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太陽(ミロク)原理・ひふみ解読編

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一二三神示

シオンの賢人議定書の検討終末と太陽の検証

シオン賢人議定書NO 13

 日々のパンが必要な為に、畜生(非ユダヤ人)共は、余儀なく沈黙を続け、我々(ユダヤ人たち)の従順な召使になっておるのである。我々(ユダヤ人たち)の新聞が畜生(非ユダヤ人)共の中から選んだ(非ユダヤ人=畜生たち)代理人に、公文書であからさまに触れるのは、都合の悪い問題を議論させるためである。その間、我々(ユダヤ人たち)は、論議の渦の真中で静かに聞いていて、我々(ユダヤ人たち)に必要な部分を取り込み、それから(非ユダヤ人=畜生たち)公衆に既定事実として提示するのである。いっそう改善したものを説明するのだから、何人も一度定めたことを撤回せよとは言わない。・・・そして、間髪を入れず新聞は、世論を新しい問題の方に向けさせるのである。我々(ユダヤ人たち)は(非ユダヤ人=畜生たち)人民を何か新しいものを求めるようにずっと馴らして来たではないか頭が足りない?運命の小売屋?たちは、自分の議論する問題が髪の毛一筋も解っていぬということさえも理解できずに、新問題に飛びついてしまうのである。政治の諸問題は、これを考案した大先達、過去何年にもわたって先導してきた人々でなければ誰も参入できない。

 以上のことからお解りのように、(非ユダヤ人=畜生たち)群集の意見を先導するには、我々(ユダヤ人たち)の仕組の働きを良くするだけで事足りるのであり、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に賛同を求めるのは、あれこれの問題についての我々(ユダヤ人たち)の行動ではなく言説であることに気付かれるであろう。我々(ユダヤ人たち)は、常に希望に導かれ確信に基いて、すべての事業にあたり、公共の福利に奉仕しておるのであると公言している。

 厄介になるかも知れぬ(非ユダヤ人=畜生たち)連中に政事の諸問題に首を突っ込ませぬようにするために、我々(ユダヤ人たち)は、政治に代わるものを熱心に勧めておるのである。すなはち商工業の問題なのである。この分野でなら、どれほど騒いでもよろしい!政治に代わって何か没頭できるものがあれば、群集は、政治活動の類いから手を放して熱中することに異存はないのである政治活動は、畜生(非ユダヤ人)共の政府と一戦交えさせる為に、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)に施した訓練であったのである。商工業問題においては、我々(ユダヤ人たち)は、商工業問題が、政治そっくりの事をやっておるかのように思うように処方してあるのである。やつら(非ユダヤ人=畜生たち)が、かかずらわっておることを理解させぬように、我々(ユダヤ人たち)は、娯楽、競技、ゲーム、色事、遊び場をあてがって、更に政治から遠ざける。・・・そのうち、我々(ユダヤ人たち)は、新聞を使って芸術、スポーツなどありとあらゆる種類の競争を始めるのである。こういうことに関心が向けられれば、我々(ユダヤ人たち)がやつら(非ユダヤ人=畜生たち)と争わねばならぬ問題から、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)を完全に遠ざけるであろう。ますますやつら(非ユダヤ人=畜生たち)自身の意見を反映したり形にしたりすることが難しくなるに従って、(非ユダヤ人=畜生たち)人民は、我々(ユダヤ人たち)と同じ口調で語るようになるのである。なぜならば、我々(ユダヤ人たち)だけがやつら(非ユダヤ人=畜生たち)の考え方に新しい方向付けを示しておるからである。・・・もちろん、我々(ユダヤ人たち)とは、表面的には無関係の(非ユダヤ人=畜生たち)人々を通じてであるがである。

 我々(ユダヤ人たち)の政府が承認されると、自由主義者、空想論者の役割は、最終的に終るのである。その時まで、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)は、たっぷりと我々(ユダヤ人たち)に奉仕し続けてくれるのである。その為に、我々(ユダヤ人たち)は、やつら(非ユダヤ人=畜生たち)の頭をあらゆる種類の空疎な内容の空想的理論、つまり、今では進歩と呼ばれる理論の方に引っ張り続けておるのである。が、我々(ユダヤ人たち)は、畜生(非ユダヤ人)共の空っぽ頭を進歩転換させることに成功したことはなかったのである。畜生(非ユダヤ人)共の中には、物質的発明の問題ではない所で進歩を追い求めたところで真理からは遠ざかるばかりだということが判る人間はいない。なぜなら、真理は、一つであり、そこには進歩が入り込む余地はないのである。進歩、それは誤った推論に基く思想のようなものであり、神の選民であり、真理の保管人である我々(ユダヤ人たち)の外には何人も知らぬ真理を覆い隠すのに役立つのである。

 我々(ユダヤ人たち)の王国が実現した暁には、我々(ユダヤ人たち)の弁士たちは (非ユダヤ人=畜生たち)人類をすったもんださせてきたこの大問題を解義して、我々(ユダヤ人たち)の慈悲深い支配の下で決着を付けさせるであろう。

 その時になってさえも、これらの(非ユダヤ人=畜生たち)人々は、一人残らず、幾世紀にもわたり何人も推測もしなかった政治計画に従って、我々(ユダヤ人たち)に踊らされていたのだということを、いったい誰が疑うであろうか。




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