事実に反する

現存するノストラダムスの墓銘碑(1813年)その後のノストラダムスは、痛風もしくはリウマチと思われる症状に苦しめられていたようである
そして1566年6月には死期を悟ったのか、公証人を呼んで遺言書を作成した
7月1日夜には秘書シャヴィニーに「夜明けに生きている私を見ることはないだろう」と語ったとされる[38]
ノストラダムスは予兆詩で寝台と長椅子の間で死ぬことを予言しており、翌朝予言通りに寝台と長椅子の間で倒れているのが発見されたというエピソードが有名である
しかし、ノストラダムスの死と予兆詩を最初に結びつけたシャヴィニーは、寝台と長椅子の間で倒れていたなどとは述べておらず、ノストラダムスの死を発見した長男セザールもそのようなことは語っていないため、後代の創作であると考えられる[39]
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著作

化粧品とジャム論
1555年向けの占筮
現存最古の『予言集』完全版ノストラダムスは私信をラテン語で執筆しているので、当然ラテン語に通じていたはずだが、ドイツ語訳された瓦版を除けば著作は全てフランス語であり、ラテン語で執筆したものはない
『オルス・アポロ』
ホラポロのヒエログリフに関する著書を翻訳した1540年代の手稿
1967年に発見され、翌年公刊された
当時数多く作成されたホラポロの訳書の一つだが、韻文形式で訳すという他に例のない手法を取り入れているため、ホラポロの研究者からも注目されたことがある[40]
暦書類 1550年向けから1567年向けまで、1551年向けを除き毎年刊行された翌年1年間を予測した著書
韜晦的な内容ではあったが、非常によく売れたようであり、占星術師ノストラダムスの存命中の名声は、主としてこの一連の著作によって確立された
『3月10日の7時から8時の間にフランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景』(1554年)
1554年のこの日に見られた流星についてクロード・ド・タンド伯に報告した書簡(1554年3月19日付)をドイツ語訳したという瓦版
オリジナルのフランス語またはラテン語の書簡は未発見だが、真筆と見なされている
現存が確認できるノストラダムスの出版物としては最古だが、1556年頃の刊行と推測する者もいる
『化粧品とジャム論』(初版1555年)
医師・料理研究家としての著作
2部構成になっており、前半で様々な薬品類の処方を説明し、後半で菓子類のレシピを紹介している
後半はフランス人による最初のジャムの製法指南書とされる
第一部には恐らくは倫理上の問題から早々と削除された章があるものの、1572年までに少なくとも7版を数え、他にドイツ語訳版も3版刊行される人気作となった
『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』(初版1555年)
3797年までの予言を収めたと称する、ノストラダムスの主著
現在「ノストラダムスの予言」として引用される詩句・散文は、基本的にこの著作のものである
本来は「百詩篇集」と呼ばれる四行詩と散文体の序文からなる著書であったが、17世紀に「予兆詩集」「六行詩集」が追加された
『ガレノスの釈義』(初版1557年)
正確には『メノドトゥスによる人文科学研究ならびに医学研究への勧告に関するガレノスの釈義 Paraphrase de C. Galen, sur L'exhortation de Menodote, aux etudes des bonnes Arts, memement Medicine』
ガレノスの著書をフランス語で翻案したもの
これも医師としての著作と言えるが、内容的には、医学的というより哲学的であるとも指摘されている[41]
『王太后への書簡』(1566年)
王太后(国王の母后)、すなわちカトリーヌ・ド・メディシスに捧げられた1565年12月22日付の書簡
占星術師の立場からカトリーヌに助言を行うものとなっている
内容はわずか3ページであり、分量的には暦書類で有力者たちに捧げられていた献呈文と大差がない
『プロヴァンスにおける宗教戦争初期の歴史』(執筆時期未詳)
現存しない草稿
シャヴィニーが言及しているほか[42]、ノストラダムス自身が私信の中でその要約版の手稿について言及している[43]
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学術的な検証
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ノストラダムスを大予言者と位置づける立場からの「ノストラダムス現象」の広まりに比べて、歴史学、文学、書誌学といった領域からの研究は長い間非常に限定的なものでしかなかった
しかし、20世紀半ば以降、主として英語文献と仏語文献では、専門的な研究も着実に蓄積されてきている[44]
グラヌムの死者記念塔
ノストラダムスの詩にも何度か登場する
ノストラダムス本人や先祖の伝記については、20世紀半ばにエドガール・ルロワやウジェーヌ・レーが古記録を丹念に調査し、実証度を飛躍的に高めた[45]
この結果、伝説的な要素はかなりの程度排除できるようになった
レーはノストラダムスの往復書簡についても抄録の形ながら紹介を行い、この面でも実証的な伝記の形成に貢献した[46]
また、ルロワも古文書での実証だけでなく、地元サン=レミの精神科医という利点を活かし、ノストラダムスの詩篇には、幼年期の記憶、すなわちサン=レミの景色や近隣のグラヌムの遺跡と一致するモチーフが存在することを初めて指摘した
書誌研究の分野では、ミシェル・ショマラとロベール・ブナズラが、1989年と1990年に相次いで記念碑的な書誌研究を発表している[47]
前者の研究対象は18世紀までの文献ではあるが、フランス語文献に留まらず英語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語などの文献も幅広く網羅した労作である
後者の研究は基本的にフランス語文献に限定されたものであるが、対象時期は1989年までと幅広く、また重要な文献については詳細な分析を付加している点にも意義がある
『予言集』の原文校訂および分析に関しては、多少粗い形とはいえ包括的な分析を行ったエドガー・レオニの先駆的研究(1961年)[48]のほか、『予言集』初版収録分を主たる対象とするものであるが、ピエール・ブランダムール(1993年、1996年)、アンナ・カールステット(2005年)などの研究がある[49]
ブランダムールは、予言詩のモチーフに、ルーサや『ミラビリス・リベル』といった同時代の予言的言説や様々な西洋古典からの借用が含まれていることを指摘したほか、同時代の事件や風聞に題材を採ったと思われる詩があることを示すなど[50]、16世紀フランス史の文脈から手堅い研究を展開した(後述)
他方、カールステットは、モチーフの分析もさることながら、モーリス・セーヴら同時代の詩人との文体の比較を丁寧に行うことで、内容分析に比べて十分な蓄積がなされてこなかった文体論研究の分野にも貢献している
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予言の典拠
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ここでは、彼が『予言集』、暦書類、顧客への私信などで予言を行う際に、何に基づいていたのかを、現在までの研究で明らかになっている範囲で扱う
なお、暦書類や私信よりも『予言集』の方が研究の蓄積が大きいため、例示は『予言集』のものが多くなる
この点については有名な予言詩の例も参照のこと
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占星術について
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ノストラダムスは、『予言集』や暦書類での予言の基礎を、判断占星術(Astrologie judiciaire, 予期される未来の発展の「質」の占星術的な評価)に置いている、と主張していた[51]
しかし、彼の占星術は、ローラン・ヴィデルのような同時代の占星術師からは、彼の星位図作成上の問題(後述)や、過去の星位と未来のそれを比較することで未来を予言しうると仮定していることなどを、強く批判された
