「シオンの賢人議定書」一考察 (その10)を送ります。
「シオンの賢人議定書」一考察 (その10)
1.
「・・・・石屋を改心させる・・・・」と言う記述には、改心するタイミングの説明がありません。
ただ、{下つ巻第16帖 (058)}において
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の記述から「都市攻撃」の後と推定した。
このことは、別の方向からも説明できる。
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のであるから、都市という都市が破壊されて、もとの野原のようになることを指摘していることは 容易に理解できる。
今、このような状態になる原因として、下記の三通りが考えられる。
・ 「月人たちによる都市攻撃」による結果 ・ 「月人たちのノアの大洪水のシステム」による結果 |
上記で言えることは 「ユダヤ人たち陰の政府が起こす、ク−デタ」による戦争の結果で改心することは、あり得ないということである。
なぜなら、仕掛ける本人たちにとっては、その結果をある程度予測して仕掛けているのであるから、「やりすぎた」と言うことはあっても、本質的に改心する理由とならないのである。
次ぎに言えることは「月人たちのノアの大洪水のシステム」による結果もあり得ないことである。
なぜなら、ノアの大洪水のシステムは、ユダヤ人も非ユダヤ人も区別無く全ての人類を抹殺するシステムであるから、改心もへちまもあったものでないからである。
(改心すべきユダヤ人たち、そのものが消滅してしまう)
このように消去法で検討しても、残るのが「都市攻撃」になるのである。
そうゆうことであるので「都市攻撃」であることを念頭において「改心関連の帖」をみてみよう。
この(その10)では「石ものいうぞ」「草ものいうぞ」とペア−にして表現している帖を対象としている。
「石」が「ユダヤ人たちの陰の世界政府」のことを意味しているのであれば、「草」もワンペア−で使われているのであるから、「青人草」=「地より生まれた育った人々」の意味に使われているので「草」とは「青人草」であり、「地より生まれた育った人々」であることになるので「庶民の中から言う者」たちが現れることを意味していることになる。
2
この巻 扶桑(二三)の巻、つづく六の巻を合せて七の巻一百四十四帖の黙示を五十黙示と申せよ。 イシもの言ふぞと申してありたが、イセにはモノ言ふイシがあると昔から知らしてあろうがな、五の一四(イシ)がもの言ふのであるぞ、ひらけば五十となり、五百となり、五千となる。 握れば元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、このほうを五千の山にまつれと申してあろうが、これがイチラ(五千連)ぞ、五十連(イツラ)ぞ、判りたか、五十連 世に出るぞ。天に神の座あるように、地には人民の座があるぞ、天にも人民の座があるぞ、地に神の座があるぞ。 七の印(しるし)と申してあるぞ、七とはモノのなることぞ、天は三であり、地は四であると今迄は説かせてあったなれど愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。 判らん者が上に立つこととなるぞ、大グレン目の前、日本のみのことでないぞ、世界中のことであるぞ、今度は三千世界が変るのであるから今迄のようなタテカヘではないのであるぞ。 何も彼も鏡にうつるのであるぞ。 鏡が御神体であるぞ。 何もうつらん御神体のカガミは何もならんぞ。 扶桑の巻 第01帖(850) 使用さされた特殊文字 |
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握れば、元の五となる、五本の指のように一と四であるぞ、 |
この帖には「草物言う」の記述がないので、石の説明でなくてイシ(海外の石=海外のユダヤ人たちのフリ−メ−ソン)の説明をしていることになる。
ここで、分かり難いのがイセの語彙である。
もし、伊勢と記載されたのであれば、これは 伊勢神宮にかんすることになるが、イセと記載されたが故に、これは 海外の伊勢神宮のようなものと言う意味になる。
では伊勢神宮とはいかなるものであるか?これが問題となる。
さしあたって難しく考えずに言えば、「伊勢神宮とは 日本の国家神道の総本山・メッカとも言える」のである。
であれば、
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となり、かれらの宗教的な中心があり、隠れたそれらが物を言うことになると理解されるのである。
そこで、この内容を纏めてみると大体下記のようになると考えている。
海外の陰の世界政府の総本山には、将来、表だって意思表示するようになるユダヤ人たちがいると昔から説明していました。 五=360度のありとあらゆる方角に「千手観音」のように、人類のあらゆるところに手を伸ばしていた 「ユダヤ人たちの陰の世界政府」 が意思表示を始めるのです。 それは 岩戸開きになるのですが、開けば今までの勢いの10倍100倍1000倍の影響を周囲に与え、人々の認識は、天地・神霊にいたるまでの知識を与えるようになるのです。 |
また、
日本のみのことでないぞ、 世界中のことであるぞ。 |
とありますので、この帖で取り扱っているのは、全世界の人類に対して実施される出来事であることが分かる。
3
