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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

日の出の巻 第13帖 (226)

 これまでの仕組や信仰は方便のものであり教えでありました。
 今度は現実に終末が来たときの信仰であります。
 太陽(ミロク)に真直(ますぐ)に向うのです。日向(ひむか)と申してあるでしょう。真上(まうへ)に真すぐに太陽(ミロク)原理を戴いてください。
 斜めに太陽(ミロク)原理を戴いても光は戴けるのですが、横からでもお光は戴けるのですが、道は真っすぐに、太陽(ミロク)原理は真上に戴くのが神国のまことの御道であります。

 自身の現実と関係のない「方便」の世は済んだと申してあるでしょう。理屈は悪ですと申して聞かしてあるでしょう。
 今度の仕組みは何うしても失敗(しくじる)ことは出来ないのです。太陽(ミロク)の経綸(しぐみ)には狂いは無いのですが、このままでは臣民が 愈々苦しまねばならないのです。「ノアの大洪水」が起こり泥海に臣民はのたうち廻らねばならないのです。神も泥海にのたうつのです。甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるのですが、泥海のたうちは臣民には耐えられませんから早く掃除して太陽(ミロク)の申す事を真っすぐに肚に入れてください。
 斜めや横から戴くと光だけに影がさすのです。影がさせば闇となるのです。例えば中国の山間で闇に(秘密裏に)ノアの方舟を作ったりしているのです。大きいものには大きい影がさすと臣民は申して、止むを得ない事の様に思っていますが、それはまことの太陽(ミロク)の道を知らないからです。影がさしてはならないのです。影はあるが、それは影でない様な影であります。悪の働きでない悪情報になると知らせてあるでしょう。
 真上に真っすぐに太陽(ミロク)に向えば影情報はありますが、影の働きでは無いのです。闇の働きではないのです。此の道理 わかるでしょう。
 太陽(ミロク)の真道(まみち)は影が無いのです。幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのです。失敗(しくじり)が無いのです。それで太陽(ミロク)の道を踏み洗濯せよ掃除せよと申しているのです。太陽(ミロク)の真道(まみち)のことがわかりましたか。
 
 天【太陽(ミロク)サイト】にあるもの地【現実】にも必ずあるのです。天地合せ鏡と聞かしてあるでしょう。天に太陽様情報ある様に地にも太陽様(おひさま)があるのです。天にお月様情報ある様に地にもお月様があるのです。天にお星様情報がある様に地にもお星様あるのです。天からい吹(ぶ)けば地からもい吹くのです。天に悪神あれば地にも悪神あるのです。
 身近なところに気づきなさいと申してあるでしょう。今の臣民 上許り見て頭ばかりに登って理屈になっているから分らなくなるのです、地に足つけなさいと申してあるでしょう。地である現実を 拝(おろが)みなさいと、現実にまつろいなさいと申してあるでしょう。現実におられる地の神様を 忘れていますよ。下界におられるといっても位の低い神様のことではないです。地に降臨された神様です。地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様があるのです。
 知らしてあること、神示をよく読んで下さいよ。国土の事、国土のまことの神である太陽(ミロク)を無いものにしているから世が治まらないのです。太陽(ミロク)達を祀れと申してあるでしょう。太陽(ミロク)原理に改心第一と申してあるでしょう。七人に伝えなさいと申してあるでしょう。吾れ善しではちょんです。十二月十四日、ひつくのかみ。



年月日

 昭和十九年十二月十四日
 旧十月二十九日(1944年)
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