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予言の検証ヒトラーの予言の分析

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ヒトラーの予言 分析NO7

 現在、阿修羅のホロコーストの掲示板にナチスの行ったユダヤ人の絶滅に関する書き込みが多数あります。それを読みますと、ヒトラーは「ユダヤ人の移住」は指示したが「ユダヤ人の全滅・虐殺」を指示した証拠はどこにもないと書き込まれています。その他にも、可能な限りの引用文献をつけて書き込まれていますが、アウシュビツでのホロコーストを主張している方たちの書き込みは証拠のない思いこみだけの記述ばかりのように見受けます。以前にも、これらのことに気が付き発表しようとした人々がいたようですが、社会的な生命の危険を感じて思うように公開できなかったようです。何れにしても、戦後、ユダヤ人たちがイスラエルを建国する為に、あることないこで酷い情報操作をしてきたことには変わりないようです。それはさておいて、第二次大戦中のヒトラーの様子の記述がありますので検討してみましょう。

1. 戦争中のヒトラーは超多忙で予言どころではなかったようです。

ハンス・フランクと対話した1年後の1939年8月31日、雨の降り続く冷夏の深夜、ヒトラーは突然飛び起きて「今だ!私は命じられた!進め!ポーランドヘ!」と甲高い声で叫び、全軍にポーランドへの侵攻を指令した。 これで第二次世界大戦の幕が切って落とされた。あとは北欧やオランダヘの急侵攻、宿敵フランスとの短期決戦、英国へのV1号V2号攻撃、米ソ両大国の参戦、さらに日本の真珠湾攻撃と、わずか1年ほどのあいだに、世界は血と硝煙の中で、ただ目まぐるしく動いた。しかもそれは、マジノ線突破から真珠湾奇襲、ノルマンディ上陸まで、ヒトラーが山荘で予言したのとほとんど違わない展開をみせ、あらためて側近たちを震え上がらせた。

 戦争中に新しい予言はしていなかったようですが、それ以前にしておいた戦争の予言が100%に近い的中率をほこったようで、これがドイツ軍の将軍・将官・士官達を引っ張っていった原動力であったようです。

2. ナチスの教皇となると権力が集中するのです

だが当人は、それを自慢している暇もなかった。強力な独裁者であることが裏目に出て、いっさいの指揮の責任が一身に集まり、彼は毎日、声を枯らして部下たちに作戦を命令し続けねばならなかった。ヒトラーはしばらく予言を口にしなくなる。そんな悠長な状態ではなくなったからだという。これでは遠い未来を瞑想するなど思いもよらない。しかもヒトラーは開戦と同時にオーベルザルツベルグの山荘を離れ、総指揮のため、ベルリンの総統本営に移ってきていたから、インスピレーションの源泉ももう絶たれていた。

 超多忙は予言の大敵であるということのようです。私が片田舎で、云いようによっては暇人になっているのも、その為か?なんて考えなくもないですが・・・・必要な時に、直ちに受信して活動できるように・・・生かさず殺さずなんちゃって・・・・こりゃ〜普通の神経では堪りませんね!

3. ベルリンの総統官邸の設備

この建物の地下壕は、大規模な設備を有していた防空施設で、ベルリンで一番安全な場所であると言っても過言ではなかった。長期戦に備えて食料貯蔵庫や電話交換室、配電室、毒ガス攻撃に対応するための空調室も兼ね備えていた。 そこには、彼の心深く何かをふき込んだ、雪に輝くドイツアルプスの姿はなかった。洞窟の奥の未来都市もなかった。形ばかり大げさに飾りつけた広い会議室と、ごっつい将軍たちの顔があるだけだった。

