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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

解読編CONCEPT

紫金の巻 第05帖 (135)

 岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。

 岩戸ひらきです 御祷(みほぎ)の神宝(たから)である太陽(ミロク)原理を たてまつりましょう。

 月は赤くなるのです、日は黒くなるのです、空は ち の色となるのです、河の流れも ち の色です。
 人民は四つん這(ば)いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのですよ。大地震、ヒの雨降らしての大洗濯ですから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来ないのです。天地まぜまぜとなるのです。ひっくり返るのです。

解説と補足説明

太陽さん

月のハナシ「神々の謎」

 ひとつの古代神話から編まれたふたつの記紀神話、古事記と日本書紀は異なったところがある。また政治基盤の確立の為に編まれた日本書紀はちょっと考えられない、変わったところがある。
 日本書紀で、アマテラスは天孫降臨時に何もしていない。ホノニニギは確かに孫神にあたるが、降臨を命じるのはタカミムスヒという神である。タカミムスヒは最初に生まれた万物創世の霊妙なる神である。オシノホミミとタカミムスヒの娘の子神がホノニニギなので、タカミムスヒはアマテラスと同じホノニニギの祖神であり、皇祖神である。伊勢神宮に秘かに祀られる高皇産霊神こそが真の皇祖神といわれている。
 日本書紀に、ホノニニギと別にニギハヤヒというもうひとりの天孫が出てくる。ニギハヤヒは、オシノホミミの子神で、トヨミケヌの東征以前に大倭国に入り、この地を治めるナガスネヒコの妹を娶ったという。三種の神器に対して死人を甦らせる力を持つ十種の神宝という天孫の印を持つ。東征時に抗うナガスネヒコを殺し、国を譲ったという。オシノホミミはあちらこちらに子神を生ませたらしく、ナガスネヒコはトヨミケヌにどちらかが偽者の天孫でないかと訊ねたところ、「天孫はたくさんいるが国を先に治めた者が本者」と答えたという。つまりトヨミケヌは自力で大倭国を落とし、天孫になったのでない。もしナガスネヒコとニギハヤヒが組んでいたら天孫は違っていたかもしれない。サルタヒコといい、ニギハヤヒといい、なぜ天孫を譲ったのか。ニギハヤヒは大倭国を治めていて、その後に大和朝廷に仕えた豪族物部の氏神である。十種の神宝は天武天皇に捧げられ、この神宝を用いる鎮魂の法も伝えられた。物部氏は同じく朝廷に仕えていた蘇我氏との宗教戦争で、仏教を押す蘇我氏に対し、頑なに神道を押した。しかし朝廷は蘇我氏につき、物部氏は絶えてしまう。神を護って絶えた物部氏と王権維持の為に神を捨てた朝廷。日本書紀と逆の出来事が歴史にあった。
 記紀神話以後の大和朝廷でも、天皇家は万世一系ではない。一説に第15代応神天皇、第26代継体天皇に交代劇があったという。歴史の中で天皇家は幾度と絶えそうになったが、いまなお絶えない。なぜか。皇祖神天照大神以上に触れられない天皇家のタブーである。
 日本書紀で、三種の神器は二種の神器であった。二種の神器と天孫の印と書かれ、玉は後で付け加えられた。また玉も珠(稲穂の種という説)であり、曲玉でない。なぜ印が珠になり曲玉になり、神器に加えられたのかわからない。曲玉は考古学で剣や鏡より古い時代のものであり、動物の牙歯や心臓をかたどった狩猟の祭祀用飾玉という。また一説に三日月をかたどった月の霊力や呪力を宿らせた祭祀用飾玉という。剣は熱田神宮に、鏡は伊勢神宮に祀られているのに、玉だけは天皇が祀っている。もう一説に玉は侵略国の王権のシンボルで、その王の、荒ぶる神の祟りを畏れ封じる為に祀っているという。祀られた王は、神は明かされていない。

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饒速日尊
ニギハヤヒノミコト

別称:天照国照彦火明櫛玉饒速日命(アマテルクニテルヒコホアカリクシタマニギハヤヒノミコト)、邇芸速日命
性別:♂
系譜:天忍穂耳神の子、子は宇摩志麻遅神、物部氏の祖神
神格:穀霊神
神社:石切剣箭(イシキリツルギヤ)神社、物部神社、高倉神社

 饒速日尊が天上の神から授かった職能は、古代の呪術を司るという役目である。
 神武東征に先立ち、饒速日尊は天照大神の命で、十種の神宝(トクサノカンダカラ)を授かって天磐船に乗って天降る。ここでの彼の活躍については、神武東征を熟読してほしい。ここでは、東征神話の項で扱わなかった、彼が授かった十種の神宝について詳しく見ていこう。
 これは、天璽端宝(アマツシルシノミズタカラ)ともいわれ、「旧事日本紀」によれば、澳都鏡(オキツカガミ)、辺都鏡(ヘツカガミ)、八握剣(ヤツカノツルギ)、生玉(イクタマ)、死反玉(マガガエシノタマ)、足玉(タルタマ)、道返玉(チガエシノタマ)、蛇比礼(ヘビノヒレ)、蜂比礼(ハチノヒレ)、品物比礼(クサグサノヒレ)という十種であったという。大別すれば、鏡、剣、玉という三種の神器の構成に比礼がプラスされている形になる。
 古来、鏡、剣、玉は、大いなる呪力を持つ祭器とされてきたものである。この十種の神宝について詳しくは記されていないが、おそらく、鏡は物事の本当の姿を写し出し繁栄させる力、剣は邪悪なものを退ける力、玉は生命力をもたらし、肉体を充足させ、あるいは死者をよみがえらせて魂を呼び戻す、といった力を発揮するものだったようである。また、比礼とは古来、女性が正装するときに肩に掛ける薄くて細長い布(領巾=ヒレ)のことで、中国の民族舞踊などでよく見かけるものだ。昔からこの比礼を振ると災いを払う呪力が生まれると信じられていたのである。
 この十種の神宝は、物部氏の祖神とされる饒速日尊の息子の宇摩志麻遅神が神武天皇に献上。神宝の呪力によって天皇の健康を祈ったといい、こうした宮廷での呪術祭祀が、やがて宮廷で行われるようになった鎮魂祭の起源だとされる。饒速日尊を遠祖とする物部氏は古代の有力氏族で、宮廷の鎮魂祭、大嘗祭などの祭祀にも深く関わっていた。要するに、さまざまな古代祭祀を管理する立場にあったわけで、そういう実際の職能が強力な呪力の神宝を所有する神のイメージへとつながったのだろう。
 とにかく、十種の神宝という呪術祭祀の道具を支配する饒速日尊、それを受け継いだ宇摩志麻遅神というのは、死者を生き返らせたり、去っていこうとする魂を呼び戻したりする力を持っているということである。これを我々の日常生活に引きつけていえば、病気治癒、健康増進のパワーを司る神ともいえよう。

年月日

昭和三十六年

バナースペース

ひふみ神示解読