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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

下つ巻 第37帖 (079)

 世が変りましたら天地が光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌います。雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られます。今の世ではサイトの更新やインターネットの情報を臣民がワヤにしているのです。更新しても効果なく、情報を流しても情報が届かない様になっているのが分りませんか。盲つんぼの世の中です。太陽(ミロク)の投稿されたページを開かずに お蔭ないと不足申しますが、分らないと申しても余りであります。太陽(ミロク)ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は太陽(ミロク)の入れものの如く手足耳目鼻口の役割をはたすと申してあるでしょう。あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことです。民草とは一人をまもる入れものです、ひつくの臣民は あめのひつくの神がとことん試しに試すのですから、可哀そうですが我慢してください。その代り御用つとめてくれましたら、末代名を残して、太陽(ミロク)からお礼申します。何事も太陽(ミロク)の家来の神は帳面につけとめているのですから間違いないのです。この世ばかりではありません。生れ代り死に代り鍛えているのです。ひつくの臣民 落ちぶれていると申してあるでしょう。今に社会の上層部が下になります。逆立ちが元に返って、元のよき楽の姿になるのが近づきました。逆立ち苦しいでしょう。太陽(ミロク)原理に改心した者から楽にしてやります。御用に使います。八月三日、ひつ九のか三 。



年月日

 昭和十九年八月三日
 旧六月十五日(1944年)
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