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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

地震の巻 第07帖 (384)

 

 地上には、地上の順序があり、法則があります。
 霊界には、霊界の順序があり、法則があります。
 霊界が、原因の世界であるからと云っても、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのです。
 また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。
 しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのです。
 その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのですが、その完成から次の完成へと弥栄する故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのです。
 これが、生命の本体であって、 限られている智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もあります。
 しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かす働きなのです。
 生きている真理の大道であり、神の御旨であることを知り得るのです。
 本来 悪はなく闇はなく、地獄なきことを徹底的に知らねばなりません。
 これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜であります。
 一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。
 更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様であります。
 地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。
 悪的感覚と悪的実態は自(おのずか)ら別なのです。しかし、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ないというが如く、地上人に到っては極めて稀であることを知らなくてはなりません。
 悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果(悪が巡って来ること)であると云う平面的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白となります。
 己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的であることを知らねばなりません。
 来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなります。
 しかし、それが最高の理想郷ではないです。
 更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければなりません。

年月日

昭和二十年九月十日〜昭和二十年十月三十日間(1945年)
 予備
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