また、彼の占星術のオリジナリティには疑問が呈されている
少なくとも、リシャール・ルーサの『諸時代の状態と変転の書』(1550年)が主要な参照元であったことは確実である
これは、同書からほとんどそのまま引用している箇所が少なくないことからも明らかである
さらに、彼が顧客向けに手ずから作成したホロスコープ(出生星位図)にしても、既に公刊されていた他の占星術師の星位図を下敷きにしたものであり、自身で星位の計算を行っていたわけではないようである
このため、オリジナルからの誤写も指摘されている
なお、文献の性質上、暦書については星位やその影響に関する叙述が多いものの、『予言集』では、占星術的な言及はそれほど多くない
「第二序文」では相対的に記述量が多いが、「第一序文」では12回、940篇以上の四行詩から成る「百詩篇集」自体でも41回言及されているに過ぎない
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歴史関連の参考文献
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実証的な研究の蓄積は、『予言集』や暦書類といった彼の予言作品が、古代の終末論的預言(主たる基盤は聖書)を敷衍したものであると示唆している
彼は、これに、前兆に関する記録や過去の歴史的事件などを加味した上で、星位の比較も一助として、未来を投影したのである
例えば、彼の予言には「空での戦闘」や「太陽が2つ現れる」といった記述がある
信奉者は、それらを現代ないし近未来の戦争や核爆発の描写と解釈するが、こうした現象は、当時の「驚異」(prodige) としてはありふれた言説であった(当時の人々がそれらをありうる、または実際に見聞したと認識していたことと、実際にそれらが起こったかは当然別問題である)
当時の人々はそうした「驚異」を何らかの変事の前兆と捉えていたのであり、ノストラダムスの予言には、当時の風聞やユリウス・オブセクエンスの『驚異の書』に基づく形で、そうした「驚異」が多く反映されている
また、彼の予言に反映されている歴史的題材の分かりやすい例としては、スッラ、マリウス、ネロ、ハンニバルといった古代の人名が織り込まれている詩や散文の存在を挙げることができる
こうした歴史関係の叙述にあたっては、ティトゥス・リウィウス、スエトニウス、プルタルコスら古代の歴史家たち、及びヴィルアルドゥアンやフロワサールら中世の年代記作家たちの作品が参照されている
このことは、それらからの引用句を容易に同定できることから明らかである
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予言関連の参考文献
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ノストラダムスの予言は、独自に組み上げられたものだけではなく、先行する予言関連の著書からの借用も含まれていることが指摘されている
そうした彼の予言的な参考文献の中で最も重要なものは、疑いなく『ミラビリス・リベル』(1522年に出された編者不明の予言集)である
同書にはジロラモ・サヴォナローラの『天啓大要』の抜粋が含まれており、『予言集』第一序文には、そこからの引用が少なくない
[52]『ミラビリス・リベル』は1520年代に6版を重ねたが、その影響は持続しなかった
一因としては、ラテン語で書かれた第一部の分量が多く、かつ読み辛い古書体で印刷されていたことや、難解な省略が多かったことなどが挙げられる
ノストラダムスは、この書を最初にフランス語で敷衍した一人と言える[53]
『百詩篇集』第1巻1番(マセ・ボノム、1555年)さらに異なる引用元として、クリニトゥスの『栄えある学識について』を挙げることができる
ここには、ミカエル・プセルロスの『悪魔論』や、4世紀の新プラトン主義者ヤンブリコスがカルデアやアッシリアの魔術について纏めた『エジプト秘儀論』からの抜粋を含んでいる
「百詩篇集」の最初の2篇は、それらの翻案である[54]
なお、彼の引用や借用については、当時と現在とで著作権の概念が異なる点に留意する必要がある
当時は謝辞や断り書きなしに、他の著者の作品からの借用を行うことは珍しくなかったのである
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他の参考文献
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ノストラダムスは、第一序文で、自身の神秘学系の蔵書を焼却したと語っている
これが事実だとしても、火にくべられた書物が何であったかは特定されていない
とはいえ、彼の蔵書の追跡調査も、1980年代以降行われており、その結果、彼の蔵書には、スコットランドの神学者ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス、イスラム世界の占星術師アルカビティウス、パドヴァ大学の医学者コンファロニエリらの著書や、トマス・モアの『ユートピア』が含まれていたことが明らかになっている
[55]こうした出典の研究が進んだことで、かつて言われていたように、ノストラダムスが予言の際に何らかの魔術的な儀式を行ったり、トランス状態に陥ったりしたかどうかは疑問視されている
「百詩篇集」の最初の2篇には儀式的なことが書かれているが、既に見たように、これは他の文献からの翻案であり、本人の行動と一致するとは限らない
また、顧客向けの私信に儀式を行ったように書いているものもあるが、神秘化の一環として誇張している可能性もある
他方で、これをもって彼の詩が「予言詩」(「預言詩」)でない、と言い切ることには慎重さが求められる
当時の詩人にとって「詩を作ること」と「預言をすること」とが近しいものと捉えられていた点には、留意が必要だからである[56]
そして、カールステットはまさにこの点において、ノストラダムスがプレイヤード派に影響を及ぼした可能性をも示唆している[57]
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関連年表
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以下では、裏付けの取れるものを中心にとりあげた
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ノストラダムスの存命中の関連年表
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1503年12月14日(木曜日) - 誕生
1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる
1520年 - 学業を中断したと推測されている
1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年)
1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学
1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコス(Henriette d'Encosse)と最初の結婚
1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペストで失う
以降放浪したとされる
1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を執筆
1546年 - エクス=アン=プロヴァンスでペストの治療に当たる
1547年 ? サロン・ド・クローに転居
以降、定住
1547年11月11日 - アンヌ・ポンサルド(Anne Ponsarde)と再婚
1549年頃 - 1550年向けの暦書類を刊行する
以降、1551年向けを除き、1567年向けまで毎年刊行される
この一連の刊行物の中で初めて「ノストラダムス」の名を用いたとされる
1551年頃 - 長女マドレーヌ誕生
1553年11月 - 翌年向けの暦書類について粗雑な版を組んだ業者とトラブルになる[58]
1553年12月18日 - 長男セザール誕生
1554年 - 『3月10日の7時から8時の間にフランス・サロンの町で多くの人に目撃された恐るべき驚異の光景』がニュルンベルクで出版される
