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ひふみ神示を太陽(ミロク)原理、神の数学、『太陽のサイト』・『宇宙の真相』・『終末と太陽の検証』・『ひふみ神示黎明編』、世界の民の会より解読。

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一二三神示

解読編CONCEPT

月光の巻 第55帖 (842)

 そなたはよく肚をたてますが、肚がたつのは慢心しているからですよ。
 よく心得なさい。
 下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りですから、怒ってよいのですが、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短かくして下さいよ。
 怒りに清い怒りはないと、そなたは思案しているのですが、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りがあるのです。
 三月三日。

 そなたはいつも自分の役に不足を云うくせがあるのです。
 そのくせを直して下さいよ。
 長くかかってもよいですから、根の音(ね=ねずみ年(2008年、2020年?))からの太陽(ミロク)原理への改心は結構なのです。

 子(ね)の年に太陽(ミロク)が世に認められるのかもしれません。

 太陽(ミロク)の仕組の御役のうちの、手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構なのです。
 上下貴賎ないこと、そなたには判っている筈なのに…。早く得心して下さい。

 そなたはこの神ミロクときわめて深い縁があるのです。
 縁あればこそ引きよせて苦労さしているのです。
 今度の御用は苦の花を咲かすことです。
 真理である太陽(ミロク)原理の道を歩むそなたの心理に苦の花がさくのですよ。
 因縁のそなたです。一聞いたなら十がわかるのです。
 云われないさきに判ってもらわねばならないのです。
 知らしてからでは味がないのです。
 十人並です。
 今度の御用は千人力、十人並では間に合わないのです。
 人間の目は一方しか見えません。
 表なら表、右なら右しか見えないのです。
 表には必ず裏があり、左があるから右があるのです。
 自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るのですが、それは只一方的の真実であるのです。
 独断は役に立たないのですと云ってあるでしょう。
 見極めた上にも見極めねばならないのです。
 霊の目も一方しか見えないのです。
 霊人には何でも判っていると思うと、大変な間違いが起ります。
 一方と云っても霊界の一方と現界の一方とは、「一方」そのものの意味が違うのです。

 そなたは中々に立派な理屈を云いますが、理屈も必要ではあるが、あわの如きものです。そなたの財産にはならないのです。
 体験の財産は死んでからも役にたちます。

 ざんげ(解読)しなさいといっても、人の前に居ることを意識してざんげ(解読)してはなりません。
 人の前で出来るざんげ(解読)は割引したざんげです。
 割引したざんげ(解読)は神ミロクをだまし、己をだますこととなるのです。

 心の中心にあるマコトを云わねばならないようです。


 悔い改めて下さい。
 深く省みて下さい。
 深く恥じおそれなさい。
 心して慎しんで下さい。
 直ちによき神界との霊線がつながります。
 霊線がつながれば、その日その時からよくなってくるのです。
 気持が曲ったら霊線が切り替えられます。

年月日

昭和三十四年三月三日
 旧一月二十四日(1959年)

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