本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

地震の巻 第18帖 (395)

 

 神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜であります。
 故に、霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分により、段階によって自ら定まります。
 為にその用は無数であり、且つ千変万化します。
 歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業なのです。
 故に、自分自身の我が表に出た時は、力を失い、仕事を失い、苦悩します。
 霊人の仕事は限りなく、地上人の仕事以上に多様なのですが、より良さ、より高さ、より神に近い霊人生活に入るための精進であり、喜びであることが知られます。
 そして、その何れもが神の秩序、即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、全般的には一つの大きな神の用(働き)をなしているのである。
 故に、何れの面の用をなすとも、自己というものはなく、弥栄あるのみ、神あるのみとなります。
 なお注意すべきことは、霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じているということであります。
 即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのです。
 為に、命令的なものはないです。
 只、ひたすら奉仕があるのみなのです。
 その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがあります。
 何故ならば、霊と物とは対応しているからです。
 生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えています。
 従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができます。
 陽人と、陰人とです。
 陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在します。
 太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのです。
 この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反しています。
 故に、二は一となり、三を生み出すのです。
 これを愛と信の結合、または結婚とも称えられています。
 三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することであります。
 新しき生命とは新しき歓喜であります。
 歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものであります。
 霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。
 秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。
 この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのです。
 春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得るのです。
 また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのです。
 故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものなのです。

年月日

昭和二十年九月十日〜昭和二十年十月三十日間(1945年)
 
⇒ 次のページへ

バナースペース

ひふみ神示解読