1555年 - 『化粧品とジャム論』の初版を刊行する
1555年5月4日 ? 『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版を刊行する
1555年8月 - 国王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスに謁見
1556年頃 - 次男シャルル誕生
1556年 - アントワーヌ・クイヤールが『ル・パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』を刊行する
これは『予言集』のパロディであり、最初の風刺文書である
1557年 - 『ガレノスの釈義』初版を刊行する(翌年には再版される)
1557年9月6日 - 『予言集』の増補版を刊行する
1557年11月3日 - 三男アンドレ誕生
1557年11月3日 - 『予言集』増補版の粗雑なコピーが刊行される
1557年頃 - イタリア語訳版の暦書が刊行される
初のイタリア語訳版
1557年 - 『ノストラダムスに対するエルキュール・ル・フランソワ殿の最初の反論』が刊行される
この頃からノストラダムスを非難する文書が複数刊行される
1558年 - 『予言集』の完全版が出されたという説もある
ノストラダムスへの批判書の一つ(1558年)1558年 - 『エルキュール・ル・フランソワ殿の最初の反論』が再版される(タイトルが「モンストラダムスに対する」になる)
同じ年にジャン・ド・ラ・ダグニエール、ローラン・ヴィデルらも中傷文書を刊行した
1559年 - 英訳版の暦書類が刊行される
初の英訳版
1559年7月10日 - アンリ2世が没する
ノストラダムスはこれを予言していたとされるが、彼の生前に喧伝されていた詩(百詩篇第三巻55番)は、現在結び付けられている詩(百詩篇第一巻35番)とは別の詩である
1559年12月15日 - 次女アンヌ誕生
1560年 - ロンサールが『ギヨーム・デ・ゾーテルへのエレジー』においてノストラダムスの名を詩に織り込む
1561年 - 夏ごろ、ジャン・ド・シュヴィニー(のちのジャン=エメ・ド・シャヴィニー)を秘書として雇う
1561年 ? 三女ディアーヌ誕生
1561年頃 - パリで『予言集』の海賊版が刊行される
この版を刊行した業者バルブ・ルニョーは、前後する時期に、暦書の偽版2種類と海賊版と思しき版1種類も刊行している
1563年頃 - この頃から「ミシェル・ド・ノストラダムス Michel de Nostrdamus, Mi. de Nostradamus」と名乗る偽者が著作を発表し始める
1564年10月17日 - フランス全土を巡幸していた国王シャルル9世と母后カトリーヌ・ド・メディシスがサロンを訪れ、ノストラダムスと会見
ノストラダムスはアルルで、「常任侍医兼顧問 Conseiller et Medecin ordinaire au Roy」の称号を受けたとされる
1566年 - 『王太后への書簡』を刊行する
1566年 - オランダ語訳版の暦書が刊行される
初の、そして唯一のオランダ語訳版
1566年6月17日 - 公証人を呼んで遺言書を口述(6月30日に追補)
1566年7月1日 - 秘書シュヴィニー(シャヴィニー)がノストラダムスの就寝前に最期の言葉を交わしたとされる
1566年7月2日未明 - 長男セザールによってノストラダムスの死が確認される
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没後の関連年表
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1568年 - 現存最古の『予言集』完全版が刊行される
1570年頃 - この頃から偽者アントワーヌ・クレスパン・ノストラダムスが著作を発表し始める
1572年 - ドイツ語訳版の『化粧品とジャム論』が刊行される
この版は1573年と1589年にも再版された
1589年 - シャヴィニーが手稿『ミシェル・ド・ノートルダム師の散文体の予兆集成』を作成
これにより、暦書類の内容がかなりの程度保存された
1590年 - アントワープで『予言集』が出版される
フランス以外で刊行された初めての版(対訳等はなし)
シャヴィニーによる最初の伝記(1594年)
『予言集』偽1568年版(1649年頃)1594年 - シャヴィニーが『フランスのヤヌスの第一の顔』を出版する
これは、ノストラダムス予言の最初の解釈本に当たる
また、冒頭の伝記は最初の伝記といえるが、誤りが少なくない
1605年 - 1605年版『予言集』が刊行される
「予兆集」「六行詩集」が初めて組み込まれた版
1614年 - 長男セザールが『プロヴァンスの歴史と年代記』を出版する
父ノストラダムスにも言及しており伝記的証言として重要だが、明らかな粉飾も含む
1649年頃 - フロンドの乱の影響で、ジュール・マザランを貶めるための偽の詩篇を加えた偽「1568年リヨン版」『予言集』が刊行される
この時期は、ノストラダムスを主題とするマザリナードも多く刊行された
1672年 - テオフィル・ド・ガランシエールによる英訳と解釈が収録された『予言集』が出版される
初の翻訳された版
1789年 - フランス革命が始まる
それから10年ほどの間に10種以上の『予言集』の版と夥しい数の関連パンフレットが刊行された
なお、『予言集』の中には10篇ほどの詩を偽の詩に差し替えた版もあった
1791年 - ノストラダムスの墓が荒らされる
その後、遺体はサロン市のサン=ローラン教会の聖処女礼拝堂に安置し直された
1813年7月 - 新たな墓所に墓銘碑が飾られる
現存する墓銘碑はこの時のものである
1939年 - 第二次世界大戦
ナチスは自陣営に都合のよい解釈を載せたパンフレットを各国語に訳して配布した
また、フランス占領時に、いくつかの解釈書を発禁処分にしたという[59]
このほか、特にアメリカでは、ノストラダムス関連書の刊行点数が増えた
1966年12月 - パリのオークションに『1562年向けの暦書』の異本の手稿が現れる(暦書類で存在が知られている唯一の手稿)
現在の所有者は未詳である
1967年 - フランス国立図書館で手稿『オルス・アポロ』が発見される
1973年11月 - 五島勉の『ノストラダムスの大予言』が刊行される
刊行から3か月余りで公称100万部を突破するベストセラーとなり、日本における最初のノストラダムスブームが起きる
1980年 - フランスでジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌが『歴史家にして予言者ノストラダムス』を刊行する
フランスでベストセラーになり、他国語版も相次いで出版された(ほとんど話題にならなかったものの、日本語版も存在した)
1982年 - ウィーンのオーストリア国立図書館で『予言集』初版が発見される
初版本は1931年6月17日のオークションで現れたのを最後に所在不明となっていた
1983年 - アルビ市立図書館でも『予言集』初版が発見される
1983年 - フランスでノストラダムス協会が創設される
1991年 - 日本では湾岸戦争にあわせ、ノストラダムス関連書が急増し、その年のベストセラーランキングに登場するものも出た
1992年 - サロン市にノストラダムス記念館 (la Musee de "La Maison de Nostradamus") が開設される
これは、彼が晩年を過ごした家を改築したものである
設立当初は私設だったが、1997年からは公立博物館となっている
1996年 - オランダのユトレヒト大学図書館で1557年版の『予言集』が確認される(2006年現在で現存はこの一例のみである)
1999年 - 日本ではノストラダムス関連書が急増し、関連商品なども(単なるジョークも含め)多く発売された
ただし、1999年を境に日本のノストラダムス関連書はほぼゼロと言ってよい水準に落ち込む(2001年を除く)
これは、アメリカ、フランス、ドイツなどと比べて落差が最も顕著である
2001年 - アメリカ同時多発テロ事件
アメリカ、フランス、日本などでこれに便乗した解釈本が何冊も出された
また、インターネット上でノストラダムスの詩と称する偽物が出回った
2003年 - ノストラダムスの生誕500周年
