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太陽(ミロク)原理・ひふみ解読編

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一二三神示

シオンの賢人議定書の検討終末と太陽の検証

シオン賢人議定書NO 04

 如何なる共和国もいくつかの段階を経るのである。その最初は、かなたこなた、右に左に攪乱された盲目の群集の狂瀾が猛威を振るってやまぬことから始まるのである。 次は、デモゴギー、つまり民衆煽動なのである。ここから無政府状態が生じ、無政府状態は、必然的に専制に向う・・合法的とも明白とも言えぬ専制、専制の総本山、目には見えず密かに姿を隠し、にもかかわらず目立ってそれと解る、あれこれの秘密組織の手による専制、その活動は幕の蔭であらゆる代理人の背後で働くだけに、手きびしいことでも平気でやるのである。それら代理人たちは交代するので、不当に襲われぬばかりか、秘密の勢力を効果的に助けておるのである。しばしば交代するおかげで、長期活動の報酬が節減できるのである。

 見えぬ勢力というものを転覆する位置にあるのは、一体誰か?

  ここにこそ我々の特徴が有るのである。非ユダヤ人を入れてあるフリーメーソン員は、我々(ユダヤ人たち)と我々(ユダヤ人たち)の目標の前に立てられた屏風として隠密裡に活動するが、わが勢力の活動計画は、その所在すら人民には全く謎に包まれたままにされるのである。しかし、自由が神に対する信仰や人類愛に支えられ、平等思想と結びつかぬならば無害なものであり、人民の安寧幸福になんら害を与えず、国家経済の中に居場所があってもよろしい。

 しかし、平等思想は自然法則に悖るものであって、平等思想が一段下の思想であることは動かぬところなのである。このような信仰をもって、人民が教区の保護のもとにあり、地球に対する神の支配に従う牧師の手に導かれ満足して敬虔に歩んでくれるならいいのである。そうでないからこそ、我々は、信仰という信仰をむしばみ、畜生(非ユダヤ人)共の心から神の摂理と霊魂なるものを引き離し、代わりに損得勘定と物欲を入れることが絶対不可欠なのである。

 畜生(非ユダヤ人)共に考えたり留意観察したりする暇を与えぬ為には、やつら(非ユダヤ人たち=畜生たち)の気持を工業や商業に向き放しにさせねばならない。そうしてこそ、非ユダヤ人=畜生たち国民という国民が利益追求に没頭し、そのあげくにやつらの共同の敵に気をとめなくなるであるろう。重ねて述べるが、自由が畜生(非ユダヤ人)共の社会をきっぱりと崩壊滅亡せんが為には、投機を産業の基礎にせねばならない。その結果、産業が国土から引き出したものは、いくつかの手を通り抜けて投機に手渡される、すなはち、我々(ユダヤ人たち)が階級に転り込むであろう。

 他人よりも優位に立とうとする激烈な闘争と、経済生活に加えられた打撃とは、薄情冷酷きわまりないな社会を生み出すだろう。いや、すでに生み出している。かように社会は、政治・宗教など高度のものに対する反発を強めるであるろう。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の生きがいは、唯一、利益、すなはち金を集めることなのである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、金があれば手に入る物質的喜びを求めて、まぎれもなく拝金教徒と化すであるろう。次いで時至れば、高尚な目的のためでもなく、また、富を得んがためですらなく、ただただ特権畜生(非ユダヤ人)共憎しの為に、畜生(非ユダヤ人)共の下層階級は、権力をめぐる我々(ユダヤ人たち)の競争相手、畜生(非ユダヤ人)共の知識人たちに逆らって我々の指導に従うであろう。




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