 なんとなく、アメリカ軍の地下指令所を彷彿とさせます。

4. 敗戦が近くなると

まもなく奇妙な変化が起こった。きっかけは皮肉にも、ナチスの旗色がいっそう悪くなり、米軍機の爆撃が激化したことからだった。ベルリンの街は、家々の外側のコンクリートだけ残して、墓場の廃嘘のようになった。かろうじて生き残った市民は、防空壕や地下鉄の構内でただおびえていた。ヒトラーの総統本営も、地上の部分はガレキの山になり、地下深くもぐらねばならなくなった。これが不思議なことに、ヒトラーの予知力にふたたび火をつけたのだった。

「私は負けたモグラじゃないぞ」、そう怒りながら、いやいや地下の私室に入った彼は、翌日、目をギラギラさせて側近たちの前へ出てきた。 「ここは山荘の洞窟に似とる。おかげでひらめきが戻った。」彼は地の底からひびくような声で言った。 「しばらく会えなかった“あいつ”ともまた会えた。“あいつ”が未来を見させてくれた。前よりもいっそう鮮明にだ。聞け諸君、これは私の未来というより諸君の未来だ!

 終戦の間近では兵隊に指令することも少なくなっているので、予言モードになったようです。「私の未来というより諸君の未来だ」と云うことはこの時点でヒトラーは「あいつ」に自分の残りの未来を見せられていたということになります。

5.

そして彼は、毎日の作戦会議の前後、時には途中でも立ち上がって私室に側近たちを呼びつけ、新しい霊感に照らされた未来を、しわがれた声でしゃべった。それは先の山荘予言とは、はっきり異質のもので、側近たちを名指しで呼んでは予言する薄気味悪いものだった。だからこれを、「地下官邸でのヒトラーの指名予言」と呼ぶ研究者もいる。といっても、ナチスの敗色が濃くなってきた混乱期に語られたため、資料は山荘予言より更に少ない。側近たちが聞いて、あとで友人や戦犯裁判の検事に話したり、手記に書いたり・・・それを欧米の研究者が1,2行ずつまとめたものしか残っていない。それでも、それらをつないで並べると、こんな怨念のこもったような「指名予言」の数々があぶり出されてくる。

 「地下官邸でのヒトラーの指名予言」についてはその本人が生き残り実施する内容の予言でしょうから、それぞれの未来の活動を見れば何を云われたか分かりますが、そのような観点から取り扱っていないので、判らないのが残念です。

6.

ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍は1939年9月1日午前5時、ポーランドに侵入して第二次世界大戦を起こしたが、実は、その前夜に、ヒトラーは側近にこう語っていたという。「明日は輝ける魔の日だ。自分だけに許された“定めの日”だ。将来、この日、この時刻にまた大戦を起こそうとする者が東アジアに現れるだろうが、自分以外の誰もこの日を所有できない。」

 ここで説明している「東アジア」とはイスラエルのことを指して説明しているようです。従って、イスラエルの表・裏のいずれかの指導者・支配者がアメリカなどをつかって、最終戦争に至る「第二次大戦の発端ポーランド攻撃」と同じような「最終戦争に至る発端」(イラク・シリア・イランなど)への攻撃を開始することを指摘している可能性があります。

 ただ、この予言の特異なことは「自分以外の誰もこの日を所有できない。」とあることから、最終戦争へ至る引き金を引こうとするが「あいつ」に関連する何者のかが妨害して、第二次大戦への引き金を引くようなことはさせないと指摘していることです。

7. ヒトラーの戦争指揮

 ヒトラの戦争指揮特にロシア攻撃の指揮は不可解なところが多いと云われています。それは「ヒトラーの指揮はロシア攻撃に関しては間違いなく、負けるように指揮したのではないかと思われる」と云う内容があるとのことです。普通であると、明らかに勝つ戦になると思われると時に、負け戦となるような指揮・命令を出しているそうです。もし、そうであるとするのなら、何故に?それが問題となります。ことヒトラーに関してはその予言の能力で、必要な武器・資源の確保などなど全てが容易に手に入っているからです。それも「あいつ」の入れ知恵でしょうが・・・この特異な現象こそが、ヒトラーをヒトラーたらしめた要因と考えられますので、別に一項を設けて検討したいとおもいます。




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