サロン=ド=プロヴァンスでは記念の展覧会が開催された
これに合わせて、サロン市の市長が序文を寄せる形でカタログが出版された
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名前の表記について
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ミシェル・ド・ノートルダムが本格的な著述活動に入るのは1550年頃からであり、ミシェル・ノストラダムスというラテン語風の表記をまじえた筆名を用いるのはこの頃以降のことであったとみなされている
公刊されたものとして現在確認できる最古のものは、1555年向けの暦書の表紙に書かれているものである(公刊されたものに限らなければ、現存最古は手稿『オルス・アポロ』に書かれた署名である)
日本語文献の中には学生時代から用いていたとするものもあるが、史料的に裏付けることができない[60]
学生時代の自署としては、モンペリエ大学入学時の入学宣誓書が現存するが、そこでは、ミカレトゥス・デ・ノストラ・ドミナ (Michaletus de Nostra Domina) という正式なラテン語表記が採られている(ただし、このミカレトゥスは、ミシェルを愛称化した上でラテン語表記したものである)
また、日本では、ミ(ッ)シェル・ド・ノストラダムスという表記もしばしば見られるが、「ノストラダムス」の前に「ド」を付けるこのような表記は、ノストラダムス本人の著作には見られない
本来これは、同時代の偽者の一人であるノストラダムス2世が用いたものであった
ゆえに、不正確な表記ではあるのだが、同時代人にとっても紛らわしいものであったらしく、ノストラダムスの実弟ジャンの著書(1575年)や秘書シャヴィニーの著書(1596年)でも、「ミシェル・ド・ノストラダムス」と書かれてしまっている(この種の誤用の現在確認できる最古のものは、1556年10月14日付で暦書に与えられた特認の文面である)
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信仰について
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ノストラダムスはユダヤ人とされることもあるが、上記の通り、父方の祖父の代に改宗が行われている
父方の祖母ブランシュもキリスト教徒である(三婚に先立って祖父が二人目の妻と離婚したのは、彼女が改宗を拒絶したからだという)[61]
母方については未解明の部分も多いが、曾祖父はキリスト教徒であったことが明らかになっている
母レニエールもキリスト教徒であったと推測されているので[62]、ノストラダムスはユダヤ人の定義には当てはまらない
一部には、彼の一族は表向きキリスト教徒であったにすぎず、ユダヤ教の信仰を捨てていなかったとする者もいるが、史料的裏付けはなく、彼の一族がユダヤ教の秘儀に通暁していたといった類の話も俗説である
ノストラダムス本人は、公刊された文献等ではカトリック信徒の姿勢を示しており、『1562年向けの暦』もピウス4世に捧げていた
他方で、私信の中ではプロテスタントに好意的な姿勢を示していたことが明らかになっており、彼の信仰の姿勢について安易な断定が出来る状況にはない[63]
かつて渡辺一夫は、ノストラダムスのキリスト教信仰が、正統や異端に拘泥しない「超異端」の立場であった可能性を示唆していた[64]
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ノストラダムスの肖像画
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ノストラダムスの肖像画は、冒頭にも掲げた息子セザールによるものをはじめ、絵画や版画、『予言集』の挿し絵などで数多く描かれている[65]
息子セザールによる肖像画
メジャヌ図書館所蔵(エクス=アン=プロヴァンス)
望遠鏡を携えるノストラダムス
望遠鏡の発明は彼の死後だが、後代の肖像画ではしばしば用いられる
ジャン・ブーランジェ(1608年-1680年)による画を模倣した銅版画(パリ、1742年頃)
レ・ザルピーユ・ピエール=ド=ブラン博物館(サン=レミ・ド・プロヴァンス)等に所蔵されている版画
ベッソン版『予言集』(リヨン、1690年頃)の口絵
四行詩の著者は不明
バレスト著『ノストラダムス』(1840年)所収の肖像画
エメ・ド・ルミュ筆
サロン=ド=プロヴァンスのノストラダムスを描いた壁画 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
脚注
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[ヘルプ]^ ノストラダムス本人は、「占星術師」(Astrologue) ではなく「愛星家」(Astrophile) という肩書きを名乗ることが度々あった
^ 以上、出自に関しては主にLeroy [1941], Lhez [1968] に拠っている
^ この点は、墓銘碑と私信(12月12日を誕生日の2日前と語っている私信がある)などが裏付けになっている
出生そのものや洗礼の記録は確認されていない
なお、2006年になって、墓銘碑の再検討などから正しい誕生日を12月21日とする説が登場した ([1])
^ 曾祖父は地元の名士であるがゆえに記録に頻出するが、1504年を境に記録から完全に消えているため、この年に没したと推測されている (cf. Leroy[1960])
^ ラメジャラー[1998] pp.36-37, Wilson [2003] p.21 etc.
^ Leroy[1993] p.57 etc.
^ Nostradamus[1555]p.3
^ Chavigny[1594] p.2, Lhez[1961] p.140
^ cf. Wilson[2003]p.22, Marcel Gouron, Matricule de l'universite de medecine de Montpellier (1503 - 1599), Droz, 1957, p.58. この点、はっきりと大学から除籍されたと位置づける者もいる (Bracops [2000] p. 151)
^ 実際、本人は、トゥールーズ、ボルドー、カルカソンヌのほか、アジャン周辺にいたことがあると後年語り、スカリジェのことも高く評価している (Nostradamus[1555]p.218-219)
^ 竹下[1997]pp.70-71
妻の名前をアドリエット・ド・ルーブジャックと紹介している文献もあるが、これはスカリジェの妻アンディエット・ド・ラ・ロック・ルーブジャック(オーディエット・ラ・ロック・ローベジャック)と混同された誤伝のようである
^ ex. Wilson[2003] p.59 ^ シャヴィニーの伝記では、子どもは男児と女児が1人ずつとされている (Chavigny [1594] p.2)
しかし、これも実証されておらず、はっきりしたことは分かっていない
^ ノストラダムスの最初の結婚について語っている同時代の証言はシャヴィニーの伝記しかないが、彼は死因について何も語っていない
これに関する実証と伝説の開きについては Wilson [2003] pp.58-59 なども参照のこと
^ Leroy [1993] p.61
^ これを伝える最古の記録は17世紀の歴史書だが (Leroy [1993] p.61, Schlosser [1985] pp.85-86)、スカリジェの遺作となった詩集にノストラダムスを悪罵する詩が複数収録されていることも傍証になる (Brind'Amour [1993] pp.85-86)
^ 19世紀にまとめられたアジャンの古文書集に書かれているようである (cf. Lhez[1961] p.135)
^ Lhez,ibid., Brind'Amour [1993] p.118
^ Leroy [1993] p.61, LeVert [1979] pp.4-5
^ Pierre Gayrard, Un dragon provencal, Actes Sud, 2001, p.180 ; 類似の見解として Boulanger [1943]pp.54-55, LeVert [1979] p.5
^ 例外的に、1539年にボルドーの薬剤師レオナール・バンドンの薬局を訪れたと、後にノストラダムス自身が語っている (Nostrdamus [1555] p.110)
