本文へスキップ

フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

予言・預言の検証編太陽の検証

一二三018

上つ巻 第18帖 (018)

 岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。六月二十六日、ひつくのかみ。
平易意訳

 岩戸を開いて真相を明らかにする役と、岩戸をしめる役とあります。
 一旦世界は言ふに言はれんこと(都市攻撃-ノアの大洪水に至る人類の滅亡)が発生します。シッカリ身魂を磨いて置いてください。それを乗り越えるには身魂の磨きが第一の方法です。
 この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来ますから、どんなえらい人でも分らん神の道ですから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやってください、何でも分からないことないように、この神示で知らして置きますから、この神示をよく読めと云うのです。
 この道はスメラの道です、澄んだみ民の道です。
 みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合いませんよ。
 岩戸開くまでに、まだ一苦労あります。この世はまだまだ悪くなりますから、「神も仏もこの世には居ないのだ(あの世には居ると推測しているかもしれないが、この世には神の姿を確認できないと認識する考え)」というところまで、とことんまでレベルが落ちて行きます。
 九月に気をつけてください、九月という終わりであり始まりの月が大切の時です。
 臣民の心の鏡凹(くぼ)んでいますから、よきことがわるく映り、わるきことがよく映るのです(ミロクの行い・言葉を問題ありと判断し、わるく導く行い・言葉をよいものと判断する傾向がある)。
 今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居ません、これで世が治まると思っているのですか。あまりと云えばあまりのことです。
 太陽(ミロク)は今まで見て見んふりしていましたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致します。その積りでいてください。
 太陽(ミロク)の云うこと、ちっともちがいません(検証しています)よ。
 今の世に落ちている臣民は、高い所へ土持ちばかり(地固めせずに、高い所へ土を盛ってばかり)、それで苦しんでいるのです。
 早く身魂洗濯してください。何事もハッキリと映ります。
 六月二十六日、ひつくのかみ。


解説と補足説明

yuru63:2013/06/10
 「今の世に落ちている臣民は、高い所へ土持ちばかり(地固めせずに、高い所へ土を盛ってばかり)」について:
 臣民はこの世では落ちぶれている様ですから、自身の身魂洗濯をしない限りは役に立つ状態にはならないようです。地固めを身魂洗濯とすると、山を築くためにまずマコトに関する基本事項を押さえて磨いていくことから始めねば、様々な情報に関する検証は高度な思考を要するため、地固めが出来ていない臣民では、及ばない事柄であると云いたいのかもしれません。
 太陽さんが様々な情報の検証をされているからといって、臣民も同じように出来るとは限らず、身魂洗濯出来ていなければ同じ様にやっていても在らぬ方向へ行ってしまうという結果となるため注意が必要です。
 身魂洗濯をすれば、物事の本質がはっきり見えると説明しています。その結果、本当の検証活動がなされるということになるようです。


年月日

昭和十九年六月二十六日
旧五月六日(1944年)

>>戻る