礼拝の仕方 書き知らすぞ、節分から始めて下されよ、先づキ整へて暫し目つむり心開きて一拝二拝八拍手せよ、又キ整へて一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたり)と言(こと)高くのれよ、又キ整へてひふみ三回のれよ、これはこれは喜びの舞、清めの舞、祓の歌であるぞ。 世界の臣民 皆のれよ、身も魂も一つになって、のり歌ひ舞へよ、身魂(みたま)全体で拍手するのざぞ、終って又キ整へて一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千卍(ももちよろず)と言(こと)高くのれよ、神気整へて天(アメ)の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、これは祈るのざぞ、九二(くに)のひつくの神様 弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ、終りて八拍手せよ、次に雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、百々(もも)の神様、世の元からの生神様、産土(うぶすな)の神様に御礼申せよ、終りてから神々様のキ頂けよ、キの頂き方前に知らしてあろがな、何よりの臣民人民の生(いき)の命の糧(かて)であるぞ、病なくなる元の元のキであるぞ、八度繰り返せと申してあろ、暫くこのやうに拝めよ、神代になる迄にはまだ進むのざぞ、それまではその様にせよ、此の方の申す様にすればその通りになるのざぞ、さまで苦しみなくて大峠越せるぞ、大峠とは王統消(わうとうけ)すのざぞ。 新しき元の生命(いのち)と成るのざぞ。 神の心となれば誠判るぞ。 誠とはマとコトざぞ、神と人民 同じになれば神代ざぞ、神は隠身(かくりみ)に、人民 表に立ちて此の世治まるのざぞ。 雀の涙程の物 取り合ひ へし合ひ何して御座るのぞ、自分のものとまだ思ってゐるのか。 御恩とは五つの音の事ざぞ、御音(恩)返さなならんのざぞ、此の事よく考へて間違はん様にして下されよ。 此の巻は雨の巻ぞ、次々に知らすからミタマ相当により分けて知らしてやれよ、事分けて一二三(ひふみ)として知らしてやるのもよいぞ。 役員皆に手柄立てさしたいのぢゃ、臣民人民 皆にそれぞれに手柄立てさしたいのぢゃ、待たれるだけ待ってゐるのぢゃ、一人で手柄は悪ぢゃ、分けあってやれよ、手握りてやれよ。 石もの云ふぞ、十六の八の四の二の一目出度や目出度やなあ。 神の仕組の世に出でにけり、あなさやけ、あな面白や、五つの色の七変はり八変はり九(ここ)の十々(たりたり)て百千万(ももちよろず)の神の世弥栄。 十二月十九日、ひつ九のかミ。 皆出てござれそれぞれにうれしうれしの御用いくらでもあたえてとらすぞこの巻かぜの巻 ひつ九のかみ 十二月十六日 雨の巻 第17帖 (351) |
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神の仕組の世に出でにけり、・・・ |
この帖にも「石もの云う」とありますが、「草もの云う」がありません。
ですが、この石とは、日本(日本人の)の「ユダヤ人たちの陰の世界政府」のメンバ−のことと理解できます。
そうすると、おおよそ下記のようになると推定しています。
・・ |
少し分かり難いのは「十六の八の四の二の一」ですが、これは、2で全て割り切れて、最後には原点の一に戻ると云うことから、理解する・分かる(割り切る)・得心するの意味と解釈出来る。
他には「石もの云う」ときにミロクがどのような姿で現れるかの説明がある。
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この姿の説明でタマとあるのであるが、引き当てられる漢字だけでも下記の通りある。
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ここで、「多摩、弾、多磨、田間」は、姿の説明としては 地名など適切でないと思われるので省略する。
そうすると、
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となり、下記の分類される。
物理的な外形を持つ物として、タマ=(玉、球、珠、)物理的な外形を持たないものとして、
タマ=(霊)
もし、物理的な外形を持つとすると球体のような姿をしているようだ。
もし、物理的な外形を持たないとすると、その姿を人々は、見ることができない。
が、「王の王と現われなさるぞ、王の王」とあるので、人間の姿をして現れるようだ。
現代の知識としては「霊は、人間などに憑依して現れる」そうであるから、ミロクは、王の王として、特定の人間に憑依して現れるようである。
4
石物云ふ時来たぞ。 山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せと申してあらうが、いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。 型結構ぞ。 何もかも神人共にするのざぞ。 夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。 十理(トリ)立てよ。 七月二十八日、あめのひつくのかみ神示書。 夜明けの巻 第05帖 (325) |
★
この帖にも「石もの云う」とありますが、「草もの云う」がありません。
ですが、夜明けがあると説明していますので、岩戸開きに関する内容と理解しています。
此の仕組、云ふてならず、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。 石物云ふ時来たぞ。 ・・・・・・・・・・・・・・ 何もかも神人共にするのざぞ。 夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。 十理(トリ)立てよ。 |
何もかも神示を読めば、よく分かるように成っていますから、そのことを忘れないようにしなさい。
岩戸開きの複雑な仕組みは、説明出来ないのです。
とはいっても、説明しなければ、なお、わからないでしょう。
説明出来ませんが、この神示をよめば因縁だけは理解できるようにしています。
それはさておいて、「ユダヤ人たちの陰の世界政府」が表だって意思表示するような時期になりましたよ。・・・・・
岩戸開きがあり、夜明け来たら、何もかもが理解できます。
その夜明けが近づいてきたのです。
5