これについては、信憑性を疑問視する見解 (Leroy [1993]p.62-63) と、特に問題視しない見解とがある (Brind'Amour [1993] p.118)
^ Leroy [1993] p.66, Wilson [2003] p.62
^ ブーシュ=デュ=ローヌ県立古文書館の展覧会のカタログ (Archives. Tresors et richesses des Archives des Bouches-du-Rhone, Marseilles, 1996) に、この記録の写真が載っているという (Laroche [1999], p.95)
^ Nostradamus [1555] pp.48-54, ラメジャラー [1998] pp.93-98, ランディ [1999] pp.116-122, 伊藤和行 [2000] pp.245-250, 山本 [2000] pp.83-84
^ Leroy [1993] p.70, Wilson [2003] pp.69-70
^ Leroy [1993] pp.78-79
^ Nostredame [1614] p.776, Parker [1923] p.101, Leoni [1982] p.26, Bracop [2000] p.152
^ これを最初に述べたのはシャヴィニーである (Chavigny[1594] p.3)
ただし、シャヴィニーは召喚を1556年7月のこととしており、この時期の状況を正確に把握できていたかは定かではない
^ Brind'Amour[1993] p.24
^ cf. Brind’Amour [1993] p.41
^ 高田[2000]pp.292-296、山本[2000]pp.240-244
^ Leoni [1982] pp.30-31, Brind'Amour [1993] pp.39-40 etc.ただし、それらは18世紀から19世紀に再編集されたものであるため、信憑性を疑問視する者もいる
^ Leoni [1982] pp.34-35, Brind'Amour [1993] pp.51-53
^ ex. ランディ[1999]p.79, p.145
^ 以上の大巡幸の様子についてはLeroy [1993] pp.97-100, Brind'Amour [1993] pp.48-50 などによる
^ Pierre de L'Estoile, Memoires journaux 1574-1611, t.5, 1878, pp.245-247; Parker [1923] p.104 etc. レトワルの日記は生前公刊されることがなく、版によって異同があるが、ここで問題になっている記述は1719年版で付け加えられたものである
^ この時期は確定できていないが、息子セザールの証言通りアルルでのことだったのなら、1564年11月16日から12月17日の間だったことになる(cf. E. Graham & W. Mc Allister Johnson, The royal tour of France by Charles IX and Catherine de Medici, University of Toronto Press, 1979, p.97)
^ Chavigny[1594] p.4
^ Chavigny[1594] p.154, Nostredame[1614] pp.803-804
^ Claude-Francoise Brunon, "Lecture d'une lecture : Nostradamus et Horapollon", La litterature de la Renaissance, Geneve ; Slatkine, 1984
^ Allemand [2000]
^ Leroy [1993]pp.146-147
^ Dupebe [1983]pp.132,135
^ 英仏語以外でも、数は少ないが、優れた研究として評価されているものはある
例としてElmar Gruber[2003], Nostradamus: sein Leben, sein Werk und die wahre Bedeutung seiner Prophezeiungen, Scherzなど
^ Edgar Leroy[1941], Edgar Leroy[1993] ; Eugene Lhez[1968]
^ E. Lhez[1961]. レーの紹介は、重要な書簡の全訳と他の書簡の要約から成っていたが、後にジャン・デュペーブが全ての書簡の紹介と分析を行っている
cf. Jean Dupebe[1983]
^ Michel Chomarat[1989] ; Robert Benazra[1990]
^ Edgar Leoni[1961/1982]
^ Pierre Brind'Amour[1993] [1996] ; Anna Carlstedt[2005]
^ ノストラダムスの予言の中に、『予言集』刊行当時から見て、過去に属する事柄が含まれている、とする指摘自体は、18世紀には出されていた(1724年の『メルキュール・ド・フランス』紙に2度に渡り掲載された匿名の書簡で、こうした視角からの分析が行われている)
^ 日本では、ノストラダムスがラテン語の詩で占星術師を批判していることなどを以て、彼は占星術全般に否定的だったと主張する者がいる
しかし、第一序文では、判定占星術とその他の占星術を区別した上で前者を評価しているため、日本以外では、立場に関わらずそうした主張は殆ど見られない
^ ちなみに、第一序文には、聖書からの引用句が24あるが、2つを除いてサヴォナローラの引用と重複している
^ 『予言集』と『ミラビリス・リベル』との対照については、Lemesurier[2003]が参考になる
^ かつてはマルシリオ・フィチーノ訳の『エジプト秘儀論』などから直接借用したとされていたが、現在では否定されている(Brind'Amour [1996] pp.48-49, n.5 etc.)
^ いずれもミシェル・ショマラによる
彼はノストラダムス自身の署名がある現存する文献や、息子セザールの私信を基に、ノストラダムスの蔵書12点を特定している(うち推測が4点)
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本文で例示したものは、いずれも署名つきで現存する文献
cf. Michel Chomarat, "La Bibliotheque de Michel Nostradamus" in Laroche[2003]
^ 高田・伊藤 [1999] pp.342-352, ドレヴィヨン・ラグランジュ [2004] pp.39-43, Petey-Girard [2003] pp.7-8
^ Carlstedt [2005] ch.7
^ Leroy [1993]p.148
^ Laroche [2003] p.99 & p.105, ドレヴィヨン・ラグランジュ [2004] p.88
^ 一応、『1525年にエクス=アン=プロヴァンスで出版されたミシェル・ノストラダムスの四行詩』と題する17世紀末頃の瓦版は現存するが、このオリジナルが1525年に刊行されたと見なせる史料的裏付けはない
^ Leroy [1941] pp.13-18, Lhez [1968] p.404
^ Leroy [1941] p.32
^ cf. ランディ[1999]pp.109-111, 高田・伊藤[1999]pp.22-24
^ 渡辺[1992]p.140
^ 以下の肖像画の紹介に当たっては、Chomarat [1976], Benazra [1990] などを参照した
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関連項目
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ノストラダムス関連人物の一覧
ノストラダムス_(偽者)
ジャン=エメ・ド・シャヴィニー
ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ - エーツの伝記は、伝説的なノストラダムス像の形成に影響があった
ノストラダムス現象
恐怖の大王
アンゴルモア
ノストラダムスの「予言者」とされる側面との関連から

