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シオンの賢人議定書の検討終末と太陽の検証

「シオンの賢人議定書」一考察 (その9)  

太陽のコメント 

「シオンの賢人議定書」一考察 (その9)を送ります。

「シオンの賢人議定書」一考察 (その9)

1.
4689において、Julaさんが「石」を含む帖を集めていただいた。
そこで、この「石」に関連する内容について、少し検討してみょう。

「石」については
・「石屋」などの熟語となっているもの
・「石ものいうぞ」などと、石の役割について説明しているもの
・「草、木、石」などと対象について説明しているものなどがある。

「草、木、石」と続いてあるものは 自然の「草、木、石」を例えて説明しているようであるから、「シオンの賢人議定書」を検討すると言う立場から、ここでは省略する。
なぜなら、他に「神示」に不似合いな「石屋」=石職人のような記述があるからである。
神ともあろうものが、一人の石職人のことをわざわざ降ろすとも思えないので、他の意味の例えと考えざるを得ないからである。

結論として考えている。


{「石屋」=石職人の職人組合=後に各国をフリ−パス出来る権限をユダヤ人たちに狙われ乗っ取られたフリ−メ−ソン}

であると。

なぜなら、この「シオンの賢人議定書」にわざわざ丁寧にそのあり方と機能と構造について説明しているし、ユダヤ人とユダヤ人以外の人類の支配と未来について説明しているからである。

そうであるならば、「ひふみの神」がわざわざ、その帖を作るのも理解できるのである。

2.
もう少し、言葉の謎解きをするのなら


{・「石ものいうぞ」などと、石の役割について説明しているもの}

にも注目しなければならない。

「石ものいうぞ」=「石物言うぞ」などと言われても、一般の人たちにとっては なんの意味か分からない。
鉱物の石が物を言うはずもないからである。
しかし、この石が鉱物の石でなくて石屋の略形であるのなら、表のフリ−メ−ソンに対する、それまで「秘密にされていた物言わない裏のフリ−メソンが顕在化して、表だって物を言う」ことを意味するからである。
「裏のフリ−メソンが顕在化して、表だって物を言う物を言う」ようになるには 「シオンの賢人議定書」の教えるところによれば「ユダヤ人たちの専制王国」を作る全人類に対する「ユダヤ人たちの陰の世界政府」のク−デタを実施することに他ならない。
例えば前にも説明した下記がある。


{最近、ロックフェラーの総帥が国連にあてた書簡が巷に流出して話題になっている。『終わりの始まり』と題されたその書簡には、これから世界は、破壊と暴力を根本とする「大量掃討作戦」によって益々混乱し、米・英・中国が崩壊、やがて世界統一政府が樹立される、と記されている。}

これは、今まで隠していた・秘密にしていたロックフェラーの総帥(ユダヤ人たちを代表して)の本性を現したものである。

多くの非難を受けた「王国・帝国」の言葉を修正して「世界統一政府」としているが、「ユダヤ人たちの世界統一政府」であって、「全人類の世界統一政府」では、ないことである。

3.
「石ものいうぞ」に関して言えば、「草ものいうぞ」とペア−にして、いくつもの帖で表現している。
「石」が「ユダヤ人たちの陰の世界政府」のことを意味しているのであれば、「草」もワンペア−で使われているのであるから、植物の草でないことは、明らかである。
「ひふみ」では 「青人草」=「地より生まれた育った人々」の意味に使われているので「草」とは 「青人草」であり、「地より生まれた育った人々」であることになる。

そうすると、


{それまで物を言わずに隠れていた「石=ユダヤ人たちの陰の世界政府のメンバ−たち」が物言うようになる}

に対しての


{それまで物を言わずに隠れていた「草=ミロクのメンバ−たち」が物言うようになる}

と言うことになる。

「石ものいうぞ」「草ものいうぞ」のワンペア−の帖は、多いので(その10)で検討することにして、この(その9)では 「石屋」について検討してみる。

4.
{下つ巻第16帖 (058)}においては 二度「石屋」の語彙が記載されている。

帖の全文は、下記の通りである。


知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。
日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。

★ 「石屋の仕組」とは 「シオンの賢人議定書」に説明しているようなユダヤ人も含む全人類の取り扱いに関する仕組みのことを説明している。

このことは、言い換えれば「神サタンの全人類の陰からの支配」を意味していて、物質的にも精神的にも何もかもが「神サタンの仕掛け」によって誘導されていることを意味している。

