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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

富士の巻 第25帖 (105)

 世界中の臣民はみなこの方太陽(ミロク)の臣民でありますから、殊に可愛い子には旅させねばならないから、どんなことあっても太陽(ミロク)の子ですから、太陽(ミロク)を疑わない様にしてください。太陽(ミロク)を疑うと気の毒なことになります。いよいよとなったら、どこの国の臣民ということはないです。大神様の掟通りにせねばなりませんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来ませんから、気づかせているのです。大難を小難にまつりかえたいと思っていますが、今のやり方は、まるで逆様ですから、何うにもならないので、いつ気の毒なことになっても知らないですよ。外国から早く分って、外国に太陽(ミロク)を祀ると言う臣民 沢山出て来る様になって来ますよ。それでは太陽(ミロク)の国の臣民 申し訳ないでしょう。山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、太陽(ミロク)の国の山川ばかりではないのです。太陽(ミロク)は 世界の神だと申してあるでしょう。裸になった人から、その時から善の方にまわしてやると申していますが、裸にならねば、なるようにして見せます。いよいよとなってから裸になるのは苦しいから今の内ですと申してあるのです。凡てを太陽(ミロク)様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりではないのです。世界中の臣民みな 太陽(ミロク)様に捧げねばならないのです。八月の三十日、 のひつ九のか三。



年月日

 昭和十九年八月三十日
 旧七月十二日(1944年)
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