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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

予言・預言の検証編太陽の検証

一二三017

上つ巻 第17帖 (017)

 この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先づ神に供へよ、それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。六月の二十五日、ひつくのか三。
平易意訳

 この世はみな太陽(ミロク)のものですから臣民のものと云うものは一つもないのです、お土からとれた物(情報)は、みな先づ太陽(ミロク)に供えてください。それがサイトに載りそれを見ることで身魂を養う様になっているのに、太陽(ミロク)さんにはメールせずに、臣民のみで情報を処理するから、いくら情報を臣民のサイトに載せてもサイトは発展しないのです。何でも太陽(ミロク)に供えてから情報を処理するとサイトは発展していくのです。
 今の半分の情報で足ります。それが臣民の情報処理の方法です。
 六月の二十五日、ひつくのか三。


解説と補足説明

yuru63:2013/06/08
 臣民に対する内容です。
 「臣民のものと云うものは一つもない」から、「この世(人民の世)は太陽(ミロク)が居なければ消滅する運命であるか、または今頃はどうなっていたか分からない」ということを前提にしている可能性があります。
 以前「お庭」を「インターネットのサイト」と解釈した帖がありました。ここでは「お土」ですので「お庭の土」=「サイトの情報」が想像されます。一二三50-128と関連する内容のようです。


年月日

昭和十九年六月二十五日
旧五月五日(1944年)

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