予言
世紀末
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参考文献
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より詳しく知るための文献、および本記事作成にあたり参照された文献
ノストラダムスを主題としていない文献は、注記の中で書名も表示してある
以下のうち、Nostradamus[1555], Chavigny[1594], Nostredame[1614] はガリカデジタル図書館(フランス国立図書館)で見ることができる
ピエール・ブランダムール校訂、高田勇 伊藤進 編訳 [1999]『ノストラダムス予言集』 ISBN 4000018086
樺山紘一 村上陽一郎 高田勇 共編 [2000] 『ノストラダムスとルネサンス』 ISBN 4000018094
伊藤和行 [2000]「ノストラダムスと医学のルネサンス」
高田勇 [2000]「ノストラダムス物語の生成」
竹下節子 [1997]『ノストラダムスの生涯』 ISBN 4022572213
山本弘 [2000]『トンデモ大予言の後始末』 ISBN 4896914694
渡辺一夫 [1992]『フランス・ルネサンスの人々』岩波書店 エルヴェ・ドレヴィヨン、 ピエール・ラグランジュ [2004]『ノストラダムス―予言の真実』 ISBN 4422211781
伊藤進 [2004] 「人文主義者ノストラダムス」(上掲書 pp.102 - 107、日本語版監修者による解説)
ジェイムズ・ランディ [1999]『ノストラダムスの大誤解―イカサマまみれの伝説43の真相』 ISBN 4872334590
ピーター・ラメジャラー [1998]『ノストラダムス百科全書』東洋書林
Robert Benazra [1990], Repertoire chronologique nostradamique(1545-1989), Guy Tredaniel
Jacques Boulanger [1943], Nostrdamus et ses Propheties, Editions Colbert.
Martine Bracops (ed.) [2000], Nostradamus Traducteur traduit. (Actes du colloque international de traductologie, Bruxelles, 14 decembre 1999), Hazard
Jacqueline Allemand, "D'Horapollon a Galien : Nostradamus medecin, philosophe et traducteur", in Bracops (ed.) [2000] pp.35 - 64
Martine Bracops, Nostradamus, un humaniste eclaire, in Bracops (ed.) [2000] pp.147 - 157
Pierre Brind'Amour [1993], Nostradamus Astrophile, Klincksieck
Pierre Brind'Amour [1996], Nostradamus : Les Premiere Centuries, ou, Propheties (edition Mace Bonhomme de 1555), Droz
Anna Carlstedt [2005], La poesie oraculaire de Nostradamus: Langue, style et genre des Centuries, Stockholms universitet
Jean-Aime de Chavigny [1594], La Premiere Face de Janus Francois, Les heritiers de Pierre Roussin
Bernard Chevignard [1999], Presages de Nostradamus, Seuil
Michel Chomarat [1976], Supplement a la Bibliographie lyonnaise des Nostradamus, Centre culturel de Buenc
Michel Chomarat [1989], Bibliographie Nostradamus XVIe-XVIIe-XVIIIe siecles, Valentin Koerner
Jean Dupebe [1983], Nostradamus: Lettres inedites, Droz
Jean-Paul Laroche [1999], Fonds Michel Chomarat : Catalogue Nostradamus et Propheties, Tome 4
Jean-Paul Laroche [2003], Propheties pour temps de crise, Edition Michel Chomarat
Peter Lemesurier [2003], Nostradamus: The Illustrated Prophecies, O Books
Edgar Leoni [1982], Nostradamus and His Prophecies, Bell Publishing
Edgar Leroy [1941], "Les origines de Nostradamus", Memoires de l'Institut historique de Provence, tome XVIII- No.1, 1941
Edgar Leroy [1960], "Jean de Saint-Remy, bisaieul de Nostradamus", Provence Historique, T.10
Edgar Leroy [1993], Nostradamus: ses origines, sa vie, son oeuvre, Jeanne Laffitte (reimpr. de 1972)
Liberte LeVert (i.e. Everette Bleiler) [1979], The Prophecies and Enigmas of Nostradamus, Firebell Books
Eugene Lhez [1961], "Apercu d'un fragment de la correspondance de Michel de Nostredame", Provence Historique, T.11
Eugene Lhez [1968], "L'ascendance paternelle de Michel de Nostredame", Provence Historique, T.18
Michel Nostradamus [1555], Excellent & Moult Utile Opuscule a tous necessaire..., Antoine Volant.
Cesar de Nostredame [1614], L’Histoire et Chronique de Provence, Simon Rigaud Eugen Parker [1923], "La legende de Nostradamus et sa vie reelle", Revue du Seizieme Siecle, tome X, pp.93-106, 148-158
Bruno Petey-Girard [2003], Nostradamus: Les Propheties, Flammarion
Louis Schlosser [1985], La vie de Nostradamus, Pierre Belfond
Ian Wilson [2002/2003], Nostradamus The Evidence, Orion
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外部リンク
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ウィキメディア・コモンズには、ノストラダムス に関連するマルチメディアがあります
Le C.U.R.A. (Centre Universitaire de Recherche en Astrologie)
Corpus Nostradamus
Prophecies on Line
Espace Nostradamus
ノストラダムス研究室
ノストラダムスサロン
Nostradamus Wiki. Translations in 7 languages and original texts

