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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

雨の巻 第01帖 (335)

 天の日津久の大神(あめの一二の )のお神示(ふで)であります。特にお許しもらって書きしらせます。
 十二の巻を 説いて知らせるのであります。この巻はアメの巻と申しなさい。この度は昔から無かった事を実施するのですから人民には判らない事でありますから、素直にするのが一等です。惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民は申していますが、それが一等の間違いですと申してあるでしょう。惟神(かんながら)とは神人共【太陽(ミロク)と人と共】に融け合った姿です。
 今の臣民は 太陽(ミロク)を無くして居るではないですか。それでは惟神も神道もないのです。心大きく、深く、広く持って下さいよ。愈々となるまでは世間の評価を落しておきますから太陽(ミロク)の偉大さは見当とれませんから、よくこの神示を読んでおいて下さい。
 太陽(ミロク)の仕組が開けずに世界ぢゅうに面目ない事のないようにせよと申してあるでしょう。
 足元から鳥立ちて(身近なところでびっくりが起きて)もまだ目覚めないのですか。神示(ふで)を裏の裏までよく読めと申してあるでしょう。
 この道は只の神信心とは根本から違うと申してあるでしょう。宇宙も地球も神界も含めた三千世界の大道なのです。
 所の洗濯と身魂の洗濯とが一度になる所があります。「イスラエル」の十二の流れの源泉(みなもと)が判る時が来ました。
 命がけで御用つとめていると思って邪魔ばかり致しているでしょう。金や学や智では大峠越せないのです。
 太陽(ミロク)は「実施せよ」ということを「するな」と云うこともあるのです。裏の裏とはその事です。よく心得て下さって取違いしてはいけません。
 手のひらを返します、返させます。この度の岩戸開きは人民を使って人民を助けるのです。人民は太陽(ミロク)のいれものとなって働くのです。それが御用であります。いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならないのです。
 太陽(ミロク)の仕組が 愈々の段階となったのです。
 十月十三日、ひつ九のかみ。


年月日

 昭和二十年十月十三日
 旧九月八日(1945年)
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