ひふみ神示黎明編関連サイト
一二三神示
厄も祓わねばなりませんが、福も祓わねばなりません。
福はらいせよと云ってあるでしょう。
厄のみでは祓いになりません。
福のみでも祓いにならないのです。
厄ばらいのみをしたから今日の乱れた世相となったのです。
この判り切った道理が何故に判らないのですか。
悪を抱き参らせなさい。
善も抱き参らせなさい。
抱くには和の姿である「〇(ワ)」、又は「〇(ゼロ)」という福(陽)と厄(陰)が和して打消し合った神の姿にならねばならないのです。
この内容は「神の数学」の「陰と陽」の考え方が参考になります。
『神の数学サイト』(http://www4.tokai.or.jp/kaminosuugaku/syougen2.html)より〔2〕日本発の3次正方陣「神の法陣」)を解く。<すべては循環的な発想によるものである。>
「神の法陣」、それはn×nの正方陣の中に自然数、すなわち古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」の1234…89(0)の数をそのまま順次に置くものであり、自然のあるべき姿をそのまま用いて一切人為的な手は加えないものである。それはまさに日本神道の言葉「カムナガラノ道」の姿そのままと言うべきものである。古代に存在した「カムナガラノ道」とは自然そのまま、人の手をまったく加えないありのままの姿の正しさを讃える言葉であり、自然仕組みの姿の大切さを謳っている大いなる言葉である。それはまさに数千年前に失われ内容も一切不明となっている大変由緒ある神道の聖なる言葉でもある。それは日本人なら誰でも知っているはずであろう。 ◎ さあ、これからこの「神の法陣」を解き放ち、そこにある真実、すなわち「神の秘密」を探して見よう。 自然のつくった自然の姿を解くためには循環法と言う手法、すなわち、円とか楕円の形を用いて考えなければならない。要するに、それは「行ったものは必ず帰って来る」、「因があれば必ず果がある」の理であり、すなわち、「因果応報」の自然哲理を表すものでもある。それはまさに自然循環の回帰の姿であり、自然のあり方の基本の姿なのである。そのことを念頭に置いて考える、するとすべては自然のうちに自然に解けてくるものである。すべては素直に自然に沿って考える、それがもっとも大切なことである。これがすなわち、「1ヶの存在であっても2ヶと考える」の意味であり、すべて自然はそのような構造になっているとの確かな数の証言(計算)でもある。 上記の「神の法陣」、それは次のように考えて解けばいいのである。●横関係……123(→+987(←)=10,10,10→30→3、 456(→)+654(←)=10,10,10→30→3、 ●縦関係……147(↓)+963(↑=10,10,10→30→3、 258(↓)+ ●斜め関係… 要するに、一つのもの、そこには必ず往(→)と復(←)の姿、すなわち、「陰(正)」と「陽(反)」の仕組みにより成り立っているものである。その「陰(正)」と「陽(反)」とは運動ポテンシャルの方向の違いであり、それによる重なりの現れの違いでもある。完全に重なるとその作用は0になり、どちらかに傾くと「陰」もしくは「陽」が現れ始めるのである。それは例えて言えば、ちょうど1ヶの磁石に例えられよう。、中心では磁力0ではあるが、どちらかに傾くと(+)または(-)の性質が強くなる。それは存在としては1ヶであるが、作用は(+)と(-)の2種類が必ず存在し相互補完しながら完全帰納して永遠をまっとうしているのである。出来れば、多くの数をなぞりながら、その囁きをじっくり聞くがよい。必ずや、どのあたりかであなたの魂と共鳴して心を大きく揺さぶり、感激の極みを覚えるはずである。 それが自然に存在している具象体の本当に姿であり、本来のあるべき姿なのである。その動きを円と楕円で表すとそれはまさに原子図における電子の動き(ボア-の原子模型)そのものである。まことに不思議な自然との一致であり、目が覚める光景と言うべきものである。 簡単である、 直ちに描いて両者を比較して見るがいい。<その真実と図は「真理講座」№2を参照あれ> もし疑うのなら、直ちにその先に連なる5次、7次、9次の奇数陣の「神の方陣」を同じような方法で計算して見ることである。必ず、満足して納得するはずであり、これからのあなたの生き方にも大きく影響を与えて止まないものでもある。自然の創り上げた「自然の数図」とは決してランダムなものではなく、必ずそれは「神の意志」によりつくられ、「神の心」が籠もっているのである。それゆえに自然の法である「循環法」手法を用いて答えを簡単に引っ張り出せ、すべては小気味よく解け放っことが出来るのである。まさに自然の知の赴くところには不整合、不可などの文字は一切ないのである。 |