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墓に込められた予言_4

<墓に込められた予言_4::::>
{新41_諸世紀_墓に込められた予言_4}
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<墓に込められた予言_4>
コメント:
先に、
「ノストラダムスおたくの様なHPを見てみたが、これらの「死の床で残した数十編の予言詩」についての記述が見られない
もう少し追跡してみたいと思っている
皆さんが情報をお持ちであったなら、教えて欲しい」
と依頼したところ、ルフランさんより早速案内がありました
さっそく、訪問してみました
ここの記述が正しいとするのなら、問題の予言は ファチマの第三予言と同じように、我々が見ることはできそうも無いことである
1.ファチマの第三予言は バチカンが隠蔽

白い箱の女王の予言は フランス政府が隠蔽
と云うことです
隠蔽していると云っても完全に隠蔽することは難しく、何らかのリ−クが実施されているとおもう
ある時は 政府やバチカン自身が自らに都合の良いところだけけを粉飾してリ−クする場合、あるときは 関係者がたんなる義憤から匿名でリ−クする場合などなど・・・・がある
似たような物がシオンの賢人議定書・シオンプロトコ−ルもそうで、リ−クされたものが世間に知られて現在にいたっている
予言にせよ議定書の計画にせよ、内容を確認・検証すればその真贋は分かる
その為には リ−クされたものがガセネタであれ本物であれ、系統だって構造的に分析してシナリオ化して、歴史的な検証すれば良い
出来ることなら、原本を手に入れ、解読したいものであるが、それなりに対応は出来る物である
さしあたっては 現段階の分析として、_1、_2、_3、を良しとして、継続的に追加情報を得たいと思うし、歴史的経過を検証していきたいと思うしだいである
===1============
お読みになっているとは思いましたが念のために送ります
   ルフラン
http://www.geocities.jp/pandora1335/nstrdm1.htm

===2=============
白い箱の女王で検索しますと以下の文章がありました
   ルフラン
http://bbs.minato.tokyo.jp/cgi-bin/read.cgi?000000198

▼近年になりフランスの秘密情報機関(ルシフェロン?)により,通称”白い箱の女王”と呼ばれる”諸世紀”には全く収録されなかった未発表の幻(まぼろし)の極秘予言(”諸世紀”の第12巻 中の未収録 予言詩集)も発見されたと言われています
それはプロバンスにあるサロンの町のノストラダムスが晩年を過ごした家の地下室の壁の向こうに別の隠(かく)し地下室があり,さらにその壁の中に小さな空間が隠(かく)され,その壁の中の小さな空間の中から白い箱に収(おさ)められていた幻(まぼろし)の極秘予言が発見されたと言われており
それはノストラダムス自筆によるもので”諸世紀”には未収録の第12巻 中の63番 以降の予言詩集で あったようです

△しかし,これはフランス政府が意図的に漏(も)らした偽(にせ)・情報のようです

フランス政府が本物の”白い箱の女王”を手に入れたのは事実のようだが「サロンの町のノストラダムスが晩年を過ごした家から”白い箱の女王”が発見された」と言うのは偽装(ぎそう)のようです
この事が下記のノストラダムスの”諸世紀”「第8巻 23番」に予言されています

■《 ”諸世紀”第8巻 23番》

◎手紙が女王の箱から発見される/筆者(ひっしゃ)の名前も署名(しょめい)も無い/政治によって提出(ていしゅつ)者は覆(おお)い隠(かく)され/だれも その愛する人を知らない.

