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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

地震の巻 第13帖 (390)

 

 地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、各々の世界をつくり出している如く、霊界にも無限の段階があり、その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。
 下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。
 美も醜となり、愛も憎となり、善も真も そのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。
 其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意があるのです。
 と同時に、 (真善) (真善美愛) (歓喜) (大歓喜)と現われる神秘なる弥栄があり、悪の存在、偽の必然性などが判明するのです。
 故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではありますが、半面に於ては、極めて尊いものとなるのです。
 下級霊人自身が (善)なりと信じて行為することが、地上人には (悪)と現われることが多いのです。
 何故ならば、このような下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、それと同一線上にある空想家であり、極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、他の世界を知らないからである。
 それがため、感応してくる下級霊の感応を、全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、遂には、自身自らが神の代行者なり、と信ずるようになるからです。
 所謂(いわゆる)、無き地獄をつくり出すからです。
 地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくみます。
 奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばなりません。
 このような奇跡によっては、霊人も地上人も向上し得ないのです。
 浄化し、改心し得ないものであります。
 また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。
 脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。
 総て戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ないのです。
 半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、半面に於て同様の退歩が必然的に起ってきます。
 それは強(シ)いるからです。
 神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ないのです。
 戒律あるところ必ず影生じ、闇を生み出し、カスが残るものなのです。
 それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、影の世界なのです。
 中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのですが、それはまた霊界の文字となって伝えられます。
 霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成ります。
 直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は、太陽の霊人が使用しています。
 但し、高度の霊人となれば文字はないのです。
 ただ文字の元をなす ゝ と ○ と + があるのみ。
 また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もあります。
 数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。
 しかし これは不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのです。

年月日

昭和二十年九月十日〜昭和二十年十月三十日間(1945年)
 
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