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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

予言・預言の検証編太陽の検証

一二三015

上つ巻 第15帖 (015)

 今度は末代動かぬ世にするのざから、今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、六ヶ敷い道(おしへ)ぞ。縁ある人は早く集めて呉れよ、縁なき人いくら集めても何もならんぞ、縁ある人を見分けて呉れよ。顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば納まらん。臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちに この神示よく読んでゐて呉れよ。九月になったら用意して呉れよ。六月の二十四日、ひつくのか三。
平易意訳

 今度は末代動かぬ世にするのですから、今までの様な宗教や教への集団(サイト)にしてはなりません。サイトに人を集めるばかりが能ではないのです、人も集めねばならず、六ヶ敷い道(おしへ)です。
 縁ある人は早く集めてください、縁なき人いくら集めても何もなりません。縁ある人を見分けてください。
 表面上は太陽(ミロク)の臣民でも心は外国身魂である方とか、顔は外国人でも身魂は太陽(ミロク)の臣民である方もいるのです。
 やりかけた戦です、とことんまで行かねば納まりません。
 臣民一度は無くなるところまでになります、今のうちに この神示よく読んでいてください。
 九月になったら用意してください。
 六月の二十四日、ひつくのか三。


解説と補足説明

yuru63:2013/06/03
 三千年前に太陽(ミロク)が日本に潜入したことにより、太陽達が日本に何かしらの影響を与えていたことが考えられるため、それに関係してきた身魂を因縁の身魂とすると、現在、太陽(ミロク)の活動の手足となっている臣民も似たような活動をしているのかもしれません。この太陽達の何かしらの活動の影響による世の中・文化を持つところをこの神示では日本と呼んでいて、外国は、神サタンの活動の影響による世の中・文化を持つところを指している可能性があります。

「臣民一度は無くなるところまでになります」は、太陽の手足となっていた方たちが一度は無くなる状況、つまり心変わりすることを云っているとも取れますし、実際に大掃除で一度この世にいなくなってしまう時が来ることを云っていて、その時までいくさが続くことを云っているとも取れます。
または、どちらの意味も含めて云っているのかもしれません。


年月日

昭和十九年六月二十四日
旧五月四日(1944年)

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