◇筆者(ひっしゃ)の名前も署名(しょめい)も無い 手紙が女王の箱から発見される
政治によって(その”女王の箱”の手紙の)提出(ていしゅつ)者は覆(おお)い隠(かく)され,だれもその<愛する人>(”女王の箱”の手紙の提出(ていしゅつ)者)を知らない.

☆つまり,「”白い箱の女王”=諸世紀・未収録の第12巻予言詩集」が発見され,それは提出(ていしゅつ)されるが,その提出(ていしゅつ)者は政治的な圧力のせいで公表されないのだと思われます
そして,フランス政府からは「サロンの町のノストラダムスが晩年を過ごした家から”白い箱の女王”が発見された」と言う偽(にせ)・情報が意図的に漏(も)らされたのだと思われます
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百詩篇第10巻67番の四行詩:五月に非常に強い地震

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<百詩篇第10巻67番の四行詩:五月に非常に強い地震::>
http://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/140.html−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
原文

Le tremblement si fort au mois de May 1 ,
Saturne, Caper 2 , Iupiter, Mercure 3 au beuf 4 :
Venus 5 aussi Cancer 6 , Mars, en Nonnay,
Tombera gresse 7 lors plus grosse 8 qu'vn euf 9 .

−−−
異文
(1) May : may 1597 1610 1650Ri
(2) Caper : caper 1568A 1590Ro
(3) Mercure : Morcure 1568A, Marcure 1605
(4) beuf 1568 1590Ro 1772Ri : b?uf T.A.Eds. ( sauf B?uf 1672)
(5) Venus : Tenus 1627
(6) Cancer : cancer 1568A
(7) gresse 1568A 1568B : grosse 1590Ro, gresle T.A.Eds.
(8) grosse : gresse 1672
(9) euf 1568B 1568C 1568I 1627 1772Ri : oeuf T.A.Eds.
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日本語訳

五月に非常に強い地震
土星は磨羯宮に
木星、水星は金牛宮に、金星も同じく
巨蟹宮は火星に
アノネーでは その時に卵より大きな雹が降るだろう

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訳について

山根訳は前半は問題ない
3行目「金星も蟹座に 火星は乙女座に」 (*1) は、Nonnayの訳し方によってはありえない訳ではない
ただし、前半律(最初の4音節)は Venus aussi なので、そこで一度区切れると見る方が妥当だろう
同4行目に出てくる「雪」は「雹」の誤植だろう
大乗訳1行目「地震は五月に起こり」 (*2) は、 si fort(非常に強い)が全く訳されていない
ヘンリー・C・ロバーツの英訳には so great が含まれている
同2行目「土星 流星塵 木星 水星は牡牛座に」は、Caperがなぜ「流星塵」になるのか不明
ロバーツの英訳ではそのまま Caper になっている
同3行目「金星もおなじく かに座 火星はゼロに」も不適切
Nonnay をゼロと訳すのはロバーツの英訳を引き継いだものだが、これまた根拠が全く分からない

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信奉者側の見解

テオフィル・ド・ガランシエールはこの星位の時に恐るべき地震と雹が襲うとだけ解釈していた (*3)
その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである
少なくとも、ジャック・ド・ジャン、バルタザール・ギノー、D.D.、テオドール・ブーイ、フランシス・ジロー、ウジェーヌ・バレスト、アナトール・ル・ペルチエ、チャールズ・ウォード、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)、ロルフ・ボズウェルの著書には載っていない

エミール・リュイール(未作成)(1939年)は、1941年5月に西欧で起こる大地震と解釈していた (*4)

アンドレ・ラモンは1988年に大戦が起こる予言と解釈していた (*5)

五島勉はかつて惑星直列に関連付けて1982年5月に起こる大地震ではないかと解釈したことがあった (*6)

流智明は2000年5月に起こる地震と解釈していた (*7)

川尻徹は1941年5月に起こったナチス副総統ルドルフ・ヘスのイギリスへの単独飛行についての予言と解釈した (*8)

霧満?江は2008年5月12日の?川大地震(四川大地震)と解釈した (*9)

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同時代的な視点

ピエール・ブランダムールによれば、2行目から3行目は、土星が磨羯宮に入り、木星、水星、金星が金牛宮に入り、火星が巨蟹宮に入る星位を表しているのだという
そして彼は、この星位に当てはまる1549年5月4日にモンテリマール(未作成)一帯を襲った大地震が、この詩のモデルになっていると推測した
ジャン・ペラの手になる当時の年代記には、同じ年の6月15日には、同じ地方でヘイゼルナッツやクルミより大きい雹が降ったと記録されていることも傍証とされる (*10)
ノネー(Nonnay)は近隣の都市アノネー(未作成)の語頭音消失

ピーター・ラメジャラーはこれに加えて、コンラドゥス・リュコステネス(未作成)の『驚異論』(1557年)に書かれている1538年のバーゼル地震の記録も併記している
そこには、チューリヒなどで卵よりも大きい雹が降ったと書かれているからである (*11)

ブランダムールはこの詩に関連性のある詩として、
百詩篇第3巻40番(未作成)、
百詩篇第6巻37番、
百詩篇第6巻51番、
百詩篇第6巻88番、
百詩篇第9巻83番などを挙げている

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磨羯宮(まかつきゅう)は、黄道十二宮の10番目である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%A8%E7%BE%AF%E5%AE%AE

トロピカル方式では、獣帯の黄経270度から300度までの領域を占める
つまり冬至から大寒の間、太陽はここに留まる
磨羯宮は四大元素の土に関係していて、金牛宮・処女宮と一緒に地のサインに分類される
磨羯宮と対極のサインは巨蟹宮である
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磨羯宮の概要

アストロロジカルシンボル -
ゾディアックシンボル - 山羊(下半身は魚)
標準的な期間 - 12月22日-1月20日
2区分 - 女性
3区分 - 活動
4区分 - 地
居住の座 - 土星
高揚の座 - 火星
障害の座 - 月
転落の座 - 木星
海王星も占星術師によっては磨羯宮の転落の座とすることもあるが、これについては様々な議論がある

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