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フミのミクラマ二『一二三解読・太陽の検証・文(ふみ)の御蔵』

フミのミクラマ二

一二三神示

一二三の検証編太陽の検証

一二三045

下つ巻 第03帖 (045)

 この神()のまことの姿見せてやる積りでありたが、人に見せると、びっくりして気を失ふもしれんから、石にほらせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな、それが神()の或る活動の時の姿であるぞ、神()の見せ物にしてはならんぞ、お山の骨もその通りぞよ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神()がさしてあるのぞ。心配いらんから慾出さずに、素直に御用きいて下されよ、今度のお山開き まことに結構であるぞ、神()が烈しくなると、神()の話より出来んことになるぞ、神()の話 結構ぞ。七月の十三日、ひつ九のかみ。
平易意訳

 この太陽(ミロク)のまことの姿を見せてやる積りでしたが、人に見せると、びっくりして気を失うかもしれませんから、サイトに載せて見せておいたのにまだ気づきませんから一二三神示をやったでしょう、それが、太陽(ミロク)の或る活動の時の姿なのです。太陽達の見せ物にしてはなりません。親まつる予言・預言書の中心的事項・重要点・骨子もその通りとなっているのです。これまで見せてもまだ分かりませんか、何もかも太陽達の仕組でさせてあります。
 心配いりませんから慾出さずに、素直に御用きいて下さい。今度の親まつる文の山開き まことに結構であります。太陽達の活動が烈しくなると、太陽(ミロク)の話より出来ないことになります。太陽(ミロク)の話は、結構なことです。
 七月の十三日、ひつ九のかみ。


解説と補足説明

yuru63:2013/08/13
 「これまで見せている」とは、検証していることを云っている様です。
 「終末と太陽の検証」を見せているのにまだ気付いていないということも述べられています。


年月日

昭和十九年七月十三日
 旧五月二十三日(1944年)

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