そして、その支配の罠にかかり、何が事実で事実かを理解できない神の国の日本の「草=青人草」人民のことを嘆いていると理解すれば良い。


今度は、神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。

★ ここで、注目しなければならないのは「石屋」が「イシヤ」となっていることである。

「石屋」が日本のことであれば、「イシヤ」とは、海外の「フリ−メ−ソン」のことであることは容易に理解できると思う。
神の国の日本は、ミロクがいるので良いとして、海外の「イシヤ」を改心させないと意味がないのである。
が、「自分たちが遊ばれていて最後には破棄される運命にあること」をいくら説明しても、世界を裏から支配していると思いこみのぼせ上がっている連中には、馬の耳に念仏・猫に小判である。
そこで、神力(神サタンの力ではない)を見せて、何が真実・事実であるかを認識させて改心させることを説明しているのである。
神の力と言われても、何が神の力かが、わかりにくいが、それもこの帖には、説明がある。


神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。
神の国ぞと口先ばかりで申しているが、心の内は、幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。
富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いている石置いてあるから、縁ある人は 一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。
これまでに申しても疑う臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは 申さんぞ。
因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。

★ 神の国から流れ出た流れに入ると、それぞれの人々の為に石(御霊の精神のようなもとその守護神)がおいてある。
それが御霊の精神で守護神であることを理解して自らの物に出来るようにしているので、縁がある人(認識して理解出来る人たち)たちは その御霊を自らのものにしなさい。
そうすれば、ひふみの神は 例え地上が「ススキが原」になろうとも守護神をつけるし、それぞれの守護神の名前を知らせてやります。


江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。
江戸には、人住めん様な時が一度は来るのぞ。
前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。
江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。
いまにさびしくなりて来るぞ。
この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。

★ 上記の部分が神の力によって、


「江戸の仕組」={世界中の諸都市}が人が住めないような「ススキが原」になる。

ことを意味している。

我が世の天下「ユダヤ人たちの専制王国」が出来ると思たのに、王国を作る大地は 破壊され人が住めない「ススキが原」となり、「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の連中たちが何が真実・事実(自分たちさえが、神サタンたちによって弄ばれていた上に、不要となったので捨て去られる)であることを理解するし、そこで改心することになるのである。


七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。

★ 5.


{黄金の巻 第047帖(558)}

にも「石屋」の記述がある。

この帖では、どちらかと言えば「石屋」のシステムについて説明している。
が、この説明を聞いても単細胞の頭では、理解不能になる恐れがあります。
分かりやすく具体的にしたつもりですが、それでも分かり難いようでしたら、この帖は、スキップしても良いとおもいます。


ナルとは 成る言(コト)ぞ。

成るは 表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。

★ 海外の「ナル」とは 神の国の日本の「成る」と同じことを意味していて、一枚の紙に例えれば、表面で主なものを意味する。


ウムとは 生のこと。

生むは 裏、従(二ゆ)ぞ。

★  海外の「ウム」とは 神の国の日本の「生む」と同じことを意味していて、一枚の紙に例えれば、裏面で従なものを意味する。


ナルは 内、ウムは ソト。

ナルには 内の陰陽合せ、

ウムには ソトの陰陽合せよ。

★ ナルは 神の国の日本も海外も成るであるが、その本質は 神の国にある。

そして、ウムは、海外のことを意味する


成ると生むは、同じであるぞ。

違ふのぢゃぞ。

★ 神の国の日本での「成ると生む」は、表裏一体で一つのものであるが、表・裏と異なる相反する違う意味があるのである。


成ることを生むと申すことあるぞ。

生むこと成ると見ることあるぞ。

★ 表と裏の関係は、見方によって、表と思っていたのが裏であることもあるし、裏と思っていたものが表だったということもあるのです。


ナルとは(ナル)こと、

自分が大きく成ることぞ。

自分の中に自分つくり、

内に生きることぞ。

★ 精神的な成長=成るとは 心の内なるものであり、自分の中に成長した自分を積み上げていくことです。


ウムとは 自分の中に自分つくり外におくことぞ。

★ 物事や認識を生み出すということは 精神的なものでなくて、外部へ出していくものです。


このこと判れば、「石屋の仕組」判る。

★ 「石屋の仕組」とは、分かり難いものです。
「シオンの賢人議定書」の教えるところによれば、「フリ−メ−ソン」とは 裏表があり、それらが裏も表も、賛成派も反対派も、何もかも全ての人類・世界の物・者に対して「百手観音」「先手観音」「シバ神」の様に、人類の精神的なものにも物質的なものにも、ありとあらゆるところに手を伸ばして、全ての情報を吸い尽くし、全ての情報を吐き出し動かし目的の方向へ全体と個々の人間たちを動かしていくシステム・仕掛け・仕組であることである。

成る・ナル成長していくシステムであるし、外部を動かすようにしたシステムでもあるのです。


(十一月裏四日)




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