煎(ゐ)り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ。 いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分むつかしいぞ。 神々まつれと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。 物作る時は保食の神まつれ。 産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ。 人民の学や智ばかりで何が出来たか。 早よ改心第一ぞ。 山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。 それぞれの御役あるのざぞ。 学や智捨てて天にむかへ。 地にむかへ、草にむかへ、生物にむかへ、木にむかへ、 石もの云ふぞ。 草もの云ふぞ。 七月十八日、あめのひつくのかみ。 松の巻 第28帖 (319) |
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草にむかへ、 生物にむかへ、 木にむかへ、 石もの云ふぞ。 草もの云ふぞ。 |
この帖の特徴は「石・草」は もの云ふぞ、「地・草・生物・木」にむかへ、と意味の違いが明確にしてあることです。
そして、「もの云ふ」時とは「煎(い)り豆に花咲く目出度い時となっているのに何して御座るのぞ。」とあるように、焙煎した豆にすら花が咲くようなあり得ない目出度い出来事・岩戸開きがあると説明しているしているのである。
その時、「ユダヤ人たちの陰の世界政府」も「なもない庶民から現れた人たち」も、隠れていた姿を現し、意思表示を人々にするようになるのである。
6
昭和二十年六月二十一日、旧五月十二日(1945年) この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中 金(かね)の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他 分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。 手取りてよき方に廻してやるぞ。 神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。 金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。 誠もの云う時来るぞ。 石もの云ふ時来るぞ。 六月二十一日の朝、アメのひつ九のかみ神示。 |
昭和二十年六月二十二日、旧五月十三日(1945年) 今の世に出てゐる守護神、悪神を天の神と思ってゐるから なかなか改心むつかしいぞ。 今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。 早よ改心せねば間に合はん、残念が出来るぞ。 この神示わからんうちから、わかりておらんと、分りてから、分りたのでは、人並ざぞ。 地の規則 天の規則となる事もあるのざぞよ。 六月二十二日、アメの ひつ九のかみふで。 |
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この帖にも「石もの云う」とありますが、「草もの云う」がありません。
この帖では、その時の社会情勢を説明していますので、「草」の説明が無いものと考えられます。
誠もの云う時来るぞ。 石もの云ふ時来るぞ。 |
「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の支配する、金融システムの世界の時のことです。
その時代に、お金でなくて「物」を大切にする生活の時代へ変質するのです。
その時代に、ひふみで云う「誠」を大切にする時代へ変質するのです。
その時代に、隠れた「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の連中が意思表示をするようになるのです。
7
昭和十九年十二月十九日、旧十一月五日(1944年) 悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。 此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦(ようしゃ)は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。 ヤの身魂 御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりてゐるではないか、春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ、神の規則 臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。 十二月十九日、一二。 |
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此の節分からは、愈々神の規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦(ようしゃ)は 無いのざぞ、・・・・・ 石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりているではないか、春になりたら何んな事あるか分らんから今年中に心の洗濯せよ、身辺(みのまわり)洗濯せよ、神の規則、臣民には堪(こば)れんことあるも知れんぞ、気つけておくぞ。 |
悪の衣を着せられた神々さまたちが節分の3月3日、5月5日に現れてきます。
その時から、神の規則の通りにしないと、容赦なく処分されます。
「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の連中は、なぜに表立って意思表示しないのですか?
その時期が到来しているではないですか?
