けものさへ神()のみ旨に息せるを神()を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神()のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。 |
けものさへ神()のみ旨に息しているのですが神()を罵(ののし)る民は多いものです。
草木さえ神の心に従っているでしょう。神()のむねにそれぞれに生きているではないですか。あの姿に早く返ってください。
青人草と云うのは草木の心の民のことです。道は自分で歩んでください。太陽(ミロク)の御用は自分でつとめてください。人がさしてくれるのではないです。自分で御用するのです、道は自分で開くのです、人を頼ってはなりません。
七月の十八日、ひつくのか三。
yuru63:2013/09/07
「青人草と云うのは草木の心の民」
草木の心とは健気(けなげ)で純粋なものではないでしょうか。
「生まれ赤子のうぶ心」「無心の境地」にも通づるところがある様に感じます。
参考になりそうな情報があったので以下に紹介してみます。
http://i-kibun.com/stress021.shtml「気分」が良いときの頭の中「気分」が良いとき、そして「気分」が悪いとき、 私たちの頭の中は、どのような状態になっているのでしょう。 ここでは主に、リチャード・カールソンの著書を「教科書」にして、オリジナルのイメージ図を用いてわかりやすく説明していきます。 下記は、リチャード・カールソンの著書「楽天主義セラピー」 から抜粋した、「思考」のしくみについて書かれた一文です。 「驚くべきことに、人は湧いてくる思考について、ほとんどコントロールできません。まるで思考が心の中に、でたらめに現われてくるかのようです。思考に対するコントロールは、思考が形成されたあとにはじめて出てきます。思考が形成されたあとでなければ、その思考を考え続けるか、流れ去るままにしておくかの選択はできないのです。」 私たちは、日に5万以上もの「思考」を生み出しています。 頭の中で、つぎつぎと「思考」が湧いてくるのを感じることができます。 たしかに、湧いてくる「思考」をコントロールすることは、できませんね。 私たちはまず、自分の意思ですべての「思考」をコントロールすることができないのです。 「思考」が形成されたあと、私たちがなにもしなければ、「思考」は流れ去ってしまいます。 ここでも、私たちは自分の意思で「思考」を捨てているわけではありません。 私たちがなにもしなければ、「思考」は勝手に現れて、勝手に消えてゆくのです。 つぎつぎと湧いてくる「思考」を、つぎつぎと捨てているとき、 「思考」は<自然本来の働き>をしています。 じつは、私たちが、湧いてくる「思考」を自然に流れるままにしている状態のとき、つまり、「思考」を生み出しては捨て去るという作業を続けているとき、私たちの「気分」は、とても良い状態になるのです。 この状態を図解してみると、下図のようになります。 図のように、「思考」が<自然本来の働き>をしているとき、 私たちは「すべてがうまくいっている」と感じ、「気分」の良い状態になれます。 あなたが、頭の中で、「なにもしないでいる」状態のとき、 それがあなたの「気分」が良くなる状態です。 なんと、つぎつぎと生まれてくる「思考」を流れ去るままにしてさえいれば、 私たちの「気分」はとても良く、ストレスを感じることはなかったのです! ・・・しかし、私たちはそう簡単には「思考」を流れるまま放っておくことができません。 なにか行動するとき、私たちはつねに「頭をつかって」考えているからです。 次項で詳しくみていきましょう。 |
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