ひふみ神示黎明編関連サイト
一二三神示
人間に自由はないのです。
真の自由は、大神にのみあるものです。
大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由をもっていると信ずるのです。
本質的には自由はないのです。
人間には自由の影があり、反影があるのです。
それを人間は自由と心得ているのです。
自由の反影があるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのです。
又進歩、弥栄するのです。
悪自由を、人間は自由と心得ていますが、それは自由ではなく、自分自身を首くくるものです。
善自由こそ真の自由であるのです。
自由は神から流れ出ると云ってあるでしょう。
他の世界と交流するのは、他の世界に住む人間を通じてするのです。
世界とは人間のことでもあるのです。
人間が世界であるのです。
よく心得なさいよ。
+(陽)と-(陰)と ○(和した状態) と ゝ(喜び) であるのです。
+の陰には-があり、-の陰には+がある。
その和の状態が ○ であり ゝ(イノチ)するのです。
+は+のみでは力はないのです。
-は-だけでは力はないのです。
+と-とだけでも動きはないのです。
生命の喜びはないのですよ。
よく心得なさい。
神ミロクの仕組みが映し出される現実【○】があって、その原因に+の因と-の因があり、+へ働く動きと-に働く動きがあり、その働きに喜び【ゝ】があってこそ太陽(ミロク)原理との和があり、ミロクの世への道を進んでいるのです。
ここの道理よく得心、合点しなさい。
よき事【+】は人間にとって直接の喜びでない。
太陽(ミロク)の仕組という大きな流れに和す「よき事」【】 がぢきぢきの喜びです。
陰の働き【-】も直接ではなく、太陽(ミロク)の仕組という大きな流れに和す「水の御用」と「火の御用」 が直接の喜びであり、その二つが和し、生命【ゝ】して嬉し嬉しと弥栄えるのです。
天地の中間を中界といいます。
天の息吹きと地の息吹きの中間です。この世界はサイトに現れているのです。
中界は天国へ行くのも、行かないのも先ず落ちつく、死後の始めての世界なのです。
(一月二日)