と叱責している内容です。
ひふみの神が予定した時期に「物を云わなかったようです」ので、特定の月日で云わなくて季節で言い換えています。
そして、臣民にそのときの心得を諭(さとす)しています。
臣民たちは、心の洗濯をして身辺をきれいにしておきなさい。
神が憑依して活動を開始しょうとしたとき、臣民がそれを拒んでも拒めないこともありますから、身辺の整理もして準備万端遺漏なきようにしていてください。
8
春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、草木許りでないぞ、何もかも もえ出づるのぞ、此の方の申す事 譬(たとへ)でないと申してあろが、少しは会得(わか)りたか。 石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ、岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。 愈々きびしく成ってきたが此れからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸程結構なもの無い事 始めて会得(わか)りて来るぞ。 十二月一日、一二。 日の出の巻 第01帖 (214) |
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石もの云ふ時来たぞ、此の道 早く知らして呉れよ。 |
神々の寒い冬が終わり、春がくれば草木ばかりでなく、何もかもが萌え出ずるのです。
この方の云うことは たとえ話ではないのです。
いよいよ「ユダヤ人たちの陰の世界政府」が意思表示する時代になりました。
この岩戸開きの道程を早く人類の皆さんにも知らせてください。
9
臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。 石物言ふ時ぞ。 神の目には外国もやまともないのざぞ。 みなが神の国ぞ。 七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。 てん詞様が世界みそなはすのざぞ。 世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんばばかりと申してもあまりでないか。 九月の二十三日、ひつ九のか三。 地つ巻 第15帖 (152) |
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その時には、臣民は、物を言わなくなります。 その時には、この世の終り近づいた時です。 その時には、石物言う時です。 神の目には、外国もやまと(大和=日本)もないのです。 みなが神の国にあるのです。 七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせません。 一つの王で治めさせます。 てん詞様が世界の皆を治めさせます。 世界中の罪負いている素盞雄の大神様に気附かなければなりません。 まったく、盲つんぼばかりと申してもあまりでないですか。 |
神の国の日本の外国人の役員が理解できるようになったら、直ぐに決着がつく。
しかし、それを事前に人間の学問や知恵で理解しようとしても出来ないので、クドクドと説明しているのです。
あまりのことに、臣民たちは、何も言えなくなります。
その時が、この世の終り近づいた時なのです。
その時、「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の連中が表立って意思表示するということになります。
注目すべきところは
逆に言えば、近未来の具体的なことは、分からなくても、「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の連中が表立って意思表示をし出したら、間違いなく「この世の終り近づいた時」と理解して、その準備を開始すれば良いと云うことです。 |
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北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七(みろく)の世となるぞ。 慌てずに急いで呉れよ。 神々様みなの産土(うぶすな)様 総活動でござるぞ、神々様まつりて呉れよ、人々様まつりて呉れよ、御礼申して呉れよ。 九月十二日、一二か三。 天つ巻 第27帖 (134) |
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草が物いう時が来ます。 北おがみなさい。 北が光ります。 北が良くなります。 夕方が良くなります。 暑さ寒さも、柔らかくなります。 五六七(みろく)の世となります。 慌てずに急いでください。 神々様みなの産土(うぶすな)様 総活動しています。 神々様をまつりしてください。 人々様をまつりしてください。 皆々様に御礼を申しあげてください。 「ユダヤ人たちの陰の世界政府」が表だって意志表示する時が来ます。 「物言わない庶民たちが」表だって物いう時が来ます。・・・・・ そうした時代に、五六七(みろく)の世となります。 |
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「石もの云う」を要約すると、おおよそ下記のようになる。
「石もの云う」時とは、春の節句の頃に始まるようですし、お金が第一の
「ユダヤ人たちの陰の世界支配」が最高潮の時代のようですし、日本の神の国の外国の役員にも理解できるようになった時代のようですし、草・物言わなかった人々が意志表示をするような時節のようである。
その時、「ユダヤ人たちの陰の世界政府」が表だって意志表示しはじめたら、炒り豆にすら花が咲くようなあり得ない出来事が日本だけでなく世界中におこり、悪の衣を・濡れ衣を着せられて押し込められていた神々があらわれ、人の姿・憑依したミロクの霊が王の王として現れる。
その王の王のミロクの世とは 「物」「誠」を大切にする世の中となり、良い世の中である。
だそうです。
「石もの云う」ことについて、どの様に降ろされているかを下記に羅列した。
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とあるように、焙煎した豆にすら花が咲くようなあり得ない目出度い出来事・岩戸開きがある |
の支配する、金融システムの世界の時のことです。 その時代に、お金でなくて「物」を大切にする生活の時代へ変質するのです。 その時代に、ひふみで云う「誠」を大切にする時代へ変質するのです。 その時代に、隠れた「ユダヤ人たちの陰の世界政府」の連中が意思表示をする。 |
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臣民が物を言はなくなるときに、この世の終り近づいた時である。 |
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