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一二三神示
そなたはよく肚をたてますが、肚がたつのは慢心しているからですよ。
よく心得なさい。
下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りですから、怒ってよいのですが、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短かくして下さいよ。
怒りに清い怒りはないと、そなたは思案しているのですが、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りがあるのです。
三月三日。
そなたはいつも自分の役に不足を云うくせがあるのです。
そのくせを直して下さいよ。
長くかかってもよいですから、根の音(ね=ねずみ年(2008年、2020年?))からの太陽(ミロク)原理への改心は結構なのです。
子(ね)の年に太陽(ミロク)が世に認められるのかもしれません。 |
太陽(ミロク)の仕組の御役のうちの、手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構なのです。
上下貴賎ないこと、そなたには判っている筈なのに…。早く得心して下さい。
そなたはこの神ミロクときわめて深い縁があるのです。
縁あればこそ引きよせて苦労さしているのです。
今度の御用は苦の花を咲かすことです。
真理である太陽(ミロク)原理の道を歩むそなたの心理に苦の花がさくのですよ。
因縁のそなたです。一聞いたなら十がわかるのです。
云われないさきに判ってもらわねばならないのです。
知らしてからでは味がないのです。
十人並です。
今度の御用は千人力、十人並では間に合わないのです。
人間の目は一方しか見えません。
表なら表、右なら右しか見えないのです。
表には必ず裏があり、左があるから右があるのです。
自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るのですが、それは只一方的の真実であるのです。
独断は役に立たないのですと云ってあるでしょう。
見極めた上にも見極めねばならないのです。
霊の目も一方しか見えないのです。
霊人には何でも判っていると思うと、大変な間違いが起ります。
一方と云っても霊界の一方と現界の一方とは、「一方」そのものの意味が違うのです。
そなたは中々に立派な理屈を云いますが、理屈も必要ではあるが、あわの如きものです。そなたの財産にはならないのです。
体験の財産は死んでからも役にたちます。
ざんげ(解読)しなさいといっても、人の前に居ることを意識してざんげ(解読)してはなりません。
人の前で出来るざんげ(解読)は割引したざんげです。
割引したざんげ(解読)は神ミロクをだまし、己をだますこととなるのです。
心の中心にあるマコトを云わねばならないようです。 |
悔い改めて下さい。
深く省みて下さい。
深く恥じおそれなさい。
心して慎しんで下さい。
直ちによき神界との霊線がつながります。
霊線がつながれば、その日その時からよくなってくるのです。
気持が曲ったら霊線が切り替えられます。